世界の1人当たり名目GDP 国別ランキング・推移(IMF) – Global Note
日本の高校生の読解力と記述力が低下しているのが12月に発表された国際調査で発覚
こんにちは、さっちゃ~んです。今年、やばくないですか?皆さん
コラム:3%賃上げに日本株下落の暗雲、早くも岸田政権の正念場か | ロイター
20年ぶりに1ドル=133円台まで円安
日本株価が暴落しているので円安です
生活の影響では物価の値上げが著しいです
岸田内閣になってから滅茶苦茶円安になってます。
ブラジル産の鶏肉なんて、安さが売りだったのに、道内産より高くなっちゃった。
まぁ、しかし、この国は独身高齢者(日本の人口構成上)が支配している国なので、私たちの意見は反映されません。
自民党茂木幹事長「消費税減税を行えば年金は3割カットになる」と平然と嘘と無知な高齢者に対する遠回しな脅しをかけております
しかも、ここ20年で所得がだだ下がり、生活が苦しくなっているのにもかかわらず、相変わらず、こんな幹事長のいる自民党に投票する人が多いわけですが、まぁ、いいっすわ。
皆さま、生活保護を受けるか、働いて搾取されるかしてください。
政治には関心がないのですが、
ところで、
2022年春アニメで「スパイファミリー」が、滅茶苦茶、流行っているらしいのですが、ギャグとしてみていいのか、ストーリーの面白さでみればいいのか、マジでわからなくて、ついていけませんでした。
キモオタのワイが、アニメが流行していて、「気持ち悪い」と感じてしまっている。
鬼滅キッズの風潮から、可笑しいとは思っていたけども、
世間の記事や流行に対してのこの温度差って何なんだろうな?とふと思って
今回、この記事を作成しました。
- 「世間(群衆)」が主体を持ち始めた歴史は意外と古くない
- 「断言」と「反覆」こそ人々を魅了する
- 指導者の実像
- 客観的事実は、存在しない
- 年代関係なく、日本人の3割は日本語が読めない
- SNSの「受け取り方」「発信の仕方」
- メディアという得体のしれないやり口
- バカの壁:「アニメ」が「群衆」のものになった
- まとめ
- 追記:参入障壁のあるマイナーなカテゴリーの方が面白い
「世間(群衆)」が主体を持ち始めた歴史は意外と古くない
事件が起きるという時というのは諸国家の伝統的政策や帝国間の抗争が主要な要因となっており、群衆の意見などはたいていの場合問題視されていなかった。
しかし、19世紀ヨーロッパ半ばでは「市民革命」と「産業革命」によって社会基盤が大きく揺らいだ時代だった。
新大陸の発見による産業の拡大、科学の発見、科学の成果によって人々の暮らしが徐々に変わっていき「科学や発明の力で人々は幸せになれる」とみんな、そう思い始めました。
その結果、キリスト教は昔のように絶対の権威を保てなくなってしまったわけです。
そういった時代背景でルイ十六世とマリー・アントワネットはギロチンで処刑されました。
フランス革命によって市民はとうとう政治参加に道を開くわけです。
しかし、フランス革命を先導したロベスピエールは独裁化し、1年後には彼も断頭台に送られてしまいました。
その後に、帝政を敷いたナポレオンも十年余りで失脚すると、フランスはルイ十六世のブルボン朝に結局逆戻りするのですが、極度に専制的な王政に市民の不満が爆発し、1830年の七月革命で立憲君主制に移行することとなります。
イギリスで起こった産業革命が、半世紀遅れてフランスに伝播したのが丁度このころになります。
みんな神を信じていたけど、科学の発展や工業化が進んで、神を信じなくなってしまったん時代なんですね。
「断言」と「反覆」こそ人々を魅了する
群衆の特徴としては「暗示を受けやすく、物事を軽々しく信ずる性質」「感情が誇張的で単純であること」があげられます。
ひとたび、群中心理の暗示にかかると、自分で考えることができなくなるため、感情移入しやすい「わかりやすさ」を求めてしまうわけです。
個人が群衆に加わると、個人の知的水準は低下し、もはや少しも知能には作用しなくなります。
TV・新聞は勿論、まとめ記事に乗っかって炎上の鵜呑みとかも「群衆」の仲間入りとなります
もちろん、日本で暮らしいると「同調圧力」という隷属状態が発生します。
コロナ禍の自粛警察なんかは酷かったですね。
「同調圧力」に屈している時点で結局我々も「群衆」の一員なんですね。
しかし、先程も説明した通り「群衆」に人間の理性や合理性は全くありません。
そこには感情移入しやすい「わかりやすさ」しかないわけです。
群衆の精神を常に支配しているのは、自由への要求ではなくて、屈従への要求で、服従に対する渇望が、群衆をその支配者と名乗るモノへ本能的に屈服させる。
わかりやすい独裁者は暴君のみならず、教師や上司など、誰かに何かを命令する権利を持つ人がその権利を行使する時には必ず「自主性のはく奪」が起きている。
指導者の実像
群衆が感情移入しやすい「わかりやすさ」についていくのならば、指導者は多くの場合、思想家ではなくて、実行家であり、あまり明晰な頭脳を備えてはいない。
明晰な頭脳の場合は、概して人を懐疑と非行動へ導くため、わかりやすさと対極にある。
裏を返せば、指導者に必要なのは、明晰な頭脳ではなく、宗教上、政治上、社会上の信仰にせよ、ある事業、人物、思想に対する信仰にせよ、信仰を想像することが偉大な指導者の役割となる。
人間をコントロールするのは「頭脳」ではなく、「信仰」なのである。
常に大衆は、強固な意志を備えた人間の言葉に傾聴する。
推論や論証をまぬかれた無条件的な断言こそ、群衆の精神にある思想をしみこませる確実な手段である。
客観的事実は、存在しない
じゃあ、理屈が大事かと言われるとそうではなくて、理屈で物事を考えるといってもある程度の範囲という話です。
「客観的事実」というものは、突き詰めていけば、そんなことは誰にも確かめられません。 結局、最終的には信仰の領域になります。
何を信仰してそれを元に思考するかという話になります。
しかし、
NHKの報道は「公平・客観・中立」がモットーである、と堂々と唱えて嘘をついています。
だからとって、気持ちで物事を考える人は、こうした「正しさ」を安易に信仰するもんだから、昨今の消費税増税に賛成している日本国民は半分以上います。
「消費税増税は社会保障費に使います」と自民党の幹事が平然と嘘を言います。
そもそも、税金なんて集めたお金は全部一つにまとめてから振り分けるのに「この目的のために税金を回収する」なんて理屈はありません。
科学に対しても最近では地球温暖化の原因は炭酸ガスの増加だ、とあたかも「科学的事実」であるかのように言われていましたが、温暖化に関して、事実と師て言えるのは、近年、地球の平均気温が年々上昇しているということだけで、炭酸ガスはその要因を説明する一つの推論にすぎません。
「科学的推論」を「真理」だと決めつけることは怖いわけです。
世の中のことわりなんてそもそも簡単に「断言」なんてできません。
それでも、この「断言」が人々を魅了することをワイも含めたブロガーは理解している。
「常に単純な断言」がブログによる「洗脳」作用をもたらすのである。
反復 断言は、たえず、しかもできるだけ同じ言葉でくりかえさなければ、実際の影響力は持ちません。
断言された事柄は、反覆によって、人々の頭の中に固定して、ついにあたかも論証済みの真理のように承認されるにいたる。
ワイのブログで「働くとかオワコンww生活保護でハッピー」という言葉も、その言葉の根拠よろいも断言と反覆を浴びるだけで元気になっていくのと同じ感じである。
年代関係なく、日本人の3割は日本語が読めない
群衆の誕生は市民革命からで、現代人は思考力が向上しているから、メディアに操作・洗脳されていることはない、と言い切れるだろうか。
そもそも、日本人の3割は日本語が読めません。
まぁ、このデータもこの記事のテーマに沿うなら、信憑性を断定することはできないのですが、 2016年に「読解能力」「数学的思考力」「問題解決能力」等を図るPIAACというテストを18~65歳対象に受けさせたらこのような結果が出ました
- 日本人のおよそ3分の1は日本語が読めない。
- 日本人の3分の1以上が小学校3~4年生の数的思考力しかない。
- パソコンを使った基本的な仕事ができる日本人は1割以下しかいない。
- 65歳以下の日本の労働力人口のうち、3人に1人がそもそもパソコンを使えない。
しかも、日本は比較的優秀で、他の国だったら5割とか出ています。
これは、つまり、日本人の最低3割は「理屈」で物事を考えるレベルが小学校3~4年ということです。
これを「バカの壁」とも表現されたこともありますし、柔らかく述べると「気持ち(好きか嫌いか)」で物事を考えるということです。
日本の高校生の読解力と記述力が低下しているのが12月に発表された国際調査で発覚
日本の高校生の読解力が4位から15位に急落。読解力の高い生徒の特長は? | 速読情報館
読解力・記述力と言うのは、上昇しずらい LINEツイッターというのは、ある程度のまとまった記述の論理・理屈をやり取りできる層と感情とか感想しかやり取りしない層との間のギャップがどんどん広がっている。
ツイッターが炎上しやすい本質と言うのは、なんとかはダメだ何故ならば、なんとかはダメだと思う、だがそれは疑わしいといった論理展開についてこれない人が凄く多い。
日本人の3割以上は、必ず「群衆」に乗っかると思っておいた方がいい
SNSの「受け取り方」「発信の仕方」
ところでネット社会になって20年ほど経ちましたが、私たち世代と言うのは、今の子供と比較すると情報の「受け取り方」「発信の仕方」というものを教わっておりません。
メディアというのは、自己流の付き合い方で不自由なく使いこなせるほど、生易しい相手ではありません。四方八方から数えきれない情報が飛んできて、自分でも信じられないくらいにはるか彼方に飛んで行ったりする。
情報のキャッチボールという訓練も必要なわけだ
情報を受け取る際に確認するべきこと
- 誰が書き込んでいるのか
- どういう立ち位置からの発言か
- 具体性があるのか
- 他のところからも同様の情報が出ているのか
SNSって大変ですよね。
このように情報を受け取るだけでも、かなりのハードルがあることが伺える。
これを全員が全員できるだろうか?何しろ日本人の3割は日本語が読めないのだから、おそらくできないだろう。
情報を発信する側もしかり、ワイこの記事のソースは一体どこにあるのか不明だったりする。
SNSというのは、情報の発信の仕方、受け取り方にも心構えを、それなりに入門書程度の知識が必要な世界に、何もメディア・リテラシーを知らずに参入していくとどうなるのか。
気持ちの壁の向こう側の人が大量になだれ込んでくるので、理屈の壁の住人にとってはかなり居心地の悪いものになるのではないかと思います。
メディアという得体のしれないやり口
また、発信者に近づくというのも手段です
群衆の言動とは、「衝動的で、動揺しやすく、興奮しやすい」特徴がありますので、振れ幅が極端に大きい。
そのため、かつての威厳が偉大であればあるだけ、その反動も激しくなります。
指導者は、群衆から賞讃されるには、常に群衆をそばに近づけないことが鉄則であった。
裏を返せば、私たちの方から威厳あるモノに近づき、その実像と本心とをきちんと見抜く必要があるわけです。
彼らの言動を素直に浴びるのではなく、近づいて、分析する必要があります。
まぁ、でも「わかったつもり」でいるのもまた「洗脳」されたままの可能性が非常に高いわけですが。
今、メディアというのは実情、誰が発信しているのか、具体的にわかりにくくなっていますし、日本の記者が顔を出さないのは、これは現代の「群衆」に携わる時のルールとなっています。
バカの壁:「アニメ」が「群衆」のものになった
群衆の特徴とバカの壁について説明しましたが、その例として「アニメ」を挙げていきます。
秋葉原にいるようなアニメオタクという人種がいなくなってしまった。
SNSの人口分布の歴史を辿ってみよう。
パソコン通信知能分布でいえば上位数パーセントしか参加しない時代と言うのは天国と言われていて、そのうち半分近くが参加するようになって、やがて、みんな参加するようになり、本来だったら小難しいことをしないような人たちがやりやすいツールが出来て、スタンプだけ、いいねだけで参加できるようになると論理展開がみたいな話について来れる人と無理な人との間に差が出来てしまう。
SNSと同じように、今回疑問に思っていた「アニメ」に関してもそうだと思っています。
10年前にアニメという趣味を楽しんでから現代までの流れ、スタジオジブリ作品から2000年代前半(攻殻機動隊、灰羽連盟等)までが視聴者に対して視聴解釈のハードルが物凄く高い時代があって、クラナド、涼宮ハルヒ、ひぐらし、まどまぎ等、見た目キモオタだけど、実際みてみたら面白い作品が揃っていた、キモオタ界隈の中だけで盛り上がれる時代があり、「君の名は」でアニメの障壁が下がったんですね。
しかし、2010年代後半は目立っていないけれども、面白いアニメが量産されていた。
需要がおかしくなってると感じ始めているのは、「鬼滅 無限列車編」の大ヒットらへん、コロナの影響を受け始めた2020年頃春頃から、面白さを追求しなくなったアニメが増え始めたんじゃないかなと思っております。
ただ「面白」くするには、それなりの論理展開も必要なんですけど、それが感じられなくなった。
これは、理屈で考える人にとっては、理屈の話についてこれないんだという壁が可視化されてみえるんですが、理屈で考えられない人にとっては急になんか変なことを言い出している、当たり前の話を繰り返ししているだけにみえる。
逆に、論理展開をしている人は、気持ちが理解できない
「嫌だからできない」「どうしても嫌だからできない」「好きだからやっちゃう」「みんなが好きだと言ってるから自分も好きだ」といった気持ちの壁が理解できない。
このように理屈で考える人と気持ちで考える人とのギャップに差が生まれる。
これを通称「理屈の壁」と「気持ちの壁」と2つの壁があると。
SNSの普及が要因もあるのか、昨今の国勢調査でもそうなのか、
みんな気持ちの壁の側の方に行っちゃっているということです。
※理屈で物事を考える人は気持ちの壁の住人の気持ちを理解できないので「バカの壁」といってバカにするのですが、感情を大事にしようということです、ね、多分。
鬼滅の刃辺りから、キモオタよりも流行に敏感な気持ちの壁側にいる方々がドカッと押し寄せてきて、製作側も、「アニメは1発当てれば儲かるけど、中身は別にいらねぇから」というような、そちら側が喜ぶように作ってしまって、アニメーションだけレベル高くて、内容はなんかどうでもいい作品が量産されてしまってる。
そして、ワイは、鬼滅の刃が滅茶苦茶ヒットした理由が未だによくわかっていない。
今期、流行っている「スパイファミリー」の話を挙げると、1話観た時に、話の設定はガバガバなので、本格的なものではないのは前提にあるのですが、コメディとしても、何が笑えるのかわからないんですよね。
「みんな面白いと言っているから面白い」という理屈が理解できない
・アニメの視聴者層の多くは学生でもあると思っているのですが、その若い世代の理解力・記述力が低下している
・アニメがアニオタだけのものではなく、大衆向けになってしまった
この2つの仮説からアニメが、自分が求めている方向とは違う方向に向かっている傾向にあるのかな?と考えております。
同様に、「娯楽」でも何でもいいのですが、日本国内で爆発的に流行してしまうと、本来の意味合いアニメの面白い部分って、今後もなくなるんだろうなと痛感しました。
あの時のアニオタが気持ち悪がられている時代の方が良かった
面白い趣味というのは、マイナーなものにありますよね
まとめ
客観的事実なんてものはない。
だが、大衆の発信の方がもっと根拠がない
マイナーなワイのブログ含めて、この国の人口分布でいうと40歳以下は基本的にマイノリティで、我々の考えと言うのは押しつぶされてしまう。
そのかわり、独身高齢者やそれをコントロールしたいマスメディアの発信は強烈である昨今ですが、感情移入しやすい「わかりやすさ」を断言、反復で大多数を洗脳していく。
群衆のこのような特徴から発信された意見を鵜呑みにしていいのだろうか。
最近、「底辺職業」なんてもので話題になっていたが、あんなものにいちいちコメントする必要があるのだろうか。
昨今は、大衆に迎合した方が生きやすいホワイト社会ではありますが、
大衆に洗脳されるのとは、また違います。
常識を常に疑って生きる「少数意見道」を突っ走りたいですね
大多数の意見は、基本的に信用してはならない
追記:参入障壁のあるマイナーなカテゴリーの方が面白い
・日本人の3割は日本語が読めない
・最近の国際調査によると、理解力・記述力が低下している
・YouTubeやTwitterは、誰でも参入できる分、気持ちで物事を考える人の割合が多く、理屈で物事を考える人にとっては、いい媒体ではない
・ブログや書籍等の活字は、読む人しか読まないため、大衆受けはなくなるが、層が絞られて同じ価値観の人が集まりやすい
ブログって全体的に読者の数が減っている思っていて、この「ブログ」という媒体はSNSの中でもマイナーな部類に落ちてしまったと思っているのですが、
そのおかげで、気持ちで物事を考える人がYouTubeやTwitterに流れていったので、ワイにとっていい読者しか読まなくなってるのかなと思います。