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「ワイは正義の味方になりたいんや」...そんな衛宮士郎は「宗教」と「歴史」を学ぶしかない

 

人の考え方に善悪、正誤が存在するのか 

自分の中の正義が本当は正しいのだろうか」

本当の所だれもよくわかりません

 

しかし、

 

それに関しては「宗教」と「歴史」が大いにデータを提供して現代まで至ります。

 

 

日本では宗教=悪というイメージ有りますが

 

オウム真理教とエホバが原因かな?

 

 

 

fal-ken.hatenablog.com

 

宗教というのは、

「宗」に「教」をこう。

それによって、自分自身が強く生きる

自分の行き方にヒントをもらって生きて行こう!

 

でも、仏教って神じゃない「ブッタ」

 「ブッタ」に「教」をこう。

 

宗教って物凄く広い解釈であることがわかります。

 

 

「宗」は

現代でいうとおもに「学校」「親」です

「教」をこうっているんです。

 

だから、

 

個人的な思想の問題というのは「宗教」であって、それに正しいも間違いもないんです

 

また

 

「俺は神を信じないから無宗教だ」

これ厳密にはちょっとおかしい。

無宗教だったら思想自体を持っておりません

日本人は、日本の教育と親に洗脳された「日本教」ですね。

あと「資本主義」「拝金主義」思想の方が多いようにお見受けします。

 

僕は「日本教」や「資本主義者」ではないんで

リアルに会話すると「変な人」と呼ばれることがあるのですが。

自身を発達障害を名乗ることで発達障害あるあるを崇拝している「発達障害教」信者なのかもしれません

そうなるとワイにとっての神様は「借金玉」さんか?

資本主義に関しては、中間主義者

→てか、社会主義者になります(社会主義の話割愛。

資本主義で豊かになったのは事実だけど、資本主義によって現代版奴隷が誕生すると「資本論」の著述を信じています

 

 

宗教って実はすごく身近ですごく雑なんです

 

 

神の教えが絶対だ byキリスト

 

全く合理的ではないこの考え方が、正しいと信じられたりします。

日本人はこの排他的な考え方が嫌いです。何故なら、日本人は「神道」の思想があり

多種多様に神があってもいいと考えるからです。

 

キリスト教の教えは世界で物凄く、人類ほぼキリスト教でした

 

このキリスト教の教えの御蔭で、人類の進歩は神に委ねよう

このおかげで20世紀まで人類の急速な進化を抑えられることが出来たのですが

 

なんか

神に背き出して

人類は20世紀進化する方向に進んでいった結果

 

20世紀は戦争、略奪、暴力、核兵器を生み出し、人類史上最も悲惨な時代に突入したといっても過言ではありません

 

 

そもそも、人類が発展することが良かったのか、それ自体が一見いいことかもしれないけど、大量の殺人兵器と死者を生み出す結果となりました。

 

神に委ねる方が幸せだったのでは?

いかがでしょう

現代資本主義の方々、合理主義者

 

 

人の考え方は皆「宗教」だという結論です

 

続いて

歴史

 

人を殺すことは、人類の救済のため、国をかえるためには正しいことだ!ポア!

 

これにも正解も間違えもないです

 

 

ただ、人の考え方の判断材料として

 

もっとも参照になるのは「歴史」でしょう。

 

 

歴史というのは、

哲学の実験場。

 

実際、どのような宗教観で人類が進んでいったかは歴史でわかる!

 

人類の歴史でいうと

国を変えれば革命者 フランス革命

失敗すればテロリスト オウム IS

 

「人類救済のもと」に内戦起こして勝てば革命、負ければテロリスト

 

内戦起こして独裁国家を倒しても

暴力が分断されるので、紛争が激化するケースもあります。 

 

ただ、まぁ、何が言いたいかというと

人類の歴史を「人類の過去のデータ」から

こういう考え方は過去こんな結果をもたらした。というのが見えてきます。

 

 

んで

「歴史」を使わずに議論して

ある一定の方向に哲学的な話に解決があるのか。

 

物事を考えるにはお互いの思想の共有は不可能です

 

しかし、お互い議論してわかることは

 

お互いの理解できないところがわかるだけです。

 

めちゃくちゃ不毛!

「宗教」のぶつかり合いですね。

 

「そういう考え方は過去にこういう風になって、それで」

「そういう考え方は〇〇教と類似していて、過去それで」

「歴史」を使うと少なからず建設的な議論ができるかもしれません。

 

 

 

という考えも一つの「宗教」ですね。

 

 

追記:

 

「歴史」を学んでいるどうなるか。

 

例えば、

 

最近見た憲法9条改正の議論ですが。

 

「日本は軍を放棄し平和を宣言する。侵略された場合、中国に明け渡すべきだ」

こんな考え方の人をみたとき「きちがいだこいつ」と考える人もいるかもしれませんが

この場合「あ、朝鮮、在日の人かもしれない」と差別ではなく、推察できます。

 

少なくとも日本を滅びることが良いとされているので「日本人」の思想ではありません。

何故なら、朝鮮人は戦後反日教育をされているのと、もともと権力のある国に従属する傾向のある国でああります。

そもそも日本があろうとなかろうとどっちだっていいのです。

そして、日本国籍を獲得しているけど、元々先祖が多国籍に置いていた場合となると一番確率が高いのは朝鮮戦争によって流れた朝鮮人の可能性が高いわけです。

 

→結論:我々は中国に侵略されたくないため、この意見には勿論賛同できないわけです。

 

「歴史」を学ぶと、まぁ、良かれ悪かれ建設的な発言が出来るのではないでしょうか。

実はその歴史的データが間違っていたり、間違って解釈していたらもともこもないのですが、少なくとも理由を含めて発言することはできるでしょう。

 

 

「自己責任論」が日本で蔓延しているのは行政の政策

と元々、社会保障が....

 

政治的無関心によって引き起こされるのは独裁であり、

これは、戦後スペインの独裁を維持するための政策と同じ....

 

別記事で述べていますが、結局歴史を参考にして述べているだけなのです

 

 

「歴史」は本当に頼もしい武器です。

 

 

追記:

 

僕自身の「思想」をルール化しているので、まぁ、これも宗教ですよねぇ~

 

fal-ken.hatenablog.com

 

 

また追記:

 

人類の歴史を学ぶ教材としてうってつけの本を紹介しておきます。

 

サピエンス全史

 

 

銃、病原菌、鉄 

 

 

 

 どちらも分厚いです。

「なんだ、人類って暴力ばっかじゃねぇか」

「発展しない方が豊かなんじゃね?」

 

と違った宗教観を手にするものですね

 

 

追記:

 

未来の衛宮士郎(アーチャー)は、

正義の味方になったはずですが

人を殺しに殺しまくってその先に正義があったのかよくわからなくなりました。

 

zeroの

きりつぐも聖杯のために何人も犠牲にしてきましたが

結局、何でも願いが叶う願望器具じゃなかったことに絶望します

 

 

正義を名の元に暴力を振りかざすと

歴史的にみると「テロリスト」「過激派」が近いのではないでしょうか

 

歴史を学ばないと同じ道を歩んでしまうのかもしれません

ただ、だったらどうしろって話なのですが

 

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