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パラレルワールドはある!神もいる!宇宙人もいる!宇宙の法則を学ぶ記事

宇宙の法則イラスト|無料イラスト・フリー素材なら「イラストAC」

皆さん、宇宙というのはどういう風になっているんだろう?

子供の頃、誰もが考えたであろう疑問ですが、

これは、物質次元の「外」をみないと理解することができません。

つまり、従来のアカデミズムの宇宙論をずっと信仰しているとわからないままです。

今回の記事は、完全に鵜呑みにしなくてもいいのですが、

自分の持っている固定観念や想像の拡大となるきっかけになればよいのかなと思います。

宇宙の仕組み

人は霊止であり、イノチ(霊)の本質は愛

宇宙は美と秩序から成り立っています。

決して無秩序に発生し広がったわけではなくてそこには、ある意思が存在しているので。

それは「愛」、宇宙は「愛」の表現体です。

宇宙にある法則性を一言でいうと「すべてのものは生成化育発展し、調和の方向へ向かって進化している」ということであり、このプロセスそのものが「愛」ということです。

もっと詳しくいうと、生成化育発展の中には当然、衰退や消滅も含まれており、生々流転の輪廻を繰り返しながら、調和的な方向へ進化していく営みが、宇宙の法則性=天の意思=天意(愛)になります。

天意は別名、サムシンググレートとか宇宙の先見情報、天の意思とも呼ばれます。

こうして私たちは天意(あい)のもとに生まれ、天意を体現し、再び天意の中へ還っていきます。

人類がこの世界で宇宙の法則性を具現するときには、「愛、調和、互恵」となって顕されます。

これは大いなるハーモニーの中で、互いを思いやり、愛し、慈しみ合い、恵みを分かち合いながら栄えていく姿です。

とりわけ私たち日本人は「大和の民」と言われ、大いなる和の中に、つまり、「大」いなる調「和」をもたらす民としての役割を持っています。

これは地球上に住む生きとし生けるものすべてとの調和であるばかりではなく、さまざまなバイブレーションで振動する宇宙全体との共鳴も含めた大調和としての民の使命です。

現在の日本に起こっていることは、私たち本来の枠割を思い出させ、木たるべきアクエリアス水瓶座)の時代に向けた先導役としての、大いなる調えです。

それにはまず、私たち人間の本当の姿を知らなくてはなりません。

本当の姿とは、私たちの本質は霊(イノチ・魂)であるということです。

人というのは心魂体から成っており、実際は魂が主で肉体が従の霊主肉従です。

つまり、霊であるイノチが、地球にやってきて地球服である肉体とそのオプションである心をまとって、そのかりそめなる姿の中で、愛を体現してるのです。

イノチの自分は無限、永遠、至福、光です。

この聖なる部分を神と呼んでもかまいません。

人は霊止(ヒト)であり、イノチ(霊)の本質は愛です。

私たちは内に聖なる火花、神の息を宿している崇高な存在です。

先の東日本大震災で被災された多くの仲間、光に還ったイノチたちに報いるためにも、私たち一人ひとりが一刻も早くこのことに気づき、神の分け御霊(みたま)として行動する真の生き方を始めなくてはなりません。

創られしものの中に、創りしものの心はあります。

創りしものは、創られしものの中に入っています。

そう、私たち一人ひとりが神の意識に目覚める時代がやって来たのです。

救世主(メシア)を己の内から呼び覚ます。これが新しい黎明の世です。

自らを明かりとして自灯明・法灯明をよすがに愛と調和と互恵の社会を創造していくのです。

神社や教会だけに神を見つけるのではなく、己の内にも見出し、そこをベースに悠々と、朗々と生きていく世界。

これが新時代の基軸となっていくことでしょう。

直感というツールで無限の叡智と繋がれる

では実際に、内なる神を呼び覚まして生きるにはどうしたらいいでしょうか?

それは直観というツールを使うことです。

直観(直感)とは、思考や判断を通さずにダイレクトに、ひらめきを通して答えを導き出す方法です。

直観は私たちの深層である超意識からやってきます。

超意識とは、ユングでいう集合的無意識の奥の方に属する領域で、普段はあまり意識されることがありません。

けれども直観を通じて繋がることで、無限の叡智が表面意識に流れだします。

人の意識は大きく分けて3層あります。

一番上は顕在意識、ここは私たちが普段、思考、信念、感情と呼んでいる知覚領域で、通常この部分が自分のすべてであると思いこんでいます。

けれども本当は、人間の意識のほんのわずかな部分を担当しているにすぎません。

次の意識は潜在意識で、ここは宇宙創成から今に至るまでの宇宙の歴史から文明、個々、個人に至るあらゆるデータが蓄えられています。

人間の身体の機能でこの部分を受け持っているのは、細胞とDNAです。

3番目の意識は、先にお伝えした超意識です。

この深奥部分は別名、普遍意識、真我、大我、ワンネス、神、内なるキリスト、内なる叡智、仏性、霊、イノチ、魂とさまざまな名で呼ばれており、個々が私たちの本当の故郷です。

あらゆる生命、存在物のみなもとでもあります。

この超意識と直通電話である直観をどんどん磨くことで、内なる神性をひらくことができます。

磨き方は、直観でひらめいたことを実際に行動に移しながら気づいていくことです。

直観→行動→気づき→直観→行動→気づきを繰り返すたびに、直観力が冴えてきます。

ちなみに、気づきとは心の内部空間が広がり意識が進化・深化していくことです。

身体でいえば頭で理解し、心で感じ、肚(はら)でわかる。

この肚にストンと落ちた感覚が直感から導かれるものと非常に近いです。

ですので、これから外の情報が入って来た時の識別法としては、自らの頭が「へぇ~」といい、心が「ふぅ~ん」といい、肚が「わかった!」といってポンっと膝打ちしたくなるものを選びとればいいということになります。

少なくとも心がざわざわしたり、きゅっと縮こまったり、嫌な感じがするものは、たとえ表面がどんなに魅力的であろうとも、あまり近づかない方が賢明です。

とはいえどうしても体験したいのであれば、されてみてOKです。

そうすることによってまた成長できますから。

この地球は愛を学ぶ学校なので、本当はどの道を選ぼうが成長するようにできているのであり、すべてはあなたを高めるためにやってきています。

ただ、できれば痛い思いをしたくないというのが本音ですが。

直観力の磨き方の実例ですが、これは日常生活の中で、ことあるごとに心の声を聴いて、その声に素直に従いながら行動してみるとよいと思います。

たとえば、レストランのメニューを見て、ぱっと目についたものをオーダーしてみると可です。

「あ、でもやっぱり高いから、安いのにしておこう」と思ったとたん、頭の判断が入ってしまうので、もうそれは直観ではありません。

あるいは「今日の夕食何にする?」と心に聴いてから造ると、ちょうど他の家族が食べたいものだったりします。

こうして、日常生活の色んなシーンで、自分の内側の声にそっと素直に行動を起こしてみることをおすすめします。

慣れてくると、自分の内側だけでなく、他の存在(人やモノ)の内側から放たれている光や気配、バイブレーションまでも感じられるようになります。こうして着実に、確実に直観力を磨いていけばよいのです。

すると日常の様々なシーンで役立つようになります。

なぜなら直観の向こうにある超意識は全知全能なので、時空を超えて「知っている」からです。

特に、災害が多い日本では「わけもなく、今そこに行くのはワクワクしない」とか「気が乗らない」という微細な感情の動きや感覚を大切にすることで、難に遭わずに済むことも可能です。

逆に言えば、それでも遭遇した時は「今、私としてあらわしているイノチさんは、わたしという心と体と現象を通じて、この体験を味わってみたかった」ということになります。

いずれにせよ、実践あるのみです。

内なる声を大切にして、自分の奥に聴きながら、直観を磨き、内なる意識の空間を広げてください。

また数霊辞典にある数霊や言霊、形霊に意識的に触れてより直観も冴え、超意識ともつながりやすくなるでしょうし、生活面ではシンクロが起こりやすい、思ったことがかないやすい、良き仲間やモノ、出来事と出会いやすくなるなど、上質で精妙な波動と共振共鳴していきます。

科学的な側面から宇宙の法則性を考える

さまざまな物質は粒子性と波動性の2つの性質を持っています。

あらゆるものは、粒であり、波であるということです。

別な言い方をすると、モノそのものを見ようとしたら粒の部分を見ていて、そのものにあるエネルギーを感じようとしたら波の状態をみている、という感じです。

たとえば、人を見るとき、その人の外見を見ている時は粒子性の側面を、個性や雰囲気を見ている時は波動性の側面を捉えていることになります。

私たちの築いてきた物質文明社会は、より見える世界である粒子性の領域にとらわれ過ぎてしまったと感じています。

外見、所有、学歴、地位、名誉も含めて、皆見える世界の投影であり、そこがいかに満足させられるかが成功者の条件のようになっています。

けれども、見える世界というのは、見えない世界によって支えられているものなのです。

神道的にいえば「ミ(身・実)」=物質の世界は、「キ(気)」=エネルギーの世界によって支えられている、ということになります。

この見えない世界を現しているのが波動性です。これからの世を生き抜いていかねばならない私たちは、物質のもう一つの側面である波動性についてもっと鋭敏に研ぎ澄ましていかなくてはなりません。

たとえば、同じトマトでも旬のトマトと冬のトマトは味とコクが違うように、やはり旬のものはエネルギーが高く、バイブレーションが精妙(高い振動数)になっているのです。

有機栽培のトマトとスーパーで安売りしているトマトでも、同じようなことが言えます。

このように見掛けは一緒でも、中身が違う。

似て非なるものに対する感性がアップすることが上質な生活を送るコツであると思います。

直観力を磨くことによって、波動的な側面をキャッチする能力がアップしていきますので、ぜひ日常生活の中で、表面にあるものだけではなく、そこから放つエネルギーの状態や質についても思いはせる訓練をされるとよいと思います。

惑星の動きとDNAの関係

重力波(重力を発生するもとになる質量が運動することで発生する波。アインシュタインが理論的にその存在を提唱し、現在アメリカと日本がその観測を競っている)というものについて、電磁気力とは違って、無限遠点まで届くといわれています。

光とは違ってどこまでも届くといわれているのが重力波です。

しかし、違う次元にいけば、この次元で人間が体験する形では重力波を体験しません。

重力が一種の液体に換わる現実もあります。

そこでは「空(くう)」のかわりに液体重力が満たされます。

物質次元においては、重力波が離れれば離れるほど小さくなりますが、「永遠に届く」というのがポイントです。

つまり、どれほど遠くにある星の影響であろうとも、この地球上に届くということです。

例えば木星が動いたとすると、

質量を持つ物体が動くと重力波が発生するとアインシュタインが言っている通り、その非常に小さい重力波が地球に届きます。

そのサイズが丁度、DNAの構成要素であるヌクレオチドを動かします。

星の動きは、ちょうどいいサイズとなって、DNAに影響を与えるから、どんなに遠くの星でも、今日の「わたし」の機嫌や体調に影響を及ぼすともいえます。

ただ、企保天気手には、すべては自分の意識の中で起きていることの繁栄に過ぎませんので惑星の動きが私たちに影響を及ぼしているというよりは、私たちの内側のものが、外側に「現実」として反映されているとも言えます。

あの星空に浮かぶ惑星の動きと私たちの体内のDNAのON/OFFがちょうどよい位置関係にあるっていうのが、完璧にバランスされています。

振動数について

身体を調整するなら40~100ヘルツ

地球には「シューマン共鳴」という音があり、地球自体が持つ振動数があります。

極々超長波という、とても長い音の波が地球一周の距離の整数分の1になった状態を指しますが、

簡単にいうと地球とハーモニーが取れている状態です。

振動数も周波数も全て音ですからすべては、波の「関係性」にあり、人間は鼓膜が共振してキャッチできる範囲を「音」として耳が認識して、網膜がキャッチできる範囲を「光」として目が認識しますが、結局すべてはただの振動数なわけです。

そして、人間には感知できない「振動数」があります。

例えばラジオの電波は「耳」では聞こえませんが、確かに波はあります。

その音の波はお互いが整数倍になると調和します。

地球との協和音「シューマン共鳴」は、7.83Hz(一次)、14.1Hz(二次)、20.3Hz(三次)。

この周波数を聞くと地球と共鳴しやすくなります。

ただ結局信じている人にとっては効果が出ますし、信じていなかったら効果は出ないようです。

周波数そのものより、それについてどのように信じているかということの方が大きいです。

DNAの調整が目的なら、私たちがガンマ周波数と呼んでいる1秒40~100サイクル、すなわち40~100Hzくらいの周波数の方がよいでしょう。

ただし、基本的に一つの周波数が多くの人に会うことはあっても、万人に当てはまるということはありません。

進んだ生命体では「音」をさまざまな分野に使っています。

医療、建築、乗り物の推進力など多岐にわたります。

星の古代ピラミッドの建設でも特定の音を使い石材を浮かせて運びました。

ところが、今の地球では、1939年に国際標準音というのがロックフェラー財団に制定されてしまって「平均律」ちおう気持ち悪い音が主流になってしまいました。

平均律」というのは、1オクターブを数字で12等分したものです。

音の波同士が、整数倍の関係ではないわけです。

かつての音楽は、音を「割る」のではなくて、音の波が整数倍で重なるようになっていました。

ハーモニー、お湯するに「調和」が大事にされていました。

しかし、便利だからという理由で、現代の音楽の99.9%は「平均律」になってしまっていて、音の波同士が調和していません。

だからそれを聴く人も「不調」になります。

平均律にしたことで、つながらなくてもいいところがつながってしまいました。

すべての物質は固有振動数で震えている

全ての物質は「固有振動数」というものを持っています。

一人一人がそれぞれの各部分の周波数の集大成、あるいは集合体から成る、その人独自の固有振動数を持っています。

その物質的な周波数と、「ワクワクによって波動を上げる」という周波数は同じ話で、

ワクワクでシグネチャー周波数は上がります。

つまり、ワクワクしたら、この物質である肉体の振動数が上がります。

また、シグネチャー周波数の中にはあなたの肉体の周波数も含まれています。

人はだいたい1秒間に17万6千回から22万回の振動数の間を変動しています。

ブッダとキリストは毎秒20万回です。

33万3千という数字が物質次元と非物質次元の「閾値」になります。

肉体のギリギリの限界は33万3千回です。

これは正四面体の構造です。

密度と振動数

第3密度:約60000~150000回

人類の平均は約76000~80000回/秒

ブッダやイエス、クリシュナは200000回/秒以上

初期のアトランティスは平均約140000~150000回/秒

移行領域:約150000~180000回

ムー/レムリアは平均約170000~180000回/秒

第4密度:約180000~250000回

ピラミッド内で行う儀式で、最大約200000回/秒

意向領域:約250000~333000回

バシャールは約250000~290000回/秒

ここまでが物質界

第5密度:約333000~500000回以上

一緒にいる皆をワクワクさせたら、その人たちの振動数も高くなります。

自分の本質とつながることができれば、その人の周波数は上がります。

自分の一番楽しいことをして、自分の周波数を上げれば、自分の分化が変化することで体内でよりシリコンが生成される割合が高まる、あるいはシリコンを吸収できるようになります。

これは「クォンタム・プロセス(原子転換)」というプロセスが身体のの中で自然に起きるからです。

最近の地球人はの構成要素は一般には炭素ですが、少しシリコン化された要素を持っている人もいます。

振動数の違いと人間性、行動パターン

人類の平均は約76000~80000回/秒ですが、ムー/レムリアは平均約170000~180000回/秒、ブッダやイエス、クリシュナは200000回/秒以上とこの人間差は何なんでしょうか。

これは一人ひとり個人差はありますが、

一般的に物質的な現実の低いレベルの振動数で生活している人々は、自分自身を力づけるというセルフ・エンパワーメントのレベルと未だに繋がっていません。

これは人生の多くの分野においてそうです。

彼らの決断は、その多くがおおむね恐れを土台にしているため、より強いネガティブな信念体系にもとづいた、より強いネガティブな感情を経験することがあります。

また、彼らは、この物質的な現実が全てであると強く信じている、あるいは、たとえ何等かの宗教やスピリチュアルな信念をもっていたとしても、自分は非力なのだという想いや怖れに基づいた新年を未だに持っています。

たとえば、死んだ後は罰を受ける、といった信念です。

一方、高い振動数の人はふつう、バランスや自由、選択、誠実さ、責任に関連した信念を持っています。

つまり、低い振動数の人はいわば悲観的な傾向があり、高い振動数の人は楽観的な傾向があります。

低い振動数の人は、より困難な状態を生み出すような信念を持つ傾向があり、下向きの螺旋を描いています。

一方、高い振動数の人は、物事を簡単に楽に想像することができるという信念を持ち、上向きの螺旋を描いています。

低い振動数の人は、何かを起こすためには物事をコントロールする必要があると信じています。

一方、高い振動数の人は、自分がすべきなのは、それが起きてくることをただ許すこと、それが起きるのに任せることだと理解しています。

低い振動数の信念体系を持っている人がポジティブな方向への変化を望んでいる時、その変化を大変動、破滅的な形で体験する傾向があります。

一方、すでに高い振動数を持っている人がさらに拡大し、よりポジティブな変化が起きることを望む時には、彼らの持っている信念体系のために、シンクロニシティやミラクルやマジックのような形で変化を体験する傾向があります。

物質的な現実と非物質の現実の境となる振動数は33万3000回/秒です。

死後、肉体の振動数は限りなくゼロに近づきますが、スピリット、霊としての振動数は33万3000回/秒を超え、そしてそれ以上に上がっていきます。

これは個人差があり、

多くは人間として再び生まれ変わってくるとき、自分がその人生で研究していくことにふさわしい振動数になります。

平均的な人として生まれ変わり、平均的なことを探求する場合は振動数はまたある程度低めになります。

しかし、ティーチャーやマスター(仏陀、キリスト、クリシュナなど)として戻ってくるならば、肉体を持っていてもかなり高い振動数になります。

ヘミシンクで振動数を上げるということ

ヘミシンクというのは、それを聴くことによって人は非物質界のことを体験できるようになるものです。

それは振動数を意図的に変えているということです。

しかし、覚えておきたいのは、それを使う人がヘミシンクというツールによって示されている振動数に自分自身の振動を合わせている、ということです。

ヘミシンクやその他スピリチュアルな研究のための様々なツールは高い振動数を提示しています。

しかし、それらは個々人が振動数を変えることを強いるものではありません。

自分の振動数を上げるために、その提示された振動数に自分自身を合わせるかどうか、それは個々人が選択しなければならないのです。

ただ、自分の振動数を上げるために一つのテクニックに惹かれたということは、ほとんどいつの場合でも「そのテクニックによって振動数を上げることを自分が許可したのだ」ということを意味しています。

もし振動数を上げることを許可する意思がないのであれば、そもそもそのようなテクニックに魅力を感じることはないでしょう。

自分の振動数を上げるためのテクニックやツール、儀式などはほとんどすべて、ある種の許可証のようなものです。

「自分の振動数を上げていいんだよ」という許可証を、そのアイデアを使うことによって自分自身に与えているのです。

ヘミシンクを使って相当高い振動数のところまで行くことはできますが、振動数は上がったり下がったりまたてにくにっくを使ってあがったりまた戻っていきます。

そのテクニックを使ってあなたの振動数がより高いピークに達することによって、時を経るにしたがって、全体的な振動数が上がっていきます。

ちなみに2600年前に住んでいたブッタはほとんど第6密度にいて、第7,8,9密度へと拡大しています。

そして、彼のオーバーソウルは、今この時期の地球の変革を援助するために、いくつかの転生を持っています。

ブッタがみなさんに無条件の愛を送っておられるということはいえます。

そして、仏陀最大の願い、それはみなさんが自分自身を仏陀であるとみる、ということです。仏陀はそのような目でみなさんのことをみています。

仏陀のエッセンス、キリストの意識、クリシュナが言っていること、ウォヴォーカが言っていることは本質的に同じです。

振動数を18万回まで引き上げることを選択したほとんどの人は、たぶん再び地球に生まれ変わることは選択しないと考えられます。

もしくは、スピリットガイドとして行動することを選択するかもしれません。

ただ、皆さんの時間で1000年後くらいには、もはや誰も地球上に人として生まれ変わることはなくなるでしょう。

そして、別の生命体が様々なことを学ぶために地球を学び屋として使うようになります。

言葉の力

数霊について

数霊は波動そのものです。

性格には私あっちがいるこの空間すべてに波動性があるのですが、とりわけ、数霊・言霊・音霊・形霊・色霊には強く純粋なエネルギーが流れており、水が高きから低きに流れるように、エネルギーも強く純粋であればあるほど、まわりに与える影響が大きいということです。

つまり、数霊や言霊はそれぞれ固有の波動であり、エネルギーであり、宇宙と共振共鳴する振動コードであるということです。

特に数は宇宙の共通言語です。

どんな時空、次元間に行こうが数は存在します。

そればかりか直観情報によると、普段、私たちが書いている数字の形は、実は宇宙文字そのものであるということ。

1の形から始まり、2,3の数字の形をゆっくりエネルギーを感じ取りましょう。

すーっと流れる1の字

右上にギュッと遠心性の力で上がるとすぐに弧を描き、左下方へ流れ落ちながら平衡に流れる2の字

遠心性拡散力と求心性収縮力が2つ揃った3の字

それぞれに躍動するエネルギー地場があります。

これは言霊や音霊にも対応していますので、エネルギーは様々な形を変えながら時空に影響を与えているともいえまうs。

次に、数霊1・2・3・4・5対応している母音、ア・オ・ウ・エ・イの音霊を宇宙にある4つの力との関連でみていきましょう。

母音ア・オ・ウ・エ・イは宇宙にある4つの力を調える

母音が「ア・イ・ウ・エ・オ」になっていますが、日本はいつも二本立て出すので神道では「ア・イ・ウ・エ・オ」と「ア・オ・ウ・エ・イ」の2つを使い分けます。

神事や祭りなどでは旧暦を重んじるように、「ア・オ・ウ・エ・イ」を用います。

こちらの方が発音する際の口の開け方に一連の流れががあるため、スムーズでかつ自然体です。

この宇宙、自然界に基本となる大きな4つの力があるといわれています。

1つ目、直観情報によると重力とは、地球の中心核から来るエネルギーのことで、そこには永遠の磁性の力があります。

私たちは常にここに引き付けられながら、同様の力で外へと向かっています。

その力の本質は「愛」であるということです。

2つ目、強い力(強い相互作用)、原子核の中身である陽子や中性子の中には、さらに小さな粒子が3つずつ入っています。

この粒子の名前はクォークで、物質を構成する素粒子です。

このクォークたちを、まるでお父さんとお母さんと子供がしっかり手をつないでいるように、陽子や中性子の中のお家に入っていて、家から飛び出さずに結び付けている力、これを強い力といいます。

この力のもたらすエネルギーの本質は、素粒子間を固く結びつけている作用であることから「絆」となります。

3つ目は、弱い力(弱い相互作用)です。

たとえば、中性子だけを取り出すと10~15分たらずで中性子ベータ崩壊を起こし、電子と反電子ニュートリノにわかれ、陽子になっていきます。

このように崩壊・変化していく力のことを弱い力と呼びます。

この力のもたらすエネルギーの本質は、物質を崩壊、変化させていく力であることから、「進化」になります。

4つ目の力は、電磁気力です。

文字通り電気と磁気の力です。

今の私たちの文明はこの力を大いに利用して発展してきましたが、極微の世界においても、原子核の周りをまわっている電子や陽子や中性子とぶつからないのも、電磁気力の丘絵なのです。

この力をもたらすエネルギーの本質は「光」になります。

この自然界にある4つの基本的な力を呼び覚まし、調えていく力が、母音そのものに宿っているのです。

音は振動であり波です。

その中でもとりわけ母音の音は、宇宙にある4つの力を調え、共振共鳴する気(エネルギー)を放っているのです。

母音とセットになって語られる子音は、それを現象化する身(実)をもたらす音霊です。

日本語を話すとき、宇宙の力と共振共鳴しています

宇宙の成り立ちを音で感じてみましょう。

最初に生まれた音は無声音のス。

ス=素・主の音です。

宇宙に流れる風のような音、スーは、まるで神の息そのもの。

よかったら声を出さないス~をいってみてくだしあ。

そうするとだんだんすぅーっとなり、有音声にしたいときはウ~という音になります。

これが宇宙の始まりビッグバンです。

ス(素・主)神から吹いた風がウとなって無から有へと出現したのです。

なのでウという母音は、すべての統合であり、4つの力を皆合わせたものというエネルギー音になります。

次に生まれた音はア。口を一番大きく広げた音です。

根源なる想い、サムシンググレート、神の思いがどんどん大きく広がっていきます。

神の想い、神が顕してみたかったもの、それは愛。

この思いと共鳴するのは重力でした。

ですので、私たちがアーというだけで、実は地球の重力や他の星星の重力とも共鳴し、調えながら愛が広がるお手伝いをしていたというわけです。

次に大きく広げたあの口をだんだん均等に小さくしていくとオになります。

オにしたとき、口の周りの筋肉に力が入っています。

このオの母音と感応しているのが強い力ですので、そこから放たれるエネルギーの性質は「絆」です。

今度は口をだんだん横に広げるとエーとなります。

このエと感応しているのが弱い力で、そこから放たれるエネルギーの性質は「進化」です。

最後、エーの口をだんだんととがらせて前へと押し出していくようにすると、イーになります。

このイと感応しているのが電磁気力で、底から放たれるエネルギーの性質は「光」です。

またイは意でもあるため、私たちの意識や重いといったものの本質が光そのものであるということも教えてくれます。

まとめると、私たちが母音をいうたびに

・ウ 4つの力すべて 統合

・ア 重力 愛

・オ 強い力 絆

・エ 弱い力 進化

・イ 電磁気力 光

といったように宇宙にあるエネルギーを調え、愛や光を照らすお手伝いをしていたということになります。

これは数にも適用されます。

ア=1、オ=2、ウ=3、エ=4、イ=5となるので、

1は重力、愛

2は強い力、絆

3は4つの力全て、統合

4は弱い力、進化

5は電磁気力、光

として、象徴的にそのエネルギーを扱うことが可能です。

私たちが話している日本語は、音が一個一個分かれており、母音の中に子音を含みながら語っていく言語です。

こうしたくっきりとした発音、発声は、宇宙の力と共振共鳴しやすく、まさしく日本語を語っているだけで、大調和の民としての役割を発動していることになります。

また、日本語の持つ周波数は150~2000Hzの低周波数帯に属しており、これは自然界のリズムとも共振しています。

つまり、日本語を話しているというだけで、自然との親和力、調和力が鍛えられ、かつ宇宙の力とも共鳴していくというわけです。

今この瞬間、どの波を選び取り、引き寄せ、惹き合っているのか

ここでワークをしてみましょう。

まず目をつむって自分自身の身体を感じてみてください。

頭や手足を感じられていますか?

次に自分の身体が無くなったとイメージしてみてください。

イメージが出来たところで、ふと立ち止まって、再度、自分自身を感じてみて下さい。

身体が無いのに「自分」はちゃんと存在していませんか?

実はこれがあなたの正体です。

あなたは肉体ではなく、そこに宿っている「意識(魂)」だったのです。

肉体はあなたという意識を表現するための三次元ツールにすぎません。

意識は不死で、カタチにとらわれません。

なので、本当の意味で死はないということになります。

消えるのは、地球服とその機能だけであり、地球服を脱いだ後もやっぱり旅は続くのです。

むしろ、三次元ボディがない分、波動だけになるので「嘘がまかり通らない世界」になり、自らの放った波動がそのまま反映される世界からの学びとなることでしょう。

それを仏教では一念三千世界と呼びました。

また輪廻(生まれ変わり)の観点から六道輪廻(地獄・飢餓・畜生・修羅・人・天)を説き、そこから解脱する生き方の知恵を教えてくれます。

とはいえ、これはボディを失ってから起こるのではなく、たった今この瞬間、私たちは様々な周波数帯を持つ意識階層と共鳴し合ったものを選び取り、具象化させているというのが真実なのです。

引き寄せの法則とよくいわれますが、本当に私たちは引き寄せていたのです。

そしてそれは、どこが引き寄せていたのかというと、自らの顕在意識と潜在意識の中にある波動が引き寄せていたのです。

これらの意識と同調し、共振共鳴してしまう同じ波を、あなた自らが外側にある多様なバイブレーションの中から選択していたというわけです。

ですので、今この瞬間、どの波を選び取り、引き寄せ、惹かれ合っているのかというのがとても大切になります。

一例を上げれば「私はできる」というときは「できる」可能性の高い波模様を多く選び取り「できない」というときは「できない」可能性が大きい波模様を多く選び取ったからこそ、結果的に最初の信念を映し出す鏡として、現象化されていったということになるのです。

同様に、内に恐れをたくさん持っている人は、実際に恐れるようなことが起こりやすいということです。

ならば恐れではなく「愛の想いを選択すれば大丈夫!」ということになるのでしょうが、実は表面の意識だけ愛を願っていても、内側に恐れや不安、嫉妬、猜疑心といった低振動の波がいっぱいあると、その思いが干渉波となって、なかなか愛の現象がすんなりとあらわれづらくなるのです。

となると、やはり心のクリーニングが重要になります。

自分の心を真摯に見つめながら、日々起こる一つ一つに、どういった意識で生きるのか、何をどう選び取っていくのかということに注視するとよいと思います。

私たちは瞬間瞬間、意識のエネルギー模様を創っています。

嬉しいときは高振動の複合波、恐怖のときは低振動の複合波があらわれています。

こうした振動波を調え、より宇宙と親和性のある美しい波模様にもっていこうとする働きが、数霊をはじめとする言霊、音霊、形霊、色霊といった固定の振動コードです。

では次に、周波数帯の階層構造である次元についてお伝えします。

宇宙空間

次元とは何か?

次元とは波長の違いであり、時空間における周波数の相違のことです。

直観情報によると、この宇宙は13次元に分かれ、それぞれ大きく20階層に分かれています。

ただ、この分類は絶対ではなく相対的なもので、意識の拡大や時空間の認識によっても変化していくということです。

次元は上の次元に行くほど高振動になっていくのですが、注意してほしいのは、高次元だからいいとか、低次元だから悪いということはいっさいないということです。

それぞれの次元の特性と役割があり、宇宙における機能をパーフェクトに遂行しています。

この銀河系において私たちが認識できる次元は、今のボディの状態ではだたい9次元くらいまでです(実際は13次元まであります)。

次元は、たとえてみるとスパイラル上の帯のような感じで奇数次元は創造性、偶数次元は構造性と関係が深いみたいです。

具体的に見てみましょう。

まず1次元ですが、1次元とは地球のコアにある鉄のクリスタルの次元です。

ここから発している重力の本質は前述した通り「愛」なので、1次元から発しているエネルギーは重力=愛です。

2次元は核の外からマントルを超えて、地殻・地表までの領域のことを指します。

ここはガイアの意識とも深くつながり、各元素ともつながって、意識に密度や質量、個性をもたらします

3次元は今、私たちがいる領域です。ここでは時間を過去・今・未来といったように直線的に捉え、物質体を持っています。また、物質体の中には、エーテル質のエネルギー体を含んでいます。

4次元は理念、感情の領域です。高次元に繋がるときの窓はこの次元であり、また3次元を表すもとの種となる領域です。

「想いは具現化する」というのは個々の領域がひな型となって現れるからです。

5次元は愛や調和が表現される領域です。

私たちが心底幸せ!と思っている時は、意識はこの領域と感応しあっています。

6次元はもとの種と腫といった領域で、神聖幾何学に基づいています。シンクロニシティが起こるのはこの次元と感応しあっているからです。

7次元はフォトン領域です。光の回廊と関係し、神性意識と深い繋がりがあります。

8次元は銀河の持つエネルギーの質と関係し、神聖なる秩序を保っている領域です。

9次元は銀河の中心にあるバルジと関係し、永遠なる歓喜に包まれた領域で、ここがあなたのスピリットとしての故郷です。

このようにさまざまな機能と役割があるわけですが、私たち3次元世界の住人がすべきことは、やみくもに高次元に望むのではなく、1次元・2次元である地球のコアや地球意識ともしっかり繋がって愛を感じ、敬い、大地と共に生きていく生き方が基本なのではないかと思います。

なお、ここでは1次元から9次元まで説明しましたが、その前の次元、ゼロ次元というのは、いったいどのような次元でしょうか。

実はここが一番のポイントです。

数字でいえばゼロ。色でいえば透明、形でいえば点に当たるところがゼロ次元です。

ちょっとそれらの感覚をイメージしてい観てください。

すべての数字にはゼロが含まれていませんか?

すべての色には透明が含まれていませんか?

すべての形は点が集まってできたものではありませんか?

そうです。

ここが神のいるところ。神(神性意識)は、すべてのものに含まれ、あらゆる次元に染み渡っています。

私もあなたもあらゆるものも、神なるものの表れであり、すべては一つに繋がっています。

一なるものだからこそ、多に分かれ、その自らの姿と遊び、戯れているのです。

我という字は、神の「割れ」でもあり、分け御霊です。

この神の属性をそのまま表したものが1次元の意識となって振動する世界の中にあらわれてくるのですね。

だから、1次元の本質は愛なのです。

こうして次元の回廊、周波数帯の階層的螺旋階段を昇りながら、私たちは今、3次元の周波数領域で活動しているということなのです。

現在、この3次元には静かに高次元の周波数帯が覆いかぶさってきています。

目に見える世界ではこのことがCME(コロナ質量放出)や銀河宇宙船の増大、ヘリオスフィアの活発化、磁場の減少となって顕れていますが、同じ日常がずっと続くものだと決め込んでいる私たちにとっては、あまり実感がないかもしれません。

とはいえ、やがてそう遠くない未来二次元の衝突を迎え、新しい意識、新しい周波数帯の中で振動する地球と一緒に、私たち人類は新たなる旅に出かけることになるでしょう。

このことをアセンション(次元上昇)と呼びますが、これは何も特別なことではなく、蛹は蝶に、子供は大人になるような成長・進化の一プロセスであると考えています。

次元的な観点からみると、現在の3次元領域から4次元領域周波数帯を超え、5次元領域の振動数で予定周波数まで行った後は、いずれ6次元領域まで行くのではないかと推測しています。

そして最終的には9次元の振動数まで上昇して幾のではないでしょうか。

これが弥勒の世(3・6・9の世)ということです。

言葉遊びのように聞こえるかもしれませんが、私たち地球人に秘められた宇宙情報であるDNA内部に刻まれた深い記憶を、直観お導きに沿ってひも解いていけば行くほど、ヒトという種が持つ無限の可能性と未来に驚愕するとともに、これまで無償の愛ではぐくんでくれた地球の深い愛に感動を覚えずにはいられません。

いずれにしても私たちはやがて、新しい振動数の住人となります。

その時、ヒトの身体は、今までの炭素ベースの身体からケイ素ベースの身体へと原子転換され、より多くの現実を同時共振して体感することのできる「多次元体」となっていくことでしょう。

素晴らしい変容期に私たちは今、肉体を持って学ぶことができているのですね。

パラレルワールド

私たちはパラレルワールドの中で生きています。

パラレルワールドで分岐するのは個人個人の振動数によって世界線が分かれていきます。

準備のできた人々は、自分たちの高い振動数をより反映している「もうひとつの地球」で生活するようになり、肉体を持った残りの人生をその地球で過ごすことになります。

しかし、一方、「別の地球」はある意味では依然として存在しており、より低い振動数の人々はそこに存在します。

ただ、高い振動数の「もうひとつの地球」に生活している人々は、より低い振動数の「別の地球」に生きている人々を経験しなくなります。

それは、あなたが変化した時、そして、あなたの世界の中でとても大きな変化があったと認識した時、あなたが世界を変えたわけではないのです。

世界は変わってはいないのです。

「すでにそのような状態であったもう一つの地球」に、あなたがたが他の人たちと一緒にシフトすることになります。

そのどちらの世界も現実で、この世界の中では、誰もが全ての人々を想像しています。

この3次元空間では、目の前にはたった一つの「現実」しか知覚できませんが、高次元では「今」、「同時に」「すべての」3次元立体現実=パラレル・リアリティが重なって存在していて、そのパラレル・リアリティの中からどれを選ぶかは無限(あなたが経験するのは有限の体験なので無限ではない)にあります。

しかし、1秒1秒ごとに自分がシフトするパラレル・リアリティの数は有限です。

なぜなら、そこに時間軸が入るからです。だから有限となります。

さらに言えば、自分の人生に関係のないパラレル・リアリティにシフトすることはありません。

あなたは、ある意味、あなたの現実の中で「あなたのバージョンによる彼ら」を創造しています。

よりネガティブな現実を選んでしまうと、その現実の中では、自分には他にも選択肢があるということを忘れてしまいます。

そういう意味で「レールが離れていく」わけです。

逆に、ワクワクのリアリティにいる人はわざわざネガティブな反対側にはいきません。

そして、ネガティブな人はネガティブなことしか見えなくなります。

2021年から路線が切り替わり、

独自の周波数を持った沢山のパラレル・ワールドは2015年から年を追うごとに加速しながら、お互いから離れていき、ついには、自分の波動が選んだ一つのパラレル・ワールドしか体験できなくなります。

それぞれのパラレルの現実の世界がどんどんどんどん離れていって、お互いがお互いを体験することは少なくなっていきます。

2025年から2035年ごろまでには、それぞれの路線は非常に遠く離れてしまいます。

「2015年から離れていく」という表現がどうしてそうなるかというと

私たちは皆さんの全般的なエネルギー状態をよみます。

それを皆さんの現実に直すと、タイムラインとして表現できるのです。

今、より多くの人が特定の方向に加速している状態をこちらで読み取って、それをタイムラインに置き換えています。

例えば、あなたが車を運転しているとしましょう

時速30マイルのスピードで走るとすると、1時間後には30マイル先に到達しています。

ところが突然、時速60マイルに加速したとします。

そうすると、30マイルの地点に到達するのは半分の時間です。

このようにエネルギーの増加をタイムラインに置き換えて表現することができます。

結局は全て、今のあなたが、解釈しているのです。

たしかに、すべてのものはすでに存在していますが、だからといって、パラレル・リアリティを進むうちに、パラレル・リアリティが離れていくわけではありません。

あなたが別のコースを選んだときに、離れていくように感じるのですが、実際はすでに存在していた別のコースを進んでいるだけです。

「ネガティブな地球」「ポジティブな地球」が離れていないという視点の私もいます。

ただ、多くの人が、そのような現実に自分が存在することを計画していません。

あなたが想像できる、ありとあらゆるタイプの地球が同時に存在します。

地球自体が自滅してしまったという現実もあります。

あるいは、地球が太陽系の中に最初から存在していないパラレル・リアリティもあります。

パラダイスのような地球のパラレル・リアリティもあります。

ありとあらゆるバージョンの地球が存在しています。

地上の人間探求しているテーマに関係のある地球のバージョンの数は有限ですが、無限に地球のバージョンはあります。

人類にとって重要な選択肢として考えられるバージョンは、たくさんあります。

つまり、選択肢はたくさんあるものの、その人にとって意味のある選択肢から一つの道を選ぶので、無限の中から選ぶのではなく、有限の選択肢から選びます。

ただ、その有限の数値があまりにも大きいので無限のように感じるかもしれません。

なぜ私は私?

物質的な世界の中では、すべてが幻想です。

1一般的な「わたし」という人格。心理学でいえば表層意識

2その「わたし」を私だと思いこんでいる「真の私」永遠の鑑賞者

3鑑賞者としての私が分離する前の「すべてなる私」または「ひとつなるもの」

この「わたし」よりも小さい私だって本当は存在しています。

「私」というのは63兆個の「私たち」という細胞の集合体です。

ひとつの意識を共有しつつも、それぞれ個性があります。

何かを観ている時には「私」という観点から見た経験をしているのです。

相手も当然、その人の観点から見た私を経験しています。

高い次元では私たちは全員がひとつですが、その「ひとつ」がいろいろな「個」を体験することを選んだということです。

「他人」=高い次元における「大いなるすべて」=わたしとなるのです。

この現実でどんなことを体験するにせよ、あなたは、あなた自身を「大いなるすべて」として体験しています。

それはちょうど他の人々が自分と交流していると認識するために、あなたの現実の中で、ほかのすべての人々の肉体をあなたのバージョンで創造しなければならないのと同じことです。

しかし、あなたが経験すること全てにおいて、あなたの現実の中で彼らを経験するためには「あなたのバージョンによる彼ら」を創造しなければなりません。

自分だけが自分にとってのリアルで、あなたの現実においてはそうです。

それは他の誰にとってもそうです。

すべての創造において、存在しているのはただ一つです。

あなたが自分自身を一人の個人として認識するときにも、実はあなたは「ひとつなるもの」そのものであり、それが自分自身をある見方、ある特定の視点から見ているのにすぎません。

そして、その特定の視点こそが、個人としてのあなたを表しているのです。

例えるなら、あなたは今、多くの鏡に囲まれている部屋の中央に立っているとします。

そのとき鏡に映し出されている一つ一つのイメージ、それぞれの鏡を、別々の個人と見なすことができます。

「ひとつなるもの」の視点から見ると、そんなふうに見えるのです。

つまり、「ひとつなるもの」は自分自身を無限の数の反映、映像、投影として経験しているのです。

そして、投影自体も自らを自律的な個人個人であると認識しているのです。

進化の中で経験するすべての段階は実は同時に存在しています。

しかし、もし意識がそれぞれの段階を「時間と空間の経験」の中で、ある順番に経験することを選択すれば「自分は進化している」という風に言うかもしれません。

その経験はリアルなものです。

つまり、進化しているという経験そのものはリアルなのですが、それぞれの意識の段階は、実は「すべてが同時に存在」しています。

ですから、それぞれの段階を逆戻りに経験したり、すべてを同時に経験したり、それぞれの段階のこれを経験してからあそこを経験して、それからここ、そしてあそこ、というように、望み通りにどのような順番でも経験できるのです。

これは人間だけでなく、あらゆるもの宇宙がすべて経験できます。

そうすると、すべてがもうすでに存在している状態ですが、存在の経験はユニークで独自なもので、それぞれが違っている、ということがありえます。

「未来は未定だ」という言い方はよくしますが、それは嘘でもあり真実になります。

くりかえしますが、すべての可能性が存在しています。

ただ、あなたがどの可能性を選択するのかは決まっていないということです。

それはテレビを観るときのようなもので、多くの番組があって、同時に存在していたとすると、あなたはたぶん、この番組、あるいはこの番組と決めてみるでしょう。

でも、だからといって、他の番組が存在していないわけではありませんよね。

そうすると、今この瞬間にいろいろな自分が同時に存在している、ということになるわけです。

さまざまなバージョンのあなたがいて、あなたの魂の様々な表現あるのです。

なぜあなたが今、この自分を顕在意識的に認識しているかというと、それは今のあなたが他でもない、このあなただからです。

もう一度言いますが、

このパラレル・リアリティは幻想ですが、宇宙のすべてが投影です。

けれども、その経験はリアルなもの、現実のものです。

あなたが、さまざまな宇宙が並行して存在している現実を作り出しているとしても、lそれはやはりすべて、その概念を表現するために、あなたの意識の中に作られた便利な構造に過ぎないのです。

すべてはあなたの意識の中で起きているのです。

「ひとつなるもの」「大いなるすべて」という存在が自分自身を経験しています。

「ひとつなるもの」が自分自身を経験する方法は無限にあります。

「ひとつなるもの」は、さまざまな経験をすることによって自分自身を知ることができるのです。

あなたがもっている、学びたい、もっと知りたいという切なる想い、求める気持ちは、「ひとつなるもの」がありとあらゆる方法で自分自身を知りたいと強く願っている気持ちなのです。

完全に絶対的に一つであるときには、何も投影がない、何も映し出されていないので「知る」ということがありません。

投影が作り出されて初めて「知る」ということが生まれるのです。

別の言い方をすると、あなたが「ひとつなるもの」という唯一の存在である時には、ほかには何もなくて別のものとの関係性がないので、何かを「知る」ということはありません。

「知る」という経験がないのです。

そのままの状態でただ存在しているだけなのです。

しかし、もしあなたが自分自身の反映を作り出したなら、そのとき、それが何であるのか、それがあなたとどのような関係にあるのか、その関係性はあなたにとって何を意味するのか、などを知りたいというニーズも作ったのです。

これが「天地創造」なのです。

それはなぜ知りたいと思ったのか。

「ひとつなるもの」が「ひとつなるもの」であるために、そうせざるをえないのです。

「ひとつなるもの」が実際に一つであった時には、ただひとつなので「知る」という必要性が全くありません。

ただ「ひとつなるもの」が「すべて」になるとき「ひとつなるもの」が自分自身を知るための唯一の方法は、その「すべて」を知ることなのです。

「ひとつなるもの」が他者になってしまったとき、他者を理解しなければ自分自身を理解得できません。

「ひとつなるもの」がひとつであるときには「知る」ということが必要ないのですが、ふたつになったときには、自分たちが「ひとつなるもの」の一部なのだということを理解するために、お互いを知る必要性が出てくるのです。

ただそれは人間が考える「何も知らない」という状態とは少し違います。

「知る」という感覚が全くない「ただ在る」という状態なのです。

「自分以外の何も存在していない」というコンセプトを人間の意識が把握するのは難しいでしょう。

実際、「ほかに何もない」という状態には「ほかに何もない」という想念すらないのです。

宇宙の始まり

私たちが存在している宇宙は、かつての小さかった宇宙と、今でも同じサイズの小ささであり動きはありません。つまり、ビッグバンと「宇宙の拡大」は幻想です。

それらは、特異点の中で起きているからです。

本当はビッグバンというよりは、ビッグシャッター(粉々になる)と呼ぶべきでしょう。

特異点が自らを特異点であると認識した時に、無限のポイントに粉々に分かれていったということです。

特異点がばらばらに砕けて、同じ性質の特異点がたくさんできたのではありません。

そうではなく、特異点が持つ「無数の側面の点」に粉々に分かれていったのです。

宇宙が始まる前の「ザ・ワン」というのは、説明できません。

なぜなら「ザ・ワン」を説明するためには「ザ・ワン」じゃないあなたが必要だからです。「説明するもの」と「説明されるモノ」の。

だから、「ザ・ワン」の「外」というのはありえないわけです。

「大なるすべて」は「ザ・ワン」のひとつの側面です。

マトリックス」という映画のワンシーンに、中央制御室のようなモニタールームがあって、底には沢山のモニターがあります。

無数にあるモニターこそ「わたし」や「あなた」や「そなた」「どなた」で、中心で全てを「真の私」が見ている。

それはどちらかというと「大いなるすべて」に近いです。

すべてのパラレル・リアリティとその中のすべての人格とすべての宇宙で生きています。

「大いなるすべて」が中央制御室でいろいろなスクリーンを見ている、いろいろなパラレル・リアリティを経験しているという例えでいくと、モニターのスイッチを全部消して、電気も消して寝に行く。すると、それが「ザ・ワン」です。

観測が始まった瞬間に、まず「観測者が」があらわれます。

だから「大いなるすべて」は「ザ・ワン」の一側面ということです。

ザ・ワン」は常に存在し、「ザ・ワン」と「大いなるすべて」は同時に存在します。

ですから、本来は観測する前や後ろはありません。

そして、電気が消えるだけではなくてねに行かないといけません。

観測者すらいない状態が「ザ・ワン」です。

あるいい方をすれば「ザ・ワン」というのは「意識がない状態だ」ともいえます。

世界はトリニティ:「3」の法則でできている

ザ・ワン」「大いなるすべて」「私」この3つの要素は同時に生まれます。

宇宙の始まりは「3」です。

「観測するもの」と「観測されるモノ」が現れると同時に「観測」という行為を「ザ・ワン」が手にします。

現実は、二元性、つまりデュアリティではなく「トリニティ」です。

3つがひとつになっていて、二元の世界はありません。

ネガティブ、ポジティブ、中立のトリニティです。

「聴くもの」「聴かれるもの」が分離したと同時に「聴く」という行為を獲得し

「さわるもの」「さわられるもの」で「さわる」という行為を獲得します。

すべては3つがセットで同時に現れます。

その前に1と2というものありません。

すべてがトリニティで、3です。

創造とは3つが構成要素になります。

ただし、少しポジティブの方に傾いています。

なぜかというと「ポジティブ」にいる「中立」と「ネガティブ」を選ぶことができます

「中立」にいると「ポジティブ」と「中立」と「ネガティブ」を選ぶことができます。

「ネガティブ」にいると「ネガティブ」だけを選ぶからです。

したがって、想像はほんの少しポジティブの方向に傾いています。

ポジティブに少し傾いていることが、時間のベクトルを体験することを可能にしています。

時間にもポジティブ、中立、ネガティブがあり、時間もややポジティブに傾いて作られていくので、皆さんの現実では時間は先にしか進まないと感じます。

本当は、時間は後ろに進むこともできます。

少しだけプラス方向に傾いているから、時間は進むわけです。

3つの脚で初めて椅子は安定します。

この物質次元の安定する基本的な形が三角形です。

2次元では三角形、3次元では正四面体です。物質現実の基礎となるテンプレートです。

ですから、亜電子であるクォークは3つがひとつの単位になって出てきます。

3つの目の要素が「行為」「概念」「説明」「ルール」ともいえます。

「悟り」は起こせる

起きるすべてがきっと良いこと

エゴは「すべてがコントロールできている」とういことを知っています。

しかし、ネガティブなエゴは、すべてがコントロールできているということを知らないので、コントロールしようとしてしまうのです。

目の前の「現実」は「すでにコントロールできている」と気づけるか「コントロールできていない」と幻想を見るか。

だから、起きているすべてを信頼するのが一番です。

この状況を選んだ私の夢が、今かなっているんだからです。

起きたことの意味が「わたし」にはわからんくても「起きたことには、必ずポジティブな意味がある」というスタンスでいると、必ず何らかの学びや恩恵を得ます。

たとえ、嫌なことが起きたとしてもです。

「わたし」はただ「良い」「悪い」と定義づけているだけなのです。

本来は起こる出来事に意味はありません、ニュートラルです。

「大いなるすべて」がすべてを体験しているのではなくて「大いなるすべて」がすべてです。

存在の構造は変わりません。

しかし、構造の経験は常に変化します。

「大いなるすべて」は、すべてであり構造でもあります。

しかし、経験は決して終わることがないので、「大いなるすべて」の経験も終わることもありません。

もし「大いなるすべて」が全ての経験をし終えたら、すべてが停止します。

でも「大いなるすべて」が「すべてある経験」を経験することは決してあり得ません。

つまり、終わることがないです。

「経験」が「経験」自体を、経験しつくすことはできません。

「大いなるすべて」にとって、この「わたし」は考えられないくらい大切なものであり、重要でなければ、今、あなたは存在しません。

偶然存在しているものはないのです。

もし、あなたが存在していなかったら「大いなるすべて」は「大いなるすべて」ではなくなってしまいます。

ということは「わたし」というのは「大いなるすべて」の夢をかなえている存在だともいえます。

自由意志さえも「大いなるすべて」の意志

あなたは、物質次元で人生を送ることを、あらかじめセットアップしてきました。

ただ、人生をどう体験するかについては自由意志があります。

なぜならあなたの意志は、そのまま「大いなるすべて」の意思だからです。

あなたは「大いなるすべて」の独特な側面ですから「大いなるすべて」は、あなたの決定に反対することはありません。

なぜなら、あなたの自由意志は、あなたの独自性と沿っていて「大いなるすべて」はそれを「あなた」として体験したいと思っています。

ですから、「大いなるすべて」の自由意志とあなたの自由意志は同じで、矛盾はありません。

ネガティブなエゴが「こんな現実は望んでいない」と言っていてもそれでも選んでいます。

ネガティブな現実を自分で選んだことを、ネガティブなエゴが否定しているだけです。

なので、結局この次元の「わたし」からすると2つの道があります。

一つ目は「これは自分が望んだ現実だ」とちゃんと認識すること。これは「感謝」と呼ばれている状態

二つ目は「こんな現実は、自分は望んでいない」と不平・不満をいう状態。

どちらも本人が創造したものであることは間違いありません。

意識的に選択したわけではないにせよ、本人のパーソナリティから生まれてきたものです。

その状況を変えるための最初のステップは、まず、自分がこの現実を創造したことについての責任を引き受け、自分のものにするのです。

自分のものにできないものは変えられません。

結局のところ「わたし」と「大いなるすべて」のベクトルが一致している時に「感謝」という感情が湧きます。

「これは私が望んでいたことだ」と気づいたら、誰だって感謝すると思います。

現状を受け入れるか、受け入れないか。

さらに言えば、「わたし」と「大いなるすべて」が分離していない状態の時に、感謝というエネルギーが発生します。

それに対して「不満」のときの、イライラ感のようなネガティブな感情は「大いなるすべて」との間に分離(分離という幻想)が起こっているわけですから、ソースと離れて安心するエネルギーが少なくなった状態といえます。

すべてのものが「今」存在してます。「今」しかありません。

ザ・ワン」は経験することができないのです、だから、自分に反射してきたものが意識です。

ザ・ワン」は比較する対照がないので自分を認識できません。

別の存在ができて初めて、別の存在と自分を比べて「違う」と、自分自身を認識できます。

その認識が意識のことです。

つまり意識とは「自らを反射している存在」のエネルギーともいえます。

ザ・ワン」は気づきを持てません。

そのことを体験することすらできないので、自分が存在していることもわかりません。

だから、意識がなくなるということも不可能です。

「あなた」は必ず意識によってできていて、いつでも存在しています。

存在しなくなるということは不可能です。

完全に意識がなくなるというのはありえません。

自分の本質に「ゆだねる」と悟りはおきる

悟ることを許すことは誰でもできます。

自分のエゴとハイヤーマインドの周波数が調和されれば、悟りはおきます。

それは皆さんが、「ゆだねる」と呼んでいるものに似ています。

「大いなるすべて」の波動がその人のパーソナリティを通して表現されますが、どのような表現であれ、それにゆだねるということです。

特定のものに感謝するのではなく、目の前に起こっていることのすべてを「認める」

ありがたいなぁと。

一人一人は「大いなるすべて」が表現されたものですから、その表現を許すことは、その人の本質に委ねていることと同じことです。

だから自分の本質にゆだねると悟りが起きるのです。

また、悟りとは「あるがままに見る」ということもできます。

幻をみるのではなく、物事をありのままに見る。それが悟りです。

存在の本質を見るのです。

自分が最も情熱を感じることを、能力の限り行い、特定の結果に固執しないことです。

すると、自然と存在の本質が見えるようになり、悟りに近づけるでしょう。

なぜならば、最も情熱のあることをしている時は、自分の本質に正直になっているからです。

自分の本質に正直でいる時は、創造との調和がとれています。

創造と調和されている状態において悟りとは、物事の見え方であるといえます。

そのときは、物事をより明確にみることができるようになるでしょう。

それは例えていいうなら、山の山頂にいる方が、山のふもとの谷より遠くまで見渡せるのと同じことです。

それが悟りです。

だから、地球の色々な国において、悟りは山頂に例えられることが多いのです。

悟ると自分という感覚が拡大する

悟ると「私」を失う、というより「私」の感覚がかわります。

ただし、それはもう、自分自身にフォーカスを向けていたものがなくなるかもしれません。

逆に、自分という感覚はもっと大きくなります。

自己中心的ではなくなりますが、やはり自分という視点から物事を見るので自己という感覚は残ります。

ですから、悟っていない人は「これが私です」という表現をするかもしれませんが、悟った人は(手を大きく広げて)「これが私です」と言うでしょう。

「私は全ての人であり、全ての人が私です」という感覚になります。

視野は大きくなっても、自分の視点を失うわけではありません。

皆さんの星では「大いなるすべて」と一体になる、あるいは「神と一つになる」という表現が使われますが、自分の視点を失うわけではありません。

「おおいなるすべて」や神の視点から物事を見られるようになるのです。

今の時代は、そのように視点が大きくなっている人がこの地球上で増えてきています。

今、地球に生きている人が全員悟るというわけではありませんが、そのうちいつか、その地球上に生きているすべての人たちが全員悟っているという地球が誕生します。

悟らないという選択をした人たちは、自ら選んだバージョンの地球、彼らのパラレル・リアリティで暮らすことになります。

奇跡とは、本来は物事の自然の秩序です。それがただ目に見える形で現れただけです。

奇跡は物事の自然な姿なので、本当は奇跡というものはありえません。

奇跡こそが、本欄委の自然な状態です。

今、この地球上では毎日のように奇跡が起きていますが、ほとんどの社会では奇跡が起きないように抑圧されています。

本来なら奇跡は、もっともっと起きていいはずなのです。

宇宙のリズムで生きる

自らが放ったバイブレーションを愛で満たし、美しいエネルギー模様を描きながら、宇宙のリズムに沿って生きるコツを伝えます。

それには大きく分けて3つあります。

一つ目は直観力を磨くことです。

二つ目は心と体を浄化(デトックス)して、上質な波形をつくり、宇宙の高エネルギーと同調、共振させることです。

化学物質や経皮毒、農薬や添加物、有害な電磁波、ストレスなどに気を付ける必要があります。

水を飲むこと、太陽エネルギーを浴びることも有効です。

三つ目は、愛を選択して生きるということです。私たちの行動は究極的には、愛か恐れかの二者択一です。私たちはそのどちらをも選ぶ自由があります。

本当は恐れ自体にエネルギーはありません。

恐れに力を与えているのはあなたの信念という低振動磁場であり、恐れとは愛が枯渇している状態、もしくは分離感のことであり、その実態は幻だったのです。

意識しようがしまいが、私たちの中にはゼロ次元がしみ込んでいるように、ヒトの本質は愛そのものです。

この原点に立ち戻ると、おのずと観自在になり、さまざまな周波数と共に振動することが可能になります。

つまり、日常で会う一つ一つのことを、愛の想いをベースにして生きるのです。

愛をもって思い、愛をもって語り、愛をもって行動するということ

ここに集約されています。

終わりに

というわけで、いかがでしょうか。

このジャンルは完全にワイ自身が「こう」というよりかは

宇宙存在からのメッセージをそのままぱくって作成しております。

おまけ:数霊1~9

1:ヒ・フ・ミのヒは「火」であり「霊」

ヒト・フタ・ミのヒト「人」であり「霊止(ヒト)」。

「霊止」は玉し霊が肉体に宿った状態であり、その玉し霊こそが神(大自然)からの分けミタマ。まずは自分の存在が宇宙にあることからすべてが始まります。

唯一無二の存在として

2:ヒ・フ・ミのフは「風」。霊止である一人一人が世の中にどのような風を吹かすかで、国家の進む方向が定まってきます。風は何色でしょうか?世を想い、ヒトを想って自分らしさで吹かせる風は、愛のこもった自分色です。

陰陽、火と水、男と女といったように、二極に分かれることで現実界へ現れていきます。

3:ヒ・フ・ミのミは「水」であり「身」。三次元の肉体世界は、身(体)をいかに使うかで発展する世界。その働きを左右するのが「体・心・霊」のバランスです。「身」に流れる「水」が清らかであれば体・心・霊が一致した三位一体。3の性質としては「調和」「安定」

2極に分かれたものに新たなる1極の力が加わり、発展させていく資質を持っています。

4:1・2・3で自身を立たせ、4からはいよいよ世に向かって出航です。漢和辞典で「シ」と読む感じを探すと、その数は220を超します。言霊として「シ」は重要であり「4合わせ(4+4)」がやがては「8」を最高の数に持ち上げることになります。

4の性質は「可能性」「成長」

ヒ・フ・ミが合わさって世(4)となる力の基礎数です。

5:桜や梅の花ビラは5枚。ヒトデの姿やオクラの形は五角形で、梨の種は5つ。5は大自然そのものを表す数であり、3方陣の真ん中にあるように中心を示す数です。

6:「結ゆ」と申します。一桁の整数で、因数に奇数(2)と偶数(3)の両方を持つ唯一の数のため、結びつける働き。また6は形霊として胎児を表すように産まれる力(=産霊)のエネルギーを持ちます。キーワードは「愛」です。

物事が生成する結び(産霊)(ムスビ)が整う数霊で横の働きを示し、安定化をもたらします。

7:ドレミファソラシ、日月火水木金土、古代七大金属のように、人は古くから7を一区切りにすることに利用しました。七大不思議もその一つです。

したがって、7は「一揃いした」「一巡した」ことを表す性質です。

その働きは循環です。

一つの完了は次の大いなる飛躍を意味する神秘的でパワフルな数霊力を持ちます。

8:八雲立つ出雲八重垣妻ごみに.....八重垣、八百万、大八州、など、8は八方を治める尊い数として太古から敬われてきました。

徳川家も「葵」の紋以外に8を簡易的な印として使用していたらしく、それが名古屋市の紀章にもなっています。

8は生成化育のエネルギー。「葵」も8になります。

末広がりに広がりゆく数霊です。

9:3方陣は1~9までの数で成り立ち、もっとも簡素化されたマンダラです。

方陣を発展させた9方陣は1~81(光)までの数でミロクの世を表しており、そのもとになるのが9です。9は社会や国家をまとめるための豊かさと教養を示す数です。

また9は龍神と深い縁を持ちます。

一の位での最高数を示すため、1~8までのすべての要素を内包し、完成へと向けて完結を支援します。

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