みつかったらヤバい記事シリーズ第2段「国際銀行家」の歴史そのものをやります。
真実が判明した前回は「経済学」を理解できたと思いますが、
今回は真実が判明すると同時に「世界史」が皆さん苦手科目じゃなくなると思います。
私たちは民主主義経済社会を生きているという錯覚で生きているため、
世界史でも、世界を支配してきた「国際銀行家」の認識すらしていませんでした。
世界の王様である彼らの礎となった歴史が世界の歴史の全てです。
この記事は、「通貨の創造する」力を用いて世界を支配してきた歴史を紹介する記事です。
教科書での「世界史」の事象の「何故?」についても非常に納得のいく流れになっておりまして、すらすらと頭に入っていくと思います。
ですので、単純に世界史の学習にも非常に有効となっている記事となります。
注意:通貨発行権の力を理解しないと、国際銀行家の支配の仕方にイメージがわかないので、この記事を読む前に以下の記事を読むことを推奨します。
預金創造・銀行業の誕生の歴史
預かり証誕生
おさらいですけど、銀行業の歴史の始まりはここからなので、もう一回記載します。
10世紀、中国「宋」 宋王朝が世界で初めて紙幣の発行をしました。
「皇帝」が発行し、玉璽(ぎょくじ)を押した紙幣だけが通貨でした。
つまり、皇帝が「中央銀行」でした。ほかはいっさい貨幣の創造を認められておらず、違反すれば死刑でした。
皇帝は通貨の供給を直接支配し、紙幣を増刷して需要を刺激することも、紙幣の流通量を引き下げて景気を冷やすことも出来ました。
さらに、誰が食料や原材料、武器、最新の技術の支配権を得るかも決めることができました。
意のままに紙幣を創造し分配する。それはあらゆる場における絶対的な権力で、帝国の全ての資源を支配していました。
対して、中世ヨーロッパでの展開は全く異なっていました。
王や領主は通貨の本当の性格を理解おらず、彼らにとっては、金及びその他の貴金属だけが通貨でした。
しかし、金が主要通貨であれば、支配者が通貨供給をコントロールすることは不可能でした。
金は意のままにつくりだすことは出来ません。支配者はそれをこころみましたが失敗しました。中国の君主と比べて、ヨーロッパの君主は本当の支配者とは言えず、彼らは自国の資源をコントロールできませんでした。
通貨供給をコントロールできない政府は、経済にほとんど影響を及ぼせず、こんな政府は権力者とは言えません。
ヨーロッパは税金に頼るほかありませんでした。
税率はすでに限界ぎりぎりまで上げられていることが多かったのですが、それでも政府の投資にはお金が必要でした。王や領主が道路や橋や城を建設し、国を守る軍隊を養う必要があると考えれば、借金をするしかないこともしばしばでした。
自分たちは「絶対」君主、「権力者」だと思っていても、通貨に関する限り、ヨーロッパの君主の大半は助力をこうしかありませんでした。
貴金属は主たる決済手段ではありましたが重すぎるし扱いにくいし高価なものを買うたびに持ち歩くのは大変危険が大きすぎました。
自宅にしまっておいても金は安全ではありません。
まもなく、豊かな商人や地主は、金銀を安全にしまっておく場所はないかと探し始めました。
金を預けるなら金細工師(金や宝石を扱う仕事)以上に安全な所はありませんでした。
金細工師なら安全な保管場所もあるし身元がしっかりしているし金持ちです。
人の金を持ち逃げする危険もないでしょう。 金細工師が金を預かると、預かり証を発行します。
預けた方は、預かり証の便利さに気づきます。
買い物のたびにいちいち金を持ち出さなくても、金の新しい所有者はどうせ金細工師にまた預けるではないか?金細工師は良く知られていたから、預かり証が決済手段として受け入れられるようになりました。
つまり、預かり証が通貨となったのです。
こうして、十三世紀ごろ、ヨーロッパでも「預かり証」という紙幣が登場しました。
中国とは違い、政府によって発行されるのではなく、民間のビジネスマングループによって発行されたのでした。
金細工師は発見した。預金の誕生
中世のほとんどの職業にはギルドがあり、金細工師にもギルドがありました。
彼らは定期的に開く会議で、預かり証が通貨として利用されるようになって大量の金が金庫に眠っている状況について話し合ったことでしょう。
その金を一時貸し出せば、余分のもうけが得られると気づいたことでしょう。
金がなくなっているの発見される危険性は少なく、預かっている金を思いがけなく要求された時は互いが助け合えばいいわけです。
金細工師が預かった金を貸し出して、余分の金利を取るようになった時、
二つの出来事がおこりました。
一つ目は、とある金細工師が詐欺を働きました。
彼らの預かり証は、金がきちんと保管されているという保証です。顧客は金がそこにあると信じています。ところが、金はない。貸し出されてしまっているわけです。
そこで、金細工師はこの小さな秘密をできるだけ守ろうとしました。
人々が事情を知らない限り、理解しない限りは問題ないでしょう。
二つ目は、新しい購買力が創造されたことです。金の預かり証が商品の購入に使われ、その一方で金そのものが貸し出されれば、誰かがそれまでは存在しなかった追加の購買力を手にします。経済全体の購買力は増大し、金細工師は通貨の供給量を増やしていきました。
しかし、政府が購買力の創造と分配の決定権を握っていた中国と違って、ヨーロッパでは誰が通貨を受け取るかを決めるのは金細工師でした。
一般民衆は知りませんが、金細工師の行動はすべてのひとに影響を及ぼしていました。
貸金に対する需要は常にあったので金細工師はぼろ儲けです。
金のほとんどのを貸し出した後でも、さらに金利を得る機会を逃すのは惜しかったので、彼らは金の代わりに預かり証を借り手に渡して、融資を拡大することを思いつきました。
つまり、金細工師は通貨を「印刷」できてしまいました。
信用(預金)創造です。
こうして、好きなように購買力を与えることができ、彼らが新しい通貨(預かり証)を創造すれば、希少な資源に対する要求は増大します。
こうして、資源に対する要求、つまり、通貨供給量が増え、金庫に残っている金よりもずっと多くの預かり証を発行し、詐欺が大掛かりになり、預けてが金を返せと言い出せば危機が発生する状況となります。
又貸し(他人から借りた物を借りた相手とは別の第三者に貸すこと)ビジネスですね。
こうして「銀行業」が誕生したわけです。
中央銀行の存在意義 中央銀行の登場までは、誰かが融資を受ける時に、民間銀行が紙幣を印刷、発行していました。
中央銀行はふつう、最も影響力のある銀行家が資金を出して所有し、紙幣を印刷する独占的権利を得ていました。
そこで他の銀行はすべて中央銀行に依存するようになります。
しかし、各銀行が通貨を創造しなくなったわけではありません。
銀行の通貨創造がもっと目立たない形をとるようになっただけです。
誰かが銀行からお金を借りようとすると、銀行は口座を開いて、新しい預金を創造します。
これが「帳簿」上の通貨、あるいは「銀行マネー」です。
いまでも民間銀行は通貨供給の大半を創造しています。
現在、大半の国では中央銀行が発行する紙幣は通貨供給量の10%弱にすぎず、金細工師の時代と同じで、現在の銀行は大量の購買力を創造し、分配しています。
お金のライフサイクルは銀行貸し出しが供与されて通貨が生まれた時に始まります。
通貨は流通しているかぎり、経済の中で購買力として役目を果たします。
銀行が信用供与を増やせば増やすほど、経済の中の購買力は増えて、そうでなければおこなわれなかった取引に使われます。
借り手がお金を使えば、受け取った側はそのお金をまた銀行に預金するかもしれません。
そのとき、お金は流通から「引退」します。
※お金とは、「財・サービスの価値情報、及び、その媒体(メディア)の総体で、財・サービスとの交換や保蔵ができるもの」という定義を思い出してください
預金口座から引き出されると、お金はまた動き出します。
新しく創造された購買力は預金によって流通から消えます。
通貨を創造する力があるから銀行は特別な存在であり、すでに存在する購買力を再分配するだけの株式市場や債券市場とはまったく異なります。
同時に、そのために銀行の方が危うい存在でもあります。
結局のところ、銀行は「インチキ」のうえに成り立っています。
預かった通貨はちゃんと保管していますよ、という銀行の約束は守られていません。
だから、銀行は必要な時に介入して現金を印刷してくれる中央銀行を欲しがりました。
「銀行が通貨を創造する」のがお金の真実で単純なことです。
何故、欧州では政府の紙幣の発行権を獲得できなかったのか?
欧州では、紙幣という通貨は民間銀行が作り出しました。
そのため紙幣は「銀行券」とも呼ばれています。
では、何故、欧州の各国政府は紙幣を作らなかったのか?
答えは欧州に強大な政治権力が存在しなかったからです。
アジアの諸王朝は強大な専制君主権力を持つことが多く、通貨も君主が管理していました。
世界で最初に紙幣が作られた国は中国の宋王朝で、次に国家の正式な通貨として大規模に取り入れたのが13世紀のモンゴル帝国の元王朝です。元では、君主の許可のもとに金銀との交換をする必要のない紙幣が発行されて取引に用いられていました。
現代的な表現を用いると政府紙幣が実現していました。
皇帝は自由に臣下への給料や国家の政策に通貨を割り振ることができました。
国家が通貨発行権を持っていたのは、君主の国家に対する政治権力がそれだけ強力だったということです。
ロシア帝国なども君主の政治権力が強力だったために、国家が紙幣発行のイニシアチブ
を握っていました。
一方、欧州の場合は、ローマ帝国崩壊後の欧州では、権力がどこまでも細分化され君主権力はばらばらになりました。封建制社会の到来です。
君主といえでも貴族や都市の市民や聖職者に対して絶大な権力をふるえたわけではありませんでした。
当初は貴族と聖職者が国王のライバルでした。
その後、商業の発展と共に都市の市民が力を持つようになりました。
その中で金融権力は力を蓄えていき、政治権力が紙幣発行権を獲得するのを様々な手段を用いて防いできました。
強力な政治権力が登場すれば、自らの通貨発行権が奪われる可能性があります。
分裂していた欧州では政治権力が紙幣発行権を獲得することができませんでした。
強力な政治権力の存在を嫌うのは古今東西にかかわらず金融権力の特性といえます。
戦争「ビジネス」でイングランド銀行創設・産業革命へ
民間の銀行家が紙幣を作り出して信用創造していましたが、17世紀末にイングランド(現在のイギリス)で大きな金融革命が起こります。
イングランド銀行の創設です。
このイングランド銀行が現在の中央銀行この元祖といわれています。
イングランド銀行の創設には戦争が深くかかわっていました。
当時、イングランドとフランスは戦争を行っており、戦争は相手を倒すために極限まで財政をひっ迫させます。
なんとしても戦争に勝たなければならないイングランド王国に対して、銀行家は交渉を持ちかけました。
「戦争に勝ちたいならお金を貸してあげましょう。しかし、条件があります。私の銀行を国家の正式な紙幣発行銀行として認めてください」
この条件をイングランド王国は飲むことになりました。
ここに現在の中央銀行の元祖としてのイングランド銀行の創設されます。
もちろん、民間の中央銀行でありました。
国家はイングランド銀行の経営には参加できませんでした。
イングランド銀行の創設により、イングランド政府は、永久国債の発行によりイングランド銀行が発行した紙幣を受け取るようになりました。
当然、国債には利子が付きます。
その利子の返済の通貨は市場に存在しないため、さらに政府は国債を発行して紙幣を受け取らなければなりません。
実際、政府の借金は、1685年から1700年までの間に80万ポンドから1380万ポンドに膨らみ、一挙に17倍以上に増加しました。これらの金利の支払いは国民の税金でまかなわれるのです。
永久の雪だるま式借金経済システムの本格的な始まりです。
イングランド銀行の創設以来、イギリス政府は一度も債務を完全に完済したことはありません。
こうして民間が所有する中央銀行が創設され、以後の金融システムを作り上げていきます。
イングランド銀行の創設の件で分かるように、戦争は多くの利益を銀行家に与えます。
敵対相手に勝たなければならない戦争では、財政が極限まで肥大化します。
戦争ほどお金のかかるモノはありません。
その時に国家の通貨に対する需要は最も大きくなります。
銀行かはその状況を利用し、国家と有利な条件で交渉し、通貨を貸し付けます。
銀行家にとって戦争は長引いてもらった方がいい、長引けば長引くほど国家財政は逼迫するためです。
そのため、戦争を起こすように誘導し、長引かせるために銀行家は戦争の当事者双方に資金を貸し付けます
通貨を発行していない国は借金まみれになり、銀行かは莫大な収入を得ることができるというわけです。
多くの戦争の背後には銀行家の存在が見え隠れしています。
欧州の銀行家は当初、商業の発展していたイタリアを中心に活動していました。
その後、大航海時代が始まり、大西洋側の諸国が発展し始めると、そちらに本拠地を移します。
とくに宗教的な束縛の少なかったオランダが活動の中心になりました。
銀行かは異教徒であるキリスト教徒には利子をつけて貸し出すことが認められていたユダヤ系が多かったです。16世紀以降、ユダヤ教を迫害したスペインなどでは様々な意味で銀行の活動がしにくくなりました。
オランダはスペインで迫害されたユダヤ人を受け入れたことも手伝って金融と商業の中心地になっていきます。
1609年には世界初の効率銀行としてアムステルダム銀行が設立されます。
オランダは銀行の貸付によって購買力を拡大させていき、圧倒的な海軍力と貿易力を作り出していきます。
その後、イギリスで清教徒革命が起き、ユダヤ系の入国の自由が確立されると、イギリスでも銀行業をはじめとした金融業が活発になっていきます。
その結果、イギリスが発展したわけです。
オランダ・イギリスのようにマネーを貸す銀行業が盛んな所が、経済を発展させていく。これらは偶然ではありません。
なぜなら、銀行の融資によって創造される利子付き通貨は、経済を発展させる原動力鳴るためです。
借金に基づき通貨が創造される経済システムは、個人も企業も利子以上の売り上げを追求するため、社会全体を勤勉にさせました。
それまでの社会よりも厳格な時間と資源の効率化という概念をつく出しました。
利子以下の成長なら、誰かが破綻します。
なので、誰もが一生懸命に働きます。
人々の富への欲求と、銀行業の融資による信用創造を制度化した経済システムは、ヨーロッパに継続的な経済成長を実現させました。
これが現在の資本主義の誕生です。
借金経済システムの発展により資本主義が発達する一方、ほぼ同時の起きたのが民主主義の確率です。
オランダとイギリス、およびその植民地で起きた民主主義の流れは、神の前に人間はみな平等であるという聖書原理主義のプロテスタントの精神が大きく関係しています。
聖書原理主義のプロテスタントはそれまで神聖不可侵なものとして考えられていた王の権威を認めませんでした。
その結果、プロテスタントが中心となって起こした清教徒革命は王様の首をちょん切って1649年に共和国を成立させました。
革命運動の指導者クロムウェルの死去後、イギリスでは再び王政が復活しますが、プロテスタントからカトリックに改宗していたジェームズ2世はプロテスタントを冷遇します。そこで再びプロテスタント主導の革命が起き、ジェームズ2世は追放され、オランダ共和国から迎え入れられたウィリアム3世とメアリー2世が即位しました。
1688年に起きた名誉革命です。
そして、法令として「権利の章典」が公布され、王政の専制権が否定され、「君臨すれども統治せず」という議会主導の立憲君主制が確立されます。
プロテスタントが主導した民主主義の流れの一方で、一連の革命の背後に銀行家の関与も指摘されています。
銀行家は欧州の封建制社会では、意味嫌われていた職業でした。
シェイクスピアの作品『ヴェニスの商人』にみられるように、金貸しは卑しい職業として軽視されていました。
そのような銀行家や大商人たちが自らの身分を解放するために革命運動を様々な形で支援したのです。
その結果、銀行家や商人たちは身分制から解放され、逆に支配層として君臨していく異なります。
民主主義とは、聖書原理主義のプロテスタントと銀行家や商人たちが連合で起こした革命の結果作られたシステムなのです。
フランス革命も支援
フランス共和国憲法・第1章第2条4 共和国の標語は「自由、平等、友愛」である。
民主主義はより大きな流れになって発展していきます。
1789年にフランス革命が起こります。
フランス革命の特徴は、キリスト教色の強かったそれまでの市民革命とは違った革命でした。
逆にキリスト教は否定され、理性に基づく人権宣言がなされました。
フランスではローマカソリック協会が旺盛と結びついていたので革命勢力に敵視されていたからです。
アメリカ独立革命と同じくフランス革命でも、一般大衆の他にフリーメイソンが活躍しました。
そして、フリーメーソンや啓蒙思想の理念である自由・平等・友愛がフランス革命のスローガンとなりました。
その理念の基本原則として、1789年にフランス人権宣言が採択されます。
それまでの革命がキリスト教の神によって与えられた人権であったのに対し、フランスではキリスト教の紙とは違った「最高存在」という言葉によって人権を定義しています。
特定の宗教とは切り離した近代的人権が生まれ、より普遍的な自由・平等・友愛の概念が成立しました。
これが20世紀の世界人権宣言へと繋がっていきます。
現在でもフランスの国家のスローガンは「自由・平等・友愛」です。
フランス革命とその後のナポレオンの活躍により、欧州大陸全体にフランス的民主主義の理念が普及し始めます。
一方、王朝とキリスト教を敵視する民主主義の普及は、国際金融権力によって好都合な環境が整備されていきました。
すでに革命初期の1799年10月にローマカソリックが制定した高金利貸付金指令が廃止され、銀行家により高利貸が合法となりました。
フランス革命によって権力を得た市民は自分たちが最高権力者だと思っていました。
しかし、通貨発行権は得ることはありません。
金融権力は市民とともに革命を起こし、封建制の身分制から解放されましたが、通貨の持つ権力については一般市民には公表しませんでした。
王侯貴族を騙し、自分たちしか知らないツールをわざわざ一般人に教える必要はありません。
市民には自由・平等・友愛の諸権利、議会には法律の立法権限があるが、通貨発行権を与えるつもりはありませんでした。
それどころか目の上のたんこぶであった王侯貴族の権力が失墜したのです。
銀行家にとっては更なる権力を拡大するチャンスが到来しました。
こうして銀行家の差術は革命以降も続いていくことになります。
政治と金融が分離する政「金」分離の民主主義が金融権力主導の下に発展していきます。
さらに権力と富を得た銀行家はあろうことか、落ちぶれた王侯貴族たちと財力に物を言わせて婚姻し、新たな「富と血統に基づく貴族階級」を形成していきます。
革命が起きたにもかかわらず現在の欧州が根深い階級社会なのは、銀行家勢力と王侯貴族の結託が背景にあります。
アメリカ政府と国際銀行家の通貨戦争
18世紀に欧米で生まれた民主主義には2つの流れがありました。
一つはアメリカ型の中央銀行制度のない政府や民間銀行が通貨を発行するシステムであり、もう一つは欧州型の中央銀行が通貨を管理するシステムです。
アメリカは建国当初から銀行家と通貨をめぐる戦いを繰り広げていました。
実はアメリカ独立戦争には、通貨発行権の問題が密接に絡んでいました。
アメリカがイギリスの植民地だった頃、アメリカに入植した移民たちはプロテスタントの精神を発揮し、勤勉に働きました。
大量の商品を生産しましたが、流通する通貨が足りず、商品に比較して十分な購買力を作り出せませんでした。
そのため消費不足が経済発展の大きな足かせになりました。
通貨が不足した理由は、金貨や銀貨を作る鉱山が発見されておらず、さらにイギリスとの貿易赤字の支払いのため、大量の金貨と銀貨がイギリスに流出していただめでした。
そこで人々や毛皮やタバコ、小麦などで代替通貨で取引していましたが、それでは通貨としての価値が安定しないため、現地政府は別の方法を考え出しました。
それは政府が金や銀などの担保なしに、紙幣を発行することでした。
つまり、完全な不換紙幣です。
この不換紙幣を発行していこう、アメリカの購買力は急拡大し、消費は増大し、経済規模はみるみるうちに拡大しました。
このシステムはイギリスの銀行家にとっては容認できないものでした。
何故なら、通貨の発行に金属の担保が必要なければ、政府のは金属を銀行家から借りる必要がなくなります。
不換紙幣の存在は、金属を独占していた銀行家にとっては脅威となりました。
この新しい通貨制度にイギリスの銀行家たちは直ちに対抗策を講じました。
彼らが牛耳っている英国会議は1764年に「通貨法」を決議し、アメリカ植民地が独自の紙幣を発行することを禁じました。
イギリス政府への納税にはすべて金と銀を用いるよういn植民地各州政府に強要しました。
その結果、引き起こされたことは、通貨の減少がもたらす購買力の激減です。
ベンジャミン・フランクリンは以下のように当時の状況を記述しています
わずか一年の間に植民地の状況は様変わりした。繁栄の時代は終わり、経済はひどく衰退し、町中に失業者が満ち溢れるようになった。(中略)
イングランドが植民地の紙幣発行権をはく奪しなければ、植民地の人々は一定額未満の少額の納税はお茶やその他の産品で行っていられたのだが。通貨法は失業と不満を人々にもたらした。
自分たちで紙幣が発行できなければ、植民地は英国国王ジョージ3世と国際銀行家の支配から抜け出す方法を永遠に封じられる。これが、アメリカ独立戦争を引き起こした佐台の要因である。『ロスチャイルド、通貨強奪の歴史とそのシナリオ』
こうしてアメリカ独立戦争が行われ勝利したアメリカは、民主主義においてヨーロッパの銀行家たちから通貨発行権を守るために、アメリカ合衆国憲法第1章第8条に以下の条文を明記しました。
「議会は通貨を製造する権利と通貨の価値を設定する権利を有する」
アメリカは建国当初から民主主義でした。
しかし、中央銀行システムの導入に関しては、銀行家に支配されている欧州諸国の状況を知っていた歴代政府によって拒否されていました。
その後19世紀を通じてアメリカの歴代の首脳たちは、欧州を支配している通貨発行権の権力をアメリカ民主制の脅威と感じて、銀行家たちの国家乗っ取りを防ぐために闘い続けました。
アメリカの中央銀行は欧州のロスチャイルド財閥などの干渉を受け何度も作られますが、そのつど、時の政府の反対によって潰されます。
アメリカの歴史は政府と銀行家の闘争の歴史と考えてもいいでしょう。
政府から独立した中央銀行制度を持たなかったアメリカは、もう一つの自由民主主義経済社会の発展モデルです。
そうして、アメリカでは中央銀行は1913年まで設立されませんでした。
このように資本主義と民主主義が発展した地域がほぼ同じであったのは偶然ではありません。
借金を経済システムに取り込んだ資本主義は、産業を発達させ、商業を活発にし、小人の力を強大化させました。
またプロテスタントの原理主義と、抑圧されていた商人たちの連合で革命を起こすことが可能になり民主主義が実現しました。
キリスト教が民主主義にも資本主義にも都合が容易宗教だったのは、規範のなさにあります。
キリスト教は、イスラム教のような戒律が存在せず、信者の外面的行動を規制しません。
そのため、キリスト教の教義は柔軟に社会を変化させるうえで好都合でした。
民主主義の基本理念である自由・平等・友愛などの理念もキリスト教だから容易に受け入れることができました。
また、アメリカ独立革命の指導者の多くは、初代大統領ワシントンも含めて、自由・平等・友愛をスローガンにしているフリーメーソンの会員でした。
この当時のフリーメーソンは封建主義に反対している貴族や商人階級などの連合組織であり、啓蒙思想などの民主的価値観と密接に結びついていました。
民主主義は自然に出来上がったわけではなく、さまざまな社会集団の優越願望と対立願望の対立と矛盾を解消させるために人間の思想が作り出した政治体制でした。
金融権力の欧州支配・世界支配進出
欧州各国に中央銀行が創設
イングランド銀行の創設以降、「民間が所有する中央銀行」が欧州各国に設立されました。フランス銀行、スペイン銀行、オーストリア銀行などすべて民間が保有する株式会社です。
銀行家の既得権益と化した中央銀行システムは、政府の干渉を受けず、国際的な銀行家勢力の手足となって欧州を支配していきます。
通貨発行権という既得権益に対抗しようとした政治勢力は存在しましたが、その多くは潰されていきました。
なぜなら、もうすでに国家は銀行家への債務によって雁字搦めにされていたからです。
19世紀の時点で銀行家の権力は欧州のどの君主よりも強力になっていました。
あの独裁者ナポレオンでさえ民間の銀行家にフランス銀行の設立を許可し、フランス金融システムの全面支配を容認しました。
特にロスチャイルド一族の権力は国際的であり、独自のネットワークを駆使して欧州最大の銀行家へと成長していきます。
実際にイギリスのロスチャイルド家当主ネイサン・ロスチャイルドは、大英帝国の通貨の発行権を握っていると公言していました。
また、1855年にはフランスのアルフォンス・ロスチャイルドがフランス銀行の理事に就任しました。
フランス革命とナポレオン戦争により全欧州が大規模な戦火に叩き込まれました。
その悔過、欧州各国は巨額の国家債務を抱えることになります。
通貨発行権を持たない国家が財政赤字を抱えるということは、国債を購入している勢力の権力を高めることになります。
ナポレオン戦争のあと、ヨーロッパではしばらく大きな戦争はありませんでした。
欧州列強はアジアやアフリカなどの植民地獲得合戦に明け暮れました。
ところが、1854年にロシアとトルコ、イギリス、フランスを巻き込んだクリミア戦争が始まりました。
3年間続いた大規模な戦争の結果、トルコ・イギリス・フランスは大規模な公債を発行し借金漬けになりました。
さらに、戦争当事国ではないオーストリアやプロイセンまでこの戦争の機関に国を挙げて戦費増強に努めたため、多大な公債の発行が必要になりました。
その多くを引き受けたのがロスチャイルド家を中心とした国際銀行家でした。
クリミア戦争が終わった1850年代末に、イギリス、フランス、トルコ、オーストリア、プロイセン政府は、ロスチャイルド銀行の支店をメインバンクにしていました。
戦争は国家が債務漬けになるとともに、武器、さまざまな部品、食料、輸送手段など、軍事産業の統合パッケージが提供されることになり莫大な利益を生み出します。
資本主義と結びつき、巨大な生産力を裏打ちにした「軍産複合体」の登場です。
その資金は国家の債務でまかなわれ、主な債権者となる国債銀行家たちへの支払いは国民の税金によって調達されます。
19世紀、イギリスは大英帝国となり、世界中に植民地を建設しました。
しかし、その大英帝国のコントロール権を握っていたのは銀行家たちでした。
ナポレオン戦争やクリミア戦争、さらにその後の植民地獲得戦争などを通じて大英帝国は借金漬けになっていきました。
特にロスチャイルド家の影響は大きく、1865年から1914年の間にイギリス政府が発行した総額40億ポンドの国債のうち、ロスチャイルド家はその4分の1を引き受けました。
当然ながら大英帝国の政策には、国家の債権者としての銀行家たちの意向が反映されます。
イギリスの対外戦争は、国債銀行家とその下に従属するさまざまな産業集団の利益の代弁者として行われて活きます。
エジプトやインドや中国との戦争もその結果生じたものです。
また、欧州大陸に対しても、強大な政治権力の登場を阻止するための政策を行っていきます。
実際、強力な君主の下に統治されたロシア帝国は銀行家たちの政治的影響力がほとんど及びませんでした。
欧州大陸でも強力な政治権力の出現は阻止しなければなりませんでした。
19世紀のイギリスが勢力均衡を国家戦力とした背景には、国家の債権者としての銀行家たちの意向がありました。
戦争と共に革命も国債銀行家に大きな利益と権力をもたらします。
16世紀以降に始まった旧来の王侯貴族の権力を倒す革命運動は、富を独占する国債銀行家にとってライバルを叩き潰す絶好の手段でした。
革命の結果もたらされる財産権の保護や、商業の自由、身分制の廃止、政「金」分離の民主主義は、通貨発行権を独占する銀行家にとっては、権力をさらに拡大するのに好都合な環境をもたらします。
国際銀行家は、革命勢力を支援することで自らの通貨発行権から目を逸らさせる革命理論をつく出していきます。
革命家の側も多大な支援をしてくれるスポンサーの悪口を言うわけにはいきません。
通貨発行権に触れない革命理論の指導かで行われる革命は、ライバルを潰すことはあれ、銀行家にとって既得権益は守られます
民主主義と人権を利用したライバルの転覆は国債銀行家にとって十八番の戦略となり、現在までも多用されています。
もちろん、どの時代においても現場の革命に参加している市民は命がけであり、多くが純粋な理想主義者です。
銀行家が支援する活動は、当時の封建主義的な支配システムを打倒するための魅力的な理論であり、多くの市民がそれに加わりました。
銀行家にとって革命は事業ですが、市民にとっては理想でした。
マスコミの登場 通信社の設置
一般の事業のみならず株や債券の取引では、誰よりも先に関連情報を得ることができた者が利益を手にします。
経済活動においては、マネーを作り出す手段と共に、情報を誰よりも早く手に入れる手段を国債銀行家は早くから整備しました。
近代の国際情報機関は、国際銀行家たちが構築しました。
当初は誰よりも先に情報を得るのが目的でしたが、そのうち情報を独占しコントロールするようになっていきます。
それが通信社の設置です。
一般的にマスコミは自ら情報を取りに行くことはほとんどありません。
それではどこから日々のニュースの情報を得るのか?それは通信社です。
つまり、大手のマスコミは情報を伝えることが主であり、情報の出どころは通信社が握っているのです。
近代的な通信社は1835年、ロスチャイルド財閥に雇われたハンガリー系ユダヤ人、アヴァス、によってアヴァス通信社が設立されました。
その後、アヴァスの下で働いていたドイツ系ユダヤ人ヴォルフとロイターの二人がそれぞれの通信社を立ち上げます。
1849年にヴォルフ通信社、1851年にはロイター通信社が作られます。
この3つの通信社は互いに教護していましたが、やがて連携していくようになります。
1856年には互いの相場速報を交換するための第一回国際協定を締結、1859年には一般ニュースの交換、1870年にはアメリカを除く全世界を三分割し、ニュースを独占していきます。
各通信社にあてがわれた情報支配区分は以下の通り
アヴァス通信社:フランス及びその領土、イタリア、スペイン、スイス、ポルトガル、エジプトの一部、フィリピン、ラテン・アメリカ諸国
ヴォルフ電報局:ドイツ及びその領土、オーストリア、オランダ、北欧、ロシア、バルカン諸国など
ロイター通信:大英帝国とその植民地及び管轄下にある国々(中国や日本もここに入る)
日本は競艇場、ロイターの管轄下に入ったので、ロイターと契約を結ばねば海外からのニュースが入手できない状況になりました、
こうして、アヴァス、ヴォルフ、ロイターの三大通信社が世界の情報市場を独占する体制が確立しました。
これら三社は、他社を圧倒する勢力を保持し、19世紀の世界の三大通信社と称されました。
特にロイターの世界的な発展は、大英帝国として発展していたイギリスの国家的な支援が背景にありました。
19世紀の国際通信には、情報の拠点を結ぶための海底ケーブルが欠かせません。
それを世界レベルで実現できたのは世界中に植民地を持つイギリスで下。
ロイター通信社がそのケーブルを独占したのです。
現在でも、ロイター通信社はイギリスに本拠を置く世界最大の通信社で、150の国で230都市に支局があり、世界のマスコミのほとんどはロイターと契約しています。
金融情報サービス部門の売り上げは世界一です。
アヴァス通信社はその後、フランスの国営会社となりフランス通信社(AFP通信)と名を変え、世界第三位の通信社として活動しています。
ヴォルフ通信社はその後、ナチスドイツの国営会社となり、ナチスの消滅後に解体され、ドイツ通信社と名を変え、ベルリンを本拠とし、世界80か国に拠点を置いて活動しています。
こうしてみると、現在のイギリス、フランス、ドイツという欧州の三大国は、この三社がそれぞれの拠点を置いているところです。
三社とも発展とその後の経緯をみれば、各国の国家戦略と密接に結びついてきたことが分かります。
つまり、金融財閥の影響下にある欧州プロパガンダの発信源です。
では、アメリカがどうだったかというと、AP通信というロックフェラー財閥の通信社が世界有数の規模に拡大しています。
AP通信は2005年において約5000のテレビ局とラジオ局、約700の新聞社と契約しており、米国内で全国的に展開している通信社でもあります。
AP通信はロックフェラー財閥が強い影響力を持つアメリカの国家戦略と結びついており、アメリカ初のプロパガンダです。
欧米の財閥と、フランス、イギリス、アメリカなどの欧米各国が運営するロイター通信、AP通信、AFP通信の上位三社で全世界の約9割のニュースを配信しています。
これらのニュースがどこの意向を反映するのかは明らかでしょう。
欧米の金融財閥と国家の意見を流すことが目的であり、そこには不都合な情報は流さないようになっています。
通信社は情報を収集することが目的であるとともに、収集した情報を取捨選択し自らの意見を反映させたものを発信します。
こうして欧米発のニュース配信に世界が染まっているのが現在まで続くマスコミを通じた情報操作の実体となります。
マスコミの目的は、利益追求です。
そこには、情報産業としての利益と、それを独占することで市場を操作できる利益があります。
そして、マスコミ権力の肥大化は、マネーの支配と結びつくことで、国家や社会をもコントロールしていく最強のマインドコントロール兵器となります。
マスコミの情報操作と通貨発行権の独占に基づくマネーの社会操作が結びつくと、市民はもちろん世界をも手玉に取ることが可能となります。
マネーの性質を用いて資本主義の操作を行い、景気変動を起こします。
しかし、マスコミはそれをマネーの操作ではなく別の観点から説明します。
そうすると、市民はそれが景気変動の真因だと信じ込みます。
操作する側は最初から分かっているから、株や不動産の投資で儲け放題です。
一方、情報をマスコミを通じて受け取る市民は、マネーとマスコミの情報操作の餌食になり大損をします。
マネーのステルス性でめくらましされ、マスコミの情報伝達の段階でマインドコントロールをかけられます。
資本主義社会においては、通貨発行権とマスコミさえ握っていれば競争で負けることはありません。
これはほんの一例であり、ありとあらゆる組み合わせでマネーとマスコミの情報操作のコラボレーションは活用できます。
こうなれば政治権力でさえも欺くことは可能です。
こうして世界は、マネーとマスコミの支配者に手玉に取られてきました。
中国、イスラム、インドが圧倒されたのは何故か?
中世においては中国、イスラム、インドなどが世界の先進地域であり、西欧は世界の隅っこの農業を主体とした目立たない地域に過ぎませんでした。
紙や印刷術、火薬などの技術、さまざまな学問にいたるまでアジアの諸文明がリードしていました。
さらに経済もアジアの方が巨大であり、かつ複雑でした。
穀物の生産力は中国とインドが断トツに高く、それによって養われる人口も多かったわけです。
また、世界で最初に紙幣を発明し実際に用いたのは中国の宋王朝です。
時代の元、明の両帝国でも国家の管理による紙幣の発行が続けられました。
貿易はイスラムが盛んで、中国やインドの豊かな文物の取引を海上貿易も含めて行っていました。
遠隔貿易を行う所から、小切手や手形、為替のシステムも発展していきました。
しかし、これらの先進地域はすべて、16聖域以降に始まる欧州の発展に圧倒されて活きます。
何が原因だったのか様々な研究がされました。
米国大陸の植民地化の成功、大航海時代から始まる海外貿易の発展、ルネサンス以降の紙の概念の気薄化、プロテスタントの勤勉性、大学の増加による学問の隆盛、複式簿記の誕生による経営の合理化、民主主義の発展、継続的に発生する戦争による軍事力の増強、中小国が多く競争が継続したこと、企業活動の自由など。
たしかにどれも発展には貢献しているのでしょうが、ほとんどの分野で中国やイスラムにも似たような現象がありました。
中国はどの時代を通じても学問が盛んでしたし、複式簿記はイタリアよりも先にイスラムの発明でした。
植民地拡大による富の蓄積については、中国の領土は近代に近い清の時代が最大に達し、ドイツはもとより、最盛期のイギリスやフランスと比べても遜色のない規模の領土を支配していました。
そもそも領土が広いことが欧州を発展させたのなら、スペインがオランダやドイツよりも発展していなくてはいけません。しかし、スペインが発展した資本主義国になるのはかなり後のことです。
戦争による発展ですが、戦争自体はどの地域にもあり、世界中の帝国はどこも戦争ばかりしていました。
民主主義の発展はというと、民主的でなくても発展したドイツ帝国や、現在の中国やシンガポールなどをみれば民主主義が国力の発展の十分条件ではありません。
勢力の分裂は欧州の一つの特徴ですが、インドやイスラムにも似たような状況はありました。
企業活動の自由は中国やイスラムにも存在しています。
欧州がそれらの地域と違ったのは次の点です。
新しい購買力が国家の管理ではなく、民間の銀行家の融資によって創造された。
この特殊な条件が、のどかな農村地帯が短期間にして大都市に変わってしまうような変化をもたらず、資本主義という化け物を地上に作り出したのです。
西洋で生まれたのが、民間の銀行の融資によって通貨が創造され、社会全体が借金返済のために売り上げの拡大をノルマとして課せられるシステムです。
これは世界の歴史の中でも特異なシステムです。
また、銀行家を中心とした金融権力が長期にわたって政治権力を飲み込み操作するようになったことも特異なことです。
そもそも、民間が通貨を創造すること自体がおかしい。しかし、欧州ではそれが中央銀行の登場によって合法となり制度化され、発展していきました。
新しい通貨の発行が借金によって供給されるようになると、社会全体に一定のノルマが与えられます。
利子を返済する分の通貨は存在しないので、新たな通貨を得るために借金しなくてはなりません。
こうして借金を返済するために更なる借金をするという「自動車操業のシステム」が作られました。
借金通貨システムでは毎年繰り返される借金のムチによって、国も企業も個人も継続的に馬車馬のように働くようになります。
これが西欧で誕生した資本主義が発展したエネルギーの根源となります。
そのエネルギーの効率性をより高めるために、企業間の競争の自由が促進されました。
その他の、海外貿易の発展、勢力の分裂、経営の合理化などは、銀行家の戦略と利子付きマネーの性質が作り出した「結果」であります。19世紀以降は資本主義の生み出す巨大なエネルギーが世界を圧倒し支配していきます。
江戸時代中盤から日本が経済成長しなかった理由
日本は江戸時代の中盤に人口増加が頭打ちになっていこう、ほとんど経済成長しませんでした。
その理由は、江戸幕府によって管理された通貨は利子がついておらず、利子を変えそうというイニシアチブが働かなかったためです。
そのため売り上げ至上主義にはならず、経済成長に対するイニシアチブが小さかったわけです。
また、鎖国によって資源が限られていることもあり、生産力が伸びませんでした。
通貨を増加させても生産力伸びなければ通貨価値の下落を引き起こすインフレになるだけです。
江戸時代の中盤からは資源の限界による生産力頭打ちと、労働への強制力や経営の合理化などのイニシアチブを作り利子付き通貨でなかったために経済成長しませんでした。
だからといって、江戸時代の人たちが同時代の産業革命の欧州の人々よりも不幸だったかというとそんなことはありません。
逆に借金の強制による労働に駆り立てられることがないだけ労働条件では恵まれていました。
産業革命期の欧州は利子付き通貨と企業の競争による強制力で、過剰な労働を強いられる事態に直面していました。
ヨーロッパの世界征服
利子付き通貨の創造と政治権力に保護された私有財産制、自由な企業活動による需要と供給の市場原理を作り上げた欧州は、継続的な経済成長を実現します。
その結果、産業革命が始まり巨大な生産力を裏打ちとした軍事力で世界を征服していきます。
帝国主義時代の幕開けです。
西欧諸国は征服した先々で欧州の様々なシステムを輸出していきます。
言質で銀行を作り、会社を組織しました。
これは植民地を発展させようというわけではなく、支配統治と商業活動をしやすくするためです。
一方、西欧諸国は世界を植民地化しましたが、実のところ銀行家への債務によって経済的な従属を強いられてきました。
西欧諸国自身が金融財閥の経済的植民地でした。
西欧諸国は支配者と思われていますが、実は中間管理職であり、本当の支配者は西欧諸国の債権者として君臨している国際銀行家でした。
資本主義の支配の条件である通貨発行権を握る中央銀行は世界各国に設立されて活きます。
それぞれが国家ごとに独自の通貨を発行するわけです。
その通貨の支配者である中央銀行を束ねる方法がありました。
金との交換を保証することで通貨の価値を維持する金兌換性(きんだかんせい)は、金を支配している者が通貨を支配します。
例えば、当時アメリカ政府はグリーンバックスという債券(紙幣の代わりもした)を発行していました。
このグリーンバックスに対し、40%の金を備蓄して利率も金貨で支払うようにさせます。
つまり、金兌換性です。
そうするとグリーンバックスと金が連結され、政府による通貨発行権に制限がかかります。
19世紀後半の金はロスチャイルド家に独占されていました。
通貨を金と結びつけることにより、金を支配する者が世界中の中央銀行に大きな影響力を持つことになりました。
現在では世界中の通貨に影響を与えるツールは金からドル基軸体制に変わり、宙郷銀行を束ねるためにBIS(国際決済銀行)という国際的な中央銀行を統括する機関が設立されています。
産業革命によるマルクスの考察とは何だったのか
イギリスの産業革命(工業科)が他の地域と違うのは、大規模な工業化が「継続的」に発展したことです。
継続的な生産力の拡大をもたらしたのは、継続的な借金通貨創造システムがイギリスにおいて完成した為です。
借金のプレッシャーが伝統や既得権益よりも強く働き、売り上げ至上主義となり工業科を促進させ続けました。
その結果、イギリスは毎年経済成長を続け、世界一の工業力を持つ国家になり、欧州各国もイギリスを真似て工業科を推し進めることとなります。
イギリスの工業科を産業革命と呼ぶのは、結果的に世界の経済構造を根本的に変える影響力を与えたことによります。
一方、産業革命が進展し大規模な工業化が起こるとそれに従事する労働力が必要になります。
富を独占する一握りの資本家と、大規模な労働者の発生です。
機械設備などの生産手段を指摘に所有する工場主と、自らの労働力の実を雇用主に提供する労働者では立場が違います。
売り上げの拡大を求めて設備投資を行い巨額な借金を抱える工場主は、労働者をできるだけ安い賃金で使い、できるだけ長時間働かせようとします。
ここに、産業革命以降の資本主義の矛盾が発生します。
その矛盾の激化が産業革命期のイギリスで清国となり、
子供までが労働に駆り出され、低賃金長時間労働に従事するようになります。
同時代のイギリスの学者エンゲルスによると、イギリスの平均寿命は極度に下がり、1842年のリヴァプールの労働者、日雇い労働者、ぼくひ階級一般の平均寿命は15歳でした。
このような産業革命期の社会的矛盾を、多くの識者が問題点を指摘し改善策を提案しました。その中で最も大きな影響力を与えたのがマルクスの学説でした。
カール・マルクスは、産業革命以降の社会的矛盾を詳細に研究しました。
経営者と労働者の立場の違いから発生する社会的矛盾についての見識や、社会の歴史的な発展の法則については今でも多くの示唆を与えてくれます。
産業革命によって私有財産の工程と自由な企業活動によって生み出された巨大資本が、多数の労働者を雇用するようになりました。
第二次産業の発展という新しい経済現象を分析したマルクスは、この経済システムを資本主義と名付けました。
以外にも資本主義の命名者は社会主義の代表的な論客であるマルクスでした。
企業の利益追求を基本にする資本主義社会の自然な景気循環をマルクスは分析しました。
しかし、マルクスの学説には強調されていない者がありました。
それは、通貨の創造を行っている経済の支配者としての銀行家の人為的な通貨政策への分析です。
銀行家に対する視点がなければ、さまざまな社会現象は別の要因によって説明されてしまいます。
例えば、世界恐慌の説明を、企業の行動原理のみに求めている。つまり、利潤を求めて生産の拡大を追い求め、一方で従業員の賃金を減らそうとするので、販売側と消費側のギャップが拡大し、その矛盾が強行として現れるという意見です。
しかし、販売側は消費が減少すれば生産力を減少させようとします。
生産をするには原材料や人件費がかかるので売れる見込みがなければ生産をしません。
拡大をどこまでも追い求めなくなります。
また、政府の政策で調整できる面もあります。
歴史をみれば、多くの経済恐慌の本質的な問題は、生産側と消費側にあるのではなく、マネーの創造機関である銀行業の問題でした。
マルクスが活躍していた時代は、第二次産業の勃興期であり、金融などの第三次産業はほとんど発展していませんでした。
現在に必要なのは、企業の利益追求がもたらす社会の自然循環的な側面とともに、通貨量を操作することによって作り出される人為的循環似たする研究でしょう。
一方でマルクらの社会主義思想は、その後の労働者の権利、男女の平等、人種差別の撤廃、教育を受ける権利、社会保障の発展など、自由民主主義経済社会の憲法に多大な影響を与えていき、社会的な矛盾の解消に貢献していきます。
20世紀初頭:ロシア崩壊とアメリカ乗っ取り。ケインズ理論で政府に借金を促す国際銀行家
意外なことに、資本家の根絶を目的とするマルクス主義を奉じる人々にも、多くの国際銀行家は支援していました。
ロシア革命がその一例です。
20世紀初頭のロシア帝国は、国際銀行家の影響力がほとんど及ばない大国の一つでした。
当時のロシアの通貨は、政府が管理する中央銀行と、ロシア国内の民間銀行によって運営され、外資が入り込む隙がほとんどありませんでした。
自立したロシア帝国を破壊するために、ロシアの革命家たちに様々な資金援助を国際銀行家は行いました。
当然、現場で革命運動をする革命家は命がけです。
ニューヨークやロンドンで資金を出している銀行かと目指している目標も理想も違いました。
しかし、事実上の同盟関係でした。1917年のロシア十月革命は、労働者の独裁主義という思想を掲げる集団のクーデターでした。
なぜなら、皇帝が支配するロシア帝国そのものは、ロシア十月革命が起こる前のロシア二月革命によって滅ぼされていたからです。
一応、議会制を取り入れながら独自の発展を遂げようとしていたロシア帝国は解体されました。
ソ連では「実質的民主主義」という言葉によって、形式的民主主義の特徴である複数政党制と普通選挙が否定されました。
この国家はロシア帝国とも、国際銀行家が管理する政「金」分離の自由民主主義とも全く違う政治経済体制でした。
ソ連型社会主義経済は、資本主義が発展した長所でもあり、矛盾の根源でもあった利子付き通貨と企業の私有化を完全に否定しました。
また、全ての銀行は、「ゴズバンク」という国立銀行が統括しました。
事実上の政府通貨です。
通貨は無利子で企業や個人に配布されました。
このソ連型社会主義システムは、アンチ資本主義の考えから新しい社会実験でした。
政治体制は複数制を認めない一党独裁体制でした。もともとロシア帝国にはみんしゅしゅぎの歴史がなく、封建的な国家だったので、一党独裁体制の確率が容易でした。
成立したソ連邦は、すべてにおいて自由民主主義経済社会とは異なっており、国際銀行家の世界的覇権における脅威となっていきます。
20世紀は2つの大国が世界の主要な地位を占めるだろうと予測されていました。
20世紀初頭にアメリカ合衆国を乗っ取ることに銀行家は成功します。
アメリカの巨大財閥を仲間に引き込むことに成功した欧州の銀行家たちは、1913年、FRBを創設し、アメリカは欧州銀行家の支配を受けることになりました。
ただし、アメリカ人が中央銀行という名前に反発を示すことを考慮し、連邦準備銀行という分かりにくい名称にしました。
以後、アメリカ政府が紙幣の発行をする時は、FRBに債券を発行し、FRBからドル紙幣を受け取るようになります。
債券を受け取ったFRBには所定の利子が利子が政府から支払われ、FRBの株主たちに配当金として配分される。
それまでアメリカには所得税が無かったのに、FRBへの配当金を支払うために所得税が創設されました。
つまり、FRBの株主たちへの配当金は、一般大衆の税金によって賄われるという、信じがたいシステムでした。
これを受け入れさせるのだから当時の銀行勢力の権勢は驚くべきものです。
また、マスコミを通じた世論操作の力は絶大なものになっていました。
多くのアメリカ人は、国家が乗っ取られたことには気づかず、表向きは民主性が続いていたいので自分たちの主権は維持されていると思っていました。
操作される民主主義の「極意」は市民に気づかれないようにすることです。
まさに金融とは、気づかないうちに国家を征服する「沈黙の兵器」ともいえるでしょう。
アメリカの通貨発行権の獲得は、銀行家勢力が作り出す操作される民主主義の全盛期を作り上げいきます。
ロシアもアメリカも20世紀初頭は国際銀行家の支配から比較的自由でした。
しかし、両国とも20世紀のほぼ同時期に1つは潰され、もう一つは乗っ取られました。
ロシアは極端な平等原理で破壊され、アメリカは極端な自由原理によって銀行家たちによる富の独占が測られて活きました。
ただ、アメリカはFRBの創設によって通貨発行権の元締めを国際銀行家たちに乗っ取られたわけですが、すぐにすべての富が吸収されたわけではありません。
国際銀行家への権力の集中は段階を踏んで行われました。
国際銀行家への富の集中が著しくなったのは、1929年の世界恐慌以後です。
強行前のアメリカは独立150年の開拓の歴史によって多数の独立した銀行や企業、農業者などが存在していました。
1920年代、FRBの株式市場への資金供給によって株式市場のバブルが発生しました。
しかし、1929年にFRBは株式市場への資金供給を停止します。
突然、取引が成立しなくなった株式市場は大暴落しました。
当時のアメリカは株が融資の担保になっていました。
担保価値の暴落は多くの銀行を倒産させ、個人を破産させました。
一方で、FRBの株主たちは高値で売り抜けており、暴落した企業の株や破産した個人の土地を買い占めました。
潰れた多くの銀行はFRBのシステムに加入していない独立系の銀行でした。
こうしてバブルとその後の崩壊により、FRBの株主たちはぼろ儲けし、アメリカの富を独占していきました。
世界恐慌で混乱する経済状況でイギリスの経済学者ケインズの理論が注目されます。
「世界恐慌のような消費が伸びない状況では、市場に勝手に任せていても不況は深刻になるばかりなので、政府が財政支出を行い、需要を作り出し、消費を増やせば景気は回復する」
ケインズ理論は、政府に財政赤字の拡大を推奨させるものでした。
消費が伸びず、商品の値段が下がるデフレ不況期であれば、政府が通貨を発行して公共事業を行うことで、財政赤字を作らず、インフレにもならず景気を回復させることができます。
しかし、政府が通貨を作らないシステムで、財政出動を説いたケインズ理論を行えば、必然的に国債の膨大な発行以外選択肢がなく、膨大な財政赤字を創出するのです。
この世界恐慌を意図的に作り、ケインズ理論という間違っているけれども国際銀行家にとって都合のいい理論を普及することにより、
政府はますます借金漬けになり、多くの国債を購入する国際金融財閥の利益と権限の拡大につながっていきます。
ドイツのハイパーインフレの嘘
1920年代に起きたドイツのハイパーインフレは、通貨が社会を創造するだけなく、破壊することもあるという実例です。
同時に通貨発行権の詐術が捻じ曲げられて伝えられている、わかりやすい例でもあります。
ドイツのハイパーインフレは1922年から本格化しました。
わずか1年余りで、何と20億倍といわれるマルクの暴落に見舞われました。
対ドルレートでは、1922年5月が320対1でしたが、23年12月には4兆2000億対1にまで暴落しました。
この結果、国内の銀行に預金していたドイツの資産は無一文になりました。
世界有数の工業大国であるドイツが何故このようなことになったのかは教科書の記述では「政府の通貨システム支配の失敗による典型的な人災」と説明されています。
つまりは、政府が通貨の発行権を持っていたためにハイパーインフレをしたというのです。
しかし、真実は、銀行家が支配した中央銀行が意図的に起こした人災でした。
当時のドイツは第一次世界大戦に敗北し、ドイツ帝国が崩壊した後にワイマール共和国になりました。
ドイツの中央銀行はドイツ帝国時には民間が所有する中央銀行ではありましたが、ドイツ政府が大きく政策に関与していました。
中央銀行の総裁と理事はすべて政府の要職が担当し、皇帝が直接任命していたのです。
ドイツは他の西欧諸国と違い、政府が管理する中央銀行でした。
ところが、ドイツ帝国崩壊後のワイマール共和国では、普通選挙制度などの民主得てきな憲法が制定される一方で、政府は中央銀行の管理権を失い、政「金」分離型民主主義となりました。
敗戦後、戦勝国はドイツの中央銀行に対するドイツ政府の支配権を完全にはく奪しました。
1922年5月26日、ドイツ帝国銀行の「独立性」を確保する法律が制定され、中央銀行はドイツ政府の支配から抜け出し、政府の通貨政策支配権も完全に廃止されました。
ドイツの通貨発行権は、ウォーバーグなどの国際銀行家を含む個人銀行家に委譲されました。
一般的にはドイツのハイパーインフレが起きた原因を「当時のドイツ首相がフランスとベルギーによるルール地方の占領に対処するため、大量の紙幣を発行したから」と説明されてきました。
ところが、中央銀行が私有化されたのは1922年5月、ルール地方を占領したのは1923年1月です。
すでに中央銀行は政府から独立しており、政府が紙幣をすることなどできません。
この私有化された中央銀行が大量に紙幣をすったのです。
1922年1~5月:マルク対米ドルの為替レートは320対1
1922年5月26日:ドイツ帝国銀行の私有化
1922年12月:マルク対米ドルの為替レートは9000対1
1923年1月:ルール危機が勃発しマルクは暴落。マルク対米ドルの為替レートは4万9千対1
1923年7月:マルク対米ドルの為替レートは110万対1
1923年11月:マルク対米ドルの為替レートは2兆5千億対1
1923年、物価は平均して毎日2倍に値上がり
ハイパーインフレとマルク(ドイツの通貨)の暴落を起こすには、中央銀行自らが大量の通貨を発行し、民間銀行が信用と通貨を作る。そして、投機筋が空売りを仕掛ける。この通貨暴落のトリプルコンビネーションによってマルクは崩壊しました。
時の首相は、中央銀行総裁の解任権がありませんでした。
そのため、通貨を刷るのを止めるように総裁に要求したが聞き入れられません。
しかし、ハイパーインフレが最高潮を迎えた時に、奇妙なタイミングで総裁が突然死しました。
任命権は首相にあったので、通貨委員で銀行業に精通していたシャハトを新しく総裁に任命しました。
その後、シャハトはレンテンマルクという新しい通貨を発行し、法律を介せさせて外国投機を制限し、ハイパーインフレの抑え込み、通貨価値を安定させていきました。
中央銀行の政策によって引き起こされたハイパーインフレは、中央銀行の政策変更によってたちどころに収束したのです。
このハイパーインフレの結果、損をしたのがドイツの一般市民です。
20億円の預金をしていても1年後にはパン
1つも購入できない程通貨価値が暴落したのです。
逆に、利益を出したのは国際銀行家たちでした。
マルクの大暴落により外貨を持つ国際銀行家たちは、ドイツの資産を二束三文で買い叩きました。
こうしてドイツの富は国際銀行家が独占しました。
これはドイツ国民の資産を巻き上げる戦勝国の「金融テロ」というべきものです。
中央銀行が紙幣を刷り続けた原因について、第一次世界大戦の賠償金を支払うためにわざと刷り続けた、という見方もあります。
これはありえません。
なぜなら、ドイツの賠償金は金、またはドルやポンドで支払うことになっていたからです。
自国の通貨を過剰に発行しても暴落を招くだけで、賠償金そのものの負担は減りません。
偽りの権力はこのように堂々と嘘をつきます。
嘘は大きければ大きいほど疑われません。
現在の教科書とは何を目的にしているのでしょうか、つまり通貨に関しては、民主主義諸国がバカにしている全体主義国家が作り出す嘘八百の教科書と大差ないのです。
ハイパーインフレはドイツに深い爪痕を残しました。
ドイツ人の資産が根こそぎにされ、生活が破壊されました。
当然、こつこつと資産を積み上げてきた堅実な市民は怒り狂いました。
ファシズムは民主主義と資本主義に憎悪を抱いていました。
現実をみれば、両方とも国際銀行家の道具となっていることに気づいていたのです。
ドイツのファシズムは、普通選挙の民主主義の中で生まれ、乗っ取ることに成功しました。
民族としての連帯願望を刺激し、友愛原理を暴走させたのです。
友愛の連帯感情を自らの民族のみに限定して他の人類を排除したファシズムは、第一次大戦後に盛んになった民族自決と国民国家という新しい仕組みの中で生まれた一大現象でした。
ファシズムにとって自由民主主義経済社会が代表する経済活動や言論の自由、社会主義が代表していた人類の平等などは、民族国家の反映のためにはそれほど重要な価値観ではありませんでした。
自由・平等は肥大化した民族の友愛原理の下位に位置付けられました。
興味深いことに国際銀行家の根絶を訴えていたナチスを資金的に支援していたのは、他ならぬ国債銀行家たちでした。
レンテンマルクを発行しハイパーインフレを収束させたシャハト総裁は、当時のドイツ経済の支配者でした。
そのシャハトもまたナチスを支持しました。
その結果、ドイツの財界もナチスを支援することになりました。
戦争での敗北やハイパーインフレという意図的な金融テロによって民族の連帯願望が刺激され、国際銀行家やドイツの産業界などの支援を受けることで、民主主義の下でナチスは政権を獲得することができました。
ナチスは欧州全体を戦争に巻き込み、地獄絵図を作り出していきます。
ファシズムもまた封建主義や一党独裁社会主義と同じように、国際銀行家たちによって作られた「神聖なる民主主義」と敵対する異常者として、歴史の引き立て役になっています。
そして、欧州とファシズムの廃墟の跡にイスラエルが誕生しました。
戦後の支配体制・東西冷戦とは何だったのか
世界人権宣言
全ての人間は、生まれながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利とについて平等である。人間は、理性と良心とを授けられており、互いに同法の精神を持って行動しなければならない(世界人権宣言 第一条)
第二次世界大戦がもたらした未曾有の犠牲によって人類は世界平和の大切さを身に染みて実感しました。
そこで世界平和の実現のためという名目で創設されたのが国連です。
世界を管理しようとする国際銀行家たちにとって国連は大きな意味を持っていました。
1948年に世界人権宣言が国連で採択されます。
この世界人権宣言こそ、自由・平等・友愛の民主主義の基本理念を世界共通の理念にさせる宣言でした。
帝国主義時代は終わり、人権と民主主義の世界普及が始まったのです。
人権とは人種、性別、国籍、宗教関係なく、個人が人類に属するという事実に基づいて有する権利です。
それまでの人権は宗教や君主によって定義されることが多かったです。
例えば、創造主の下や君主の下での平等のようにです。
宗教や民族を超える理念としての世界人権宣言は、神や君主ではなく「個人の尊厳・基本的人権」を倫理的命題としました。
全ての人民とすべての国が達成すべき目標として全人類に発せられた世界人権宣言は、その後の様々な人権条約の基礎となっています。
世界人権宣言の第一条は、人間が生まれながらにして持っている「個人の尊厳」を、自由・平等・友愛の理念で表したものです。世界人権宣言は第30条まであり人間の持つべき様々な権利が書かれています。
この理念は、多くの人類にとって権利の拡大をもたらしてくるものであったと同時に、通貨発行権を独占し自由民主主義経済を管理していた国際銀行家にとっても都合のいいものでした。
世界を統一しようとするならば、宗教も民族も国境も超える普遍的な理念が必要となります。
そのために採択されたのが民主主義の4つの理念のうちの3つである「自由・平等・友愛」でした。
「自由・平等・友愛」の理念は超国家組織EU(欧州連合)創設の基本理念でもあります。
EUの基となるヨーロッパ主義を唱え大きな影響を与えたのは、青山栄次郎ことリヒャルト・クーデンホーフ=カレルギーです。日本人の母と、駐日大使だったオーストリアの貴族カレルギー伯爵を父として1894年に東京で生まれました。
その後、オーストリアで哲学を学び、フリーメーソンと接触を持つようになり、1923年に『汎ヨーロッパ主義』を著しました。
各国のナショナリズムの暴走の結果もたらされた第一次世界大戦の惨禍のあとだけに、国家を超えたヨーロッパ共同体の創設を訴えた同書は、ヨーロッパで大きな反響を呼びました。
その後、汎ヨーロッパ会議を創設するなど欧州共同体の先駆けとなる運動を組織しました。
カレルギーの思想は以下のとおりです。
友愛が伴わなければ、自由は無政府状態の混乱を招き、平等は暴政を招く。
カレルギーの思想の特徴は人類全体の友愛に立脚し、自由と平等という対立する概念を両立させようとするものです。
フランス革命における自由・平等・友愛は、選挙権などが富裕層に限られており、限定されているため、平等ではなく、本来の自由もありませんでした。
そこで友愛の理念を拡大し、市民全体が同朋意識を持つことにより、自由と平等が友愛の基にバランスされるといいます。
カレルギーの思想は、2000年に公布された欧州鵜連合基本憲章に如実に反映されます。
欧州の人々は、人々の間の絶えず緊密化する連合を形成するにあたり、共通の価値に基づく平和な未来を共有することを決意する。
連合は、その精神的、道徳的遺産を自覚しつつ、不可分にして不変の価値たる人間の尊厳、自由、平等および連帯を基礎とする。連合は、民主主義および法の支配の原則にもとづく。
欧州連合基本憲章は、第一章は人間の尊厳、第二章は自由、第三章は平等、第四章は連帯について各条項がかかれています。
人間の尊厳という倫理的命題から発生する、自由、平等、友愛という原理は欧州連合の基本思想となっています。
全文は、この理念によって形成されている基本的人権と民主主義の宣言です。
その一方でEUは、国際銀行家にとって操作される民主主義のシステムを強化するために作られたものでもありました。
何故なら、民主主義を基本としながら、EUへの加盟には中央銀行の独立性も必須条項になっているからです。
1993年に発効した欧州連合条約(マーストリヒト条約)によってすべてのEU加盟諸国は、1999年までに自国の中央銀行法を変更し、中央銀行の政府からの独立性を確保しなければならないことが明記されました。
また、中央銀行が政府に融資したり、国債を購入したりするのを禁止にしました。
さまざまな国家や民族が参加する超国家組織を作り上げるには人類としての普遍的な理念が必要になります。
そこで採択されたのが、やはり自由・平等・友愛でした。
しかし、この理念は通貨の真理を独占する国際銀行家が何百年にもわたって操作してきた十八番です。
EUは創設当初から国際銀行家によって統治され、操作される民主主義を前提にしていました。
国際銀行家という超国家権力が、国家そのものを廃棄するための段階を踏み始めました。
EU体制の拡大と発展は、民主主義の理念の拡大とともに、市民の手から通貨発行権が消滅する超国家通貨ユーロの創設に繋がっていくのです。
ドル基軸通貨体制
第二次大戦で戦地にならなかったアメリカは、荒廃した世界の中で独り勝ち状態でした。
イギリス、フランス、ドイツ、ソ連、日本、中国などの大国は大戦によって壊滅的な状況でした。
その結果、大戦直後のアメリカは、そのGDPが世界の大半を占めるほどの超大国になっていました。
巨大な軍事力と経済力によって世界経済はドル基軸通貨体制へと変貌していきます。
ドル基軸通貨体制は、ドルを中心に経済がコントロールされるということです。
全ての貿易の取引はドル決済になり、ドルの通貨発行権を持つ者が世界を支配します。
ドルの通貨発行権は株式会社FRBにあり、その株主たちである国際銀行家が事実上の支配者となりました。
すでにアメリカ国内のライバル銀行は1929年に起きた世界恐慌でほとんどが倒産に追い込まれ、FRBの株主たちの傘下に入りました。
ドルを通じて世界経済がコントロールされていくシステムのはじまりとなります。
日本がアメリカ中心の世界システムに組み込まれたのはゆうまでもありません。
東西冷戦
そして、中国の共産化が実現することでユーラシア大陸に巨大な共産圏が出現しました。
社会主義体制のソ連と自由民主主義経済社会体制のアメリカは世界支配をめぐってさまざまに争うことになります。
この2つの体制は全く違っていました。
経済システムでは資本主義VS社会主義。
政治システムでは政「金」分離型民主主義VS一党独裁全体主義。どちらも主権は国民にはなく、国家の上層部のごく一部が動かしていました。
東西冷戦は政「金」分離の民主主義にとって長期間にわたって有利な状況を作り出しました。
強大な敵が存在することは、民主主義の様々な内部矛盾から目を逸らさせ、内政ではなく外交に目を向けさせることが容易となります。
東西冷戦は国際銀行家たちにとって、自由民主主義諸国の支配を強化し洗脳していく時間をたっぷり与えてくれることとなりました。
旧ソ連の一党独裁社会主義は、社会の自動調整という意味で欠落を持った体制でした。
一つは資本主義を作り出した諸要素を否定したことです。
・利子付き通貨を否定し、政府通貨のみにしたこと
・企業間の競争をなくしたこと
・すべての経済活動が官僚が作成し統制したこと
これらは資本主義の米・欧州が世界を支配した経済成長力の源泉を排除していました。
利子は人々に売り上げの増加と時間の概念を作り出します。
利子が付かない通貨では、時間を守るという概念がなくなります。
企業間の競争がなければ、より良いサービスの提供というインセンティブが働きません。
努力しても適当でも給料が同じなら、労働に対するインセンティブも働きにくくなります。
また、市場の需要と供給の原理を否定したソ連経済は、すべての生産活動の計画を官僚が策定していました。
官僚では消費者の需要が分からないので、消費者とのニーズにギャップが生じます。この結果、魅力的な商品の生産が難しくなり、国際的な貿易力も衰退していきます。
つまり、ソ連経済は、経済成長の機能不全に陥りやすいシステムだったのです。
発展したのは、国家が最大の消費者になる軍事産業と宇宙産業でした。
ソ連型社会主義は政治体制でも自動調整システムを欠く硬直的な政治システムでした。
一党独裁体制のため、国民の声を反映することができないのです。
国民の欲求をくみ取ることができない政治システムでは、社会的な不満の自動調整が働きません。
実際、ソ連に支配されていた東欧の社会主義体制は、自由の掛け声をあげれば、雪崩をうって崩壊し、1991年のソ連邦の消滅に繋がりました。
政治もまた市民を満足させることに対して機能不全に陥りやすいシステムでした。
もちろん、ソ連ならではの魅力もありました。
経済的には平等で利子の支払いに追われることもなく、医療費、教育費なども無料でした。
しかし、一党独裁社会主義は、経済でも政治でも、豊かさや自由という魅力の点で自由民主主義経済社会に敗れ去ったのです。
新たなる通貨の発行段階
通貨は長い間、金などの貴金属と交換する時代が続きました。
しかし1971年にアメリカのニクソン大統領がドルと金の交換を停止しました。
これによって通貨に交換価値の裏付けが要らなくなりました。
本格的な不換紙幣時代の到来となります。
不換紙幣にした理由は、世界経済の拡大に金の保有量が対応できなくなったためだといわれています。
一応、金を準備している範囲内で通貨を発行しているという「建前」が消え去り、金の制限は無くなりました。
中央銀行の意思でいくらでも通貨を創造できる時代の到来です。
通貨価値を保証するために、国債や社債、不動産のような何らかの資産と通貨を交換すればよいとされました。
通貨そのものは価値を持たなくなり、より純粋な購買力の記号として認知されることになります。
金という歯止めをなくした通貨は、創造主たる銀行家たちによって限りなく膨張していきます。
それまで世界の中央銀行を束ねてきた金の役割は終わりました。
代わりに記号のみになった通貨を統合する役割は、基軸通貨ドルを操るBIS(国際決済銀行)が全面的に担うようになりました。
BISはどの国家からも独立して存在しています。
BISとは中央銀行の連合体であり、その背後に存在する国際銀行家の支配システムです。
多くの権力がそうであるように、金融権力もまた自らの勢力圏の拡大を志向しています。
国際化、グローバル化というのは別の意味で観れば、国債銀行家による世界支配の実現という意味合いです。
ロックフェラー財団の当主デイヴィット・ロックフェラーは自伝で以下のように書いています。
一世紀以上ものあいだ、政治的見解の両端に位置する極端なイデオロギ信望者は、わたしとカストロの顔合わせのように広く報道された出来事に飛びついては、ロックフェラー家を攻撃してきた。わたしたちがアメリカの政治や経済の制度に大きすぎる影響を及ぼしたというのがその言い分だ。なかに、わたしたちがアメリカの国益に反する秘密結社に属していると信じるものさえいる。そういう手合いの説明によると、一族の私は「国際主義者」であり、世界中の仲間たちと共に、より総合的でグローバルな政治経済構造をーいうなれば、一つの世界をー構築しようと企んでいるという。もし、それが罪であるならば、わたしは有罪であり、それを誇りに思う
(デイヴィット・ロックフェラー著『ロックフェラー回顧録』新潮社P517)
このようにしっかりと内部の当事者が国際金融力が先導して世界と統一しようとする動きがあることを告白しています。
もはや陰謀でも何でもないことがお分かりいただけたでしょう。
ここで述べ垂れている世界統一への流れは、国際銀行が望む体制の世界的な輸出です。
自人権に基づいた欧米型民主主義の普及であり、一方で独立した中央銀行の溜め二通貨発行権をなくした政府を、マネーの支配者たる国際金融財閥が管理する世界のことをさします。
はみだしコラム:マネタリストの理論による詐術
時代が変化するとともに通貨の詐術もそれに合わせて発展していきます。
金融権力にとっては、世間一般に通貨量について理解させないことが最も重要な権力のツールでした。
第二次世帯銭前後に一世を風靡したケインズ主義に代わり、70年代から経済学の主流になったのがマネタリストです。
フリードマンなどに代表されるマネタリストの理論は次の通りです。
通貨の流通速度は一定であるので、通貨量を操作することで、景気の強弱や、物価の上下をコントロールできる。
そのため政府は通貨量の操作を中心に経済政策を行えばよく、それ以外は、市場の原理に任せるべきである。
政府は大きな政府ではなく、小さな政府にしてこそ、経済は成長していく。
通貨量という概念を経済学に本格的に導入した為、マネタリストの理論は当初、確かに有効でした。
その結果、通貨供給量(マネーストック)といわれるさまざまな通貨量の測定方法が開発され経済政策に取り入れられていきます。
通貨供給量は、銀行の預金量はその他の金融資産の総額を通貨量として計測します。
通貨供給量の量り方は国ごとに様々な範囲があり、日本では主にM1、M2、M3広義流動性の4つの指標が使われています。
一般的に通貨として用いられているのは現金と預金を合計したM1~M3までです。
しかし、このマネタリストが強調する通貨供給量の概念こそが、次の時代の通貨の煙幕として利用されます。
それは通貨供給量という統計上の通貨が、「本当の通貨量である信用創造量」から目を逸らさせる役割を果たし、また、金融経済が実体経済に対して巨大化していく過程で作られた新たな詐術でした。
それと同時にフリードマンらのマネタリストの隆盛は、小さな政府へと大きく舵を切らせ、自由の暴走を招くことになります。
現在の主流の経済学では、通貨供給量M1~M3が通貨だという意見が大勢を占めています。一方、素連帯する反論もされており、エコノミストたちは「マネーとは何か」という経済学の根本的な問いに対して一致した答えを見出せないでいます。
この問題で主流の経済学に対して説得力ある批判を展開したのがドイツ人経済学者のリチャード・ヴェルナーです。
通貨供給量は、預金の総額を量っているだけであり、通貨という購買力の総額ではない、というのがヴェルナーの意見です。
預金としての通貨は、さまざまな資産に変化してしまいます。
例えば、銀行がA氏に1000万円の融資を行ったとします。
貸し出すと同時にA氏の口座に1000万円の預金通貨が発生します。
銀行の帳簿上で世の中に新たな1000万円の通貨がつくられました。
この時、新たな銀行貸し出しの1000万円の増加(信用創造量の増加)=預金1000万円のぞうか(通貨供給量の増加)となります。
しかし、その後が違います。
A氏の資産は、預金500万円、証券口座500万円になります。ここで通貨供給量の問題が発生します。
証券口座に500蔓延の預金通貨を移動させたので、通貨供給量の統計上は500万円分の通貨が減少したことになります。
なぜなら、証券口座に移動した通貨は、前述した通貨供給量のM1~広義流動性の指標のどこにも統計として含まれないからです。(MRFに移動しないとした場合)
しかし、銀行によって通貨として作られた購買力がなくなったのかというと、そんあことありません。
市場に存在する購買力は1000万円のままです。
証券口座にある500万円で証券会社が販売している金融商品を500万円分購入することができるのです。
通貨供給量には含まれていませんが、商品を購入することができるという意味で、通貨としての機能は果たしています。
また証券口座にある500万円を預金口座に戻せば、預金通貨は500万円から1000万円に再び増加します。そうすると、移動させただけで、通貨供給量の通貨が増えたことになります。
このように市場の通貨供給量の統計とは様々に変わってしまうわけです。
それでは、作り出された通貨の総量を量るにはどのような指標が有効かというと、それは通貨を作り出した時に銀行の帳簿で預金と同時に発生する貸出金などの項目、つまり信用創造量でしょう。
資産側の貸出金などの項目は、預金のようには様々な資産に変化しにくいです。
つまり、中央銀行や民間銀行が貸し出しや有価証券の購入などで作り出した総額です
通貨供給量という言葉そのものが一種のトリックあるといえます。
文字だけを読めば通貨供給量とは、文字通り銀行業が通貨を供給した量であろうと捉えられます。
しかし、通貨として供給した預金がさまざまな金融資産に変化してしまうのであれば、このような言葉を使うことは混乱を招きます。
ここでは、通貨供給量として定義されている「統計上の通貨」と、銀行業によって作り出された「信用創造量としての通貨」に違いがあることを確認しましょう。
まとめると、通貨量に対するさまざまな煙幕により、いまだにエコノミストの間でも、通貨と購買力の関係に対して意見の一致がないという状況です。
どれだけ帳簿を観ても、通貨として作り出された購買力の総額は正確には量れないようです。
貸出金も有価証券も、貸し倒れや時価評価などにより帳簿上の数字は変化してしまいます。
そのため銀行が作り出した総額で、消却した総額を差し引きしなければいけませんが、そのデータは公表されていません。
しかし、通貨を創造できるのは中央銀行と民間銀行だけです。想像した側はいくら創造したのか、いくら消却したのかを知っています。
20世紀湖畔から、通貨供給量とGDPの安定した関係を主張するマネタリストたちの理論が崩れ始めました。
通貨供給量を増やしても経済規模が拡大しないのです。
かといって、インフレになるわけではありません。
GDP取引に比べて通貨供給量の流通速度が遅くなってき野です。
その原因の一つは金融経済の巨大化で下。
不動産取引や証券取引のような禁輸経済は、実体経済を測定するGDP取引に含まれません。
そのため、金融経済の取引に使われる通貨が増加し始めると、通貨供給量と実体経済(GDP)の関係が安定しなくなったのです。
つまり、通貨供給量の増加率に対して、GDPの増加率が低くなっていきました。通貨量を実体経済と金融経済に分離できる信用創造量では、実体経済向けの通貨の流通速度はほぼ一定であるとヴェルナーは算出しています。
金融経済は、銀行が金融取引の分野に貸し出すことによって成長していきます。
銀行の融資により実体経済をはるかに上回る勢いで金融経済の膨張は続いていき、やがて実体経済よりも巨大になり、80年代の日本のバブルやリーマンショックのように我々の生活を翻弄するようになります。
金融帝国が支配する現代史
ECB(欧州中央銀行)を作り金融帝国を形成
第二次世界大戦後、アメリカ以外のもう一つの金融帝国の形成が進められていきます。
それがECB(欧州中央銀行)の創設です。
FRBの創設によってアメリカの地方自治が骨抜きになったように、通貨ユーロ発行するECBの創設はヨーロッパの参加国にとって国家主権の骨抜きを意味します。
ECBは欧州の中央銀行の集まりであって、政府の集まりではありませんので、
各国政府はECBの政策に全く関与することができません。
各国の中央銀行の独立性というのは、EUの創設か始まる長期間にわたる計画でした。
ユーロの前身的システムであるEUは、中央銀行の独立性を傘下の必須条件にしていました。
EUに加盟させて中央銀行が独立するシステムを作り出し、そのシステムの発展段階として各国中央銀行が集まるECBを創設します。
参加各国は自国通貨を持っていた時でさえ、EU条項のために独立した中央銀行の政策に関与できなくなっていきました。
さらに、超国家中央銀行組織のECBに対する影響力は皆無になったといえるでしょう。
市民が直接選ぶことができる政府は無力となり、中央銀行とその背後で影響力をふるう金融権力の天下となりました。
今までみてきたように、通貨発行権こそは国家主権の最もたるものです。
通貨を独自に作れなければいずれ借金まみれになり、独自の政策ができなくなるのは明らかです。
超国家通貨であるユーロは国家主権の放棄です。
ユーロを導入し、自国通貨を捨てた時点で、欧州の市民主権の民主主義は死んだも同然となりました。
国家の域を超えて平和と基本的人権を実現していこうという、グローバリズムの観点からの自由・平等・友愛はいつでも強調されます。
しかし、その実態は、通貨発行権の独占によって民主主義を操作する非民主的なものなのです。
しかし、ここで強調しなければならないのは、欧州金融帝国は民主的手続きによって実現し、正当化されているという点です。
欧州連合の基本条約の枠組み改定には全加盟国の賛成が必要です。
一国でも反対があると条約は発効できません。そのため、1993年のマーストリヒト条約ではデンマークが、2005年の欧州憲法条約ではフランスとオランダが、2009年のリスボン条約ではアイル旦土が、国民投票において反対票が上回りました。
しかしその後、政財界とマスコミを巻き込む大規模な産生キャンペーンが行われ、最終的に国民投票では賛成派が勝利して欧州統合の条約を発行させています。
ここにみられるのは、民主主義によって、民主主義が自滅していく様です。
欧州連合の民主主義的手続きを踏まえた段階的な進展は、金融権力の長期的な情報操作の賜物なのです。
ユーロ通貨とECBの実現は、何百年にもわたって政「金」分離を進めてきた「西欧型民主主義」という金融支配体制の完成形態なのです。
80年代以降盛んになったのは、株や不動産、先物やデリバティブなどの投機的取引の拡大により、実体経済と金融経済の分離が起きてきます。
このことが2012年の現在でも日米欧を苦しめている長期不況の原因となります。
産業の発展のために用いられている間は、金融は実体のある商品生産の拡大によって世の中を豊かにしました。それによって科学技術も進歩し、我々の生活は物で満ち溢れるようになったのです。
リーマンショックとは何だったのか
しかし、80年代以降、実体経済よりも金融経済にお金が流れ、マネーゲームが拡大しました。
実体経済と金融経済が分離し、金融経済の実の世界でマネーが取引されるような事態が発生します。
金融経済は実体経済とは関係なく自己増殖をしていくことになります。
もはや、金融経済の取引規模は実体経済を飲み込むほどに大きくなっていきます。
そして、先物、株式、不動産などの市場を通じて、実体経済に様々な影響を与えています。
その典型がリーマンショックです。リーマンショックは純粋に金融経済の巨大化が引き起こした必然性のない経済恐慌でした。
この経緯を説明します。
アメリカでは90年代に発生したITバブル崩壊のあとに、不動産バブルの発生が起きます。
一連のバブルの発生と崩壊は取引を拡大させる銀行業の融資が原因でした。
以前のバブルと違ったのは、銀行が不動産バブルを作り出すときに、自らの損失を回避するため、証券化という手法を多用したことでした。
証券化とは、融資を行った際に発生する貸し倒れリスクを回避するために、その融資分を債券にして、一般法人に転売してしまう手法です。
そうすると、銀行は証券を販売して手数料を得ることができます。
証券を購入した投資家には、銀行から借金をした債務者からの支払い分が入ります。
貸した側が最も恐れるのは貸し出し先がローンの返済が出来なくなることです。
銀行がその貸出金を債券にして転売してしまえば、貸倒れリスクは銀行から債券を購入した投資家に移ります。
まさに貸し手にとっては濡れ手に栗のような手法でした。
いくら貸し出しても回収する必要がないのですから。
証券化という手法により、銀行は融資を積極的に行い、ついにはサブプライム層という信用の低い層に対してまで融資を拡大させました。
これが有名なサブプライムローンというものです。
こうして不動産市場に多額の銀行融資が流れ込み、過剰な信用創造がなされた結果、不動産取引は激増しました。
不動産の価値は上昇を続けます。
この流れは証券化という手法の有無は別として、80年代に日本で起きた不動産バブルと同じです。
バブルが起きれば、後は潰れるだけです。
上がりすぎた不動産価格は頭打ちになり、やがて、住宅ローンが返済できなくなったサブプライム層の破綻が増えてきます。
こうなると不動産価格は暴落します。
証券化商品を信用して購入した世界中の投資家が損をしました。
市場の値崩れによって大きな損失を出した投資銀行リーマンブラザーズの倒産によって世界金融危機が発生しました。
この一連の流れをみると、金融経済というお化けを成長させたのは毎度のことながら通貨を創造できる銀行業です。
その暴走がバブルとその崩壊を作り出しているのも毎度のことです。
通貨量を操作する金融権力は国際経済を瞬時に崩壊させるほどの力を持っているのです。
巨大か資本(金融経済)は世界を大混乱させてまで利益を追い求めています。
カネの亡者という言葉そのものであります。
今や巨大なマネーが世界中の利益を求めてさまよいます。
この資本の運動法則の原因は、資本そのものが銀行融資の借金で出来ているからです。
借金の支払い以上に収益を上げないと、返済できないし利益も出ません。
その点は実体経済にかかわる製造業などと同じです。
金融業も利子というノルマに縛られているのです。
金融業自らが、借金をしようが、人からマネーを集めて投資しようが、求められていることは同じです。
利子以上の収益を上げろ!ということです。
投資で売り上げを求めるのに道徳だのなんだの言ってられません。
利子が上がることが第一です。
穀物の値段が上がろうが、石油が上がろうが、利益が出ればそれでいい。
それによって食品価格が暴騰して食う人が困る人が出ても、車に乗る人が困ってもそんなことは知ったことではありません。
利益を出さなければ自分がつぶれてしまいます。
資本が利益を求めて世界中を動き回るのは、借金経済システムの性質上、当然の成り行なのです。
マーケットに任せて自然にうまくいくなどと言うことはありえません。
製造業などの労働規制が必要なのと同じように、金融経済にも強力な国際的気勢が求められています。
リーマンショック以降、さまざまな企業が潰れましたが、救済されて破綻しない会社もありました。
勿論、アメリカ政府が救ったのではなく、アメリカの中央銀行FRBが救いました。
「AIGがつぶれると世界強固になる可能性があるので救済しました」とのことです。
ではなぜ、政府ではなく中央銀行が救済したのかというと、アメリカ政府に救う資金がないからです。
もしAIGを救おうとするなら少ない予算の範囲で、社会保障などの他の支出を削減して救わなければなりません。
そんなことはできないとなれば、国債を発行して資金調達しなければなりません。
金融危機の真っただ中で、巨額の国債を発行しても市場が購入してくれるかはわかりません
そこで登場してくるのが無限に通貨を作れる中央銀行です。
ギリシア危機、PIGSの債務危機
2010年から始まるギリシアやポルトガル、イタリア、スペインなどの南欧諸国(各国の頭文字をとってPIGSと呼ばれる。豚ども、という酷い呼び名)の債務問題もまた、原因は政「金」分離という銀行システムが引き起こしています。
欧州各国は通貨発行権を放棄しているわけですが、最後の政府予算の作成の砦である財政出動さえできなくなっています。
ユーロ加盟国には国家債務の上限問題があり、必要以上に国家債務を拡大することは行いにくいのです(国債の発行の上限は国内総生産の3%。累積残高に関しては60%)
そうなると、予算を拡大するには税金を挙げるか、社会保障を減らすかといった選択しかできません。
しかし、政府がどちらかを実行すると、ヨーロッパでは暴動やデモが起こり、世情不安定になります。
そこが日本と違う所です。
最後の頼みの綱としてECBや欧州議会に融資をしてもらうしかありません。
しかし、それをするかどうかは、ECB様の胸三寸です。
我々が望むような政治経済改革を行え!年金のカットや増税を行え!と命令されます。
国民から選ばれた政府が通貨を作れないばからに、改革を外部から強要されるとはずいぶんと情けない話でしょう。
2011年にアメリカが破綻しかけた理由
世間ではあまり知られていませんが、実は2011年にアメリカが破綻しかけ、世界は恐怖のどん底に陥っていました。
たしかにアメリカの財政赤字はリーマンショック以降、激増しています。
そして国債の購入者はほとんどが中国や日本などの海外投資家です。
しかし、国際金融の常識で言えば、アメリカの破綻はありえないことです。
なぜかといえば、アメリカの財政赤字はドル建てて発酵されているからです。
ドル建てなのですから、ドルを無限に作れるアメリカが破綻するはずがない、借金の返済ができないなどありえないのです。
ところが、そのありえないことが2011年に起こりそうになりました。
政府が支払う国債の財源が不足しそうになったのです。
その原因は、民主党の国債発行の上限額引き上げの予算案を共和党が期日のギリギリまで通そうとしなかったからです。
不景気が続くアメリカでは国家の歳入が減少しているので、政府が抱えている借金の支払いを新たな国債の発行によって賄っています。
アメリカでは国債の上限額が設定されており、今回はその引き上げを与党の民主党が求めたのです。
しかし、共和党がさらなる国債の発行に猛反発し、議会を通さないという姿勢を取ります。
国債の上限引き上げができなければ国債を購入している債権者への支払いができなくなります。
つまりデフォルト(利払い不履行)に陥ります。
そうなるとアメリカ国債の信用は地に落ち、価格の暴落を引き起こしてドルも暴落します。
世界中のアメリカ国債やドル建て資産を持っている法人や個人は大損し、金融機関の財務は悪化、倒産に陥り、世界恐慌が起こります。
このような悪夢のシナリオがあり得たのです。
FRBはこの件に関しては、基本的にノータッチという姿勢でした。
FRBが政府の国債の支払いの財源を直接捻出するということは行っていないからです。
期日ぎりぎりで国際上限引き上げの予算が議会を通過したことで、アメリカの破綻は辛くも回避されました。
金融の原理では破綻しないはずのことが、政治の暴走で危機に陥ったのです。
政治と通貨発行権の分離が引き起こした政治経済システムのゆがみを象徴するような事例です。
歴史的出来事も国際銀行家が背後にいれば理解できる
9.11テロ、イラク戦争
政治と通貨発行権が分離しているシステムの恐ろしい点は、平時においては、自由・平等・友愛の原理が機能していることです。
諸権利を手にしている国民は、一応満足できる状況を作り出しています。
しかし、通貨創造の嘘から始まる偽りの原理が働いている限り、操作される民主主義のマインドコントロールが進み、悪化すると偽りの民主主義に変貌します。
その好例が21世紀にアメリカで起きた911テロであり、イラク戦争です。
両方とも金融権力の真理の操作により偽りの原因が作られました。
それによって、アメリカ国民の愛国心(友愛)が喚起され、自由と平等の民主主義を守り、さらにそれらを輸出するという名目でアフガニスタンとイラクへの軍事的侵攻が正当化されました。
イラク戦争が嘘の口実を元に行われたというのは事実です。
そのことはアメリカ自身が認めています。
【ワシントン=貞広貴志】米上院情報特別委員会は8日、イラク戦争の開戦前に米政府が持っていたフセイン政権の大量破壊兵器計画や、国際テロ組織アル・カーイダとの関係についての情報を検証した報告書を発表した。
報告書は「フセイン政権が(アル・カーイダ指導者)ウサマ・ビンラーディンと関係を築こうとした証拠はない」と断定、大量破壊兵器計画についても、少なくとも1996年以降、存在しなかったと結論付けた。
「米上院報告書、イラク開戦前の機密情報を全否定」読売新聞2006年9月9日付
「地獄への道は善意で舗装されている」という言葉があります。
社会全体に勘違いを起こさせる力ほど恐ろしいものはありません。
そして、民主主義の下で「勘違い」を起こさせるツールが、通貨創造の始まりから連綿と続く金融権力の偽りの原理です。
旧ソ連地域のカラー革命とアラブの春
自由民主主義帝国にとって最強の政治体制である民主主義の輸出は、他の体制であるライバル潰しのための最大の武器になります。
その典型が旧ソ連地域への民主主義の輸出です。
旧ソ連地域で「カラー革命」と呼ばれる一連の民主化運動が起こりました。
その原因は、ロシアが国際金融権力を取り締まったことに端を発しています。
社会主義であった旧ソ連では、民間企業は存在せず、全てが国営企業、公務員です。
ソ連崩壊後の自由民主主義経済への移行の中で、国有企業の民営化を進めることになった。
そのどくさくさにまぎれて天然ガス、石油、鉄鋼などの国家の資源を、新興財閥が独占してしまいました。
ロシアでは、持てる者と持たざる者の格差が急拡大し、アナーキーな自由民主主義が形成されました。
新興財閥の一人であるベレゾフスキーは「7人の新興財閥がロシアの富の50%を支配している」と公言しました。
このギャングのような新興財閥を鷺池締まったのが、エリツィンの後を継いで2000年に大統領に就任したプーチンです。
富を独占する新興財閥をどんどん取り締まる、それに対して、新興財閥は欧米の金融権力との結びつきを強めて防衛しようとします。
しかしソ連崩壊後から急速に成り上がった新興財閥は、ロシア国内での基盤は脆く、あえなくプーチンに敗北。
筆頭格だったベレゾフスキーはイギリスに亡命し、ロシアの石油王ホドルコフスキーは逮捕収監されます。
プーチンの新興財閥潰しに怒り狂ったのが、その背後にいる欧米の金融権力でした。
ロシア包囲網を形成するために、ロシアの周辺国、つまり旧ソ連地域への体制転覆をはかっていきます。
まずはグルジアでバラ革命。不正選挙を理由にデモを起こし、野党勢力が議会を占拠。
そして、親米のサアカシビリが大統領に就任。
これも不正選挙と野党が騒ぎ、大規模なデモを起こします。
そして、再選挙を実施させ、親米派が勝利します。
これもグルジア、ウクライナで起こったことと全く同じパターンが繰り返されます。
選挙の後、野党が不正選挙として「選挙のやり直し」と「大統領の辞任」を要求。この運動の背後にアメリカがいることを察知していたアカエフ大統領はロシアに逃亡。その後、親米政権がキルギスに樹立されます。
これが一連のカラー革命です。
この革命の背後には、キルギスのアカエフ大統領が察知していたように、欧米の金融権力の援助がありました。
外国の政権転覆をどのように行うのかというと、国際的な活動を行っている民間のNGO勢力に出資して革命を扇動しました。
ではこれらNPOの資金源はというと、1992年の「自由支援法」に基づき、米国家予算から捻出されています。
国務省国際開発局(USAID)を通じて、キルギスのNPO活動のために組まれた予算は、2005年度会計年度で総額3300万ドル。つまり、アメリカが国策として他国の革命を支援している証拠です。キルギスの革命の指導者は、ニューヨークタイムズに「米NPOの援助がなければ、行動を起こすのは絶対に不可能だった」と語っています。
一連の民主主義的要求に通じた革命運動の背後にはアメリカがいたということです。
民主化の輸出は、絶対的な旧ソ連だけではなく、長らく同盟国であった独裁国家にも波及していきます。
イラクのサダム・フセイン、リビアのカダフィ、エジプトのムバラクなどです。
どの独裁者も欧米と仲良くしている間は独裁者として許されますが、反抗すると独裁国家であることを理由に潰されます。
よく指摘される欧米のダブルスタンダードというやつです。
敵対している独裁者は悪であり、欧米の同盟国や従属国の独裁制はみてみぬふりをします。
また味方である必要がなくなった御用済みの独裁国家は、自由と平等に基づく民主化で処分されます。
民主化の後に行われるのは、往々にして「中央銀行の政府から独立」です。
多くの市民にとって民主化は喜ぶべきことですが、それによって独裁制から解放され、普通選挙の理念に基づく権利を得ることができるのですが、一方で、操作できる民主主義の侵略性と危険性も理解しなくてはなりません。
支配ツールはマネーから情報へ、個人まで把握される電子化された世界
2010年代、マネーの電子化が急速に進みました。
マネーが電子化された社会では個人の生活を細部まで監視することが可能です。
何をどこで購入し、いくら支払ったのか、すべての通貨の取引が記録されます。
資産はいくらあるのか?借金はどれだけか?収入はどこから受け取り、何に支出したのか。
すべて銀行の口座のコンピューターで分かるようになっていきます。
紙幣の消滅とマネーの電子化は、それを監視できる権力にとって人間行動学の最高の分析手段になります。
もはやプライバシーなど存在しなくなります。
目指しているのは「偽り・自由・平等・友愛」という金融民主主義のイデオロギーに基づく、市民生活のトータルな管理です。
今まで社会管理は、マネーを活用した社会操作によって行われてきました。
しかし、今世紀はすべての取引、どのような趣味嗜好か、家族や知人は誰か、過去の病歴、経歴など、すべての個人情報が電子化されます。
企業も国家も同じです。すべての行動が電子情報化された社会は、すべてが電子の世界で把握され、管理されます。
今世紀の社会管理ではマネーは情報の主要部門になり、総合的な情報管理へと変化していくでしょう。
崩れてきたマネーの支配・マネー支配に抗う
ソ連の崩壊によって圧倒的なマネーの洗脳力で世界を手中にしたかにみえた金融権力ですが、その後、ベネズエラのチャベス大統領、ロシアのプーチン大統領が強力な政治権力を実現させ、マネーの独裁的支配体制から抜け出すことに成功しました。
また、中国も、耐性的に自立したまま自由市場経済を取り入れ独自の発展に成功しています。
それらの国に共通しているのは軍事的に支配されていないことです。
ロシアはエリツィン政権時に間接的に経済支配を受けましたが、プーチン大統領が新興財閥を取り締まることに成功します。
ベネズエラも経済的な支配を受けていましたが、プーチン大統領の下で数度にわたるクーデター未遂を切り抜けて自立に成功しています。
現在、国際金融権力から自立しているロシアや中国、ベネズエラが主導して、諸外国を連合させて、脱欧米の政治経済体制の構築を始めています。
一方、先進国を名乗る日本や欧米諸国は、米軍基地が各地に駐留している状況であり、金融によるマインドコントロールと強大な軍事力を背景に未だに支配は継続中です。
チャベス大統領は2007年に国民投票で中央銀行の独立性を廃止する条項を含めた憲法改正の国民投票を行いましたが、反対50.7%、産生49.3%とぎりぎりで否決され、実現しませんでした。やはり、最後の砦ともいうべき金融の牙城はそう簡単に陥落しないのです。
それでも両国は、圧倒的に強い政治権力で金融権力を抑え込んでいる状況であり、中央銀行は政治の言うことを聞かざる負えません。
また、基軸通貨ドルと共に金融帝国の一角であるユーロ帝国も社会的矛盾が大きくなり揺らぎ始めています。
その理由は、ユーロの下で主権を失ったことに欧州各国の国民が気づき始めたためです。
ギリシャ危機に端を発した欧州の債務危機は、独自の通貨政策と財政政策を行えない現実にユーロ諸国を直面させます。
通貨における国家主権を失うことがどれほど致命的な影響を与えるのかを骨身にしみて実感し始めました。反ユーロの大規模な動きが起こり始めたのです。
ユーロに参加していないハンガリーは、2011年末に中央銀行の独立性を失くす法案を議会に通しました。
これは中央銀行の独立性を遵守しなければならないEUの参加条項に違反する行為です。
そこでこの小国で起こった反乱に対して、ユーロ諸国や国際通貨基金IMFなどが束になってハンガリー政府に圧力をかけ、撤回させました。
しかし、ハンガリーで起こったこの反乱は、中央銀行に対する不満が如何に大きくなっているかを確認するのに十分でしょう。
まだ、事実が発覚している段階ではありませんが、
2022年に起きたロシアのウクライナ侵攻も、
金融権力の存在を認識でみれば見方を変えることができるかもしれません。
ワイという氾濫因子が必要
金融権力は通貨発行権を独占することで、マスコミや学術機関を支配し、社会に影響力を与える情報を独占してきました。
そして真理を操作することで、民主主義を手玉にとってきました。
しかしその情報の独占によって構築してきた権威が、インターネットの情報革命により崩壊を始めています。
情報革命によりそれまでに隠されていた情報が暴露されるようになり、先進国とうぬぼれていた体制の宿痾(しゅくあ)が市民の目に露になりました。
一部の通信社、大企業、広告代理店が影響力をふるうTVや新聞などのマスメディアと違い、インターネットは個々人が情報を発信することができます。
情報の独占と統制が難しく、情報の拡散と自由なは発信が可能です。
つまり、情報発信も多数決の原理が働きやすくなったのです。
そして、これが最大の特徴ですが、個々人の情報発信はマスメディアのようにマネーの力で支配しにくいです。
市民の最大の武器であるインターネット文化を発展させて、市民発の情報文化を育てていくことが何より大切でしょう。
終わりに
今回の記事は、ボリュームだけみたら非常に多いのですが、
「金融権力の支配」という一貫した道筋があって単なる「世界史」のような歴史的出来事を淡々となぞるよりもすんなり読めたんじゃないかな?と思っております。
政「金」分離の民主主義は一見すると、国民の最大多数の最大幸福を実現するシステムであるかのような幻想を与えます。
普通選挙が行われ、自由・平等・友愛に基づく基本的人権が守られます。
しかし、通貨の実質的な主権が金融権力にあるのなら、市民が操作された情報に基づいて決定する以上、最大多数の最大幸福を実現するシステムにはなり得ません。
少数の金融財閥の利権と、市民の利権がぶつかった場合、市民の要求は支配システムによって途中で閉ざされます。
極ごくごく少数のエリートの統治は、偽りに基づいた権力に立脚しており、その性質上、秘密政府にならざる負えません。
市民に対して秘密裏に決定される権力が、市民のための政治を行う保証などどこにもありません。
約200年間ほどかけて世界侵略された世界に私たちは残念ながら生まれてきたわけですが、このような独裁超国家の存在にコントロールされ続け、それを知らずに一生を過ごすのでしょうか。
それに関してはまた別の記事でやりたいと思います
引用:
サヨナラ!操作された「お金と民主主義」なるほど!「マネーの構造」がよーくわかった 天野統康