働いたら負け

働いたら負け

「何もしたくない」ので、大手企業・学歴・人などを全て捨てたブログ のんびりニートライフ情報満載

follow us in feedly

働いたら負け
ーおすすめ記事ー
カテゴリー

剣道をしている人が、本来知らないといけないのに、ほとんどが知らない剣道の話

2019/12/03 更新 

 

剣道とは何のか??

 

それを知らなければ

そもそも剣道の稽古なんて出来ませんし

全剣連の求めている剣道にはなりません。

 

今回は

剣道とはなんなのか?を今一度学んで

最強の剣士を目指します

 

 

この記事を読めば

段審査の審査基準が理解してくるかもしれません

 

 

 

 

 

剣道とは?

剣道とは、

剣理の修練による

人間形成の道である

 

これはもう公式が定義しています

 

我々はこの定義に

間違った解釈をしないよう語句の意味を辞書を引いて考える必要があります

 

剣...両刃であり相手も斬れるし自分も斬れる

理...人の力では動かすことはできない物事の当然のすじ道

修練...何度も繰り返し経験を積んで身につけるもの

 

「剣の理法の修練」とは、気剣体の一致した有効打突を打つための修行です

 

「人間形成の道」とは?

剣道とは、そもそも、相手をたたき、突き、体当たりしたりするものであり

誰かが言いました

「知のない剣道は、ただの暴力である」と

「知」とは?

それは、知性であり、教養であり、徳性です

昔で言うところの「礼」や「義」も含まれることでしょう。

そういったことは後で記載していきます

 

「剣の理法」とは、剣を扱う上で当然のみちすじ

これを修練して人間ができあがる

 

 

 

 

一般競技と武道の違いとは

 

剣道は武道である

なんて聞こえはいいが、誰もそんな言葉で納得するのだろうか

 

実際、全剣連でも「剣道はスポーツではない武道である」と公言している

 

しかし、剣道人の間でも剣道はスポーツであるか、武道であるかわからなくなっている。

 

まず一般のスポーツの目的は

試合に勝つことです

 

そのため一定のルールの中で新しい技が開発されるのは大いにOK

試合の内容が高度になればなるほど新しい技が開発され

スポーツはそれを「良し」とします

 

 

しかし、剣道はこれを「良し」としません

 

試合、ルールの中で新しい技を開発することは剣道の本筋から外れてしまいます

 

というのも

剣道の「武士道」は伝統継承性を帯びているからです

 

真剣で斬り合っていた時代は

新しい技を生み出して剣法が発展されましたが

 

今は真剣で斬り合いません

剣道は「真剣で斬り合っている中、開発された剣の操法」です

竹刀剣道で新しい技を編み出してはいけないのです

 

剣道では「練習」ではなく「稽古」といいます

これは古を稽(かんがえる)ということです

昔の真剣でやっていた剣法を稽(かんがえる)ということなのです

 

 

 

そうです

剣道では

真剣時代の剣法を

 

継承していこうというものなのです

 

 

稽古とは?

よって剣道は「稽古」と呼ばれます

「練習」ではありません

 

「稽古」とは

古(いにしえ)に稽(かんがえる)ということで

 

昔(真剣時代)の剣術を、遡って、模倣して、繰り返すといったことなんです。

 

やっていることは「練習」なのですが

意味合いを忘れてはなりません 

 

「稽古」と「練習」は違うということです

 

剣道には種類がある

勿論

剣道は「剣の理法の修練による人間形成の道」であり

それを逸脱したら剣道ではありませんが

 

剣道をやっている人の中でも様々な動機があり、

老若男女がお互いに稽古できる珍しい形をしたものであります

 

お互いがお互いに敬意を払えるように礼法を大切にしながらも

剣道をやる目的を考えます

 

ベース 理合剣道:

理合とは「先を読む」ことでありますが

「剣の理法の修練による人間形成の道」

 

剣道に沿った剣道であり

真剣時代の武士たちの伝統継承をした剣道で万人共通で意識しなければならないベースの考え方

 

1 競技剣道(攻防一致の剣道):

試合に勝つために剣道をしている剣道人。

審判が人でやり有効打突条件も抽象化しているのはこの「理合剣道」というベースの考え方から逸脱しないようにするためです

 

2 段審査剣道:

理合剣道にこだわり、昇段を目指してやっている剣道人。

 

3 健康剣道:

運動の一つ、健康の一種として趣味でやっている剣道人。

 

4 教養剣道:

礼法、形、起源などを学ぶためにやっている剣道人。

 

5 形剣道:

日本剣道形も勿論剣道です

 

これは、5つに分かれるというわけではなく

「理合剣道」を中心にそれぞれが繋がっているという考え方です。

 

 

人間形成の道でもある剣道、

試合剣道で勝った奴が「すごい」「偉い」というのがありますが、剣道の世界では勝った奴が優越になるなんてことはありません

しかし、全日本で優勝とかしたら、そりゃすごいと思いますけど

 

剣道は面が全てです

剣道は面が全てです。

 

先ほどの伝統継承性の話になりますが

宮本武蔵が真剣時代で戦って得た結論として

 

「顔面打ち」 が最強と結論付けたのです

これは、五輪の書で書いてあります

 

この起源からもそうですが

人間に対しては顔を攻めるのが一番効果的だというルーツから

剣道にしても試合にしても「面」の評価が高く、「面」が一番強いのです

 

 

剣道は「面打ち」の習得の道であると考えてください

 

上手が下手の面打ちの精度を戒めるために「小手」が存在すると考えていいです。

 

特に

昔の人は「胴を打たれるは恥」

強者同士の戦いに「胴」はありえぬでござる!

と考えられていましたので「胴」の評価は低めです

突きも非常に判定が厳しいです。

 

 

この話は大マジな話で

昔の8段の先生によっては「小手なんて打つな!」と怒鳴り散らす老害もいたほどです

現代でも8段の先生の弟子入りした人なら場所によっては「小手を打つな!」と怒られます。

これは、宮本武蔵の極意「顔面打ち」に由来するものです

剣道の本質は「面」にあるのです

 

 

剣道はフェイントが嫌いです

「剣の理法」とは、剣を扱う上で当然のみちすじ

これを修練して人間ができあがる

 

剣道は偶然を嫌います

 

フェイントはどんな高度なものであっても相手に見破られてしまえば

それはではないということになってしまいます

 

 

というわけで、

段審査でフェイントやったら即落ちです

 

 

剣道を始めるハードルがめっちゃ高い理由

これもまた「剣理」にあります

 

昔の侍は基本的に「自得」+古を稽(かんがえる)稽古を繰り返し行います

 

指導者は、教えるようで教えないわけです

 

自分で身につけろ!というわけです

 

 

剣道の伝統継承性からそういう特徴はあるにしても

こういうことを説明した上で

やはり丁寧に説明した方がいいとワイは思いますが

 

だから、老害指導者も存在するわけですよ

 

 

 

 

 

何故 剣道の文化「武士道」 精神性は曖昧なのか

 

さて、

さきほど割愛した「人間形成の道」について

ワイの主観で解説していきます 

 

 

「これは剣道じゃない」

「もっと正しい剣道を!」

 

なんて指導者が使いますが

抽象的すぎてむかつきますよね

ワイむかつくんですよ

 

でも、武士道の由来を調べた結果

半分仕方がないことが判明しました

 

武士道はざっくりこんな感じです

 

1.「武士道」は今も完成されているものではなく、絶えず生き続けるもの

2.「武士道」は成文法ではない

3.「武士道」は封建制度時代に発達。

武家諸法度は成文法であるが、武士道は明確ルールを明記されておらず、

元々戦前の日本の「宗教」といってよい

 

武士道は道徳的原理の掟で

武士が守るもの、教わったものであり

有名な武士や学者の格言が伝えられたものに過ぎない

それらは、語られず書かざるの掟として記された律法である

 

 

 

武士道の宗教性

 

武士道は

仏教から

「運命に任すという平静な感覚」

「不可避に対する静かなる服従

「災禍に直面してもストイックに沈着」

「生を賤しみ死を親しむ」

 

ただ、これでは武士が傲慢であるとして

 

それから

日本独自の神道

「主君に対する忠誠」

「先祖に対する尊敬」

「親に対する孝行」

これらは他の宗教では獲得しえない考え方である

 

こういった考えは

生前まで

日本全土に浸透していったといことで

 

 

武士道は「神道」であり

 

「剣道」を学ぶということは

日本の伝統精神を学ぶということになる

 

 

つまり

 

剣道を始めるというのは

 

本来、

日本人が持っていた「精神」を求めるもの

まぁ、こういった思想は「宗教」なんですけど

 

 

宗教なくして道徳教育は不可能

 

↓「宗教」についてはこちら↓

fal-ken.hatenablog.com

 

剣道の「死生観」

 剣の歴史は殺戮の歴史ではありますが

常に死と隣り合わせていた時代に

死をおそれない心を積んでいたことでありましょう

一死よりも名誉を重んじ、一名よりも門地を大事にする時代でした。

 

死をおそれなくなることから、美しい死に方というもの思い及んでいたと考えます

 

こういった死生観の文化的側面から

「美しく立派な試合をする」

 というのは高段者であればあるほど

剣道人としても文化的継承を行う上での心構えとなることです

どうですか

 

剣道を学ぶというのは日本を学ぶということ

 

なんかすんごい興味わいてきましたね笑

 

子供を礼儀正しい子に仕上げるには本来剣道は持ってこいなのです。

 

同時に

この伝統精神を剣道から削いでしまうと

剣道の魅力がなくなってしまうわけです

 

ということで

 

我々、剣道人は

技術としての向上だけではなく

 

剣道の伝統精神性=教養の面も学んで向上していかなければなりません

 

 

 

追記:

 

武士道は不明瞭であり言い伝えによって習得されていった

 

剣道界でも8段に君臨する人間というのは

 

それだけ、正しい剣道を伝える責任があるし

 

合格の基準も8段が、この人に段を渡してもいいと主観的(純粋な実力)に判断する

 

 

我々も、文化的な

伝統精神の教えは

独自に編み出すものではなく、

語り継がれることから学んでいかなければならない

 

 

 

fal-ken.hatenablog.com

 

 

fal-ken.hatenablog.com

 

fal-ken.hatenablog.com

follow us in feedly