ワイは「正義」なんどには興味がない
というか、辞書をひいても抽象的な言葉を使うのが基本的に好きではない
全く納得のいく説明にならないからだ
しかし、なんで今回「正義」という言葉を取り上げたかというと
ワイが小説を読んだり、アニメをみたりするときのキャラクターの行動基準について考えるようになったからであり、
また、ワイは小説を書こうとするときもキャラクターの「動機・目的」というのをうまく思い描けないからである。
正義とは主に「幸福、自由、美徳」から構成されるらしい。
ワイが、どれも嫌いな言葉である
それはさておき
アニメ 幼女戦記で
戦争をやる際、主人公軍が民間人も含めて敵国の住人を殲滅するというシーンがある
これには「なんて、酷い、残酷なんだ」と思った視聴者もいるであろう
しかし、ここで住人を殲滅しておかないと、
家族を殺された恨みなどで自爆テロを起こす住民が出てきて、こちらの軍の損失になる可能性が非常に高くなる
実際に起こった例で言うと
アフガニスタンでの非戦闘員である「ヤギ飼い」にみつかったアメリカ軍小部隊150人。
彼らは極秘裏に移動していたため、みつかったらアフガン軍が襲ってくる
「ヤギ飼い」に非はなくても、アフガン軍が「ヤギ飼い」を拷問すれば、我々の存在をちくられる。
ここでは、幼女戦記とは違いアメリカ軍小部隊は、「ヤギ飼い」を「殺さない」という選択肢を取った。
その結果、「ヤギ飼い」→アフガン軍に発覚し、アメリカ軍小部隊は襲われ19人が死亡したそうな。
世の中の人は、戦争や人の生死にかかわる窮地などは経験しないとは思うが
こういったどちらかを選択して、どちらかを切り捨てるといったことを
「道徳のジレンマ」
という
民主的な暮らしの中には「道徳のジレンマ」だらけであり
常に「正義と正義」がぶつかり合い
「正義と不正義」「善と悪」の議論がなされている
本人の努力で獲得した金を無理に税金で取るのは不公正だと考える人間もいれば
富裕層に課税して貧しい人を救済することが正義と考える人間もいる
妊娠中絶を権利と考える人もいれば
それは、殺人だと考える人もいる
ちんちんが大きいと入らないではないかと考える人がいれば
ちんちんが大き(自主規制)
ものごとにおいて選択して行動するとは「どちらかを捨てる」とはよく言われるかもしれないが、それは「道徳のジレンマ」があってのことであろう。
勿論、ワイのブログでもいえることである
ワイは物事を主張する時に、裏の背景にあるものを「切り捨てている」といってもいい
例えば
このブログは基本的には
「働きたくない人」「お金がなくて困っている人」「現代社会が息苦しい人」をターゲットに「自分を攻めるな、悪いのは社会だ。くそがぼけ」と主張をしている。
しかし、
このような主張をすることによって
国家権力にとっては勿論「与党にとって都合の悪い情報」を流していますし
世間一般の同調圧力といった世の中の「右翼保守勢力」にとっては、ワイのブログを「異端な思想」そのものに嫌悪感を抱くことになり
ワイが「悪」となる。
ワイは前者にとって「正義」にはなっているが後者にとって「悪」になっている。
もしかしたら、ワイの主張は偽物のデータをかきあつめて、ワイがそれ自体勘違いしていて前者にとって「悪」になっていて、国家権力にとっては実は「正義」になっているのかもしれない。これの可能性は低いが
さて、
この記事で何が言いたいかというと、次のようなことです。
結局のところ「道徳のジレンマ」がどうしても存在するので
「正義」の信念は「思い込み」にすぎず、特定の「正義」を信仰する「宗教」なのであり
「道徳のジレンマ」を理解せず
自分の主張は正しく、悪は滅ぼすべしと考えている人間ほど狂信的なものはないのである
アニメをみたり、小説を呼んだりする際にこの考え方は
物語を違った視点であなたを導くかもしれない。
逆に、アニメ、小説で「道徳のジレンマ」を実感するのかもしれない