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現代の「チ。」木星から地球が生まれ、金星は4000年前に誕生。ガバガバのアカデミズムが主流で揉み消される太陽系の生い立ち

アニメ作品の「チ。」、地動説が異端とされて、研究したら殺されるけれども信念をもってそれを伝えようとする人たちの物語を描いた作品があります。

この作品を視聴する現代人が「中世は地動説を否定すると殺されるとか狂ってるなワロス」と眺めている姿に嫌気がさします。

「いや、現代も別に変らなくね?」と思うわけです。

何故なら、現代人も宇宙が超重力理論で成り立っていると妄信しているからです。

そして、拷問はないですけど、核心に迫ると命に関わるのは現代も変わりません。

ところで、皆様は、宇宙について理解しているのでしょうか。

現在は教授たちが断言したことが、最新の調査で嘘だと証明されて自分たちの地位や名誉が落ちることに必死になったり、

NASA既得権益独占のため、核心部分はUFOと同時に秘密にしていたりします。

そこで今回は、庶民が知りえる範囲での太陽系の全容についてやっていきたいと思います。

これが本当の太陽系

前提:NASAは真実を公表しない

基本的にNASAは「地球外生命体探したけどいない」というほどに、宇宙に関しては総じてシークレット状態です。

これは、前回のUFOの件と同様です。

今回の記事もNASAの情報源ではないところからソースを持ってきています。

どの分野を調べることにしてもそうなのですが、その分野の主流派と言われている説じゃない方を調べることが先決です。

主流派が偽物である分野というのは権力者がひた隠しにしたい秘密が存在しております。

それではこのシークレットゾーンを紹介していきます。

プラズマとは?ビッグバン理論は否定

宇宙空間においては全宇宙の質量の99%以上がプラズマであり、プラズマは最もありふれた物質の状態です。

プラズマは荷電粒子群と電磁場が相互作用する複合系です。

粒子の運動は電磁場を変化させ、電磁場の変化は粒子の運動にフィードバックされます。

プラズマは固体、液体、気体のいずれとも異なる特有の性質を持つため、物質の第4の状態ともいわれます。

要は、高度に電離化したソリトン状態のことを指します。

その状態が加速されれば、プラズマは自ら可視光線を放射するようになりますが、その状態のプラズマは非常な高温状態となり、超高熱プラズマともなると、軽く摂氏4000度を超え、理論上は無限大温度にまで達するといいます。

狭義のプラズマとは、気体を構成する分子が電離し陽イオンと電子に分かれて運動している状態であり、電離した気体に相当します。

電離層太陽風星間ガスなどがプラズマ状態であり、宇宙の質量の99%以上はプラズマ状態です。

人工的には、レーザーマイクロ波の照射により気体を電離させることで生成され、プラズマプロセスや原子核融合など、多様な工学的応用がなされます。

地球上では、電離層(太陽からの紫外線により、地上から100km付近の大気が電離しプラズマ状態となったもの電離層は中性大気とプラズマが混在する弱電離プラズマである。などが代表的です。

また、燃料酸化によって高温となり、燃料の一部が電離してプラズマ状態になっています。

ろうそくの炎が高電圧をかけた電極に引き寄せられるといった簡単な実験を通して、プラズマの存在を身近なものとして理解できます。

オーロラ太陽風から供給された電子線地磁気に沿って降下し、電子線によって励起された大気中の酸素窒素が発光する現象になります。

「大気プラズマ学」では、宇宙から飛来する様々な電波や宇宙線の交差が、大気中にプラズマを発生させるとしていますが、それが火の玉であり、人魂と呼ばれるものと同一現象だとします。

他に雷の一種の球雷もプラズマということになりますが、大気プラズマ学では、それらのプラズマ現象はすべて大気圏内だけで起きる現象という範囲に限定されています。

ところが最近は、真空や宇宙空間でも、大気プラズマと呼ばれていたプラズマ現象が起きることが確認されており、そうなると、今の大気プラズマ学というのは、将来的にはさらに大きな範囲を統括するプラズマ学の主流となりえるかもしれません。

なぜなら、電磁気力と背中合わせのプラズマは、これまで宇宙を構成する要因と考えられてきた重力に代わり、宇宙の根本構造として重要な要因になる可能性があるからです。

宇宙がプラズマの電磁力で支配されているとすると、従来の重力で支配される宇宙の基本構造理念が一転することになります。

そうなると、1970年にノーベル物理学賞を受賞したハネス・アルヴェーンが唱えたように、プラズマが全宇宙の99.9999%以上を占めることになり、宇宙が「ビッグバンなし」でも誕生した最新理論を説明できることになります。

プラズマがかかわれば、大爆発を起こして宇宙が拡張したという重力重視のビッグバン理論がなくとも、古い星々に金属物質などの重い元素が大量に含まれる説明も付くようになります。

例えば、過去の世代の恒星が超新星爆発を起こすだけでも、重い金属物質を宇宙に生み出すことができ、実際に宇宙観測ではそうなっています。

仮にビッグバン理論が正しければ、古い世代の星々がビッグ・クランチ(超圧縮)を越えて生き残れるはずがなく、超新星の爆発だけで、超重量の金属元素を作り出せる以上、巨大な宇宙的大爆発がなくとも構わないことになります。

更に、銀河宇宙のメカニズムについても、渦の中心部に向かって流れ込む凄まじい電流と、大銀河の回転軸に沿って流れだす電流の相互作用がかかわることで、あの巨大な渦巻きのメカニズムの説明ができ、最終的には電磁気が銀河全体をプラズマボールとなり覆っている構造も明らかになります。

それは銀河が銀河集団の一つを構成し、更に銀河集団が超銀河集団を構成するという巨大プロセスにも対応でき、プラズマの電磁気的プロセスと重力を相互作用させれば、超巨大銀河集団が形成する「巨大な泡のような構造」のメカニズムも説明しやすくなります。

最近も、銀河系全体が巨大なプラズマで覆われていることが観測されており、アルヴェーンの言う「プラズマ宇宙論」は事実を伴った最新理論ということになります。

地球は木星から生まれ、木星は太陽から生まれた

太陽最大の超弩級活火山から噴出したマグマが絶対零度の宇宙空間で冷えて、太陽系最大の惑星を造りました。

これが木星です。

太陽は他にも土星天王星海王星、超冥王星等の巨大惑星を次々と生み出します。

冥王星とは、太陽系をほぼ縦に公転する天体で、まだ誰もその天体を確認していませんが、大きく傾斜した軌道を持つ天体が存在することは19世紀から20世紀にかけて、天皇星と海王星が凄まじい規模の「揺らぎ(重力干渉)」を受けたことから間違いないとされています。

さて、木星ですが、木星も同様に弩級活火山から噴出したマグマが絶対零度の宇宙空間で冷えて、地球を造りました。木星は同様に金星、火星、木っ端みじんに破壊され粉砕されてた惑星フェイトン、惑星ヤハウェなども作っています。

太陽系は、巨大な一つの親族体系を形成していることになり、太陽系に関わるプラズマ生命体である「ハイコスモリアン」の家族が銀河系の北50光年の渦巻きの腕部分に集合していることを意味します。

ハイコスモリアンとは、肉体を持たないプラズマ生命体の総称ですが、それらは核を含む肉体を持った天体なのです。

太陽系の惑星の大きさ比較 | アストロピクス

この惑星比較画像をみると超弩級火山の大きさをイメージしやすいでしょう。

太陽から噴出した超弩級マグマは、その量が大きいほど太陽重力の影響を強く受けるため、どうしても近くに引き付けられることになります。

噴火エネルギーがほとんど同じ場合、噴出量が膨大な分だけ大きな塊は遠くに飛ばないということです。

それは、筋力が同じ場合、10キロと50キロの砲丸のどちらをより遠くに飛ばせるかのたとえで分かりやすいと思います。

小さい軽い10キロの砲丸の方が遠くへ飛ぶ理屈です。

したがって、巨大太陽系の外惑星群が全て質量の重い順番から太陽に向けて並んでいます。

しかし、冥王星だけは、かつては海王星の衛星だったので、木星の大赤班から噴出した惑星ヤハウェ海王星に異常接近した際に、海王星を回る公転軌道から外に衛星カロンと一緒に弾き飛ばしたのです。

冥王星カロンのどちらもが、海王星が火山活動で噴出した衛星ということになり、地球から見れば甥や姪ということになります。

これが「太陽」

プラズマ生命体である超巨大天体「太陽」の創造プロセス

大昔、まだ太陽が暗黒星雲の中で、地殻も核もないプラズマ状態だったころ、天文学的な量の微粒子や星間物質が磁石に引き寄せられるようにプラズマ球体の周囲に集積し、天文学的な巨大な層を形成していきました。

プラズマはすさまじい静電気を発生するからです。

そして、やがてプラズマの発する超高熱の中で、鉱物質はドロドロに溶け始めました。

こうして、遠い過去にブラックホールに吸い込まれた天体の破片や星間物質は、超弩級プラズマ・トンネルを通過した後、暗黒プラズマの出口であるホワイトホールから、凄まじ勢いで噴出し新しい恒星の材料となって生まれかわりました。

ホワイトホールの実在は、最近の現代物理学の範囲では完全に否定されている理論ですが、一度吸い込まれた物質が再び戻ってくることは、アインシュタイン的な相対論の見地から見ても正しいように思えます。

ただ、それを引き起こさせるだけのエネルギーが存在しない以上不可能となりますがそこにプラズマ領域(亜空間)が介在すれば話は変わってきます。

そうなると、微細な星間物質やガスが、プラズマ化した原子核(物質化していない状態の核)の周囲にどんどん吸い寄せられ、次々と成長していく段階で超高熱化し、やがて全体がドロドロに溶けて火の玉と化すのです。

しかし、やがて冷却作用が起こり、太陽全体に溶けていた様々な物質のうち、非常に重い金属物質だけが中心部(プラズマ本体)に沈み込み、最終的にはプラズマを覆う巨大な内核を形成していきます。

これによって、ハイコスモリアンは私たち同様、自分の肉体を得ることになります。

こうして、更に太陽の冷却作用が進行すると、今度は表面に厚い地殻が形成され始め、最終的に原子大陸の上で無数の巨大な火山が誕生し、天体規模の大噴火を開始することになります。

すると、そこから放出された未曽有の火山性物質やガスと共に、膨大な量の水分が水蒸気となって噴出するため、やがて「ノアの大洪水」も比較にならない規模の凄まじい大豪雨が、太陽の全表面にたたきつけられることになります。

こうして、太陽には太陽系最大の超弩級海洋が誕生し、太陽の原始大気圏も形成されることになります。

当然ですが太陽には超弩級大陸も存在し、今では、陸上、海底、天空を含め無数の生物が太陽にも存在していると見る見方が正しいでしょう。

JALNASAではない)、太陽の超弩級海洋を「ダーマ」と名付け、超弩級大陸を「ナタン」と命名していますが、それは正式な名称扱いではなく、あくまでもコードネームとしてです。

ただ、太陽に無数の生物が存在するにしても太陽のもつ超巨大質量下にあるため、私たちが通常思うような状態ではないと思いますが、果たしてそうなのでしょうか。

たしかに太陽は、凄まじいほど巨大な天体です。

直径139万2000キロは半端ありません。太陽系でも他を圧するほど巨大です。

太陽系最大の惑星の木星ですら、直径は高々14万2800キロでしかありません。

その差は、人間の大人と赤ん坊の差よりも大きく、地球などは人間の掌に乗った芥子粒程度でしかありません。

しかし、宇宙は限りなく広大であり、恒星の中には太陽の数百倍もある天体もあり、その規模とスケールは信じがたいほどです。

しかし、それは太陽系の端まで覆う「太陽プラズマ圏」が灼熱化しているだけとすれば、この謎はとけます。

太陽系の最期の有様はアカデミズムが唱えるような理論よりもすさまじく、更にダイナミックで、新たな高次元の現象を引き起こします。

今回は、太陽が核融合炉ではないこと、そして、超弩級海洋「ダーマ」と超弩級大陸「ナタン」に関わる範囲にのみ紹介します。

それは少なくともJPLのトップが、可能性の範囲として太陽が核融合で燃えていないことも考慮していることを表しています。

たしかに太陽はすさまじい質量を持つ天体であり、その重力が半端ではないため、空間が歪み、その結果として莫大なプラズマが噴出する亜空間領域の出入り口にもなっています。

言い換えれば、太陽全体がプラズマで覆いつくされた、一種のあ空間世界の出入り口であり、内面的には人間でも活動できる可能性があります。

どういうことかというと、太陽大気圏の外は別として、プラズマ領域内部では、私たちの知る法則が通用しない世界(亜空間)が広がっているということです。

プラズマについては、人類はやっとその門口に立った程度に過ぎず、プラズマのもつ不可解な性質については、ほとんど何もわかっていません。

特に太陽のようなプラズマに覆われた世界では「特異点」ともいうべき、ある周波数の範囲であれば、人体がプラズマで燃え尽きる危険性もなく、ほとんど地球と変わらない環境が可能となります。

その世界は現代物理学を越えた法則下にあるため、巨大な重力によって押しつぶされる心配も全くありません。

エデンの園」は今も太陽にある
預言者エノクは自ら築いた「エノクの町」と共に天体を飛翔し、最後には太陽の亜空間領域に到達したことが、聖書外典聖書(アポクリファー)の「エノク書(スラブ語)」に記されています。
それは、プラズマの位相にかかわるプラズマ・トンネルを通過したからです。
エノクの町は、ノアの大洪水以前の世界に、地球の磁力線が当時、大接近した天体群の磁力線と交差した凄まじい磁気嵐の中に巻き込まれ、まず暗黒プラズマに覆われた後、本格的なプラズマに覆われ、磁気交差の移動と共に町ごと空中高く飛翔したそうですが、そうなったのは偶然ではありません。
神と聖なる契約があったからです。
こうしてエノクの町は、地球から太陽に向けて移動し、今は太陽の「コロナ外層大気」の内側にある「対流圏(厚さ14万~20万キロ)の中を公転しています。
よって、イギリスの作家である、ジョナサン・スウィフト(1667~1745年)が著した、天空を飛翔するラピュタの原型となったエノクの町は、現在は太陽のプラズマ空域である太陽大気圏の中を、ある一定の速度で公転しながら、再び地球に舞い戻る時期を待っています。
プラズマ領域は亜空間なので、内面的には太陽のもつ巨大な質量で潰される心配は全くなく、エノクの住人も太陽表面に降りて様々な活動をしていると考えられます。
太陽にも海洋や湖や川ばかりか、巨大なジャングルや林もあり、生命活動も盛んに行われています。
酸素は豊富であり無数の生物が太陽全土に広がっています。
実は、「エデンの園」も今ではエノクの町同様に太陽に移動しており、太陽大気圏の内部は光に包まれた不死の状態、すなわちエデンの園と全く同じ状態が展開しています。
つまり、すべての生物の細胞は、動植物を問わず、直接にプラズマからエネルギーを得ており、互いに食い合う必要性などは全くない状態にあると考えられます。
よって、太陽では、地球にエデンの園が存在したころと全く同じ、光によって生命が生きていた頃と同じ状況にあります。
それが太陽の正体であり、アカデミズムが唱えるような核融合炉では決してありません。
その証拠の1つとして、核融合炉で発生する放射線には、γ線X線、紫外線、可視光線、赤外線、電波などがありますが、それらと全く同じ放射線を放射するのもプラズマです。
よって、両者を太陽風の組成である放射線だけで区別すると、同じ結果を待つだけにとんでもない間違いをしでかすことになります。

磁場の構造 1 ~コロナや惑星間空間の磁場モデル~ - 太陽の科学館

一般に学べる太陽の考え方は成立しない
太陽は自分のもつ凄まじい大質量により、亜空間の壁と接しており、その結果として重力干渉による磁力線の無限交差のプラズマ現象が三次元的に発生している天体です。
それは一種の巨大な「大気プラズマ現象」で、国際太陽系軌道ミッションとして、ESA欧州宇宙機関)が中心となり打ち上げた「ユリシーズ太陽探査機」からの観測データもそれを証明することになっています。
1990年10月6日、アメリカのスペースシャトルディスカバリー号」から打ち出されたユリシーズは、92年2月8日、木星に大接近した際、木星の大重力を利用して方向転換(スイングバイ)し、一気に太陽に向かう軌道を突き進みました。
そして、94年9月17日、ユリシーズは太陽の南極域点(最大緯度80.4度)の上空3億5200万キロに到達し、そこから「MEPID(太陽圏粒子数密度検知器)」「LECP(低荷電粒子測定器)」「MM(磁力計)」などによる、太陽観測を行いました。
その結果、アカデミズムが太陽の常識ちゅうの常識と考え、全く疑いもしなかった重大な根幹理論が一挙に崩れ落ちます。
それまでアカデミズムは太陽には巨大で安定した磁気圏があると考えていましたが、そんな巨大な磁気軸は全く存在せず、その代わりに無数の磁力線が渦巻き状、あるいはら螺旋状に飛び回り拡散する様子が、精密なデータとして送られてきました。
これは、従来のアカデミズムによる太陽系創造理論へのダメ押しともいえる一撃で、本来ならこれでアカデミズムは倒れていかなければならないのですが、殆どの天文学者が旧説で生きているので、必死になって突破口を探しています。
しかし、太陽が核融合炉ではなく、磁力線交差による大気プラズマが引き起こす光学現象とするこの説にとって、ユリシーズからのデータはこの上もない福音でした。
なぜなら、磁力線の無数の拡散と一定しない螺旋運動は、無限大の磁力線交差(リコネクション)を生み出す可能性があるからです。
そうなれば、大気プラズマ現象が無限大に拡大し、太陽大気圏全体にプラズマ現象が四方八方に生まれたことになります。
すなわち、超弩級近く天体でありながら、大気圏外では現在の太陽と全く同じ、燃え盛るような姿が光学的に誕生することになります。
分かりやすい例で示すと、地球の極地方で見られるオーロラであり、オーロラも太陽から放出される活発な荷電電子が引き起こすプラズマ(発光)現象です。
オーロラが輝く理屈は、ブラン管テレビと同じで、ブラウン管にある電磁石が、蛍光スクリーンに電子ビームを収束させることで映像を作り出します。
それと同じ理屈で、地球の磁場が作り出すバンアレン帯に突入できない電子や粒子が、地球の両極に開いた磁極上空の巨大な円形舞台のスクリーンで束ねられた発光するのです。
磁極では、地球磁場が漏斗(じょうご)の中を落下する球体のように、らせん運動をしながら降下しますが、その際に空気中の原子や分子と衝突し、激しくそれらを励起させます。つまり、磁力線から螺旋状に拡散する太陽表面の様子は、巨大なオーロラ現象と同じであり、その規模が拡大しただけなのです。
太陽黒点下には巨大活火山があり、黒点周期と噴火活動周期が一致する
実は、オーロラの活動が活発になる時は、太陽黒点の活動時期とも一致しており、その増減周期は11.1年といわれます。
太陽黒点の下には「巨大活火山」が隠れており、その噴火活動周期も約11.1年です。
そのため太陽黒点では、火山活動から噴出される膨大な水蒸気が充満しており、その結果として大量の水分子が存在します。
1995年、アメリカの木っとピーク太陽観測天文台アリゾナ州南部)は、太陽表面に大量の水分子が存在することを、好感度スペクトル分析器で観測しています。
すなわち、散在する太陽黒点から吐き出された水蒸気が雲(天蓋)となり、太陽の全表面を覆いつくしている構造が明らかになりました。
それは、同時に水分子の存在自体が、太陽に酸素が大量に存在することを証明しており、水蒸気を大量に含む雲が太陽に存在することは、雨もそこから降るのは当然となります。
よって、太陽に水分子が観測されたことは、単に黒点という温度の低い場所で水分子が観測されたにすぎないとする素人的見解では、到底済まない関連部分を背景を持つことになります。
そうなると、雨の降った地上には川もできれば湖もあり、さらに巨大な海洋も存在することとなって、地球と酷似する環境が存在していることにつながっていきます。
すなわち、太陽も地球や木星同様に、規模がけた違いなだけの巨大な地核天体であり、そこには今も噴煙を上げる巨大な活火山が存在しているということになります。
その証拠に、太陽黒点の位置は太陽の自転を考慮に入れても移動しませんし、今も盛んに活動しているため、凄まじいプラズマ現象と共に、巨大な磁力線嵐も引き起こしています。
それが光学現象となって出現するのが「ガスループ」として知られるフレアであり、その高度は数百万キロにも達し、内側の数十万キロは淡黄色、その外側は真珠色になっています。
その時に発生する光は、自由電子が太陽の光を散乱して生じた連続スペクトルによるものと考えられており、その温度は摂氏100万度とされます。
しかし、それを簡単に言ってしまえば、プラズマ現象を指しているに過ぎないことになり、地球でも、フィリピンのピナツボ火山噴火などでも分かったように、凄まじい火山活動の場合、瞬間的な磁気嵐が発生し、ラジオが聞き取れなくなるばかりか、時には磁気交差によるプラズマ現象までもが起こり、同様の現象が1995年の阪神・淡路大震災の時にも発生しました。
その最大の者が太陽ではプロミネンスであり、巨大な光学現象が引き起こす爆発高度は、太陽の直系よりも巨大で、その高さは彩層(光球の外側と、コロナの内側の間にある薄いガスの層)からなんと200万キロにも達します。
アカデミズムはそのような見かけの光学現象から、太陽を水素とヘリウムの間で発生する巨大な熱核融合炉と信じ切っていますが、いくらプラズマ現象は巨大でも、それは単なる光学現象のなせる業で、実際の太陽は地球と同じ冷たい地核天体となります。
太陽は高次元世界から光(プラズマ)を受けている
太陽に磁場があるのは、無数のプラズマ現象(フレア)を見ても間違いなく、太陽系を中心部で支えるためにも、巨大な磁気圏を持つのは当然とアカデミズムでは考えられてきました。
それにもかかわらず、常時14万キロ以上のフレア・アーチを生み出し、10億度を超える熱爆発を起こすという太陽に、どうして地球のような磁場が存在しないのでしょうか。
現在、アカデミズムは太陽系構造学において、天地をひっくり返されたような大混乱状況に陥っていますが、それは、あまりにも四方八方に飛び交い放出されるフレア同士が、磁界的に相殺し合うために、巨大な磁場にまとまらないからでしょう。
何故なら、フレア現象自体が壮大なプラズマ現象だからです。
その意味では、太陽フレアは巨大なドーナツ型をした磁力線の束だといえ、そうなると当然その中では無数の磁力線交差が発生し、凄まじいプラズマの光学現象が生み出されることになります。
そこで、フレアが噴出して滑り込む場所に何かあるかを探ってみると、必ずそこには太陽黒点という暗黒部分が存在しています。
黒点の大きさは、地球が丸ごと幾つもあ入るほど巨大ですが、未だにアカデミズムはその正体をつきとめていません。
一説には黒点には「S極黒点」と「N極黒点」があり、フレアはこの間の磁力線に沿って吹き上がるとされていますが、確実にわかったわけではなく反論する学者も多いです。
しかし、太陽表面の爆発で飛び出した膨大な量の電子は、充満する水素イオンと衝突し、高エネルギーの硬X線を生じることだけは確かだとします。
ところが、どうやら、太陽フレアはそれほど単純な構造ではないらしいことも、学者たちはわかり始めていて、フレア現象については証明されていないのがアカデミズムの現状です。
太陽フレアの想像図には、黒点黒点の間を、巨大な炎がアーチ状に結ぶものがありますが、それはあくまでも説の1つに過ぎず、何も証明されていません。ただし、不思議なことに、潜り込む位置だけは黒点として判明してます。
これは、磁力線の吹き出し口が、黒点と指摘できないデータも観測されていることを暗示しています。
すなわち、フレアの噴出場所が黒点ではない観測結果があることを示しています。
そうなると、科学的に証明できるのは、黒点に潜り込むフレアだけであり、そこには黒点という暗黒部分が存在していることになります。
・太陽表面では、強力な磁力線アーチを生み出すフレア現象が各所で起きるために、地球のように1つの時期軸だけが存在する構造にならない
・その磁力線が潜り込む位置には間違いなく黒点があり、そこが太陽全表面よりも低温である
・太陽表面で移動しない黒点は、ガス天体では絶対にありえず、間違いなく太陽が地殻天体であることを証明する材料になる
・そうなると、最も考えられる黒点の正体は活火山の噴煙であり、その下には不動の位置を占める活火山が存在している
・同時に、黒点の周囲全体が壮大な大気プラズマ現象を引き起こしているため、活火山の噴火の結果として、その場所に暗黒プラズマが発生する可能性が高い
つまり、太陽大気圏では無数の磁力線交差による大気プラズマ現象が発生しているため、様々な放射線を四方八方に放出しますが、そういう尋常ではない状況の中で強烈な磁力線アーチを生み出す噴火活動は、膨大な量の火山性ガスや火山性物質を放出する場所が、一種のホワイトホールと化し、そこに向けて暗黒プラズマが突入する可能性が出てくるのです。
そういうわけで、その周囲に暗黒プラズマが発生するわけです。
 
暗黒プラズマとは、プラズマの持つ光学現象の一種で、フィルムのポジに対する「反転(ネガ)」と呼ばれる現象のことです。
 

光を放ち、光そのものともいえるプラズマに対する全く逆の現象、すなわちすべての光を吸収し外に逃がさない現象(状態)のことを、暗黒プラズマと呼びます。

その様相は、ブラックホールから吸い込まれた星間物質が噴出する場所に、暗黒星雲が発生し、そこが暗黒プラズマ化する現象と同じ構造です。
そうなると、太陽自体が一種の亜空間の出口となっており、凄まじいプラズマ現象の奥には、別の世界に通じる亜空間トンネルが存在する可能性が出てきます。
言い換えれば、太陽自体が高次元世界からの光(プラズマ)を受けて、プラズマ現象を引き起こしている構造の超質量天体ということになります。
その意味では、まさに木星は太陽程の超質量を持ち得なかったため、太陽のようにプラズマ発行する天体にはなれなかったことになります。
太陽は神界に通じる出入口。プラズマで旧約聖書「創世記」を読み解く

俗に言う「伴星」とは、ほとんどは片方が木星のように小さく、自ら光を放っているというより、恒星からの光を受けて反射しているという方が適切になります。

仮に両社が光を自らはなっている「連星」があったとしても、暗闇星雲の中で恒星系が二つ合わさったような場合であろう。

プラズマ現象の中では、プラズマ球体が分裂したり、二つのプラズマが並び立つことも不可能でではなく、事実UFO現象のほとんどは自然界のプラズマ現象であり、狐火や人魂現象を含めて、いくつものプラズマが同時に存在したり移動したりするケースは無数にあります。

おそらく、太陽の彼方に拡がる別世界は、私たちの想像を絶する光が渦巻く超世界であり、そうなると、そこに赴くことは一種のプラズマ本体(宇宙の本質)に近づくことになるでしょう。

こういう言葉が適切かどうかは迷いますが、そこに「神」が住むと考えていいのかもしれません。そうなると、太陽は神界に通じる出入口ということになります。

旧約聖書』の中には、この世と神界との間に立つ「生命の樹」に至る門を守る、四方八方に炎を放つ剣の記述があります。

こうしてアダムを追放し、命の木に至る道を守るために、エデンの園の東にケルビムと、きらめく剣の炎を置かれた(旧約聖書:創世記第3章24節)

太陽が東から姿を見せる以上、きらめく剣の炎とはまさに太陽となり、その奥には宇宙と神界の謎を解き明かす「生命の樹」が存在することになります。

太陽とはそういう役割も担っていることになり、人類が太陽を核融合炉と思い込んでいる限り、宇宙の絶対的真理も構造も理解できないことになります。

大宇宙は『旧約聖書』の「創世記」にあるように、まず「光(プラズマ)あれ」の言葉で誕生したことになります。

神はいわれた。「光あれ。」こうして光があった。 旧約聖書創世記第1章3節

こうして超過額は、否応なく神話世界への実証へと突き進むことになっていきます。

では、なぜ闇があるのかという問題は、これから先のプラズマ学の発展に任すことになりますが、光と闇の存在は、全宇宙の抱える根源的な問題です。

この世界全体を見ても、すべてのものに反対の者が存在します。

男女、寒暖、左右、上下、生死、強弱、加減、黒白、大小、老若、明暗、開閉、内外、高低、プラスマイナス、善悪、などなど、こういう二極対立構造は全宇宙を構築する根本的原理になっています。

光さえ脱出できないブラックホールの反対側に、光を放出するホワイトホールが口を開いているという考え方が、たとえ現代の物理学上は完全否定されたとしても、全宇宙がプラズマ現象で構築されているなら、光を放つプラズマと、逆のプラズマが存在してもおかしくないことになります。

プラズマ現象も、宇宙バランスの中では、光と闇の両方の側面を有していると考える方が妥当となります。すなわち「光プラズマ」と「暗黒プラズマ」の存在です。

事実、アメリカを含む世界中で、この「暗黒プラズマ」の仕業と思える逆光学現象が起きています。

・1762年8月19日、イギリスのロンドンで記録上最大の暗闇が襲った。真夏の太陽の光が指す中、突如として墨を流したような深い暗黒が、ロンドン中を支配した。ろうそくの火すらみえない深い闇だった

・1880年4月2日、アメリカのミネソタ州アイトキンが突如として発生した暗黒に襲われた。原因は今も全く不明

・1884年4月26日、イギリスのプレストンが真昼にもかかわらず、大規模な暗闇に覆われ、新聞各紙も一斉にその時の様子を報道した

・1886年3月19日、アメリカのウィスコンシン州オシュコシュを、西から移動してきた真っ黒な雲が、地面を這いながら通過した。普通、高い山付近以外は雲が地面を這うことはないはずだが、オシュコシュは平地に位置している。

・1904年12月2日、午前10時ごろ、アメリカのテネシー州メンフィスでも、突然の暗転現象が起きた。

あらゆる過去のデータを含めて総合分析すればするほど、地球上で発生する暗黒プラズマ現象の可能性が高くなってきます。

その発生原因は定かではありませんが、地球の磁力線のバランスが崩れたときに発生する突然変異的可能性が高いです。

金星の謎

金星の調査歴史

アカデミズムが想定する金星

金星が、明るく輝く理由は、金星を覆っている分厚い雲の層が存在するからだとされます。そうでなければ、太陽に一番近い水星が一番輝いていなければなりません。

金星の赤道半径6052キロは、ちきゅうのせきどうはんけい6378きろと非常に近く、質量も地球を1とすれば、0.815、体積比も0.88と、まるで地球とは双子星のようです。

1918年、スウェーデンの化学者スバンテ・アウグスト・アレニウスは、金星の厚い雲は、地球と同じ水でできており、そのため金星の厚い雲の下は平均気温が摂氏50度と大変暖かく、地球と同じ海洋が存在し、陸地にはシダや巨大な植物によるジャングルが広がっているといいう「湿った金星説」を唱えました。

一方、1922年にはアメリカの天文学者チャールズ・セント・ジョンと、セス・B・ニコルソンの二人が、水蒸気も酸素も非常に少ないとする「乾燥金星説」を提唱します。

1932年、スペクトル分析が金星に向けて使用されたとき、大量の二酸化炭素が検出されたため、1955年、アカデミズムは二つの金星モデルを公表することになります。

1つは、炭酸水の巨大な海洋が金星全体を覆っているモデルであり、もう1つは石油の海に覆われた金星のモデルです。

こうした様々な説が登場したのは分厚い雲層から下が観測できなかったからです。

しかし、この雲層の外側の温度については、既に2つの異なった方法で観測されていました。

太陽から見た金星と地球との距離比から、金星の受ける太陽光の量が、地球の2倍だと計算され、その70%を雲層が跳ね返すとすると、理論計算から雲の温度は摂氏マイナス40度の氷点下となります。

また、赤外線を使った観測でも、金星の雲層の温度はこれとほぼ同じであることが判明しました。

1956年になると、電波望遠鏡の開発によって、金星から放射されている波長3センチメートル・マイクロ波の存在が、金星の分厚い雲を貫いて通過した電波だと判断され、その電波の値と強さから電波源の温度が摂氏320度だと推測されました。

しかし、波長3センチメートル・マイクロ波は、地表からではなく、金星の電離層(地球の1000倍のイオン量)から放射されているものだという説が出され、もしそうなら地球温度は摂氏80度となり、生物の生存が必ずしも不可能ではない値となりました。

こうした不一致は、結局は実際に探査機が金星に行かなければわからないとしてその時を待つことになります。

1962年8月27日、アメリカが打ち上げた金星卯人探査機「マリナー2号」は、109日目の12月14日に、金星から3万4800キロ地点を通過し、マイクロ波と赤外線の観測装置が収集したデータを、6000萬キロ離れた地球へ送信してきました。

金星が熱いか冷たいかを決定するのは、ひとえに金星に電離層が存在するかどうかにかかっていました。

そのため、測定器は2方向から来る電波をとらえる構造になっていて、1つは金星大地から直線的に放射される電波を捕え、他方は大気の電離層から放射される斜めの電波を捕えるようになっていました。

もし、金星が生物の生存可能な温度(低温)なら、濃厚な電離層が存在していることになりますし、斜めの経路センサーの方が真っすぐな経路センサーよりも多量の電波を捕えるはずです。しかし、NASAの発表によれば「マリナー2号」からの観測結果は、真っすぐな経路センサーの方が多量の電波を受けていました。

その結果、金星の電離層は、マイクロ波の放射源になりえるほど濃密ではなかったことになり、金星の表面は昼夜問わず摂氏400度を超える灼熱地獄ということが判明しました。

その後、1967年6月14日に打ち上げられた「マリナー5号」も、同年10月19日に金星へ接近した時、全く同様のデータを送信してきたことから、やはり金星の表面温度は高温であることが決定的となりました。

一方、旧ソ連の「金星(べネラ)4号」は、1967年10月18日に金星に降下した直後、表面温度が摂氏270度という観測データを送ってきましたが、1969年5月16日に金星の夜の部分に降下した「金星5号」は、摂氏530度、翌日に降下した「金星6号」では摂氏400度という凄まじい灼熱地獄の金星の姿を送ってきたのです。

特に「金星5号」が検出した摂氏530度という温度は、鉛や亜鉛の融解温度さえ超えるほどのものでした。

ところが、太陽から1億800万キロも離れた金星の夜の部分で、これだけの高温が観測されることはありえないことで、計算上では昼の部分でも摂氏150度ほどにsかならないはずでした。

この謎は、金星の「温室効果」を作り出す二酸化炭素に隠されており、太陽熱で暖められる赤外線を、二酸化炭素が再吸収して逃さない構造にあるとされました。

そのため高温になった大気が上昇し、温度の低い夜側に向けて流れ込むため、夜の側の温度も異常に高くなったとします。

さらに「金星5・6号」は、金星表面の気圧を測定し、60気圧から140気圧という高い測定結果を伝えてきました。

そして、大気の93~97%が二酸化炭素であることも判明しました。

また、金星の覆う雲の成分は、ドライアイス濃硫酸の水滴(1ミクロン)であり、更にフッ化水素と反応したフルオロ硫酸である可能性も推測されました。

そうなると、あらゆる物質を溶かしてしまうため、金星大気への突入は探査機にとっては大きな試練となることを意味します。

しかし、肝心の金星表面がどうなっているのかが謎のまま残され、わずかにアメリカが行ったレーダー観測により、金星の表面はかなりなめらかであろうという推測だけができた程度でした。

ところが、1975年10月22日、金星に軟着陸した旧ソ連無人探査機「べネラ9号」が、史上初めて金星のパノラマ写真を送ってきました。

この写真には、直径30~40センチほどの岩石がゴロゴロ写っており、月面に比べて非常に石の数が多いことが判明しました。

旧ソ連の金星探査計画の主任だったボリス・ネポクローノフは「今回の探査結果で、金星が砂漠のようだという(アメリカ側の)仮説にお別れを言うことができた」と表明しました。

更に、旧ソ連の地球科学研究所のバディリフスキー教授は「どの岩石も平らで鋭いことから、最近起きた火山噴火や地震度で割れた岩の可能性が非常に高い」というコメントを出しました。

他にパノラマ写真で分かった成果は、それまで金星表面は、30キロもの分厚い雲層に覆われているため、光も届かぬ暗黒世界だろうと考えられていたことが、一挙に払拭されたことです。

その明るさは、ちょうど地球上では、雨が降る天気の明るさに近いものでした。

一方、1982年3月1日、金星の「ナブカ平原」の北西端に着陸した「金星13号」は、史上初めて金星地表のカラー写真を送信してきましたが、その色はやや赤みがかったキロをしていました。これは後に重大な意味を持つことになります。

更に金星5号~14号によって、金星表面が玄武岩質の溶岩が冷えて固まった地質であることも化学観測から明らかになりました。

常識を覆す逆回りする金星

一方、1960年代から始まった、電波天文学の目覚ましい発展から、金星にマイクロ波を発射することにより、金星の自転の方向を明らかにする観測が行われました。

分厚い雲層が、金星の自転の方向を覆い隠しているため、あらゆる観測手段は失敗に終わっていました。

しかし、マイクロ波を金星に向けて当てたところ、反射して戻ってくる電波の大部分は、金星の中央部分の狭い1点から、ほとんどダイレクトに垂直反射してきます。

その他の弱い電波は、金星の縁からの反射のもので、その波長を精密に測定したところ、小さいながらも明確にドップラー効果を示すことが分かり、球体の縁の接近と後退の証拠を示しいました。

その観測結果は実に驚くべきもので、それまで考えらえてきた太陽系の惑星は、横倒しになって自転する天王星を別として、すべて同じ向き(反時計回り)に自転しているという常識を覆してしまったのです。

1962年、マイクロ波による金星への観測の結果、とうとう金星の自転の謎が明るみにされました。

それは金星だけが「順行自転」ではなく「逆回転」だったという思わぬ結果です。

順行自転とは、太陽の周囲を回る好転方向に自転するという意味で、同時に太陽と同じ自転方向を表すという「斉一論」(宇宙は安定しているととらえるアカデミズムの主流理論)用語です。

この金星の逆転方向の発見により、アカデミズムの大看板だった斉一論の一角が、見事に覆されました。

更に分かったことは、金星の逆自転は非常にゆっくりしたもので、1回転するのに何と243日かかります。

金星の公転周期が224.7日であることから、金星の日の出は、地球時間でいう117日ごとに起こることになります。

その関係からか、最近まで金星には磁場が全く確認されていませんでした。

金星表面の大陸移動

金星を覆う濃硫酸ドライアイスの雲は、秒速100メートルという速度で移動し、わずか4日で金星を1周します。

1978年5月20日に打ち上げられた「パイオニア・ビーナス号」は同年12月4日に金属の周回軌道に乗り、厚い雲を貫いて地表を遠隔探知レーダーで観測し、金星地表の70%近くの地形を明らかにしました。

更に「パイオニア・ビーナス1号」は、金星の周回軌道の遠金星点、6万6千キロ地点から「AUVS(大気光紫外線分光計)」による金星撮影を行い、金星大気を観測しています。

金星の上層大気からは強い紫外線が放射されているので、可視光線よりも大気を詳細に分析できる装置で観測した結果です。

また、1978年8月8日に打ち上げられた複数探査機宇宙船「パイオニア・ビーナス2号」は同年12月9日に金星に到着した後、軌道船と5機の探査機(プローブ)に分離し、それぞれ金星の大気圏に突入しました。

その突入時に観測した金星大気組成の中に、初期のころの金星に海があった証拠が発見され、それまで考えられていた金星のイメージを一変させました。

すなわち、昔の金星には地球と同じ巨大な海洋が存在していたのです。

1983年10月10日から14日にかけて、旧ソ連の金星探査機「べネラ15号」と「べネラ16号」は相次いで金星に到着し、金星の北緯30度以北の全地域の観測を行い、金星表面の4分の1の地形をすべて明らかにしました。

その結果、「イシュタール大陸」に大規模な山脈の存在を確認しました。

三方からなる巨大な山脈の高さは、最高峰の「マックスウェル山」で、海抜1万1千メートルもある巨大さです。

そのことから「ラクシュミ高原」が南から接近してきた「イシュタール大陸」と衝突し、「マックスウェル山」を含む巨大な山脈を形成したのではないか推測されました。

もしそうなら、金星にも地球と同じ大陸移動の跡が残されていることになります。

同じような跡は、南半球側の「アイノ平原」を挟む、「アフロダイト大陸」と「ラダ大陸」という二大陸付近でも発見されており、等高線と海岸線の共通度から二つの大陸を合わせると、巨大な1つの大陸になります。

そうなると、金星にも1つの巨大海洋と巨大大陸が存在していたことになります。

更にβ地域の「レア山」と「ティア山」上空で、絶えず雷が轟いているため、一時は金星の活火山かもしれないと考えられました。

1989年5月4日、「マゼラン探査機」は「スペースシャトル/アトランティス号」により、ケネディ宇宙センターから打ち上げられましたが、90年8月10日、無事金星に到着するや、「べネラ15・16号」の10倍以上という解析度の強力レーダーで金星を観測し始めました。

その解析能力は、分解度120メートルという詳細なもので、濃硫酸の厚い雲など全く存在していないかのような鮮明度です。

マゼラン探査機は「SAR(合成開口レーダー)」と「電波高度計」を備え、約3時間で金星を周回しますが、楕円軌道の内で高度の低い約40分間に金星表面の観測を行い、残り2時間ほどの高高度で地球に送信してくれるようになっていました。

その結果、金星表面には数多くの火山の跡が発見され、ハワイ諸島を形成したホットスポットのような地域すら、「ラビニア地域」でみつかっています。

また、過去の隕石衝突の後も多数発見され、その中でも金星最高峰の「マックスウェル山」の山頂付近にある「クレオパトラ・クレーター」は、合成開口レーダー観測があるまで火口とばかり思われていましたが、多重リング・クレーターであることが撮影により判明し、隕石による衝突跡と判明しました。

それほどに、マゼラン探査機の解析画像が鮮明だということですが、大陸移動の跡をにおわせる「ラクシュミ高原」の南方、「クロソ・ステラ」と呼ばれる地域に拡がる山脈の変形地形も恐ろしいほど鮮明に観測されました。

一方「MVRM(マゼラン金星レーダー探査機)」が「アルファ地域」の東で発見した「パンケーキ状7連続火山性ドーム」は、1つが直径25キロはある上昇マグマの冷えた跡ですが、巨大クラゲが群れを成して泳いでいる光景に似て、関係者のみならず、人々に微笑ましい感じを与えました。

更に「イシュタール大陸」の北西部にある「フレイア山系」の東斜面に、明確なプレーと潜り込み跡が撮影され、金星に大陸移動があったことはほぼ間違いないものとなりました。

そこでは、大地が縦横に張り裂け、まるで亀の甲羅状にひび割れている様子が観測されたのです。

このことが更に研究されれば、金星には地球と同じマントル対流によるプレートテクトニクスがあることになり、地球との対比から様々な科学的データが期待されます。

金星のポールシフトは、かつてのカタストロフィーの跡

金星の存在は、それまでの太陽系の斉一的常識を覆えしたとさえいえます。

その中で、自転周期が公転周期よりも長いのは、太陽系の中では金星だけであり、更に金星だけが自転方向が逆というのは、金星の長い歴史の中で一体何を暗示しているのでしょうか。

金星の地軸が180度近くもひっくり返しているということです。

これはポールシフトの中で、特に「地軸移動」と呼ばれる現象で、天体の自転軸そのものが、何かの物理作用で倒れてしまうことを言います。

同じ太陽系にある天王星は地球の赤道半径の4倍近い大きさで、自転軸が横道面に対して98度も倒れています。

ほとんどの自転軸は、ある程度の傾きを持っていますが、その角度はせいぜい20度ぐらいの範囲内で収まっています。

アカデミズムでは、惑星の傾き角度はその天体の形成時期に、無数に衝突した微惑星の大きさと関係があると考えており、あまりに小さい微惑星の衝突程度ではほとんど影響されないとしてます。

しかし、微惑星その物の存在が物理的にあり得ないことが証明されている以上、アカデミズムの解釈は無視するしかありません。

微惑星はガスが冷えて固まった物を意味しますが、ガスが冷えても鉱物や岩のように物質化しません。

地球サイズの天体の自転軸を傾かせるには少なくともその天体の3分の1の質量を持つ天体が衝突するか、ほとんど衝突寸前までに大接近せねばならないことが計算上分かっています。

そのことから、多くの天文学者たちは、かつて天王星に巨大な惑星が衝突したであろうという結論を出しています。

金星を太陽系の仲間と見るのが理にかなう以上、その基本に立った物理的解釈を成さねばなりません。

とするなら、金星の自転方向を狂わせた地軸移動が起こった原因を究明すればよいということになります。

しかし、そのためには金星に何が起こったのかを調査しなければなりません。

どうやら金星も、火星同様、劇的なカタストロフィーに遭遇していたようです。

火星の表面全域にはクレーターがあり、過去に天体規模の激変が起きたことを示唆しています。

火星の海も大気も、多くはその際に消滅したと思われます。

公転面に対する地軸の傾きが177度もあるという例は、ほかの太陽系の惑星には例をみません。

天王星の98度の傾きの倍ということから考慮しても、とてつもない出来事が金星に起こったことになります。

あるいは、それと同じことが火星にも起こり、地球をも巻き込んだ可能性すら出てきたのです。

現在、太陽系の天体の中で、「軍神(マルス)」と名がついているのは、血の色をした火星だけです。

軍神は戦いの象徴であり、15世紀のイタリアの絵画の中にも、都市を攻撃する指揮をする巨大な軍神「マルス」の姿が描かれています。

しかし、軍神と名付けられた天体は、火星だけではなかった事実が判明しました。

そもそも、ある特定の天体に軍神の名をつけたのは、最古の文明といわれるシュメール人たちで、その後は古代ペルシア人古代ギリシア人、そして古代ローマ人へと受け継がれます。

その中でいわれる軍神の星が、必ずしも同じ天体(火星)だったとは限らないのです。

19世紀に発見された、4000年前の紀元前2000年ごろのバビロニアの粘土板に当時の金星らしき天体の記録が刻まれ、異形と恐怖の対象として扱われています。

更に古代ペルシアのゾロアスター教聖典『ゼンド・アヴェスタ』には金星「ティストリャ」が、ほかの天体と攻撃しあったと記されており、天空の神々の争いを本気で恐れています。

古代シリアでも、金星「アファカ」が天空より火の矢を放つ天体としておそれられ、火が堕ちた場所を巡礼地としたとさえ記録しています。

などなど金星の畏怖と恐怖の対象の記録は古代に多くあります。

これらから判明することは、過去の金星は現在では想像もできぬほど人々から恐れられる対象だったということで地球に対しても物理的な影響を起こしていたということです。

なぜ、金星は「軍神」なのか。その理由をNASAはすでに気づいていました。

NASAは、かつて自分たちが真っ向から否定し、叩き潰したはずの恐るべき理論から、今や復讐にも似た全面攻撃にさらされています。

かつて金星は特異な長楕円軌道を描く彗星だったことが判明しています。

彗星といっても、ゆきだるまの核を持つ通常の彗星をいうのではなく、誕生したばかりの原始天体のことで、凄まじい原始大気を後尾に引いて天体を飛翔する、惑星規模の天体のことです。

NASAは、現在の軌道を描く前の金星のことを、コードネームで灼熱の巨大彗星「メノラー」と呼んでいます。

メノラーとは、ヘブライの神事に使う、七枝に分かれた燭台のことで、常時神殿の中で油を絶やさず、薄暗い神殿の内部を光輝かせてはいけなければならなかったとされます。

まさに金星はメノラーに相応しく、いつも天空で輝き続けています。

ヴェリコフスキー理論、金星は4000円ほど前に出現した新しい惑星

アカデミズムを敵に回したヴェリコフスキーが金星に異様なほど執念を見せ、執着したのにはそれだけの理由がありました。

それは、過去にさかのぼればさかのぼるほど、伝説の伝承、および記録としての遺物や古代天文図の中に、金星の記述が全くない事実に気づいたからです。

その時代には、ほぼ紀元前2000年までで、それ以前の古代文明の記録の中には、金星の記述が一切みられません。

例えば、古代インド(バラモン)の「ヒンズー惑星天文図」には、四大惑星を基本体系とする教えと宗教があり、それぞれを水星、火星、木星土星としていました。

つまり、地上からも見える範囲の惑星を、基本の四天体として扱っていました。

占星術天文学の発祥の地といわれる古代バビロニア(シュメール)でも、四惑星体系であり、古代の祈りを扱った粘土板の碑文の中にも、水星、火星、木星土星はあっても、金星は含まれていません。

金星程目立つ天体はないにもかかわらず、古代インド人も古代シュメール人も、金星の姿を発見することがなかったのです。

しかし、約4000年前の紀元前2000年ごろになると、急にバビロニア地方の粘土板に、初めて金星とおぼしき天体の記述が出現します。

そういった粘土板の中に、金星に対しての記述として「大きな天体たちに加わった大きな惑星」という名称が与えられたことを記したものが見つかり、金星が後ろから太陽系の仲間になったことを匂わせます。

これなどは紀元前2000年ごろに、金星が初めて太陽系に出現したことを示す歴史的証拠と言えます。

古代ローマのアポロ二ウス・ロディウスも、すべての天体が天空にそろっていなかった時代という内容の文献を記しており、大昔にはすべての内惑星がそろっていなかったことが記録の上に残されていたことになります。

それはまさしく金星のことであり、金星が存在していなかった証拠が世界中にある以上、それまでアカデミズムが唱えていた斉一論的理論体系には、太陽系の「円盤モデル理論」の崩壊とともに、重大な疑問が生まれたことになります。

そこに精神科医ヴェリコフスキーが、アカデミズムの異端者として誕生する所以がありました。

全米の度胆を抜いた「ヴェリコフスキー理論」とは、いったいどのようなものなのかというと

紀元前1500~2000年ごろ、古代イスラエルモーセに率いられてエジプトを脱出した時から、ヨシュアが約束の地カナンに入り、パレスチナ先住民族を打ち負かすまでの時代に、地球を大カタストロフィーが襲います。

旧約聖書」の記述にあるように、その時太陽は空中で停止し「ギルガメッシュ叙述詩」が歌われたように、山脈や海洋の水が盛り上がったのです。

そして、この大災害を引き起こしたのが、その頃に木星から飛び出した巨大彗星であり、それが地球に異常接近したためにおきた天変地異だったとしています。

この時の彗星が巨大彗星メノラー、すなわち金星です。

ヴェリコフスキーは、神話と「聖書」、並びに伝説と民族伝承を中心とした太陽系の宇宙体系を、理論的にまとめ上げた最初の人物でした。

巨大彗星が木星から飛び出したとしたのも「古代ギリシア神話」のゼウス神(木星)の頭から生まれたパラス・アテナ(金星)の一節からでした。

巨大彗星メノラーは、惑星規模の灼熱天体で、幾筋もの光る長い尾を後尾に引いていました。

その姿は、ちょうど長い羽毛をなびかせた蛇の姿であり、古代アメリカに伝承される「ケツアルコアトル(羽毛のある蛇)」の伝説と一致します。

ケツァルコアトルの羽毛は、まさに炎を表していたからです。

さらに、バビロニアに残された6本の角が生えていた天体の伝説も、巨大彗星の描写と一致し、それがダビデ(紀元前1010円=王位継承)の楯の形の原型になったともいいます。

更にそれがイスラエルの象徴となる「ダビデの星六芒星)」に発展するわけです。

神話と金星

プラズマが起こした旧約聖書の奇跡

メノラーとは、イスラエルの神殿にに備えられた「七枝の聖なる燭台」のことで、光の場所という意味です。

この燭台は、ろうそくを支える物ではなく、七枝の先にある杯型容器の部分に、純粋なオリーブオイルを注ぎ、芯が差し込まれて灯がともされました。

七という数字は、「旧約聖書」では聖なる意味に使われ、完璧さや完全を表す聖数です。

純金で作られたメノラーは、三連の台座に支えられた姿をしていたといいます。

中心部を縦に貫く幹が台座から上に伸びていましたが、頂華(円形の装飾)と頂華の大きさに合わせて拡大した物、そしてその上にアメンドウの花びらが施されていました。

メノラーの七つの光は、聖所である第一の部屋を照らして輝いていました。

紀元前1300年ごろ、木星から飛び出した後、数百年間長楕円軌道を描きながら太陽系内を荒らしまわっていた巨大彗星メノラーは、とうとう地球の公転軌道と交差する位置に入り、そのまま地球と衝突せんばかりの距離まで超接近することになります。

そのため地球上では、恐ろしい事態が次々に発生しました。

巨大彗星メノラーが東の天空から接近するに従い、天体のもつ不気味な血の色が人々の不安と戦慄を掻き立て、地を突く不気味な震動が世界中を震撼させたのです。

巨大彗星メノラーから噴き出す灼熱色のガス・ジェットは、天空を圧するばかりに拡がり、地球全体を覆うほどになっていました。

その時、地球上のあらゆる火山はメノラー接近による潮汐力で大噴火を起こし、大量の溶岩が噴出しました。

そればかりか、猛烈な火山噴火で噴出した水蒸気と噴煙が、世界中の天空を覆いつくしたのです。

メキシコの聖なる本「ポポル・ヴフ」「かくひける手記」「トロアノ写本」などを見る限り、西半球のすべての火山が噴火を起こしたことが推察できます。

雲を通して見える巨大彗星の光は、まるで太陽が二つ出現したかのような錯覚を与えたでしょう。

その空前の天文学的大事件が起きたのは、モーセが古代ヘブライ人たちをエジプトから連れ出す(紀元前1290年)寸前の頃でした。

巨大彗星メノラーが大接近するに従い、エジプトを襲う災害も酷くなっていったことが「旧約聖書」の中に記録されていることからもわかります。

モーセとアロンは、主に命じられたとおりにした。彼は杖を振り上げて、ファラオとその家臣の前でナイル川の水を打った。川の水はことごとく血に変わり、川の魚は死に、川は悪臭を放ち、エジプト人ナイル川の水を飲めなくなった。こうして、エジプトの国中が血に浸った。」旧約聖書 出エジプト記7章20~21節

この時の巨大彗星メノラーとの遭遇により、最初の起こった災害は、細かく真っ赤なダストが降下してきて、地表や海、あるいは大河を血の色に染めたことでしょう。

鉄分を含む可溶性色素の粒子のため、この時に紅色に染まったことからつけられた名前です。

エジプト人の記録者イプゥアーは「パピルス・イプゥアー」の中で、この災害で母なるナイル川は血の色に染まり、いたる所が血になったと記録しています。

さらにイプゥアーは、国のいたるところで疫病が発生したと記述していますが、「旧約聖書」の中にも人や家畜などに悪性の出来物ができて、膿を出したと記されています。

そして、その原因を、ヴェリコフスキーは空中から降る微細なダストだとしています。

「それはエジプト全土を覆う細かい塵となって、エジプト全土の人と家畜に降りかかり、膿の出る腫れ物となるであろう」二人はかまどのすすを取ってファラオの前に立ち、モーセがそれを天に向かってまき散らした。すると膿の出る腫れ物が人と家畜に生じた。魔術師もこの腫れ物のために、モーセの前に立つことができなかった。腫れ物は魔術師のみならず、エジプト人すべてに生じた 旧約聖書 出エジプト記第9章9~11節

フィンランドの史詩「カレワラ」は、天空で動乱があり、世界中が真っ赤に染まったと伝え、アルタイのタタール人の伝承にも、血が世界を赤く変えたという内容のものがあります。

さらに古代ギリシャの「オルフェウス讃歌」にも、壮麗なオリンポスが震動し、海洋は赤紫色の波頭を上げたとあり、「バビロニア神話」の中にも、天魔ティアマートが傷を負った時、血が流れて大地を赤く染めたとあります。

このように、世界中の古代記録や伝承の中に、赤い塵が降って世界が染まったという全く同じ内容が残されているのです。

河が汚染されれば、カエルは大量に水中から逃げ出し陸に上がり、やがて観相から死に至るであろうし、そんな状態になればアブやブヨが異常繁殖し、その結果疫病も蔓延したのでしょう。

それでもモーセの願いを聞き入れないファラオに、今度は全エジプトに雹(ひょう)がふり、外にいた人や家畜が打たれて死んだと「旧約聖書」に記されています。

モーセが天に向かって杖を差し伸べると、主は雷と雹を下され、稲妻が大地に向かって走った。それは甚だ激しく、このような雹が全土に降ったことは、エジプトの国始まって以来かつてなかったほどであった。雹は、エジプト全土で野のいるすべてのもの、人も家畜も残らず打った。雹はまた、野のあらゆる草を打ち、野のすべての木を打ち砕いた。 旧約聖書 出エジプト記 第9章23~25節

当時のエジプトの記録の中には、その雹は異様に大きいばかりではなく、天空から落下するときに轟音と炎を発したとあります。

また、不思議な雨と雹に追われ、火で全てを焼き尽くされましたが、なぜか水に落ちても激しく燃えたとあり、落下した雹がただの氷の塊ではなかったことを示唆しています。

燃える雹というのもおかしな話で、どうしてこの時の雹は何か別の落下物だった可能性が高いです。

そこで、世界中に同様の伝承が残された地域を探してみると、メキシコの「クアウティトラン年代記」の中の「火の雨の太陽」の記述や、シベリアのヴォーグル人の伝承にある「火の水」の内容など、メキシコ、東インド、シベリア、イラク、そしてエジプトなどで、いずれの地も大きな石油鉱床を持っている地域ばかりでした。

石油が形成されるプロセスには「無機物説」と「有機物説」という二つの説があり、前者は高温と高圧下で炭素と水素が結合したと考え、後者は炭素と水素自体が、植物と動物の遺体(主に海や沼の微生物)からできたとします。

しかし、原油が炭素と水素からできていることには違いありません。

そして、水星の尾(ガス・ジェット)の成分が、炭素と水素の二大元素です。

酸素を含まないので発火することはないですが、もともと火が付きやすいガスなだけに、地球の酸素と接触した時、自然発火することは充分に考えられます。

事実、前記した「旧約聖書」の中でも、雹が落下するとき、雷も一緒にとどろいていたと記されています。

ナフタは、酸素に触れた早い段階でネバネバした状態で液化し、大地に落ちても燃え続けます。

そのことから、この時に天空から降ってきたのは石油、すなわちナフタ(ナフサ)である可能性が高いとヴェリコフスキーは指摘します。

プラズマで読み解く旧約聖書

地球は突進してくる巨大彗星メノラーの尾の中に深く入り込みつつありました。

そのため地上は暗黒の雲に包まれ、物凄い嵐が吹き荒れました。

この記録は「旧約聖書」の中に、三日間の濃い暗闇として記録され、別の箇所では猛烈な風が吹き荒れる記述が残されています。

モーセが手を天に向かって差し伸べると、三日間エジプト全土に暗闇が臨んだ。

モーセがエジプトの地に杖を差し伸べると、主はまる一昼夜、東風を吹かせられた。朝になると、東風がイナゴの大群を運んできた

モーセがファラオのもとを退出して、主に祈願すると、主は風向きを変え、甚だ強い西風とし、いなごを吹き飛ばして、葦の海に追いやられたので、エジプトの領土全体にイナゴは一匹も残らなかった 旧約聖書 出エジプト記第10章 22・13・19節

その他、エジプトとバレスチナの境のエル・アリシュで発掘された碑文の中にも、誰一人宮殿から出られず、人も王族も、傍にいる者の顔が見えないほどの暗闇の嵐があったことが記されています。

この暗闇こそが、巨大彗星メノラーと地球の磁力線同士が凄まじい交差現象を引き起こした末、発生した暗黒プラズマ現象です。

不思議なのは、暗黒プラズマが発生した場所では、エノクの町を含めて、プラズマの超高熱で焼死する例が全くないことです。

それは、キリストの処刑の時にエルサレムを包み込んだ暗闇においても同様で、近年に起きた暗黒プラズマ現象においても同じです。

あるいは、プラズマの持つ超高熱の炎を避けるすべは、暗黒プラズマの発生と深いかかわりがあるのかもしれません。

それが、プラズマ領域の特異点を示す黄金律である「Φ(ファイ)」を表すかもしれません。

やがて、巨大彗星メノラーの本体が接近するに及び、天体間に起こる潮汐力により、地球の自転が大きく狂わされ始めます。

そして、大きく地球が傾くや、そのまま極が逆転し、凄まじい地殻変動が全世界を襲いました。

エジプトの賢者イプウァーは記録の中で、街は壊滅し、上エジプトは廃墟になってしまったとしています。

さらに、家屋があっという間にひっくり返ってしまったと記述します。

そのため、多くのエジプト人が家の下敷きになって死に、がれきの山の中から生き残った者の泣き叫ぶ声がとどろいたというのです。

当時のエジプト人の家屋は、王族や貴族のような身分の高いものは石のブロックを積み重ねた二階建て、あるいはそれ以上の家に住み、普通のエジプト人でも瓦礫造りの家に住んでいました。

そのため、激しい地震には耐えられず、一瞬にして倒壊の憂き目をみます。

しかし、ゴゼンの地の沼地や沢付近に、強制的に住まわされた古代イスラエル人の家屋は、ほとんどが粘土づくりで平野だったため、瓦礫や石造りの建物に比べて弾力性に富んでいました。

そのため、古代イスラエス人の中で死んだ者はほとんどでなかったと思われますが、エジプト人の家では、すべての初子が死んだとされます。

真夜中になって、主はエジプトの国のすべての初子を撃たれた。王位に座しているファラオの初子から牢屋に繋がれている捕虜の初子まで、また家畜の初子もことごとく撃たれた 旧約聖書 出エジプト記 第12章29節

この箇所は、「旧約聖書」では「初子=長男」となりますが「選ばれたもの」の誤りだとヴェリコフスキーは指摘します。

もしそうなら、「死者=死に選ばれた者」となります。

さらに、イプウァーは、王子の子孫は街に投げ出され、牢獄は破壊されたと記述します。

ラビの知識所「ミドラシュ」にも、エジプトで起きたバラドの災いのことを、隕石と火災と地震と表現し、さらに、エジプト最後の夜は、夏至の正午のごとく明るかったと記述しています。

これは、巨大彗星メノラーは、その姿こそ暗黒の雲を通してみられなかったが、あまりの巨大さに凄まじい光が雲を通して地上に降り注いだことを表していると思われます。

モーセたち古代イスラエル人は、翌朝、エジプトを脱出します。

天変地異は天空を猛烈な西風の吹き荒れる世界にしていました。

やがて紅海に面した海岸に到着したモーセたち一行は、背後から襲うためにファラオが差し向けた戦車集団の轟に恐怖します。

しかし、その時の様子を「ミドラシュ」こう述べます。

海面は2500キロの高さまで盛り上がり、地上のすべての住民から見えたと。

一方、「旧約聖書」にも、神はエジプトの地と、ゾアンの野でくすしき御業を彼らの先祖の前に行われました。

彼は海を分けて彼らを通らせ、水を立たせて山のようにされたと記述されています。

潮の満ち引きや海水面の上昇は、通常は、太陽と月の引力によって引き起こされる現象です。

それが、地球とほぼ同じ質量の天体が異常接近した場合は、通常の比ではない、海水の水を数千キロも盛り上げたのでしょう。

巨大彗星メノラーも、地球上の海水を自分の方へ引き付けたことは確かです。

そのため、紅海の水は瞬く間に消え失せ、底をあらわにしてしまったとヴェリコフスキーは指摘しています。

更に、巨大な天体同士の超接近時には、凄まじい大放電が発生します。

巨大彗星メノラーとの潮汐力で盛り上がった海水の水も、この大放電を最後に一挙に崩れ去り、紅海に膨大な海水が壁となって戻ってくることになったといいます。

そのため、モーセたちを追って紅海に突入したエジプトの洗車軍団は、一瞬にしてすさまじい海水に飲み込まれてしまったといいます。

地球が、巨大彗星の放つガスの尾の中を通過する間、自転は乱れ、天体としての軌道上の運動も狂いました。

しかし、暗黒の雲から脱出した、東半球の人々の目に飛び込んできたものは、燃え盛る真っ赤な巨大彗星メノラーの頭部でした。

地球に超接近しすぎたため、水星の大球は一度軌道を外れて後退し、地球の軌道上を移動しましたが、6日後に再び接近を開始します。

ヴェリコフスキーは、この巨大彗星の大球は、ガスのクライ柱で隠されていたが、昼間に見た場合は雲の柱に見え、夜は炎の柱のように見えただろうといいます。

巨大彗星が再接近した時、地球の自転軸が逆転していたため、雲の柱は反対側の地平線に移動していました。

こうして、巨大彗星メノラーの地球超接近は、凄まじい大カタストロフィーを地球に起こし、自らも地球の潮汐作用を受けて、やがて別の軌道へと遠ざかり始めたといいます。

新たなる軍神(火星)の地球大接近

惑星規模の巨大彗星メノラーが、新たに太陽系の仲間に加わった時、細長く伸びた楕円軌道を描いていたため、地球に大接近した後も他の惑星にとっては危険な天体に変わりがありませんでした。

そのため地球でも、巨大彗星メノラーの軌道は熱心に観測されていました。

しかし、紀元前1世紀頃になると、巨大彗星メノラーの軌道が安定し、公転周期も225日で、光る尾も消えてしまっていました。

公転軌道も、地球の内側に落ち着いたので、朝夕にしか観測できなくなりましたが、天空に輝く強い光は巨大彗星のころの面影を残していました。

紀元前7世紀ごろの記録の中に、すでに巨大彗星メノラーの軌道は安定に向かい、惑星としての地位を確保しつつあったことが確認できます。

では、一体何が巨大彗星メノラーの軌道を安定に向かわせたのでしょうか。

ヴェリコフスキーはここで再び大胆な理論を展開します。

アッシリアバビロニアなどの碑文を見る限り、古代における火星が、何の恐怖も与えない天体として描かれていたにもかかわらず、紀元前8~9世紀頃になると、急に状況が変わってしまいます。

火星は恐ろしい天体へと変貌し、軌道が安定して惑星となった巨大彗星メノラーの代わり、新たな軍神として畏敬と恐怖の対象となります。

恐怖の対象になった理由はただひとつで、巨大彗星メノラーの時と同じく、地球に対して天文学的な規模の大災害を与えたからにほかなりません。

すなわち、巨大彗星メノラーの時と同じように、火星が地球に衝突寸前まで大接近したということです。

その名残が、今も繰り返される火星の大接近ですが、古代における大接近と比べれば、そここそ天と地ほどの差があります。

では、なぜ古代では安定していた火星が紀元前9~8世紀ごろになると、急に軌道を狂わせたのか。

またそれまで太陽系に脅威を与えていた、巨大彗星メノラーの軌道がなぜ安定したのか。

2つの謎の間に何らかの関係があったとみる方が自然です。

その最も可能性の高い解答は、尾を引く巨大彗星メノラーが火星とニア・ミスを犯したことにあります。

巨大彗星メノラーと火星との天空での争い。

もしそれが事実なら、当然地球で観測されていたはずで、記録として残されていなければなりません

そこでギリシャ神話に登場する、火星「アレス(マース)」と、金星となった巨大彗星メノラー「アテナ」が登場する、「ホメロス叙事詩」を調べてみると、思わぬ事実が垣間見えます。

叙事詩の中で、トロヤを包囲するギリシャに対し、トロヤの王プリアムは戦いを挑むが、その戦いにかかわる神の名は、ギリシア側の守護神が「アテナ」、トロヤ側の守護神が「アレス」が戦ったことを意味し、金星となった巨大彗星メノラーが、火星と神々の座(天空)で争った記述となるのです。

最初にこの事実に気づいたのは、古代ギリシアの学者ヘラクリトス(哲学者のヘラクリトスとは別人)でした。

ホメロスプラトンを、古代ギリシアの二大精神と讃える彼は、ホメロスが残した神々の神人同形同性的な風刺記述を、プラトンの抽象的理想主義と一致させることを試み、イリアドの中に描かれた神々の戦いを、天体同士の衝突を意味すると結論付けたのです。

もちろん、この時の「アレス」が、戦いの守護神として描かれている以上、制作年代が解明されていない「ホメロス叙事詩」が作られた年代は、紀元前8世紀以降だということになります。

同じような記述は、古代アメリカにも残されており、インカ帝国の守護神「ケツアルコアトル」は金星である巨大彗星メノラーを示しますが、敵対するアズテク人は「フイチロボヒトリ」を守護神としました。

フイチロボヒトリとは戦いと殺戮の神の名です。

古代アメリカの研究者のH・H・バンクロストは、フイチロボヒトリの姿は両手に武器を持つ姿で描かれ、ローマの「マース(火星)」のような紙を表すとみても誤りではないと述べています。

古代メキシコに残された宗教儀式の中にも、ケツアルコアトルの役をする祭司が、フイチロボヒトリに矢を射かけるシーンがあり、巨大彗星メノラーが火星に矢(放電)を射かけるほど大接近した事実を表しています。

紀元前3世紀、古代知識の宝庫とされたアレクサンドリア図書館の館長だったエラトステネスは「第3番目の天体だった火星、これは金星に追われ、ついに捕えて、凄まじい情熱で火を受けた」と記述しています。

更に、紀元前3世紀の古代中国でも、道教学者ホエイ・ナン・ツェが残した、五惑星が進路を乱せば、国家も州もすべてが洪水になるという記述が、同じ天空の争いを伝えたものとして解釈されます。

古代インドのヒンズー天文学書「スリャ・シドハンタ」の中に、惑星同士の「合」を表す体系が記されており、そこにも天体の大接近で起こる三段階(出会い・敗北・征服)が描かれ、金星である巨大彗星メノラーが大体の勝利者になっています。

ブンダイズの中のインド・イラン記事の記述にも、惑星は天空を飛翔し、全天空に大混乱を引き起こしたとあり、この現象は数度にわたって起こり、最後は天地万物がかき回されて、煙が立ち上ったと結んでいます。

このように、巨大彗星メノラーが火星を攻撃した後、火星は本来の軌道を逸脱し地球に大接近したのではあろうか?

そうでなければ、人々は火星を恐れるはずもないですし、軍神の名をつけるはずもありません。

もしそうなら、当然、世界中に火星大接近の記録が残されていなければなりません。

それが「旧約聖書」の中にもあったのです。

火星接近と旧約聖書

紀元前702年ごろ、アッシリアの王センナケリブは、ユダ王国のヒゼキヤの治世にエルサレムを包囲し、献上された金銀財宝を戦利品として持ち帰りました。

しかし、ヒゼキヤ王は、自国の防衛のために、エジプトとエチオピアと同盟を結んだため、怒りに燃えたセンナケリブは、再び大軍勢を率いて南下しました。

紀元前688年、その時のアッシリアの遠征軍の数は、20万人近い大軍でした。

しかし、陣を構えたアッシリア軍のうち18万5千人が、ある朝一瞬にして打ち滅ぼされてしまいました。

ヴェリコフスキーは、この時のアッシリア軍の滅亡を天からの爆発としました。

その夜、主の御使いが現れ、アッシリアの陣営で18万5千人を撃った。朝早く起きてみると、彼らは皆死体となっていた。 旧約聖書 列王記下 第19章35節

さらに、「旧約聖書」はこの時の大異変で、太陽が逆に動くという現象を記録します。

イザヤは答えた。「ここに主によって与えられるしるしがあります。それによって主は約束なさったことを実現されることが分かります。影が十度進むか、十度戻るかです」(中略)そこで預言者イザヤが主に祈ると、主の日時計の影、アハズの日時計に落ちた影を十度後戻りさせられた。 旧約聖書 列王紀下 第20章9~11節

ラビの古文書は、この奇跡が起きたのは、アッシリア軍が謎の滅亡をした夕刻に起こったと記述しています。

そのことから、アリシア軍を一瞬にして死滅させ、太陽を逆回転させた原因を、天空に求めるのに何の差しさわりがあるでしょうか。

何も、太陽が逆に動いたわけでも、地球の自転が止まり、その後に逆回転したわけでもありません。

そんなことは物理学上あり得ないからです。

この現象を、物理学的に最も分かりやすく説明できるのは、ポールシフトです。

しかし、ここでいいうポールシフトとは、まさにポール(極)移動のことで、金星に起きた地軸移動ではありません。

それはまさに「逆立ちゴマ」のように、回転軸(自転軸)をそのままにして、球体である地球本体が回転しながら傾いていくポールシフトのことです。

更に、そんな天体規模の現象を引き起こせるのは、同じ天体の大接近以外考えられません。

この記述と対応する古代記録が中国にも残されており、紀元前2世紀頃の歴史かファイ・ナン・ツェの記した古代事件の記録がそれです。

「ルー・ヤン公がハンと戦っていた時、戦い半ばに太陽が沈んでしまったので、公は槍を降って太陽を呼び戻したところ、太陽は公のために(黄道十二宮の内)三宮だけ戻ってきた。」というのです。

ハンの治世の正確な年代は不明ですが、紀元前5世紀以前の事件と推測されています。

また、太陽の戻った角度の違いは、古代中国の宿曜(二十八宿と七曜)が、エルサレムの宮殿にあるアハズの日時計の10度と同じだと、ヴェリコフスキーは解釈しています。

あるいは、中国国土が広大で多くの国家があったため、この物語も別のところで別に描いた可能性もあるとはしています。

火星が軍神として恐れられた記録は、当のアッシリアに数多く残されており、火星のバビロニア名「ネルガル」が敗北をもたらした神として扱われているのも、注目に値します。

アッシリア軍が滅亡した時の王、センナケリブの孫だったアスルバニパルは、ネルガル(火星)が嵐の王であり、戦いの神であって、これが敗北を与えたと記しているからです。

また、敗戦後に暗殺されたセンナケリブの子だったエサルハットンも、火星を全能なる神として崇め、凶暴さ、恐怖、華やかさにおいて畏敬の念を表しています。

古代インドでも、紀元前8世紀頃を境に、火星は絶対に観測をおろそかにしてはならない天体に変わっています。

更に、古代ギリシアの影響を色濃く残すローマ帝国は、その設立時代にゼウスに次ぐ神として火星「マース」を崇め、「天国に次ぐ最強の帝国」として帝国の創設者ロムルスの父としました。

すなわち、ローマ帝国は軍神の子として、世界史の中に登場しました。

ローマ帝国の創立は、第8回オリンピアードの初年の紀元前748年であり、この年にユダヤでは「ウジアの騒動」という大災害が始めり中近東で「ナボナサル紀元の始め」という全歴の大変革が行われており、天文紀元の始まった年でもありました。

この年に、それまでの1年を360日から365日に変更しています。

マヤ歴の中に1年を360日とする「トゥン歴」が存在しましたが、これはその時の名残です。

この時期に何か大きな天文上の大事件が起きた年だったのです。

この時期を境にして、「軍神=マルス」が誕生し、不吉な星として火星が認識されるのでした。

ヴェリコフスキー潰しのアカデミズム これだから大衆理論は信用するな

ヴェリコフスキーの「衝突する宇宙」が世に出たとき、ほとんどの天文学者がヴェリコフスキー理論に対して猛烈な反対姿勢をみせました。

その理由の一つに、金星における「熱平衡論争」というのがありました。

金星が巨大彗星メノラーとして、紀元前2000年ごろに誕生したとすれば、水星から惑星になった現在でも、天体として「熱平衡」に達していないことになります。

熱平衡とは、互いに熱の交換が可能な物体の間で、熱の移動が止んでいる状態をいい、天体が誕生したころの灼熱状態が、長い時間経過の内に宇宙空間で徐々に冷却し、やがてその天体の応じた熱温度に落ち着くことをいいます。

最終的には、宇宙の絶対0度(摂氏マイナス273.16度)に落ち着くとされます。

そのことから、ヴェリコフスキー理論に従うとすれば、尾を引く灼熱の巨大彗星から惑星となった金星の温度は、灼熱状態を維持し続けていることになります。

しかし、当時の天文学者のほとんどは、彗星は太陽系の外側で天体の破片(残りかす)が集まってできた代物で、灼熱ではないと考えていました。

さらに金星も、大気温度はほとんど地球と同じか、高くてもせいぜい摂氏100度程度で、それを超えることはないと考えていたのです。

すなわち当時のアカデミズムは、ヴェリコフスキーに対して、こう責め立てました。

「君の言う理論が正しいなら、金星は生まれて間もない天体となるのに、どうして金星は灼熱状態を維持しておらず、地球と同じ温度で収まっているのか?おかしいではないか!」

「金星が火星を撃ったのなら、金星の表土も火星と同じ真っ赤でなければならないが、そんなはずではないではないか!」などなど。

そんな中傷や罵詈雑言が浴びせられていた時、1974年に「マリナー10号」が送ってきた観測結果に、金星の後方に断続的な特殊現象が起きているという報告がありました。

それは、金星には彗星のような尾があるという観測データでした。

金星の温度が灼熱であることは、1962年の「マリナー2号」の観測結果が摂氏400度を記録したことで証明されましたが、より正確な観測結果を行った結果、摂氏500度近い温度が記録されています。

さらにヴェリコフスキーは、金星が高圧状態であると「衝突する宇宙」で予測しましたが、イギリスの天立天文台の台長サー・スペンサー・ジョーンズは、ヴェリコフスキーを嘲笑した後、金星の気圧が地球以下なのは科学的常識であるとまで断言しました。

ところが、1966年、旧ソ連の「金星3号」は、金星の大気圏内に突入した後、予想外の強力な気圧に押しつぶされてしまいました。

このようにヴェリコフスキー理論は、アカデミズム側の全ての天文学的常識の不備を看破したことになりました。

しかし、いくらヴェリコフスキー理論が正しかったとしても、実際の観測データによって証明されたとしても、アカデミズム側の彼に対する腹立ちと否定的な態度は全く変わることはありませんでした。

ヴェリコフスキー潰しをもくろんだアカデミズム側の卑劣さは今も変わりません。

カール・セーガンを含む彼らは、嫉妬心にかられ、もしくは自分たちの名声を保つために、ヴェリコフスキーが亡くなった後も、彼を鞭打ちつづけました。

そして、金星が灼熱なのは、太陽までの距離が地球よりも近いせいで、熱平衡とは全く別の問題であるとしましたが、よくもそのようなことを恥ずかし気もなく言えたものです。

しかし、最近になって、金星よりも太陽に近い水星の方が、予想よりも気温が低いことが判明しています。

いや、それどころか、水星の北極部分の相当広い範囲に、スペクトル分析により、氷が存在していることが判明し、最近の観測では、氷は水星のほぼ全域で確認されています。

金星の温室効果を考慮に入れたとしても、太陽との距離だけでは、金星の灼熱状態の説明にならないようです。

この事実を一体アカデミズムはどうするつもりなのでしょうか。

日本流に言えば「どう落とし前をつけるか」ですが、彼らは都合が悪くなると亀が頭を引っ込めるように、黙って嵐がおさまるのを待つだけです。

小惑星は過去の大異変による巨大惑星の破片

彗星は、いつまでも彗星のままで終わるのでしょうか。

「汚れたスノウ・ボール」で表現される彗星の核は、ダスト(塵)と氷の塊といわれ、太陽に接近するたびに、太陽熱でガスや塵がジェットとなって噴き出しています。

1986年、ハレー彗星が地球に接近した際、探査機による初の宇宙観測によってハレー彗星の神秘のベールが取り去られました。

3月14日、ESAが打ち上げた「彗星探査機ジオット」は、彗星から噴き出すジェットの影に潜む中心部分(核)を、世界中のTV画面に映し出しました。

地球の山ほどの大きなコマは、長さ15キロ、幅8キロのいびつなジャガイモのような姿をしていました。

彗星の核は、ダスト粒子を含んだ氷の塊だと考えられており、太陽に接近するに従い熱せられて氷が気化し、ガスとなって噴射するといわれています。

その時のガスとダスト粒子が彗星の核の周りに拡がり、コマと呼ぶ大気層を形成しますが、コマからは、ほぼ太陽と逆方向に、尾が長く伸びる彗星独特の様相を見せます。

ガスの噴出は、太陽に最も近づく近日点を通過する前後で最大となり、最も明るくなります。

ハレー彗星ミッション(ハレー彗星国際共同観測計画=IHW)」では、可視光線だけではなく、電波、赤外線、紫外線など、様々の観測体制をとりました。

「ジオット」と「ベガ」が撮影した画像処理された核の写真は、山や谷間、さらに丘やクレーターが存在していることを明らかにしました。

見掛けは全く小惑星そのものといってもよい天体だったのです。

更に、ダスト粒子の重さが、最小の物で1000兆分の1の更に10分の1(1京分の1)グラムと、予想の10兆分の1以上に小さかったことから、核が1個の一体構造なのか、大きな塊が集まった物なのか議論が分かれてしまいました。

よって、核の表面が固いのか柔らかいのかさえ不明になってしまいました。

ダスト粒子の成分も検出され、これも予想していたケイ酸塩は皆無に近く、主として炭素、水素、酸素、窒素から構成されるCHO粒子と、隕石の成分のCIコンドライトに似た組成の粒子でした。

しかし、ジオットが核に接近した際に観測した分子の生成率は、毎秒5.5×1029個だったことで、核の80%は氷と発揮性分子から構成されており、隕石のようなケイ酸と鉄を主体とした塊ではないことが反笑みしました。

もし、隕石のような核であれば、噴出するガスの分子数は1019個ほどにしかならないからです。

しかし、ダスト粒子と氷が隕石核の周囲を覆っていたとしたらどうでしょう。

事実、隕石の成分であるCIコンドライトは、ダスト粒子の主成分の一つとして検出されています。

隕石とは、地球やほかの天体に落下する小惑星の破片のような微細天体です。

地球のような大気層を持つ天体に突入した場合、大気との摩擦熱で、最初の大きさの数分の1以下になってしまいますが、成分は鉄分を主体とするものがほとんどです。

そのことから、太陽系に無数にある小惑星も同じだと考えられています。

事実、小惑星は太陽の光によって、表面物質特有の反射を行います。

言い換えれば、表面物質は、その物質特有の光の波長を吸収してしまうのです。

その結果、小惑星の主成分は、惑星を形成する代表的鉱物のかんらん石や輝石を含む石質の物、鉄を主成分とする物、炭素質隕石に似た物に大別できることが判明しました。

そのことから、小惑星をある条件下で衝突合体させれば、大きくなることが分かります。

逆に言えば、小惑星は過去の巨大な惑星の破片だとも言えます。

事実、火星と木星の間には「アステロイド・ベルト」という小惑星帯が、太陽の周囲を取り囲むように存在し、惑星と同じ公転方向にゆっくり回転しています。

あるいはそこに昔、1つの惑星が存在していた可能性が高いと推測されていますし、事実そこには惑星フェイトンが存在していました。

これらのことから、根本的な概念だけでいえば、彗星と小惑星との間にはほとんど差はなく、小惑星も充分な大きさに成長すれば惑星にもなりえます。

事実、彗星が長い時間かけて小惑星になってしまう現象もあります。

これは、氷や膨大な水分が噴き出す、惑星規模の核を持つ巨大彗星が出現した場合、最終的に惑星になりえることを証明する一つの例です。

最近の検出結果でも、かつて金星には氷(または海)があった可能性を示唆するデータが報告されています。しかし、宇宙空間での小惑星微惑星同士の衝突は、合体というよりも反発を生み、無重力下では互いに離れ去る方が正しいです。

そのため、微惑星が無数に合体して惑星になったとする、アカデミズムの最新の太陽系創造論も非常にあやしいものとなります。

終わりに

アカデミズムの宇宙論は否定せざる負えないので、

どうしても一から宇宙論を考察していかなければなりませんが、

今回の宇宙論は一つの論として読んでいただければなと思います。

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