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ワクチンビジネスで世界人口削って大儲け!ウイルス「ばら撒き」の歴史

コロナは陰謀、反ワクチン

意外と世論をみるとワクチンに対して懐疑的な思想を持つ人がここ数年増えている昨今ですが、

コロナが人為的なものであると思っている人いくななんでしょうね。

これは歴史的にスペイン風邪インフルエンザをみると、確実な証拠はないんですけど、自然現象で説明する方が無理があるくらい人為的であることがわかりますので、

「え?そんなバカな」と信じられないこの人為的なウイルスばら撒きの歴史を徹底してやっていきたいと思います。

勿論、これは大々的になると消される内容でございます。

世界統一政府の課題は地球人口を減らすこと

イギリスの経済学者として著名なトーマス・マルサスが著した『人口論』の「集団殺戮に関する覚え書き」という項目にはこう書かれています。

人口を一定に保つために、必要な数を超えたすべての子供たちは、大人の死によって空きが出た時を除いて必ず消滅させなければならない。

愚かにそして無益に人口増加を遅らせる努力をするよりも、死ぬ運命を生じさせる大自然の働きを促進させるべきである。

もし忌まわしい形の大飢饉の訪れが怖いのならば、我々は殺戮のために自然を服従させるほかの手段を熱心に促進するべきである。

特に湿地のような不健康な状況の生活環境を奨励すべきである。

それにもまして、病気を治癒する特別の治療法や薬品、特定の病気を根絶する方法を研究することによって人類に貢献していると勘違いしている慈悲深い男たちを拒否するべきである。

この頃にイギリスで「優生学」が誕生し、この思想は20世紀に入ってからナチスに引き継がれただけでなく、同じ時期にアメリカにも流入し21世紀の現在も受け継がれています。

この考え方は、知的・肉体的に優秀な人間の創造を目的として、人的な要素を介入させることによって、人間の遺伝子を改良することを提唱した学問です。

しかし、その目的達成の手段として、産児制限や人種改良や遺伝子操作を含んでおり、これが後に人口削減に発展していくことになります。

1920年から1939年の19年間に、断種法に基づいて3万人から6万人の知的障碍者に対して強制的不妊手術が実施されました。

1945年8月にトルーマン大統領によって、ナチスの科学者を秘密裏に米国に迎え入れる「ペーパークリップ作戦」が許可され現在のアメリカのロケっと工学をはじめとする多くの世界的な先端技術は、この時にドイツからきた科学者の存在なくしては語ることができません。

この結果として放射能実験を含む各種の人体実験が、一般の子供や軍人を含めた多くの健康なアメリカ国民を対象にして、その事実を本人に知らせることなく1910年から2000年まで実施されていたことが、後日次々に明らかになりました。

1974年12月10日、キッシンジャー主導による米国国家安全保障会議が、米国主導の人口削減計画を進言した秘密報告書を大統領に提出しました。

それをフォード大統領が正式に米国政府の国家政策に採用したのは1975年11月のことです。

この報告書は、発展途上国の人口増加はアメリカの国家安全保障にとって重大な脅威であるとして、表立っては、産児制限、暗に戦争と飢餓によって人口を減らすための概略が示されました。

対象国には、インド、バングラデシュパキスタンインドネシア、タイ、フィリピン、トルコ、ナイジェリア、エジプト、エチオピア、メキシコ、ブラジル、コロンビアの13か国でした。

共産中国は1979年に「一人っ子政策」が実施されます。

このとき、キッシンジャーは、国際通貨基金IMF)や世界銀行発展途上国に融資する時の条件の1つに、人口削減プログラムの推進を加えることを提唱しています。

「女性の権利」も人口減らしのためのプロパガンダ

新世界秩序の推進者はさらに人口削減を推進しようとします。

現在のように急激な人口増加が続くと、すべての資源が使い尽くされてしまい、地球全体が滅ぶと危惧していたりしました。

人口削減は彼らのもっているプロジェクトの一つですが、具体的な作戦はいくつか知られています。

出生抑制という長期の展望に立った作戦、戦争・虐殺と飢饉と疫病の蔓延で多くの人間の抹殺に有効な4つの作戦、計5つです。

出生抑制作戦において世界中で最も貢献しているのは、インドのムンバイで誕生し現在149の組織を持ち、世界189か国で妊娠中絶を積極的に推進している「国際的な計画的親子関係連合」です。

この組織の妊娠中絶推進運動を積極的にバックアップしているのは、マイクロスフとの創立者として有名なビル・ゲイツで、彼と奥さんメリンだが創立したビル&メリンダ・ゲイツ財団は1998年以来アメリ支部に1250万ドル(12億5000万円)の寄付を行い、本部には2100萬ドル(21億円)の寄付を行っています。そしてその2人の運動を支援するのが、投資の神様として有名なウォーレン・バフェットです。

WHOによれば年間1900万件の危険な妊娠中絶が、発展途上国貧困層において行われています。

またこの妊娠中絶が原因で病気や身体障碍になったり、場合によっては死に至ったりして、現在世界の出産時の母体死の13%は妊娠中絶手術が原因です。

妊娠中絶推進運動を積極的に展開する「国際的な計画的親子関係連合」のアメリ支部となっているのは、「計画的な親子関係」です。

この組織は米国の産児制限活動家として有名な女性マーガレット・サンガーが、米国最初の家族計画と産児制限クリニックを開いたニューヨーク市ブルックリンにルーツがあります。

サンガーは1921年に「米国産児制限同盟」を創設しますが、その組織が名前を変えて「計画的な親子関係」のアメリ支部となりました。

サンガー自身は、妊娠中絶には反対の立場だったのですが、サンガーなきあと、同盟は方針を変更し、CFRの意向に沿って積極的に妊娠中絶を推奨しています。

このほかに行われているのは、安楽死と呼ばれる一種の自殺ほう助で、現在はまだ広く認知されていませんが、いずれ拡がっていくものと思われます。

戦争という手っ取り早い人口減らし

1898~1919年、アメリカ軍はフィリピンで20万人以上の現地人を殺害

1915~1918年、アルメニアトルコ人が150万人のアルメニア人を虐殺

1910~1920年、メキシコ独立戦争で100万人が犠牲

1914~1918年、第1次世界大戦では諸説あるが、2100万人が死亡

1939~1945年、第二次世界大戦では諸説あるが、6000万人が死亡

また戦争と並んで人口削減に貢献しているのはロックフェラー財閥をバックにした共産主義の虐殺です。

ロシア革命スターリンの虐殺、6000万人

中国の毛沢東による狂気、4000~8000万人

カンボジアにおけるクメール・ルージュの虐殺、200万人

東欧、100万人

ベトナム、100万人

ラテンアメリカ、15万人

アフリカ、170万人

アフガニスタン、150万人

毛沢東に関していえば、1958年から60年までの2年間の大躍進政策の失敗で2000~5000万人の餓死者を出しています。

人為的な飢餓

現在は食糧生産が安定しているので自然発生の可能性は低いのですが、将来は食糧供給をコントロールして人口削減の有効手段として使われる可能性の高い災害に飢饉があります。

1932年ウクライナで諸説あるものの600万~700万人の餓死者を出したききんは、ウクライナを従わせようとしたスターリンによる人為的な飢饉だったと言われています。

飢餓ということに関して、上智大学文学部で長年人間学を担当し現在は名誉教授のビセンテ・ボネット司祭が統計を基にして出した、非常に考えさせられる情報がウィキペディアに載っています

・世界の食料生産送料は、世界中の人々を養うのに十分な量がある

・世界の肥満の人数は、世界で飢えている人とほぼ同じ人数である

・豊かな国は、必要量以上の食料を輸入している

・豊かな国は、食料を捨てすぎている

・貧しい国の貧しい生産者は、家族がもはや生活できない程の低価格を、商社から強制されている

・貧しい国の貧しい生産者が家族の生活を維持するために必要な穀物は、商社に売り渡され、豊かな国の人々の肉類生産用家畜飼料にされている

・肉類の消費量増加の意味は、飼料用の穀物消費量が増える→国際市場における穀物の価格が上昇→貧しい人々が必要とする穀物を買えなくなる、ことである。

そして、本題である最も人口削減としてのツールとして有効であるウィルスをやっていきます。

ウイルスバラマキ、インフルエンザの歴史

インフルエンザとは?

インフルエンザとは昔から日本では流行性感冒で単なる急性の風邪の一種として考えられてきました。

ウィルスは生物ではなく、自己増殖することはできません。他の生物を宿主として依存しながら増殖します。

最近をろ過する装置をも通り抜けるほど、極小サイズであることから「ろ過性病原体」とも呼ばれます。

細菌ではないので抗生物質も効きません。

艦船や咳やくしゃみなどによる飛沫感染と病原菌に汚染されたものとの直接接触が主な経路です。

また、ウィルスは太陽光線や消毒によって不活性化するので、マスクと石鹸を使った手洗いが感染予防には非常に有効です。

インフルエンザ・ウイルスの分類に使われるH1N1とかH5N1といった表記は、そのウイルスの系統を表します。

Hはへアグルチニンと呼ばれる、ウイルスの表面に存在する抗原性糖タンパク質の種類を荒らします。

細菌やウイルスはこのたんぱく質の働きによって細胞に感染します。

現在16種類が知られていて、16番目は最近スウェーデンノルウェーの黒頭のカモメから発見されました。

ヒトに感染するインフルエンザ・ウイルスはH1からH3までの3種が見つかっています。

Nはノイラミニダーゼと呼ばれる配糖体の加水分解酵素のことで、インフルエンザ・ウイルスの増殖に関係する酵素です。

このNの後ろの数字は、世界的に使われているタンパク質のアミノ酸配列のデータベースであるスイスプロットからの数字で、現在137までありますがインフルエンザ・ウイルスは9種類が知られています。

ヒトの間で流行を起こすインフルエンザ・ウイルスはすべてA型で、H1N1、H1N2、H2N2、H3N2の4種類の亜型があります。

このほかに低病原性トリ・インフルエンザH9N2や高病原性トリ・インフルエンザH5N1など時々ヒトに感染した例がありますが、ヒトからヒトへの流行には至っていません。

1918年のスペイン風邪を始め、世界的な流行はA型のウイルスが原因で、ウイルスの突然変異は「遺伝子ドリフト」とも言われて、ほとんどのウイルスに見られる現象ですが、これによるA型ウイルスの性質の変化は比較的小さいと考えられます。

ところがこの「遺伝子ドリフト」と呼ばれる変異現象の他に、A型は「遺伝子再集合」と呼ばれる現象をおこして、従来とは全く違う性質のウイルスに変化します。

そうなると過去に感染したウイルスによって人間の体内に出来た免疫が全く作用しなくなりますから、それが大流行を引き起こしてきたと勘がられています。

インフルエンザ・ウイルスはヒトとトリとブタがよく知られていますが、種によって異なるインフルエンザウイルスは、通常は同種の動物間の感染に終始していて、違う種の動物に感染することは非常にまれです。

ただ、ブタだけは特殊で、ヒト・インフルからもトリ・インフルからも感染しやすく、過去に流行したインフルエンザウイルスはブタの間で生き続けていた可能性が高いと指摘されています。

このようにインフルエンザの前提知識を持った上でその歴史を辿っていくと、どうも怪しいことが起こっていることがわかっていきますので次の項目からやっていきましょう。

インフルエンザの歴史

日本では比較的新しく、平安時代近畿地方でインフルエンザらしき病気が流行したという記録が残っています。

西暦862年のことで「多数の人々がひどい咳を患い死者多数」と当時の記録にあります。

その後も何度か流行を繰り返したようで、当時のシナ大陸に勢力を持っていた渤海との交易によってもたらされた病と当時の人々は考えてい用です。

歴史上、最初の信頼できる記録として、インフルエンザの大流行は1580年の欧州です。

この時の流行はロシアからスタートしてアフリカを通って欧州にまで到達しました。

ローマ市民だけで8000人以上の人が亡くなり、いくつかのスペインの村はゴーストタウンと化しました。

この後のインフルエンザの流行は17世紀と18世紀を通して、世界中で発散して発生していました。

その中でも大きかったのは1830年から1833年にかけての流行で中国から発生して東南アジアからインドに行き、ロシアを経由して欧州全土に広がりました。

致死率は高くなかったのですが、世界中のおよそ3分の1の人が感染しました。

20世紀になってから大きな世界的流行を引き起こしたのは、1918年のスペイン風邪です。

現代では飛行機の発達によって感染者の国際的移動が容易になり、それと共にウイルスが世界中を駆け巡るスピードが速くなっていますが、当時は1年かけて世界中に拡がりました。

多くの専門家は、この時の大流行がその後のすべてのインフルエンザに関係していると指摘します。

そこでこの90年前のスペイン風邪の大流行を掘り下げていきます。

1918年:スペイン風邪

スペイン風邪H1N1はいまだ感染経路が不明として扱われています。

アメリカ疾病予防管理センター(CDC)から出される文書は、感染症に関する世界共通ルールとみなされるほど大きな影響力を持ち、未知のウイルスや感染症を題材にした映画や小説には必ずと言ってよいほど登場する権威ある研究所です。

2005年12月にスペイン風邪について検証し、ホームページに「1918年インフルエンザ:すべての大流行の起源」と題された記事が掲載されていますので紹介します。

1918年~1919年にかけてスペイン風邪は当時の世界の人口の3分の1、数にして5億人が感染し、5000万人から、疑問点もあるが1億人とも言われる死者を出した。

通常のインフル死亡率が0.1%以下なのが、この猛烈なインフルエンザは2.5%以上の死亡率を記録した。

この時の流行は1918年だけに限られない。

その時以来世界中で起きているほとんどのインフル大流行は、H5N1とH7N7のようなトリから直接ヒトに感染したものを除いて、1918年流行のウイルス子孫によって引き起こされている。

これは遺伝子ドリフト(抗原に関係するゲノムの突然変異)を起こしたH1N1亜型と、遺伝子再集合を起こしてできたH2N2とH3N2も含む。

しかしその起源や尋常でない拡大の仕方や激しい病原性について、今も多くのことが解明されていない。

その後も続けられた研究調査活動は、1918年のウイルスの子孫が豚の間で地域的に生き続けていることを指摘している。

それらはおそらくヒトにも感染して、段階的な抗原の変化を起こしながら1950年代まで毎年、地域的な流行を引き起こしていた。

1918年の大流行を引き起こしたウイルスの系統はブタの間では地域的に残っていたが、1957年のアジア風邪の流行を引き起こした新しい系統のH2N2が出現してから、ヒトとヒトの循環から完全に消えてしまった。

しかし1977年になって、ヒトH1N1ウイルスが突然、研究所の冷凍庫から再出現した(これはソ連風邪として知られる世界的流行を指す)

そしてそれは現在も狭い地域的流行にも広範囲な流行にも対応して、ヒトからヒトの間を循環し続けている。

1918年の流行は、1990年だ今の初めまで全く分からず、1995年に1918年のウイルスはヒトの4種類とブタのH1N1とH3N2に直接つながる先祖であることが証明された。

しかし、その発生と起源と感染地域の広大さに関することについては解明されていない。

3つのうねり

1918年から1919年にかけての流行は、最初の春のうねりは1918年3月に始まって、欧米と欧州とアジアに6か月かかって不規則に拡大した。

感染率は高かったが、多くの地域における致死率は通常と比べて目立つほど高くなかった。

しかし、1918年の9月から11月にかけての2度めの世界的なうねりは、死亡率が高かった。

ほとんどの国では3度目のうねりは1919年の諸等から発生した。

それぞれの流行の間の休止期間が短くて、広範囲なインフルエンザの流行が素早く連続して1年以内に3回起きたことは前例がない。

毎年繰り返される発生とある程度までの毒性の強さは、ウイルス抗原性ドリフト(突然変異)に左右される。

そして違った抗原性を持つウイルスは、大体2年から3年の周期で優勢になってくる。

いったん多くの人が、ウイルスの拡散を効果的に制限してします重要な境界を越えた免疫性を獲得すると、ヒトとヒトとの間を循環するウイルスは、このドリフトがなかったらおそらく消滅する。

インフルエンザい流行の時期とその間に関する要素は、ウイルスの拡散を制限している大衆の免疫性と、低気温、ヒトの鼻腔の温度(インフルエンザ・ウイルスは熱に不安定なので低温を好む)、最適の湿度、込み入った室内、締め切った不完全な換気装置に夜最適とは言えない空気の流れなどの、ウイルスの好む環境に左右されると信じられている。

しかしこれらの要素からは、1918年の春から夏、夏から秋、そして1919年の冬からスタートした3回の流行の波を説明できない。

まして最初の2回は通常インフルエンザの流行には向いていない季節に起きた。

さらに言えば、流行の間の期間は非常に短かったので、地域によってはうねりの区別がつかなかった。

しかも免疫が一過性で持続しなかったと仮定しても、さしょの感染に耐えた人達が、2から3週間後には新しい急激な流行に巻き込まれてしまった。

ウイルスがほとんど同時に世界中で、連続する流行の短い波の合間に完全に変化することが可能だろうか?

ウイルスが人の免疫を凌駕するほどの強さを持つ新しいインフルエンザ・ウイルスになるのは、世界中に流行してから2、3年かかると信じられている。

もしそれが起きたとしても、世界中に感染するには、数か月の時間を要する。

1918年流行のウイルスにこれほど急速で連続した能力を与えた要素は不明。

現存するデータでは、最初のうねりが2回目と3回目のうねりと同じウイルスによって引き起こされたのか、もしくは流行の拡大と共に大きな遺伝子の進化的な出来事が発生したのか、答えを出すのにほとんど助けにならない。

1918年以前の人間と、この3回のそれぞれのうねりのウイルスのリボ核酸RNAだけが、その答えを出すことができる。

1918年に流行したすべてのウイルスは、1918年にもそれ以前においてもヒトには新しい種類だったと、現在完成した、当時のウイルスの配列データは指摘している。

つまり、1918年のウイルスは、当時存在していたウイルスの遺伝子再集合によって生まれてはいない。

その8つの遺伝子部分が同じ時代に存在したトリ・インフルの遺伝子とはかなり違う。全体的にはトリ・インフルに似たウイルスだが、一の場所から生まれてきたように見える。

1918年の大流行を引き起こしたウイルスの遺伝子上の構成と違って、遺伝子再集合が起きた1957年と1968年流行のウイルスの新しい種類の遺伝子部分は、すべてユーラシア大陸のトリ・ウイルスに源がある。

両方とも同じメカニズム、つまりユーラシア大陸の野生のカモ類のウイルスの系統が、以前から存在していたヒトのH1N1と遺伝子再集合を起こして生まれた。

1918年の大流行の原因となったウイルスは、際立って他の違う起源を持つと推測されるので、それを解明するには、1918年以前のヒトのインフル・ウイルスのサンプルと、1918年のウイルスの遺伝子配列に似通った野生の系統が必要である。

1918年ウイルスの独資絵の遺伝子上での根拠をより詳細に調査するにあたって、いろいろな動物を対象にした実験が計画されている。

これらの実権が、1918年ウイルスの異常に高い毒性の原因を解明する手助けになるかもしれない。しかし、1918年に動物が持っていたウイルスの特定の要素が、この非常に特徴的な高致死率の理由の説明をできるかどうか定かではない。

1918年のH1N1ウイルスはブタに起源を持つインフルエンザウイルスでうが1918年以前にはブタから発見されていません。

ブタの新しい病気として1918年から始まったことになるのです。

つまり、スペイン風邪は、何かが原因で突然発生した3種類のブタ・インフルエンザ・ウイルスがトリを介してヒトに伝染し、人間の間で短期間に3回の流行を起こしたことになるのです。

こうなると、自然発生の可能性は限りなく低くなります。

あまりにも不自然すぎる現象であって、人間の手によって作り出されたと仮定せざる負えなくなります。

スペイン風邪アメリカ軍部によって人工的に作り出された

アメリカ軍部が人工的に作り出した可能性が高いのを示唆したのが1841年創業のアイルダンどの三大日刊新聞の1つ『アイリッシュ・イグザミナー』のサイトの掲載された「ウイルスではなくてワクチンがスペイン風邪の原因」と題する2003年5月8日の記事です。

この大流行の起源に関していえば、『ドイツが彼らの戦争の取り組みの一環として、劇場や人が大勢集まる場所にばい菌をまき散らしたのかもしれない』と当時の米国陸軍の高級将校が述べた

と書かれています。

同紙は「でも、ドイツは自国民の間にも菌をまき散らして、同胞40万人を死に追いやってしまったのだおうか?」とドイツ軍犯人説に疑問を投げかけてから、アメリカ軍によるワクチン説を展開しています。

当時の陸軍長官ヘンリー・スチムソンの報告書には、黄熱病のワクチンの接種が直接の原因で、参戦して6か月間で接種中にそのまま崩れ落ちて死亡した7人を含め63人が死亡、2万8585人が肝炎になった事実が書いてある。

第1次世界大戦時の陸軍長官が発表しているのですから米国政府の公式見解です。

また近年の出来事として、第2時イラク戦争の時二イラクに派兵予定だったアメリカ兵が、異常な症状を引き起こすワクチンの接種拒否に及んだニュースが報道されていたことを覚えている方も多いかと思います。

これは、新兵に実施されることになっていた14種類から25種類のワクチンのうちの、たった1つによる結果である。1911年に米国陸軍においてワクチン接種が強制になってから、腸チフスにかかるケースが急激に増加しただけでなく、ほかのワクチンに関連した病気が異常に高い率で増加したことを、陸軍の記録は明らかにしている。1917年にアメリカが参戦してからは、腸チフスのワクチン接種による死亡率は、米国陸軍史上最高点に達した。

チフスの症状を抑えようとして陸軍の医者たちはより強いワクチンを使ったので、悪性のパラチフスの症状を引き起こしてしまった。

しかし、彼らがそのパラチフスを抑えようとして更に強烈なワクチンと混合して使ったため、今度はもっと悪い病気のスペイン風邪を発生させてしまった。

戦争後、危険な病気に汚染されていた紛争地域から帰還する兵士から、パニックに襲われた一般人を守るために使われたワクチンの一つに、この強烈なワクチンがあった。

この説だと、強い腸チフスのワクチンがスペイン風邪を生み出したことになります。

しかし、短期間に3種類の違ったウイルスが蔓延した理由は説明できないので謎は深まるばかりです。

1957年 アジア風邪H2N2

一般的にアジア風邪と呼ばれるインフルエンザは、野生の水鳥のもつウイルスが、すでに存在していたヒトのウイルスと結びついて1956年初頭に中国で発生し、1958年まで続きました。

情報の出所によって数字は異なりますが、全世界での死亡者は100万人から400万人と言われています。

このタイプのウイルスが抗原変異を起こして、11年後の1968年五これの穏やかなバージョンともいえる香港風H3N2を引き起こすことになります。

この両方ともブタに感染して抗原変異を起こしており、ブタ・インフルエンザの特徴を併せ持っています。

1968年香港風邪H3N2

このタイプのウイルスが毎年冬季の人間のインフルエンザ流行を引き起こしていますが、この時は全世界で100万人の死者を出したと言われています。

ブタからブタの感染は、A型のH1N1とH3N2とH1N2ウイルスによって起こされていますが、H3N2は3重の遺伝子再集合を起こしていて、ヒトとトリとブタの3種類の遺伝子分野を持っています。

H3N2のトリ・インフルエンザ・ウイルスは、中国のブタの間でも流行していました。

この人にも感染するH3N2と、ヒトには感染しにくいトリ・インフルエンザウイルスH5N1が遺伝子再集合を起こして新しいタイプのウイルスができると、ヒトには免疫がないので大流行になる可能性があります。

2004年8月、中国のブタからH5N1が発見されました。

20世紀に入ってからのインフル三大流行はスペイン風邪とアジア風邪と香港風邪で、そのほかに季節的なものや地域的な流行が毎年発生しています。

1976年ブタ・インフルエンザ・ウイルスの突然の出現

ブタはトリ・インフルやヒト・インフルに容易に感染することが知られていますが、ブタ起源のウイルスによる最初の事件は、1976年アメリカで置きました。

2月15日、ニュージャージー州にあるフォートディックス陸軍基地で、1人の新兵が気分の悪いことを訴えてその翌日死亡するという事件が起きました。脂肪から2週間後に医務当局が新兵の死亡原因は1918年のインフルエンザ大流行を起こしたウイルスと同じ系列だと発表し、政府当局は大流行が再び起きないように、全国民にワクチンの強制接種を義務付けるようにフォード大統領に進言しました。

感染が検出されたのは1月19日から2月9日まででそれも基地の中だけでしたが全国民を対象にしたワクチン接種が始まり全国民の24%が受けた時点で、そのワクチンの副作用が原因で死亡したケースが25件も出てきたので、結局ワクチン接種は急遽中止になったという経緯がありました。

1977年ソ連風邪H1N1亜型

このH1N1ウイルスは1918年のスペイン風邪を引き起こしましたが、長い間人には感染しませんでした。

それが1976年にいきなり出現して米国基地で新兵の命を奪い、1977年には「研究所の冷凍庫」から59年ぶりに世間に出てきて、主に幼児から免疫のない23歳以下の若者に死者を出しました。

2009年4月から6月にかけて世界中を恐怖に陥れた新型インフルエンザから、これと同じ型のH1N1ウイルスが採取されました。

ところでH1N1タイプの弱毒性ウイルスは現在も野生動物の間で生きており、世界中に存在しています。

季節的に発生する地域的な軽いインフルエンザのほとんどはこの種のウイルスが原因です。

2004年「勘違い」でばら撒かれたウイルス

2004年9月から2005年にかけて、1957年のアジア風邪ウイルスH2N2が「間違って」世界中の研究所にばら撒かれるという事件が起きました。このことは、カナダのウィニペグにあるカナダ国立微生物学研究所によって2005年3月に発覚しました。

メリディアン社は、危険はないと「勘違い」したと釈明していますが、1997年のH2N2ウイルスはCDCによってバイオセーフティーレベル3に分類されていますから、空気感染しないように注意して取り扱う必要があります。

それまで50年近くの長い間、米国だけでなく世界中に存在していなかったウイルスが、メリディアン社の「勘違い」によって研究所の試験管から外に放たれてしまったことになります。

2008年 また「手違い」で研究所から流出

オリノイ州ディアフィールドに本社を置き、医療機器、製薬、バイオテクノロジーを手掛け、日本を含め4万6500人の社員を抱え、114億ドルの売り上げを誇る国際的製薬会社のバクスター・インターナショナル社が、彼らの説明によると「手違いによるミステーク」を起こしたのです。

H5N1とH3N2と人間のA型ウイルスが入ったワクチンの原料が、世界18か国のバクスター研究実験室に配送されました。

この「手違い」は、カナダ国立微生物学研究所によって発見され、WHOが当該国に警告を発したようです。

この2回のケースは未然に発覚したので大事には至りませんでした。

2回の事件とも製薬会社の「手違い」で不問にされたので大手マスコミは全く問題にしていません。

2009年 新型インフルエンザH1N1亜型 研究所で培養

メキシコで最初の感染例が報告されてから、しばらくはブタ・インフルエンザと呼ばれていたこのウイルスの特異性は、その遺伝子の多様性にあります。

科学者によると細胞の中のリボ核酸RNAはすべてがブタのもののようですが、CDCは、ヒトとトリと2種類の地域的なブタの4つの遺伝子系統を併せ持っていると発表しました。

また細菌学者によると、この新型ウイルスあ過去の流行を引き起こしたウイルスよりも、症状は軽く致死率も低いとのことです。

1918年のスペイン風邪を筆頭にインフルエンザ流行には謎が多いのですが、kの新型ウイルスもその例にもれません。

メキシコ政府の調査で、メキシコ国内からはこのウイルス検査に陽性反応を示したブタが全くでなかったことが発表されました。

また世界動物保健機関(OIE)も、今回のウイルスはブタからは発見されていないと発表しているように、2009年のH1N1ウイルスは、ブタ・インフルに近い遺伝子を含んでいるものの、ブタからヒトに感染したものではなくヒトからヒトへの感染なのです。

この全世界を巻き込んだ新型インフルエンザですが、

テキサス州のダラス郡保健所のジョン・カルロ博士が4月26日の記者会見で「今回猛威を振るっている系統は、ウイルス銀行にも保管されていないもので、アメリカのみならず世界中のどこでも見つかったことがない全く新しい種類で、この種のウイルスは、以前から研究所内で培養されていたものです。」と明確に記者団の前で説明しました。

危険なウイルス培養目的としては、軍の生物兵器研究の一環や、人口削減のためといったことが考えられますが、そのほかに薬屋ワクチンによって莫大な利益を確保できる製薬会社も無視できない要素です。

ヒトの手によるウイルス製造の疑いに関して、2008年インドネシアの保健相シチ・ファディラ・スパリ博士が著した『世界が変わる時』にこう書かれています。

インドネシアは2009年6月2日の時点で高病原性トリ・インフルエンザによって世界中で一番多い115人の犠牲者が出ている国(2位ベトナム、3位エジプト)です。したがって国を挙げて必死の努力を行っているのは想像に難しくありません。その保健相が、アメリカとWHOはトリ・インフルエンザ流行を利用して利益を出そうとする国際的規模の陰謀に加担している。

そのうえインドネシアアメリカに送ったH5N1ウイルスのサンプルが、軍事用生物兵器開発研究所として知られている施設に送られて、彼らは生物兵器を創り出そうとしている可能性がある。そして、西洋の製薬会社がワクチンを作ってそれを発展途上国に売って利益を出すために、WHOの研究所はインドネシア・ウイルスのサンプルを製薬会社に転送している

この本には当時のインドネシア大統領スシロ・バンバン・ユドヨノが裏書きしています。

また「ブルームバーグ・ニュース」が2009年にも全世界に向けて驚愕の事実を流しました。

タミフルの開発に寄与した研究調査に協力し、また39年間のウイルス研究で多くの論文を書き、1993年度オーストラリア科学アカデミーの会員にえらばれた、キャンベラのオーストラリア国立大学アドリアン・ジョン・ギブズ教授が、ほかの2人の同僚と共にH1N1の遺伝子コードを調べた結果、H1N1ウイルスは人間の手によって作り出された可能性がある。

この記事を肯定すると、CDCのサイトにおいてウイルス研究の第一人者ジェフリー・トーベンバーガー博士が分からないことだらけと書いたスペイン風邪の謎が氷解します。

たまたま自然発生した新種ウイルスが高い感染力を持っていたり、試験管内で苦労して作った新種ウイルスがミスで試験管から外に出たりして、気が付いた時には世界中に蔓延していたとするのは無理があります。

米軍開発の生物兵器エイズ

エイズ感染者は10年で100万人

人間と病との関係は太古の昔からありますが、治療技術や各種医療機器の発達にもかかわらず、病人は減少するどころか増加しています。

新しく出現した病気の多くは、原因や治療方法を初めとして多くのことが解明されていないのが現状です。

新しく出現した病気の一つであるエイズは、致死率が高く、人口削減に大きな貢献をしています。

エイズの正式名称は後天性免疫不全症候群で、少なく見積もっても既に2000万人以上の人がなくなり、現在、全世界に5000万人を超すエイズを引き起こすヒト免疫不全ウイルス(HIV)の感染者がいると推定されています。

このウイルスは、人の免疫細胞に感染し、比較的長い潜伏期間を経て免疫細胞を破壊して、最終的に後天性免疫不全症候群を発症させます。

感染者でも発症していないうちはHIV感染者で、潜伏期間が過ぎて発症するとエイズ患者となります。

最近使われた多剤併用療法によって当初と比べると2001年以降は致死率が半減したようですが、それでもいったん発症すると2年以内の致死率は80%を超えると言われています。

HIVは現在8種類の亜型が知られています。

通常の環境では非常に弱いウイルスで、傷のない皮膚から感染することはないので、普通の社会生活をしている分には感染者と暮らしたとしてもほとんど感染することはありません。

感染は主に血液や精液や膣分泌液などの体液もしくはそれに準ずる濃度の母乳を介して発生します。

感染の最も多いのは、性行為で、次に汚染された注射器の使いまわし、母子感染と続きます。

感染者が多いのはアジア・アフリカの発展途上国で、今も拡大傾向にあります。

サハラ砂漠以南のアフリカ南部には、世界のHIV感染者の60%がいると言われています。

近年は中国、インド、インドネシアで感染者が増加しています。

日本で最初にHIV患者が発見されたのは1985年です。その後徐々に増加を続けながらも世界的にみると絶対数は少ないとはいえ、2006年には952件が報告されています。その内訳は、同性同士の性行為が604人、異性間性行為が223人、その他となっています。

感染者数は横ばい状態ですが、首都圏や大阪近郊では確実に増加傾向でこの2つの地域だけで日本国内のHIV感染者数の8割を占め、新規感染者の4割は東京からです。先進国で増加しているのはロシアと日本だけと言われています。

この数字からみると海外が危ないのは勿論ですが、大都会、特に東京にお出かけの時は注意が必要だと思います。

エイズについて当初マスコミは、アフリカミドリザルが持っていたウイルスが変異を起こして人間に感染するようになった、と報道していましたがいかにジェット機時代とはいえその電波のスピードは速すぎる感があります。

インフルエンザなど飛沫感染は別ですが、性的接触によって感染する病原体が世界中に伝播するにはそれなりに時間がかかるものです。

エイズが出るまで最も恐れられていた性病の梅毒を例にとればよくわかります。

その由来についてはいくつかありますが、一番有力視されているのは、当時西インド諸島の風土病だった梅毒をコロンブスが引き連れた3隻の船の船員たちが、言質の女性から「お土産」に貰って欧州に持ち帰ったという説です。

西インド諸島に到達したコロンブスがイタリアに帰還したのは1493年で、日本で最初に梅毒が記録に現れるのは1512年ですから、19年もの歳月がかかっています。

そしてその感染の仕方はとても流行とは言えない程静かなものだったのです。

ところが、エイズの場合は、1981年にロスアンゼルスで最初の患者見つかってから、4年後の1985年には日本で最初の感染が報告され、10年後には世界中で100万人もの感染者がでたのです。

いかにコロンブス時代とは世界中の交流の度合いの桁が違うとは言え、その伝播の速さには目を見張るものがあります。

現在ではより多くの亜型が確認されていますが、不思議なのは初期のころから確認されている8つの亜型はおおむね同じ地域で現在も感染を繰り返していることです。

HIVウイルスはHIV1とHIV2の2種類に大きく分けられます。

HIV2はHIV1に比較して毒性も感染率も低く、主に西アフリカに限られています。

世界中で感染を繰り返しているのは、多くの亜型に分かれたHIV1のほうです。

HIV1は現在大きく分けてNグループとOグループとMグループの3つに分類されます。

Nグループは1998年に発見された新しいもので、感染もカメルーン国内に限られています。

Oグループは主に中西部アフリカに見られるタイプで、他の地域では非常にまれです。

そして、NとOの両方とも、通常のテスト・キットでは反応が出ません。

世界中の感染者の90%以上はHIV1のMグループです。

このMグループは現在10種類以上の亜型に分類されていますが、初期から存在するのはA、B、D、Eの4つです。

A亜型は西アフリカに一般的です。

B亜型は欧州、アメリカ大陸、日本、タイ、オーストラリアの主流タイプです。

D亜型は東と中央アフリカにのみみられる型です。

E亜型はそれだけで抽出されたことはなく、必ずA亜型と結合した形で発見されています。

F亜型は中央アフリカ南アメリカと東欧で発見され、K亜型はコンゴカメルーンに限られていますなどなど。

流行が確認されたからやがて30年近く経過する現在においても、特定の地域に限定されて感染を繰り返している亜型が多いという事実があります。

現在と比べると交通が限定されていて極端なほど人の行き来が少なかったコロンブスの時代に同じ性病の1つである梅毒が19年で地球をほとんど1周したことを考えると、8種類のHIVウイルスがほとんど同時期に世界中のあちこちで発見され、その幾つかはほとんどそのまま30年近くの時を経過した今も限定された地域にとどまっているというのは、何か不自然なものを感じます。

HIVウイルスはアフリカの猿を起源とするという説が一般的に信じられていますが果たしてそうなのでしょうか。

後半で全く違った角度からHIVウイルスの起源を探ってみることにします。

エボラウイルス

1976年スーダンの綿工場で働いていた男性が急に39度の高熱を出して頭や腹部に痛みを訴えて入院し、その後消化器官や鼻から激しく出血して死亡しました。

この時は最終的な感染者は284人になり、死者の数151人となりました。

この致死率の高い恐ろしい病気の名前は、最初の死者の出身地近くを流れるエボラ川にちなんでエボラ出血熱と名付けられました。

この後この病気はアフリカで10回、突発的に発生して近辺に伝播し、致死率は50~89%と非常に高い危険なウイルスによる感染症です。

この種に属するウイルスの亜型は幾つか報告されていて、2007年から2008年にはマニラ北部の養豚場など数か所で豚が相次いで死亡しました。

それがエボラに属するレストン株と呼ばれるエボラウイルスでした。

エボラウイルスは現在までに主にアフリカ中央部と西アフリカで人間の患者が出ていますが、宿主や媒介する動物に関しては、全く不明です。

感染力は強いのですが、感染者の体液や血液に触れなければ感染しません。

また感染者の多くがすぐ死亡するので感染爆発に至ったことはありません。

エボラ出血熱は怖い病気とは言え、日本での発生は皆無でアフリカに行く人も限られるので、皆様に注意を促すため詳細を書く必要もないですが、このウイルスの不可思議さを理解していただくと、あとの話が理解しやすくなります。

エボラウイルスは現在5種類が知られていますが、ワクチン並びに有効な治療法は確立されていません。

1ザイールエボラウイルスは、流行年によっては90%という最も高い致死率を持ちましたが、平均して19年間で83%の致死率です。ほかの種類と比べると、このザイール株が最も多く発生しています。

スーダンエボラウイルスは、ザイールエボラウイルスに次いで多く発生しています。

スーダンで死亡したエボラ出血熱の最初の犠牲者が感染したウイルスです。

この男性のケースは、近くの自然の貯水池に関連する可能性が疑われたので、周囲のすべての動物や昆虫を調べてウイルスの存在を調べましたが、全く手掛かりはありませんでした。

3レストン・エボラウイルスはエボラと分類されていますが、現在まではブタにだけ病気を引き起こしていて人間への感染は報告されていません

コートジボアールエボラウイルスはアフリカのコートジボアールの森の中のチンパンジーから見つかりました。

1994年に沢山の猿の死体がみつかり、すべてエボラの陽性反応が出ました。

その死体解剖を行っていた女医がエボラ出血熱に感染しました。

彼女は死体解剖から約1週間後にデング熱と非常に似通った症状を呈し、治療のためにスイスへ送られました。

2週間後には退院し、完全に治療したのは感染してから6週間後でした。

5ブンディブギョ・エボラウイルスは2007年のウガンダの保健省大臣がブンディブギョ県における発生を発表しました。CDC(アメリカ疾病予防管理センター)における検査によって確認されて、WHOがエボラウイルスの新種の存在を確認しました。

2008年1月8日に最後の患者が退院したことで、ウガンダ政府は電線が終わったことを2月20日に公式に発表しました。

以上のように現在まで5種類のウイルスが発見されていますが、ヒトに感染するのは主に4種類だけで感染はアフリカだけに限られています。

そして、患者の発生があるたびに周辺で生態調査が実施されたにもかかわらず、自然宿主の特定には至っていません。

1995年のキクウィットでの発生の際に、ヒトでの発生が終焉した後、昆虫、ネズミ類、猿などの血液や組織など5万体の調査が及びましたが、ウイルスの遺伝子も後退も見つかりませんでした。

マールブルク・ウイルス

1967年にエボラウイルスと同じフィロウイルス科に属するマールブルク・ウイルスが突然出現しました。

旧西ドイツのマールブルクとフランクフルトと、ユーゴスラビアベオグラードで、ポリオワクチン製造と実験用にウガンダから輸入されたアフリカミドリザルにかかわった研究職員や清掃員など25人が突如発熱、うち7人が死亡しました。

原因はマールブルク・ウイルスというこれまで知られていなかったウイルスによる出血性感染症でした。

エボラ出血熱ほど急激に感染拡大するウイルスではないようです。

これも自然界での宿主は不明で、これまではアフリカ中東南部に散発的に発生していましたが、21世紀に入ってからはアフリカ各地で大量発生しています。

感染方法は、感染者や患者の血液、体液、分泌物、排泄物などとの接触によるものと考えられます。

感染の防護対策は手袋等で良いとされ、空気感染はないとされます。

感染者に対する発症者の割合は不明です。

電子顕微鏡で見ると、外見はエボラウイルスに非常に似ています。

対症療法のみでワクチンはありません。

マールブルク熱もエボラ出血熱も致死率の高い危険な病気ですが、宿主は全く見つかっていません。

サーズ(SARS

正式名称は、重症急性呼吸器症候群という名前で、サーズ・ウイルスによって引き起こされる感染症です。

2002年11月に中国広東省で発生し2003年8月までに、8096人が感染し774人死亡しました。致死率は9.6%でした。

症状としては38度以上の発熱、咳、呼吸困難を起こします。

病原体は新型のコロナ・ウイルスで抗生物質はありません。

通常のコロナ・ウイルスは体外で3時間以上生き延びますが、サーズ・ウイルスは乾燥したプラスチックの上で、24時間以上生存したことが確認されています。

主に飛沫感染ですから、患者の咳やくしゃみによって飛んだつばを吸い込むことによって感染します。症状が消えて1か月後に再び症状が戻った例がありますから、抗体はできないのかもしれません。

第2次世界大戦後に出現してきた新種ウイルスによるエイズエボラ出血熱マールブルク熱、サーズの4種類の病気に共通することは、解明されているのはウイルスの種類だけです。

感染の原因や経路については何もわかっていません。

エイズという特定の人種を狙った生物兵器

1969年7月に米国防総省所属の生物学者が新種の病原菌創造に多額の予算を要求しましたがその前後における新種の病原菌と、米国政府の関連を年代を追って紹介します。

1953年:この年にCIAが国内の多くの科学者に接触して、ある研究を依頼し始めました。

1960年代初頭:CIAは「特別ウイルス性癌プログラム」と呼ばれる計画を立ち上げました。

それには数百名の科学者が関係したようですが、この研究に参加した科学者は、CIAの依頼で動いていることが世間に知られるとそれまでに築いてきた名声に傷がつくと思ったのか、誰も詳細を語らず、このことはすべて秘密のうちに処理されました。

1969年:この年の7月のマッカーサーは博士の議会での予算要求は「特別ウイルス性癌プログラム」に沿ったものと考えられます。

CIAはこれに関係する書類を全て破棄したことになっていましたが、この計画内容を危惧した人がCIA内部にいたようです。

自分の判断で計画書の一部を内密に残し、1971年になってリークされます。新しい病気を作り出す計画が書かれていました。

1978~79年:サンフランシスコの男性同性愛者たちが、B型肝炎の実験的なワクチンの接種を受けました。多数の違った相手との性交渉を経験する男性同性愛者たちにB型肝炎が多いことは知られていましたから、米国政府はその予防と治療用のワクチンのテストとしてこの実験を行いました。ところが接種を受けた人の75%が後にエイズを発症し、そのほとんどの人が死に至りました。その後同じB型肝炎ワクチンがアフリカの一部の地域で使われてきました。ワクチンが使われなかった地域と比べて、ワクチンが使われた地域にはエイズ患者が多く存在することが現在知られています。

1981年:最初のエイズ患者が、ロスアンゼルスで報告されました

1984年:血液検査キットが開発されました。これを活用すれば流行はある程度よ駆使できたのですが、米国政府はそれを実行しませんでした。

1984年:カナダ、フランス、日本、スペイン、米国の血友病患者にHIVで汚染された非加熱の血液凝固因子製剤を用いたことから、血友病患者にエイズが広がりました。

これはHIVに感染している供血者からの血液を原料に、加熱処理しないまま製造し治療に用いたことが原因でした。

この無責任な製品の製造元は、頭痛薬として一般的なアスピリンを製品化したことで知られるバイエルです。

ドイツに本拠地を持ち、世界的にビジネス展開する製薬会社です。

この時、米国では何人もの血友病患者がエイズを発症して死亡し、その家族までもがHIVに感染し始めていました。

そしてバイエルを相手取って訴訟を起こした弁護士が、血液凝固因子製剤がHIVに汚染されている事実を会社が承知していたことを示すバイエルの内部資料を入手。

それをFDA(食品医薬品局)にみせたことによって初めて国内販売と、表面上は国外持ち出しも禁止されました。

しかしFDAはバイエルに「どこにも知られるな。このことは議会にも医学界にも一般にも知られることなく静かに解決しろ」と進言したというのです。

FDAは廃棄処分にしろとは言いませんでしたから、バイエルは国外に持ち出すことにまんまと成功して海外で販売したのです。

2006年11月にMSNBCが「今週の恥知らず」と題したコーナーでバイエルを取り上げて、現職弁護士をゲストに招いてこの一連の流れについて弁を振るわせていました。

日本では非加熱の血液凝固因子製剤がHIVに汚染されている事実が公表されてから、2年4か月以上も配付が続けられました。

1100人の血友病患者が亡くなったカナダではHIVのキャリアになった血友病患者とその家族に対して政府が謝罪しました。

そして、日本とフランスでは製薬会社と医師に対してその刑事責任が追及されました。

しかし、発信源たるアメリカでは当時のマスコミが騒がず、またFDAがバイエルを助けたほどですから政府には責任追及の動きどころか、全くなんの動きもありませんでした。

血友病というのは遺伝子が原因で発病しますから、このアメリカにおける信じがたい政府の態度は、こうした遺伝子を持つ人間の抹殺を公然と主張する「優生学」の見地から見ると理解できます。

戦後アメリカにわたったナチス科学者の「成果」の一端が垣間見えた出来事でした。

やがて医療関係者の間から幾らかの暴露本が出てきます。

1994年:ゲイリー・グラム博士による『暴露 エイズウイルスは細菌兵器だった』は、すい臓癌によって死が間近いので自分の知っていることをすべて話したい、というエイズ開発チームの一員だった人物の証言を書いています

1996年:ハーバード大学所属の研究者のレオナルド・ホロヴィッツ博士が著作『ウイルスの出現ーエイズとエボラは自然、偶然それとも故意か?』で、エイズエボラ出血熱のウイルスは癌ウイルスの実験に使われた猿から感染した、ほかの動物のウイルスの遺伝子が関係しているという説を書いています。

1997年4月28日:米国ジョージア州アセンズにあるジョージア州立大学での公園で、クリントン政権の国防長官ウイリアム・コーエンが

「研究所の科学者の中には、ある特定の人種に感染する病原菌を研究している者がいる。その菌を使えば、特定のグループなり人種を地球上から抹殺することが可能になる」

アメリカにおいて黒人は全人口の12.1%ですが、新しくHIVに感染する人の60%は黒人と言われています。

そしてアフリカには全世界の60%のエイズ患者がいると言われていることから、エイズは黒人の抹殺を図った病原体だという説が生まれました。

2000年:第一次息子ブッシュ政権の外交政策を支配したネオコンと呼ばれる頭脳手段が「アメリカ新世紀プロジェクト」と呼ばれるシンクタンク1997年に立ち上げていました。

このシンクタンクはこの年9月にアメリカ防衛再建計画を公表し、その中で「特定の遺伝子型にだけ作用する進歩した形態の生物兵器は、生物兵器そのものをテロの領域から政治的に有効な道具に役割を変えてしまう可能性を持つ」と生物兵器の新しい使い方を提唱しました。

ところでこの計画書の中には「アメリカの防衛再建のプロセスは長期間を要するものになるであろう。ただし、新たな真珠湾攻撃のような破滅的な出来事があれば別だが」と書かれていました。

アメリカ国民のだれもが新たな真珠湾攻撃と認める9・11が起きたのは、防衛再建計画発表の1年後のことでした。

9・11テロ以後国防費が年々上昇して、ブッシュ政権が宣言した対テロ戦争の名目の下にアメリカの防衛は再構築されました。

多数の微生物学者が口封じのために消される

2001年:この年から2005年までの4年間に総計で40人の微生物学者の行方が分からなくなったり、死亡が確認されました。

彼らの中には、映画のシーンそのままの死に方をしていた人もいました。

車のトランクの中で刺されて死んでいたり、橋から放り出されていたり、車のブレーキオイルが抜かれていたために木に正面衝突していたりという、通常あり得ないものばかりでした。

その全員が、生物兵器を使ったテロやインフルエンザの流行、炭そ菌などに関連する政府プロジェクトに関係していたり、政府と契約している会社に勤務していたり、政府部門に勤務していたりしたことが死後判明しました。

口を封じられたのは明らかですが、9・11テロ直後6か月間で亡くなった微生物学者16人は、テロ1週間後から始まった炭そ菌ばらまき事件の真相隠蔽の犠牲になったと思われます。

炭そ菌とは、2001年9月11日の同時多発テロから1週間後の18日に、主にニューヨークやワシントンD・Cの新聞社やテレビ局や議会関係者のところに炭そ菌の入った封筒が送られて、都合17人が入院し、そのうち5人が亡くなるという事件です。

封筒の中には炭そ菌と共に「アラーは偉大なり」と書かれた紙片が入っていました。

そして、アメリカ中のマスコミがこの事件をアラブ人の犯行として大々的にあおったので、9・11テロの恐怖がまだまだ尾を引いてアメリカ国民は、ますますアラブ人のテロの恐怖に陥りました。

犠牲者や感染した人の多くは、宛名の当人よりも炭そ菌入りの郵便物を直接手にする機会の多い郵便局や巨大ビル内の郵便仕分け係の人がほとんどでした。

5人の犠牲者のうちの最初はフロリダにあるダブロイド紙の写真編集者で、彼の机の上のパソコンのキーボード上に炭そ菌がばらまかれてあったのです。

この時の標的は間違いなく彼だったと思います。

それまで知られていた一番強力な炭そ菌は旧ソ連が保持していたものですが、調査が進むにつれてこの時の炭そ菌はソ連のものよりも10倍も毒性の強いことが分かりました。

それまで毎日アラブ人テロリストの恐怖をあおっていたマスコミが、パタっと炭そ菌の報道を止めてしまいました。

そしてそのまま調査が進めば、もう少しで炭そ菌の出た場所まで判明するという時に事件直後から6か月間で生物学者微生物学者が総計16人、警察の発表では事故や自殺によってこの世を去りました。

2008年:米国陸軍感染性疾患医学リサーチ研究所に勤務していた細菌学者でワクチン学者でもあったブルース・E・イビンズが、7月27日に鎮痛剤タイラノルを大量に服用したために急逝肝臓障害を起こして病院に収容されていたのが、29日に死亡しました。

それを受けて8月1日ごろからマスコミが「炭そ菌事件の犯人が自殺」と大々的に報道し始めたのです。

政府機関が何も発表していないのにマスコミがイビンズを犯人と決めつけて報道していました。

そして、8月6日になってようやくFBIと司法省が、イビンズを5人の死者を出して12人の感染者を出した炭そ菌事件の単独犯人として認めると公式に発表したことで炭そ菌事件は発生から7年ぶりに一件落着と相成った次第です。

ところでこの事件を彼の単独犯行と断定するには、つじつまの合わないことがいくつかあります。

まず炭そ菌が送付されたのは、アメリカ国内が10か所、国外ではドイツ、パキスタン、アルゼンチン、リトアニアケニアバハマ、チリの7か所の計17か所に送られています。

ケニアに送られたのは米国からですが、バハマのものは同じバハマから投函されていて、チリに送られたものはスイスで投函されていました。

さらに、イビンズが単独犯だとしたら、タブロイド紙の63歳の写真編集者を殺すために自らフロリダにいって、自ら新聞社の建物に忍び込んで炭そ菌をキーボードの上にまき散らしてきたことになります。

ということは、イビンズはフロリダだけでなくバハマへ行ったりスイスへ行ったりと世界中を飛び回っていたはずですから、さぞかし9月は忙しかったに違いありません。

イビンズが休みを取っていたかどうか、取っていたとしたら3か所へ飛行機の切符を購入していたかどうか調べれば、彼が単独犯かどうかはすぐに判明するはずです。

しかしそのような調査をしたという報道は全くありませんでした。

この新聞社は『ナショナル・エンクワイアラー』というダブロイド紙を発行していました。

どこのスーパーへ行ってもレジ近くで見かけたこのタブロイド紙が、9・11テロ3か月前の6月8日「娘の飲酒問題でローラとジョージが戦争中」と題した特集記事を掲載していたのです。

この記事は、現職大統領の娘の1人が酔っ払ったタバコを片手に、大学の寮の部屋の中で同室のルームメイトとふざけている写真入りです。その時の現職大統領は、息子ブッシュです。

45年前のケネディ暗殺事件の時、矛盾する状況証拠がたくさん存在するのに、政府は警察署内で殺されたオズワルドを単独犯として幕を引いてしまいました。

この時も同様のケースで、矛盾した事実が存在するのに自殺した男に罪を被せて幕を引いてしまったのです。

世界中の人々の健康を奪ってワクチンビジネスで大儲け!

インフルエンザを初めとして各種の病気の治療や予防用に、多種多様のワクチンが作られていますが、

世界で最初のワクチンは牛痘から作った天然痘ワクチンで、イギリスのエドワード・ジェンナーによって1796年に作られました。

ジェンナーは自分の子供を実験台に使ってワクチンの効果を確認したと学校で教わりましたがそれは全くの間違いで、最初の実験台に使われたのは、当時ジェンナーの家で働いていた父親のいない8歳の健康な男の子です。

この種痘の摂取が成功して天然痘に効果があると実証された後、この少年は都合20回のワクチンを打たれ、20歳の若さでこの世を去っています。

最初のワクチンが成功した後で、ジェンナーは自分の子供にワクチン接種を行いました。

正確な回数はわかりませんが、少なくとも1回以上のワクチン接種されたジェンナーの息子は21歳でこの世を去っています。

2人とも結核で亡くなっていますが研究者の中にはこの2人の若死の原因はワクチンと関係があるとする説を唱える人もいます。

ワクチンの基本的な考え方は、毒性を弱めた病原体を体内に注入することで体内に抗体を生じさせて、以後同じ病原体からの感染にかかりにくするというものです。

弱いとはいえ生きている病原体を接種しますし、病原体と一緒にワクチンに使われる化学物質によって副作用が常に問題になり、時には死者が出ることもあります。

天然痘ワクチンはその後も改良が続けられ1980年にはWHOが天然痘の根絶を宣言したほどですから、間違いなく効果があったことに誰も反応しないと思います。

ところがこのワクチンの副作用で、日本では1940年代後半から種痘接種後に脳炎を起こす事例が貼初しました。犠牲者はほとんど乳幼児で1947年と48年の2年間で犠牲者はおよそ600人と推定されますが、この2年間の天然痘患者は405人ですから、ワクチン接種による死者数が天然痘の患者数より多くなりました。

副作用が報告されてもなぜか使われ続けたワクチン

1928年:製薬会社はワクチンの補助剤として水銀化合物のチメロサール(エチル水銀チオサリチル酸ナトリウム)の使用を開始

1943年:黄熱病ワクチンを接種されたアメリカ兵2万8000人が肝炎を発症し100人が死亡

1946年:DPTワクチンが開発される。ジフテリアによる死者が4万8839人から467人に99%の減少。

百日咳の死者は3万3094人から1466にんまでに96%の減少。

破傷風は2万8065人から697人に98%の減少。

1950年から1988年:実験的なアデノウイルスとインフルエンザのワクチンが兵士に試されました。多くが合併症を引き起こしました。

また同じく1950年に米国は一般人を対象にした細菌学上の実験と、軍人を対象にした放射能照射実験を開始しています。

1952年:インフルエンザ・ワクチンの実権を開始

1955年:バーニス・エディ博士が急逝灰白隨炎用のソークワクチンに、生きているポリオ・ウイルスを発見。このワクチンによって200人が発症し、10人が亡くなりました。

1966年:はしか用ワクチンが市販される。1900年には1万1956人の感染があったものが、1996年にはほぼ100%の減少。

1976年:米国政府はブタ・インフルが多数の死者を出す可能性があるとして、多くの国民に強制的なワクチン接種を実施して4600万人が接種をうけました。

インフル流行は起きなかったが多くの大人と共に565人の赤ん坊がギラン・バレー症候群を発症し、うち25人が死亡。

4000件に及ぶ訴訟が起こされ、その3分の2は神経関係の障害で、賠償金の総額35億ドルに達しました。

CBSの「60ミニッツ」が当時のCDC局長にインタビューして、その時の様子を詳細に分析しています。

それによると、おかしな事実が2つ語られました。

まずCDC局長はワクチンの危険性を知らなかったといいましたが、彼の当時の直属の部下は、間違いなく知らせたから局長が知らないのはナンセンスで、彼は嘘をついているとまで言っています。そして驚きなのは、このワクチン接種を積極的に推進したCDCは、ワクチン接種を受けた有名人の名前を前面に出して一般人に摂取を推奨したのです。

名前を上げられた有名人にはフォード大統領、キッシンジャー国務長官モハメド・アリエルトン・ジョンと並んで、当時のトップ女優メアリー・タイラー・ムーアがいました。

彼女はインタビューではっきりとワクチンは受けていないし、名前を使う許可も出していないと答えています。

ギランバレー症候群は、一般的にウイルスや細菌の先行感染に引き続いて発症します。

感染源に対する抗体が誤って自己の末梢神経も攻撃してしまうという自己免疫応答によって発症すると考えられています。

稀な疾患であり、年間の発病率は10万人に1~2人当たり程度とされ、日本では特定疾患に認定された指定難病です。

「60ミニッツ」のビデオには、1976年のインフルエンザ・ワクチン接種後にこの難病にかかった、それ以前は全く健康だった主婦の闘病生活の模様と、完治の見込みがない現在の様子を本人の口から語らせています。

日本におけるケースとして、2009年8月3日に自宅で死亡しているのが発見された女優の大原麗子さんがこの難病にかかっていました。

彼女は33年前にこの難病にかかったようですが、33年前というとちょうどアメリカでインフルエンザ・ワクチン接種後のギン・バレー症候群が発生した1976年なのです。

彼女は1999年から2000年にかけて芸能活動を一時休止して、ギン・バレー症候群の治療に専念しますが、うまくいかなかったようです。

ワクチン強制接種を義務付け、訴訟も禁じて、製薬会社丸儲け

1986年に米国議会が誕生から6歳になるまでに子供に摂取することになっているワクチンの種類と回数を、それまでのワクチン7種類を23回に分けて接種から、その倍の14種類のワクチンを48回に分けて摂取するように法改正しました。

そして、以前からワクチン接種に関連する訴訟で巨額の弁護士費用の増大にあえいでいたワクチン製造会社の負担を軽減する目的で「国立小児ワクチン損害条令」が制定されました。

米国政府はこの法律によって、強制ワクチンが原因で子供に何らかの障害が起きたり、たとえ死に至ったりしたとしても医師と製薬会社を訴訟することを禁じたのです。

その代用に、ワクチンによる障害や死のクレームを受け付ける組織として、司法省の管轄下に「ワクチン裁判所」と呼ばれる別組織の制定が盛り込まれ、2年後の88年から活動を開始しました。

これは裁判所と名付けられていますが、裁判所がスペシャル。マスターと呼ばれる人間を指名して、裁判所の裁定に従って補償金の分配を実行する部門ですから、実質的には調停所のような役所です。

ワクチン裁判所による補償金は、医療費と弁護士代と生涯における被害者の収入の損失をカバーします。

そして苦痛の代償費として25万ドル、死亡した場合にも25万ドルが最高額として支払われます。

もし補償金が認められない場合でも訴訟費用がカバーされるケースもあります。

またこの時同時に、ワクチンの危険性と効用を書いたパンフレットをワクチン接種者に見せて、子どもの場合は保護者から同意を得ることが義務付けられました。

ワクチン裁判所によって被害者に払われる費用は、ワクチンの値段に加えられていて結局は国民が負担することになっているので、製薬会社には何の負担もありません。

この時の法律は被害の補償を求める多数の裁判による金銭的負担をなくすために、製薬会社の側に立って議会が制定し、その結果として加害者側を保護していました。

それまではワクチン製造から撤退する会社もあったのですが、これ以後製薬会社にとってアメリカのワクチン市場は安全で巨大な儲けの対象になりました。

1989年:子供用ワクチンにチメロサールが添加されました。前年の1988年までは2500人に1人の割合で自閉症の子供の存在が知られましたが、この年からその割合が166人に1人になりました。

自閉症自体があいまいな精神医学の病気ですが、その基準額を超える子供が増えたということにはなります

1988~2008年:水銀入りワクチンが自閉症の原因とする5263件の訴訟が起こされました。

1件は賠償金を支払われ、350件は証拠不十分として却下され、残りは係争中です。

チメロサールは21世紀に入ってからインフルエンザ用ワクチンは例外ですが、世界中に使用が控えられている傾向にあります。

しかし米国の皮膚科のお医者さんが毎年1つだけ投票で選んでいる「その年のアレルギー源」に2002年に選ばれています。

2003年から2005年にかけてCDCのデータベースに入っている記録によると、チメロサール入りのワクチンは、入っていないワクチンよりも自閉症の発生が27倍も多いようです。

1997年:免疫遺伝学者ヒュー・フデンバーグ博士が、バージニア州アーリントンで開催された国際免疫学会で行った講演にて

博士の研究によると、1970年から1980年の10年間に、5回のインフルエンザ・ワクチンの注射を受けた人は、2回以下と比べるとアルツハイマー認知症になった率が10倍も高かったのです。

博士はそしてこの理由はインフルエンザ駐車に含まれている水銀が原因であると言い切ったのです。

水銀とアルミニウムが徐々に脳に蓄積されると、認識機能障害が起きるというのです。たった1マイクログラムでも毒と考えられている水銀が、インフルエンザ・ワクチン駐車は25マイクログラム含んでいます。

1999年:水銀入りのワクチンによる病気の発祥データが出てきたにもかかわらず、政府も製薬会社も何ら行動を起こさなかったのにしびれを切れした議会によって、FDA(食品医薬品局)に強制的な調査を命じた調査報告書ができました。

その調査報告書において、FDAはワクチンの水銀混入を再調査することを薦めました。

2001年:インフルエンザ用ワクチンを除いて、チメロサールしようのワクチン製造をやめることになりました。

ところが、製造を中止しながらも、市場に出回っている分を回収しようとしませんでした。

2002年:監視・政府改革委員会がCDCの「ワクチンのリサーチと検査局」の責任者を議会に呼んで委員長自ら質問しました。

強大な権力を持つ議長職は当時共産党所属でインディアナ州選出のダン・バードン議員でした。

彼はCDCのカレン・ミッドさん博士に「これだけ多くの資料が水銀入りのワクチンに問題があると指摘しているのに、なぜあなたは問題があるとはっきり言えないのか」と言葉厳しく問い詰めています。

ミッドサン博士はほとんど聞き役に回っていましたが最後に口を開いて「たしかに問題が生じているかもしれないが、ワクチンの有効性がそれを上回っている」と答えます。

水銀やアルミといった人体に有毒と分かっている物質を安易に使う製薬会社にとっては病人が出た方がお得意様が増えることになります

2003年:最後の水銀入りの子供用ワクチンの有効期限が切れました。

2006年:インフルエンザの流行に備えて、毎年のインフルエンザ駐車を国民が率先して受けるように指導することを、WHOは世界各国の政府に通達しました。

2006年12月:『ニューヨーク・タイムズ』が「退役軍人の湾岸戦争症候群はワクチンに関係している可能性が高い」と報道しました。

ブッシュ親子2代にわたって攻めたイラク戦争に従軍した兵士たちに、期間後病気になる人が多いことが報道されて「湾岸戦争症候群」と呼ばれていました。

原因としてはイランに大量に撃ち込まれた劣化ウラン弾からの放射能傷害も叫ばれていましたが、この記事は大手マスコミが公式にこの病気を取り上げた画期的ともいえるものでした。

それによれば、「1991年の湾岸戦争では、10万人以上の軍人んが期間後症候群にかかった。現在までに症候群が原因で2万人の退役軍人が死亡している。これはワクチンの補助剤として混入されているスクアレンに誘発されたと考えられる」と書いています。

スクアレンはサメ肝油に多量に存在する鎖状炭化水素で、ステロール類生合成の中間体で、チメロサールの代用として現在ほとんどのワクチンに入っています。

特にサノフィ・パスツール社製造の全ワクチンにこれが混入されいています。

サノフィ社はフランスの国際石油資本TOTALの子会社で、パリを本拠として医薬品販売では世界有数の規模を持つ製薬・バイオテクノロジー企業です。

TOTALは、ロックフェラーのライバル会社ロイヤル・ダッチ・シェルに対抗するための会社で、1924年の設立にはジョン・D・ロックフェラーが携わっています。

2007年:アメリカ食品医薬品局FDA)はサノフィ・パスツールの試作した高原病原性インフルエンザH5N1用実験的ワクチンに、緊急使用許可権を行使して製造許可を与えました。

緊急使用許可権というのは、製品に効果があると認められる充分な理由があれば、安全性が確認されていない未承認の製品の、製造開始と国民への使用を許可することがd系るFDAが持つ権限です。

これはアメリカ政府の緊急医療事態宣言か、WHOによるフェーズ6の宣言があれば発動できます。

その1週間後、米国保健衛生局がWHOに、メキシコやその他の国でインフル用ワクチン製造工場を作るための資金にと寄付したお金の一部をWHOはサノフィ・パスツール社に提供しました。

WHOと並んで米国政府は、トリ・インフルエンザ用ワクチンを作るために多くの製薬会社に巨額の援助をしています。

このことは、トリ・インフルエンザ用ワクチンの開発・製造にアメリカ政府は相当な熱を入れていることを示しています。

ロックフェラー財団と一心同体のようにワクチン接種拡大に動くのがWHOです。

そのWHOに多大な資金援助を行っているのが、ワクチン接種の重要性を説くことで知られるビル&メリンダ・ゲイツ財団です。

2018~19年度のWHO10大出資やリストのトップはアメリカの15.9%、2位はビル&メリンダ・ゲイツ財団の9.4%です。

2008年7月:サノフィ・パスツール社のH5N1ワクチンの秘密の人体実験が350人のホームレスを対象にしてポーランドで行われました。

この結果200人以上が入院し21人が死亡したことを、2009年7月イギリスの『デイリー・テレグラフ』が報道しました。

この事件が起きたのはポーランド北方の町グルジアズにあるホームレスセンターで、そこに働く3人の医者と6人の看護師が、捜査のなり行次第で1年前に起きたこの事件で起訴されるかもしれないようです。

捜査当局によると、犠牲になった人達は伝染性の強いトリ・インフルエンザ用ワクチンとは知らず通常のインフルエンザワクチンと思って、1人当たり1ポンドから2ポンドの報酬をもらって試験台になったようです。

捜査官たちはまた、医療スタッフがこのテストを依頼した製薬会社を騙していた可能性を調査しています。

容疑者たちは、このテストに協力した人達は抗トリ・インフルエンザH5N1の薬剤に関するものだということを知っていて、進んで協力したと申し立てましたが、実際は違うようです。

新薬のテスト台になる人には、通常それなりの金額が製薬会社から支払われます。

このホームレスセンターの医療スタッフは被験者には通常のインフルエンザ用のワクチンのテストだからと少額の報酬を渡して、製薬会社には報酬を全額支払ったと嘘の報告をして、製薬会社が被験者用に準備したそれなりの金額の大半を自分達で横取りしたようです。

この記事は「2002年には葬式会社から依頼されて救急車にのせられている患者を殺していたとして、多数の救急車の医療スタッフが有罪になっている」ことを紹介していますから、ポーランドでは医療の倫理よりもお金が幅を利かせているようです。

2009年:目基礎コの養豚場の近くで、今まで発見されたことのないブタ2種類とトリとヒト・インフルの4種の遺伝子を持つウイルスに感染した人のニュースが世界中に流れ、WHOは世界中にインフルエンザの大流行が差し迫っているとして27日にフェーズ3からフェーズ4に引き上げたばかりの警告をフェーズ4からフェーズ5に再度引き上げました。

発生から1週間しか経過していなくて、確認されたインフル感染者が数百人だけで、死者がメキシコとアメリカ国内だけに限定されていて、しかも新型インフルが原因と確認された死者数がまだ少ないという時に、WHOは世界的大流行の一歩手前の段階を宣言したのです。

マスコミはチアリーダー役を演じてこの早すぎる宣言を盛り上げました。

このインフルエンザ騒ぎで、メキシコとアメリカでは緊急医療事態を宣言したので、抗ウイルス薬剤やインフル検査キットやインフル用ワクチン製造会社の株が急騰しました。

このインフル騒ぎにより製薬会社が大きな利益をもたらしたことをABCニュースが報道しました。

2009年5月:ミネソタ州ロチェスターにあるマヨ・クリニックのアヴ二・ジョン医師によって、1996年から2006年までの10年間にインフレエンザと正式に確認された、6か月から18歳までの263人を対象にして行われた調査では、不活性のインフル用ワクチンは子供が、特に喘息を持つ子供が病院に入院するのを防ぐことに効果があるようにはみえない、という結果が出たのです。

むしろ、ワクチンを接種された子供は、ワクチンを受けていない子供よりも入院する率が高かったのです。

2009年5月12日:タミフル製造会社ロシュが、WHOに565万人分のタミフルを使い寄付すると発表しました。

WHOは既にロシュから寄付されていた500万人分のうち300万人分は発展途上国に送ってしまっていました。

製薬会社が大量のワクチンをWHOに寄付しているのは、それなりの資金的な援助を米国政府やWHOからもらっていたこともあると思いますが、それらのワクチンの中には水銀やスクアレンのような補助剤だけでなく、かなりの量の病原菌が混入されている可能性を否定できません。

ポーランドで行われたサノフィ製ワクチン実験では、ウイルスが強すぎたのか補助剤のスクアレンが原因なのかわかりませんが、350人中200人以上が入院し、21人が死亡しました。

この危険極まりないサノフィのワクチンを米国政府は1億人分注文し、2008年8月までには納品されています。

2009年6月12日:バクスター社が、5月初めにCDCからもらっていたA型H1N1のウイルスを使った商業用ワクチン製造に成功し、そのテストと評価段階を終えたことを発表し、第一陣の製造を数漁師、政府当局と配送に関する協議に入っているとも発表。

2008年12月にカナダ国立微生物学研究所によって発見されたとんでもない「間違い」を起こしていたバクスター者ですが、米国政府からせっせとワクチン製造をバックアップしてもらっていたことがわかりました。

2009年7月:インフルエンザ流行阻止を掲げるオバマ政権の方針を受けて、ニューヨーク州が医療関係者にワクチンを強制的に摂取することに同意。この報道を受けて、ニューヨーク州の看護師団体が反対を表明しました。

この問題は裁判所まで持ち込まれて州が負けて強制から自由接種になりました。

2009年8月:マサチューセッツ州の上院が新しい法律を可決しました。

この法律はウイルスに感染している、もしくは感染者をかくまっている疑いのある家には、捜査令状なしの家宅捜査と建物や器具の破壊を許可し、ペットの隔離や州民を隔離検疫施設に強制的に移動することを合法化しました。

これらは既に連邦政府が合法化しているので驚きませんが、この州は強制的なワクチン接種を拒否する人に、1日につき1000ドル以下の罰金を科すことを盛り込みました。

このマサチューセッツ州の動きは全米に波及する可能性が大きいですが、この州政府の動きに負けじとアメリカ疾病予防管理センターは、1600万ドル(16億ドル)のよさんを割いて、全米10か所において9月7日までインフルエンザ・ワクチンの説明会を催し、それに出席した人には50ドル、その場で接種を受けてくれた人にはさらに50ドルを支給することを決めました。

このように天然痘ワクチンの開発依頼、自分達の利益確保に必死な製造会社と人口削減という国策を推進する連中の両方にとって危険が多いとわかっているワクチン接種は非常に好都合な道具と言えます。

ウイルスバラマキの告発

アルマ・トゥルー・オットという名のお医者さんがインフルエンザに関係する政府の方針やそれに関連して起きた出来事を1時間半に及ぶ動画で詳細に説明しています。

彼が資料集めの段階で手に入れたデータから導き出したもので、ビデオ制作に至った動機は、彼の2500社に及ぶ顧客と何も知らない一般の人に知らせる義務感からだそうです。

2009年新型インフルエンザの出現を予言しています。

世間でトリ・インフルエンザと呼ぶ名称は適切ではなく、正確にいうと1918年の大流行を再放送して瓶詰めし直して、細菌兵器として使うために準備されたもの、というのが正しく、この細菌兵器はこの先3~6か月のうちでもっとも大きなアメリカの脅威になるだろう。

さらに、前置き部分でオット医師は重要なことを説明します。

つい最近まで防腐剤としてほとんどすべてのワクチンに使われていた、比重比で49.6%の水銀を含有する製品名チメロサールを、製薬会社イーライリリーが1928年に開発した。

この時イーライリリーの経営陣には、43代米国大統領ジョージ・W・ブッシュの祖父プレスコット・ブッシュと共に、41代米国大統領ジョージ・H・W・ブッシュの副大統領ダン・クエールの一族もいた。

この会社の製品の

1930年度の安全検査報告書の中に、チメロサールの研究報告が含まれていた。

その中にインディアナ州のある病院で22人の患者にチメロサール溶液が駐車され、全員が数日のうちに髄膜炎で死亡した件の調査報告書があった。

このテスト結果を、患者は水銀に対して拒否反応を示さなかったから、チメロサールは安全である、と報告書は言明した。

これ以来チメロサールは薬品の製造過程で混入するバクテリアを退治する目的で、ワクチンだけでなく処方箋なしで薬局で購入できる薬品にも広く使用され始めた。

1972年にはWHOが広報47号で、免疫機能の影響を受けないウイルスの創造に言及した。

そして、その効果を知る有効的な方法として、そのウイルスをワクチン実施のプログラムに組み込んで、結果を観察することを示唆した。

WHOが天然痘根絶計画を立てて世界中で大規模な天然痘ワクチンの接種を開始して以降、ソマリアの青年が1977年に発病したのを最後に発生がみられなくなりました。

それで3年後の1980年にWHOは天然痘根絶を宣言しました。

現在の中央アフリカにおけるHIV感染者の数の分布の仕方は、WHPの天然痘ワクチン接種の数の分布図と奇妙に符合する。

まして人間の免疫機能に重要な働きをするT細胞を破壊するHIVウイルスは、まさしく1972年の広報でWHOが示唆したウイルスそのものである。

オット先生は、70年代前半にはHIVウイルスはできあがっていたと主張します。

CIAが数百名の科学者を秘密裏に集めて「特別ウイルス性癌プログラム」を立ち上げたのが1960年代で、マッカーサー博士が「免疫に影響を受けない病原菌」を作るための公式な予算要求を議会で行ったのが1969年です。

先生によればそれからまもなくして、HIVウイルスは完成したことになります。

1987年5月11日ロンドンの『タイムズ』紙が1面の記事で、WHOの運絵によって実施された天然痘ワクチンがHIV/AIDSの流行を誘発した、と報じた。

・1億人のワクチンを受けたアフリカ人が危険にさらされている

・ワクチン接種の盛んだった地域は、HIV/AIDS感染の率が高い

HIV/AIDS発見者として有名なアメリカの研究技師ロバート・ガロ氏は、これらの事実を肯定した上で、エイズの研究技師たちは何もしゃべらないように高級をもらっているので、彼らからは真実は出てこないと話している。

WHOの実施した天然痘撲滅のためのワクチン作戦が、大きな効果を上げたのは否定できない事実の一方で、この時使われたワクチンが、HIVウイルスの感染を拡大したと『タイムズ』が報じたのです。

2002年11月28日国土安全保障法案の最後に、イーライリリーやサノフィ・パスツールやほかにも多く存在するワクチン製造業者のために、医療事故からの面積を付加条項として追加した。

製薬会社に免責を与えることが法律で設定される理由は、ロックフェラー基金やフォード基金やロンドンのロスチャイルドによって大きく支援を受けているWHOが、ロックフェラーたちの実行している人口削減に大きく協力しているので、その一環としてWHOは各国政府に人口削減に向けた要望を伝達するからである。

また先生は、このビデオのあちこちで、ロックフェラー家とワクチン業界と中国の密接な関係を強調しています。

・中国は長い間、ロスチャイルドに代表される国際銀行家にとって、「安全な避難場所」であり、1880年代から薬品会社にとって主要な商売地であり続けた。

・外国の薬品会社が中国国内でビジネスを開始したのは、1世紀以上も前である

・ドイツのバイエルが中国と商売を始めたのは1882年である

・フランスのアベンティスが中国国内128の販売店を通じて製品を売り始めたのは1887年のことで、やがて西洋薬と染色剤供給において中国一になった

・米国のイーライリリーが最初の海外支店を置いたのは1918年のことで、場所は上海だった

・世界第3位の製薬会社のアストラゼネ力の前身、英国の科学会社ICIが中国国内でビジネスを始めたのは1898年で、その時上海の川沿いに借りた事務所を現在も使っている。

第二次世界大戦後、毛沢東中国共産党蒋介石中国国民党に買って中国大陸の支配権を得たのは、ロックフェラーがバックアップしたからである。

・2007年時点で、中国国内には外国資本の薬剤関係会社が1800社ある。

ロックフェラー家は中華民国時代から中国大陸と深いつながりを持っていました。

20世紀初頭に車のエンジンに使われ始める前の石油の用途は、照明用ランプと暖房用ストーブだけでした。

初代ジョン・D・ロックフェラーは、当時清朝が支配していた4億人に灯油を販売し始めたのは1980年代でした。

この頃、現地では植物油が普及していたので灯油に切り替えさせるために、自社製ブリキランプをただ同然の値段で農民に分け与えたことが大成功し、中国大陸は彼にとってアジア第一の市場になったのです。

計画経済で大発展するはずの共産中国ですが、1958年の大躍進政策の大失敗で2000万人から5000万人の餓死者が出ました。

60年代半ばには毛沢東に支持された世界の中の右も左もわからない紅衛兵と称する子供、若者が国内を徹底的に破壊したために、経済発展が30年は遅れてしまったと言われる国になります。

デービッド・ロックフェラーは中国に4回訪問し、1973年8月10日『ニューヨークタイムズ』に中国の賞賛の言葉を載せました。

どれほど多大な犠牲が出たとしても、効率的で献身的な政権の設立だけでなく高い道徳観と社会の目的を育成したことで、中国革命は明らかに成功している。

毛沢東の指導の下で中国で実施された社会的試みは、歴史上の最も重要で成功したものの1つである。

文化大革命集結は1977年ですから、彼が訪中した73年は騒乱の真っただ中でした。

何を指して歴史上有数の成功例と言ったのかよくわかりませんが、当時の欧米のマスコミで文化大革命の悲惨な実情を伝えたところはなかったので、彼が実情を語るわけがないでしょう。

1900年から1912年にかけて、ジョン・D・ロックフェラーに資金援助を受けた研究技師たちが、天然痘ワクチンの大規模なキャンペーンを開始し、1917年にドイツに宣戦布告した米軍は、新しく入隊した新兵たち全員に安全検査が行われていな何種かのワクチンを強制接種しました。

ジョン・D・ロックフェラー所有の会社製ワクチンです。

ワクチンを接種されて

2~3週間後、兵士たちは訓練を受けるために船でスペインに送られた。

船中では18歳から34歳までの新兵のほとんどが船酔いに加えて、前例のないほど激しい頭痛や寒気や慢性的下痢などのインフルエンザの症状のオンパレードに苦しんだ。

先生の結論は、米軍新兵に施されたワクチンに含まれていたウイルスが免疫力の衰えた新兵の体内で変異して怪物になり、世界中に拡がった、というものです。

異なる3つのタイプ発生にも短期間での感染拡大にも、先生は全く疑問を感じなかったようです。

先生はここからパソコンの画面いっぱいに文字が並んでそこに書いてある資料を駆使しながら説明が始まります。

先生は反論する材料がないことにかなり自信を持っており、自分の見解について反論する学者や研究者がいたら出てきてほしいと公に既存の学会に挑戦します。

トリ・インフルエンザとは何か?

・これは特定のインフルエンザ・ウイルスに与えらた通称で、主に鳥類に見られるH5N1のウイルスのことを指す

・H5N1は鳥類にのみ見られる。野生のほとんどの鳥類が保有するが、それが原因で鳥類が死ぬことはなく、一般的には人間には感染しないことは生物学者の定説である。

・ウイルスは特定の菌類から生じる胞子で、動物が死を迎えた時に分解して自然に還るプロセスを助ける存在だ。H5N1もトリの死骸の分解を手伝って土に還るのを促進する大自然の一部だから、何も怖がることはない。

それが、なぜ大騒ぎになるのか?

・H5N1が人間にとって死につながる危険な存在になるのは、特別な環境性の毒性物質によって引き起こされる変異による増殖が起きた時である。

・この変異は絶対に自然発生しない。人間の作ったPCBや枯葉剤などの毒性を持つ化学物質が変異を誘発する。

H5N1は大自然の一部として存在する環境に優しい1500種類のウイルスの1つでつい最近まで人間に害を及ぼすことなく、何千年もの間地球上に存在してきた

なぜ、季節的なインフルエンザの流行が起きるのか?

・鳥に特有なH5N1が存在するように、人間にも特有なインフルエンザ・ウイルスが存在する。それも世界中に色々な系統が存在する。これらのウイルスは、人間の免疫機能を揺さぶって刺激して、免疫が正常に機能するようにデザインされている。しかし外部から病原菌が挿入された時に、これらのウイルスは変異を起こして人間の命にかかわるような悪性に変化する。

何が原因でH5N1ウイルスが人間に感染するようになるのか?

今まで発生したトリ・インフルエンザH5N1の人間への感染は、家禽が非常に密集した状態で押し込まれている場所(養鶏場)か、毒性の化学物質(枯葉剤など)が大量に散布されて地中に残存している地域に限られている。

・インフルエンザ・ウイルスはそのままほうっておけば変異してから2年後には温和な性質になってしまう。これが1918年のH1N1ウイルスに起きたので、その後は大きな流行が起きていない。

現代の生物化学は最新コンピューターを使って、遺伝子の配列図を描いて特定の遺伝子を並べ替えて、軍事用に役立つように変化させることができる。これが、こんにちの生物兵器である。

現在のH5N1は人だけなく、鳥類をも死に至らしめるようになっている。

では、今までのトリ・インフルの騒ぎは何なのか?

・トリ・インフルは2008年現在まで世界中で300件の感染が報告されて、120人の死者が出た。

当時の地球の人口は67億人。この数字から感染率を割り出すと、0.00000000421%になる。これは数字上では家の中でテレビを見ている時に落雷に遭う確率の方がトリ・インフルに感染するより10万倍も高いことになる。ただし何か少数の人間しか知らないような計画が実行されれば話は別だが.........。

・ここで大きな疑問がわく

落雷に当たるよりも感染率が低い高病原性トリ・インフルエンザに対して、なぜブッシュ政権とマイク・レビッツ率いる米国保社会福祉省が「避けられないトリ・インフルエンザ大流行」に対処するためと言って、50州のために巨額の予算を割いているのだろうか?

ここから先生が年代順に列挙することをみていくと、そこから導き出される結論は、アメリカ政府が国内でトリ・インフルエンザの流行を画策しているということです。

アメリカ政府とH5N1

・1997年3月メリーランド州ロックヴィルのフォート・デトリック陸軍細菌兵器研究所がジェフリー・トーベンバーガー博士の率いるチームに、1918年のインフルエンザ・ウイルスの遺伝子配列の解明を要請した。

・なぜ1918年のウイルスなのか?

この系列のウイルスは、感染者の間の致死率においては間違いなく最大の数字を出している危険なものだからである。生物兵器として使うには、天然痘よりも致死率が高く、兵器用の炭そ菌よりも問題がないので手ごろである。

炭そ菌に汚染された地域はヨウ素や塩素などの殺胞子剤を撒く必要があります。炭そ症にかかった家畜は殺して焼却し、そのうえ汚染物は焼却するか厳重に消毒する必要がありますから、大変な手間と時間がかかります。

1997年4月24日:チームのメンバーがアラスカから送ってきた1918年の流行による人の死体から、トーベンバーガー博士が探している遺伝子を特定した。そしてウイルスの完全な遺伝子配列図を完成するために、リボ核酸に基づく遺伝子の断片が分析された。しかし、スーパーコンピューターを使っても、遺伝子の連続順を解明するには長い時間がかかると思われた。

「トーベンバーガー博士が探していた遺伝子」というのは、当時の3つのうねりの中で最も高い致死率の原因になった遺伝子ではないかと思います。

2003年10月:トーベンバーガー博士のチームは6年間の研究を完成して、1918年ウイルスの完全な遺伝子配列図を完成した。

トーベンバーガー博士の同僚で著名な生物学者R・G・ウェブスターは科学雑誌に寄稿して次のように述べた

「多くの人間を殺すことが可能なインフルエンザ大流行に瀕して、地球は今ぐらついている」

・2003年11月:息子ブッシュ政権が「生物テロ」に関する大統領令13295を発布した。この法律は何らかの病気がアメリカ国内に発生した時に、アメリカ国民をテロリストの対象として、制限なく逮捕・勾留できる権限を政府に与えた。

それまで世界中のどこにトリ・インフルエンザの発生は報告されていなくて、H5N1も全く報告されていませんでした。

それがこの2003年11月にいきなりトリから人間に感染が起きて、2006年11月までの3年間にタイ、ベトナムインドネシアなどの東南アジアで256人感染し、152人の死者を出すことになります。

人間だけでなく、1005年5月には中国の青海省で死んだ渡り鳥が発見されたことで家禽6000羽余りが犠牲になったほか、あちこちで鳥類に犠牲の及んでいることが報告されています。

トリ・インフルエンザ・ウイルスが共存相手の鳥類を殺し始めたのです。

H5N1は性質が全面的に変化してしまったとしか考えられません。

2005年3月23日:国立アレルギー・感染病研究所がサノフィ・パスツールに委託して開発させていたトリ・インフル用ワクチンの人体による臨床実験が開始されることを研究所の広報係が発表した。

それによると、国立アレルギー・感染病研究所が支援するワクチン治療評価部のニューヨーク州ロチェスターボルチモアロスアンゼルスの3か所で、18歳から64歳までの450人の健康な大人を募集することになった。

このテストでワクチンの安全と免疫機能を引き起こす働きのあることが確認出来たら、今度は子供と老人にもテストを実施することになっている。。

・2005年4月:息子ブッシュが2003年の大統領令13295で書かれた、アメリカ国民の逮捕・勾留につながる出来事「病気の発生」の内容を「流行を引き起こしているか、または引き起こす可能性を秘める新種又は再出現したウイルスが原因のインフルエンザ」と詳細に書き換えた。

・2005年8月:フォート・でトリック陸軍細菌兵器研究所のチームは、ウイルスのプラスミドを人の肝臓細胞のDNAに注入して、次に人のDNAを1918年のウイルスに注入した。それによって1918年ウイルスは人間にだけ感染するようになった。大自然が環境に優しいように作り替えていた、全世界で多数の人を殺した1918年ウイルスは、ここに至って大規模な人口削減を企む輩にとって有効な武器に変わってしまった。

・2005年9月9日:国連が「国連のトリとヒト・インフルエンザ協調網」の責任者としてデービッド・ナバロを任命したと発表した。

・2005年9月29日ナバロが公式の国連の警告を発した。「高病原性トリ・インフルエンザ委の流行が起きたら、各大陸ごとに500万人から1500万人の人が死亡するだろう」彼は「死ぬ可能性がある」とか「死ぬかもしれない」といういい方でなく、「死ぬだろう」という確実な未来形で言った。

・2005年10月:CDCとFDAの親組織の米国保社会福祉省(HHS)の長官にブッシュが新しく任命した、元ユタ州知事マイク・レビッツが、高病原性トリ・インフルエンザに備えた準備の増強を強調した。

・2005年12月:ブッシュは議会に準備のために、71億ドルの予算を懇願した。33億ドルがすぐに米国保社会福祉省(HHS)に分配された。

・2006年1月24日:国土安全保障省が、ハリバートンの子会社KBRに拘禁施設準備を3億8500万ドルで契約した。

KBRが建設した拘禁施設の数は不明だが、2007年財政年度末のアメリカ国内の拘禁施設の総数は961.2007年から2009年の間に主に不法移民の収容で少なくとも363の収容所が使用され、残りは空いているようだ。

2006年1月:米国保社会福祉省が、ウェブサイトを立ち上げた。

そこのレビッツ長官の言葉「はっきり言います。アメリカ本土にH5N1が発見されるのは時間の問題です。ウイルスを運ぶ野生の鳥の移動パターンに寄れば、問題のウイルスの国内での登場は避けられなくなっている」が掲載されている。

このサイトでレビッツ長官はインフルエンザ予防にはワクチンがベストだと、1916年にジョン・D・ロックフェラーが言ったことと同じことを主張した。

2006年3月:米国保健会社福祉省長官レビッツが、高病原性トリ・インフルを使ったテレビ映画の政策に予算を割くことを発表した。その時、長官は彼の役回りを演じる役者にはハンサムな男を要望した。

2006年4月:レビッツ長官の宣言:FDAは緊急使用許可権を使って、製品は効果があると認められる充分な理由があれば、未承認の製品の使用を許可することができる。

・同時テロ直後から立法化され始めた米国愛国者法案1と2と生物テロ防御法1と2によって、一度病気の流行が宣言されると薬剤処理とワクチン接種は強制になる。

また流行が続いている時には、検査なしの無制限の強制的な検疫がワクチン接種を拒む者に行われる・

・必要な係官が十分に配置された拘禁施設がアメリカ国内出来上がった。最大の者はアラスカにあって、収容人員250万人と言われている。

・2007年4月17日:FDAはサノフィ・パスツールの試作した膠原病性インフルエンザH5N1用ワクチンに、緊急使用許可権を行使して製造許可を与えた。

FDAが製造許可を伝えるためにサノフィ・パスツールに出した手紙の内容:

「貴社のインフルエンザ・ウイルスの生物工学製品許可申請書を、我々は今日付で承認した。米国保社会福祉省の米国ライセンス1725号によって、貴社はここにアメリカ国内における、インフルエンザ・ウイルスH5N1のワクチン販売を認可された。しかしながら、2007年4月5日に提出された貴社の書類は、この製品は国内の流行に対する準備の手始めとして、保健社会福祉省との契約の下に作られたので、サノフィ・パスツール社はこの製品を通常の商業ベースでの製造を認可しない旨が書かれたいことを認識している。インフルエンザH5N1ワクチンは、18歳から64歳までの大人の免疫機能を強化するが、同時にワクチンの中に生きているH5N1ウイルスの亜型に感染する危険がある」

このサノフィ・パスツールのワクチンの人体実験が行われたことを、イギリスの日刊紙で一番の発行部数を誇る『デイリーテレグラフ』が報じました。それによると2008年7月にポーランドで350人のホームレスが対象にされました。

この結果、200人以上が入院し21人が死亡しました。

2007年11月26日:レビッツ長官は、2008年8月までに納入することとして、サノフィ・パスツールに1億人分のH5N1ワクチンを注文した。

サノフィ・パスツールが公式にこの巨額な販売契約を発表した。中国で製造してアメリカに搬送して、ペンシルバニア州スチルウォーターの自社施設で皮下注射用の注射器に入れ直して、直ちに使用できるようになると説明した。

・2008年2月14日:米国空軍大将で、米国航空宇宙防衛司令部とアメリカ北方軍の指揮官ジーン・レヌアートとカナダ空軍中将でカナダ国内軍指揮官マーク・デュマイスが、国内の緊急事態に一方の国の軍隊が他の国の軍隊を支援する国内強調プランに調印した。

このプランはお互いの政府が同意すれば、相手国の政府機関への軍隊の支援を容易にする。

アメリカ北方軍の職務の一部として、トリ・インフル流行時の対応が含まれている。しかし退役陸軍少将アルバート・スタブルビンは、北方軍の職務のうちでもっとも重要なものが、インフルエンザ流行時の対応と分析している。

・2008年6月17日国連インフルエンザ強調網の責任者デービッド・ナバロは、サノフィ・パスツールからの6000万人分のH5N1トリ・インフル用ワクチンの寄贈を歓迎した。これでグラクソ・スミス・クラインから寄贈されていた3000万人分のワクチンとあわせると「準備は大きく進展したが、トリ・インフルは1億5000万人の人を殺すことができる」と彼は付け加えた。

オッド先生はここで「いまだにアメリカで起きてもいない高病原性トリ・インフルエンザの流行に、政府が巨額の予算を割いてワクチンの製造を促し、ワクチンの製造申請書が提出から12日という異常な速さで承認されている。これは政府が高病原性トリ・インフルエンザの流行をアメリカ国内で計画しているからだ」と強調しています。

こうしてみてくると、アメリカ政府とWHOが協力して発生を画策したのは高病原性トリ・インフルエンザH5N1だったことがわかります。

最も大きな被害が起きるのはアメリカの予定でした。2009年新型インフルパンデミックで、5月25日のWHO発表のアメリカの感染者数が発生地メキシコの2倍近くなったのは予定通りです。そして冬を迎えた南半球に感染が拡大し始めた7月6日においても、世界の感染者総数9万4512人のうちアメリカが断トツ世界一で3万3902人と2位のメキシコの1万262人の3倍以上になっていましたから、すべて順調に動いたのです。

それなら最初からアメリカで発生させればよかったのですが何故メキシコになったのでしょうか。

アメリカ疾病予防管理センター(CDC)がメキシコでの新型インフル発生を発表した4月13日の3日後、オバマがメキシコを訪問しています。そしてその日彼はメキシコ市内の人類学博物館を訪問し、メキシコの著名考古学者の案内で館内を見て回りました。

このときオバマを案内した考古学者がインフルエンザのような症状を呈して、オバマを案内した翌日の17日に死亡したと、メキシコ市のローカル新聞『リフォーマ』が報じたのが4月18日でした。

考古学者の死から1週間近く経過してからその記事がアメリカで伝えられました。

その時の報道は考古学者の死因は新型インフルエンザとは確認されていない、と明確に言っていましたがオバマが狙われたという説が浮上します。

ダラス市の保健所の係官の「人間が培養してきた」という言葉と、考古学者菓子の前日にオバマを案内しているいるという2つの事実を結び付けたら、このような一見突拍子もないことを考えがありましたが、オバマは感染していないのとホワイトハウスが発表したことと、死者の大部分がメキシコ人に限られているという2つの事実が出てきたことによって現実性が亡くなりました。もしオバマを狙ったのだったら、メキシコ人をターゲットにしたウイルスを使うはずがありません。

そこで、メキシコ政府がアメリカの恨みを買うようなことをしていないかインターネットで検索すると、極めて可能性のある事実が1つ出てきました。

国内での麻薬組織の無法ぶりに手を焼いていたメキシコ大統領フェリぺ・カルデロンカトリック教会が合同で、3月10日に米国政府へ要望を出していたのです。

その内容は「現在のメキシコ国内における麻薬組織の勢力拡大は、米国政府と大企業トップが麻薬承認を保護しているからだ。世界最大の麻薬消費国のアメリカ政府が本気になって獅子身中の虫を退治しないと解決できない」と厳しくアメリカ政府を非難する者でした。

さらに「メキシコ政府は政府部内の麻薬関係者を厳しく摘発しているが、アメリカではFBI、CIA、麻薬取締局、沿岸警備隊国防総省国境警備隊、税関などの多くの役所からいまだかつて誰1人として摘発された者はいない」と不満を述べていたのです。そしてメキシコ政府は、アメリカ政府内の麻薬密輸入と販売に関係する政府高官の名前を発表する準備をしている、という噂が流れたのです。

メキシコ側が指摘したように、アメリカ国内で摘発される麻薬関係の売人は下っ端ばかりです。官庁関係の人間が捕まるのは、危険が多い割に給料の安いニューヨーク市警の下っ端のおまわりさんが押収した麻薬の一部をくすねて転売しようとして逮捕されるぐらいが関の山です。

政府高官の逮捕者が出ないのは当たり前で、アメリカの麻薬事業の本丸はホワイトハウスですから、それに関係する役人が捕まるはずがないのです。

要するに、メキシコ大統領はタブー部分を非難したわけです。

したがって、このインフルエンザ騒動の発生直後、米国政府高官の名前の発表はやめろ、というメッセージが今度は何が起きるかわからないぞという暗黙の脅しと共に、個人的なルートでカルデロン大統領に伝えられたと思います。

彼は今後2度と麻薬取り締まりなどという馬鹿らしいことには、真剣に取り組まないことでしょう。

アフリカミドリザルを利用したワクチン製造法

新型インフルのメキシコに発生に関連する情報を与えてくれる記事が2009年に「ナチュラル・ニュース」に掲載されたので紹介します。

この記事は1999年6月15日に特許が下りていたワクチン製法に関する米国特許番号5911998を始めとする4件の特許に関して明らかになったことが書かれています。

ここから米国史エフと民間企業と製薬会社の深い繋がりがわかります。

「インフル用ワクチン製造にアフリカミドリザルの死体を使用ー重要な特許を持つのは軍需企業」で、インフル用ワクチン製造に猿の死体を使う方法が10年前に開発されていたことを報じました。

その方法というのは、アフリカミドリザルにウイルスを感染させて、症状を悪化させてから猿を殺し、その猿の腎臓から抽出した細胞を使ってワクチンを製造するのです。

従来の鶏の卵を使って培養する方法と比べて短期間にワクチン製造が可能なようです。

この4件の特許を保持しているのは、米国保社会福祉省の公衆衛生総局の下にある世界最大級の研究施設を持つアメリ国立衛生研究所とディンコープという私企業です。

ディンコープという会社の名前は知られていませんが、創立されたのが1948年と半世紀に及ぶ歴史を持っています。

2008年の売り上げ2139億円の96%を米国政府頼っている軍需会社で、ボスニアでの年少者の性奴隷売買やエクアドルでの毒物の空中散布のかかわりが指摘されています。

この会社は米国とメキシコの国境警備を米国政府から請け負っていますが、メキシコでの新型インフルエンザが最初に発生したのは、ディンコープのパトロール地域の近くです。

こういう軍需会社がワクチン製造に関する特許の共同保持者になっている理由は、アメリ国立衛生研究所の主任研究員が、ディンコープにも籍を置いているためと思われます。

インフルエンザを流行させる計画を知って、そこにお金の臭いがしたので、インフルエンザ流行を推進する計画に積極的に関わる目的で主任研究員を引き抜いたのではないでしょうか。ミドリザルを使ったワクチンが売れれば売れるほど、ディンコープに入る特許料が増えることになります。

そして、ミドリザルを使ったインフルエンザ・ワクチンの製造権を持つのが、あのバクスター・インターナショナル社なのです。

6月と8月の2回プレス・リリースで、「バクスター独自のベロ細胞培養法によってワクチンを作った」と誇らしげに書いてありました。

ウィキペディアによると「ベロ細胞」株は、健康な成体のアフリカミドリザルの腎臓上皮細胞から、1962年に千葉大学医学部細菌学教室の安村美博によって分離・樹立されたものです。その細胞はインターフェロンを作り出さないので、様々なウイルスを感染させられます。1964年に、アメリカ国立アレルギー感染症研究所(NIAID)の熱帯ウイルス学研究所を通じて世界中の研究所に分与されて広く利用されています。

主な用途は3種類ありますが、その1つにウイルス増殖のための宿主細胞としてワクチン製造に使われることがあります。

バクスターはこの便利なベロ細胞を使ってウイルスを増殖させたように発表しましたが、ディンコープが持つ特許によるミドリザルの死体を使ったワクチン製造方法は、4件の認可内容を見ると世界中で行われているようなベロ細胞によるワクチン製造とは異質なものと言わざる負えません。

自由主義経済下では弱肉強食は世の習いですが、製薬業界も例外ではありません。

2009年の新型インフルエンザ騒ぎの裏にはタミフルで儲けてきたギリアド・再演してィズ社とロシュ社のコンビに、新ワクチンのセルバパンを開発したバクスター社とディンコープ社組が挑戦状を突き付けいた状態です。

その熾烈な戦いの一旦は、タミフルに耐性を持つウイルスの存在があちこちで知られてきたことと思います。

ディンコープがパトロールする米国とメキシコの国境近くでも、タミフル耐性菌が発見されたと8月3日に報道されたのは単なる偶然ではないと思います。

またタミフル服用後に子供が起こす副作用については日本では広く知られていますが、7月331日にはロンドンの『タイムズ』が調査統計で子供への副作用が明らかになったと報じました。

この種の報道が世界中で続けば、タミフルの信用が地に落ちてセルバパンの需要が増大するのは自然の流れです。このままいくと軍需企業という回物を手足のように使う側に軍配が上がるように思いますが、ギリアド社の株を大量に持つドナルド・ラムズフェルドがその政治力を駆使していかに反撃する課が最終的な勝敗のカギを握ると思われます。

日本の感染者数が多いことを考察

2009年新型5月半ばから日本における感染者の数が急に増大しました。

日本政府が水際作戦を実施し防御に専念しましたが無駄だったようで、日本は世界第4位の感染国になりました。

メキシコと陸続きでメキシコ人の出入りの激しいアメリカとカナダに感染者が多いのは当たり前ですが、メキシコと陸続きでもない日本の感染者数が、陸続きのアメリカとカナダを除けば世界一になっていたのです。

メキシコ大統領が触れてはいけないものに触れてしまったことは事実としても、その仮説では日本の感染者増大の理由が説明できません。

推理の鉄則たる「事件によって利益を得たのは誰か」を考えます。

そうなると治療用の薬品やワクチンを作る製造会社で、日本で急激に感染者が増大したい理由は、計画変更によって急遽H1N1になってしまったので、それに効くとされるタミフルの販売量をついでに増やそうとしたためではないかと推察します。

でないといきなり国外旅行もしたことのない高校生が感染したことから始まって、あれよあれよというまに感染者が関西地方だけで拡大していった理由の説明が尽きません。

フォードと息子ブッシュ政権下で国防長官を務めたラムズフェルドが指示すれば、たくさんの卵殻に詰めた新型インフル・ウイルスを日本に持ち込んで大阪と神戸で割ることなど造作なく実行されると思います。

日本のマスコミは日本の検査体制が他国と比べると格段に正確なので、感染者が次々に見つかったように報道したようです。

たしかにアジア地域内においてはそれも真ありかもしれませんが、イギリスやフランスやドイツなどの医療先進国の多い欧州諸国を含めた場合には、検査体制云々という説は首を傾けざるを得ません。

日本と北米間の人の行き来が、欧州と北米間のそれよりも頻繁であるはずもありませんから、その欧州のどの国よりも日本の感染者数が多いというのは何か理由があると考えるのが妥当だと思います。

日本は世界中のタミフルの75%を消費するタミフル大好き大国です。したがって、インフルエンザが流行すれば、何事にも右ならえの日本人にマスコミを使って恐怖をあおり、治療薬であるタミフルの売り上げを増大させる意図は目に見えていたと思います。

その当然の結果としてタミフルの品薄が本格化すれば、インターネットによる個人代行業が半分違法を承知でタミフルの輸入に忙しくなったのです。

2009年新型インフルエンザ騒ぎでは、製造するスイスのロシュは勿論ですが、製法特許を持つアメリカのギリアド社にも大きな利益をもたらしました。

ところで、H5N1からN1H1への変更になったのは、バクスター社の手違いと思われます。

高病原利トリ・インフルエンザH5N1ウイルスを含む危険なワクチンの原料がバクスターによって、世界中に配備されたのが2008年12月です。それを製品にして一般に使えるように準備完了したのが2009年1月か2月です。カナダの国立微生物学研究所がそのワクチンに高病原性トリ・インフルエンザH5N1とブタ・インフルエンザH3N2と人間のA型ウイルスが入っていることを見つけて公表したのが2月です。そのワクチン回収の収量が2月末になったと思われます。

しかしその時にはすでに世界中の人々に恐怖を与えるために、マスコミだけでなくWHOまでも一枚かんだシナリオが動きだ始めていました。

そこで計画を中止するよりも別の致死性の高いウイルスに急遽変更して、当初のシナリオ通りに進めることにしたと思われます。

うまい具合に致死性の高かったスペイン風邪H1N1を基にして作り出した期待の心太が殺人ウイルスがあったので、大至急用意したのです。

その準備に少し時間がかかったことで発生がオット先生の予想より遅れ、通常のインフル流行の時期からずれ込んだものと思われます。

メキシコで最初にインフルエンザの症状を呈した人が出たのは3月、4月にアメリカのCDCがそれを新型のインフルエンザと発表してから、WHOが各国政府の先頭に立って不自然なほどにこの弱毒性インフルの危険性を煽り立てました。

勿論、世界中に数ある既存の大手の報道機関でこのバクスター社の手違いを取り上げたマスコミは皆無です。いかに報道統制が世界的規模で徹底して行われているかがわかります。

湿気にも高温にも強いウイルス

このH1N1インフルエンザ・ウイルスは通常のものとは違って、高い気温と湿度の中で増殖する能力を持っていた可能性が高いです。

となると冬の乾いた空気と低い気温が苦手だったと考えられます。

その一例としてスペイン風邪の時に10月16日までの死者数が4597人に達したフィラデルフィア市ですが、11月11日になるとほとんどのウイルスが消滅してしまって死者どころか感染者もいなくなったことが記録に残っています。

しかし市ペイン風の犠牲者が赤道直下の熱帯地方からも、太平洋の島々からも北極に近いアラスカからも出たので、通常のインフルエンザ・ウイルスと逆の性質というよりも、気温や湿気の高低にあまり影響されない性質だった可能性があります。

またウイルスが人の手で散布されていた説です。

冬に向かっている南半球のオーストラリア、ニュージーランド、アルゼンチンやチリで感染が急激に拡大したのが冬の気候を好むインフルエンザ・ウイルスですから当然のなり行です。

ところが夏に向かって気温と湿気が増している日本だけでなくアメリカ、メキシコ、カナダでも感染の勢いが全く落ちていないのは、通常のインフルエンザの自然感染ではありません。

なので「全天候型インフルエンザ・ウイルス」というい化け物を想定するよりも人間の手が関与していると考える方が妥当ではないでしょうか。

ただし、そうなると世界中でパンデミックと言われれうような大流行を人工的に引き起こすには、ウイルスの培養と共に大変な人手が必要となります。人出はなんとかして用意できるにしても、1918年の時点で3種類の異なるウイルスの大量培養が半年にも満たない短期間で可能だったとは思えません。

しかもこの頃はまだインフルエンザ・ウイルスは分離されていなかったのです。

しかし、2009年型新型インフルの場合は大いに可能性があります。

最新の技術が短期間内のウイルスの大量培養を可能にし、世界中に拠点を持つ欧米のワクチン製造企業と世界中にネットワークを張るCIAのマンパワーが最大限に活用されたと考えると、パンデミックを引き起こすための必要条件は満たされます。

タミフルを売りさばけた。ワクチン製造企業の儲け

ところでH5N1からH1N1への変更によって、製薬会社だけでなくアメリカ政府も思わぬ恩恵に浴しました。

タミフルアメリカの製薬会社ギリアド社が特許を保持していて、製造権はスイスに本拠を置くロシュに与えています。

ギリアド社はドナルド・ラムズフェルドが1997年からCEOになっていて、2001年に第1次ブッシュ政権の国防長官として入閣後も、5000万ドルから2500万ドルのかちのあるギリアド社の株を持っていました。

2005年11月、ブッシュは議会にトリ・インフル大流行に備えて、71億ドルという巨額の予算を研究用と医療費用に緊急要請し承認されました。そのうち10億ドルは治療薬タミフルの購入と配給に使われました。

ところが、政府の予想が外れて大流行顎着なかったので、この大量ワクチンと衣料品が倉庫に山積みとなり残ってしまいました。

タミフルの製造元ロシュ社は、タミフルの有効期限は3年と言明していますから、2009年の6月いっぱいで10億ドル分のタミフルの廃棄処分になるはずでした。

そうすると税金の無駄遣いを、改憲監査員から指摘されるのは必須でした。

しかし新型インフル登場後、日本を煽ることで、5月中旬においてタミフルの在庫の25%が既に倉庫に出荷されたと言われています。

そしてこの騒ぎの最中の5月終盤に、米国が1億9000万ドル、英国保健省が9000ドルのタミフルを注文したことが報道されましたから、やがて空っぽになる米国政府の貯蔵庫には6か月後にはまた新しいタミフルが収まることになるでしょう。

政府にとっても幾つかの製薬会社にとっても、計画変更に伴う新型インフルエンザH1N1流行の影響は、めでたしめでたしの良い効果を生み出しました。

終わりに

このウイルスばら撒きの黒幕、世界の帝王である「デービッドロックフェラー」

2010年のロックフェラー財団発行のシナリオ集の一つに、今回の新型コロナ騒ぎの具体的な出来事、検温やフェイスガードなどを物の見事に言い当てていて、それを契機に世界はトップダウン式政府支配、具体的には一党独裁の資本主義国家中国のようになるとあります。

そんなことが米国で起きれば国中、火器を使った反対運動が起きるのは明らかなので、国土安全保障省は全米のあちこちに拘禁施設を建設済みです。

こういう施設は使う予定があって建設したのですが、現在、何百万人もの逮捕状なしの逮捕・勾留をせざる得ないような事態は、当分起きないような気はしています。

何故なら新世界秩序推進の旗頭だったデービッド・ロックフェラーが2017年にこの世を去ってしまったからです。

彼がロックフェラー財団を使って行っていた事業はビル&メリンダ・ゲイツ財団が引き継いでいますが、デービッドの跡を継ぐ有能なロックフェラー家当主の出現にはまだ間がありそうです。

では、コロナウイルスは??

コロナ・ウイルスとインフルエンザ・ウイルスは、

・寒い時期に最初の感染者が出て、温かくなるにつれて感染者が増加し、夏の北半球でも冬の南半球でも感染拡大が進行

・正体がはっきりしないうちにマスコミが恐怖をあおる

・どちらも発熱、倦怠感、咳などの症状

・ウイルスが付着した人や物に触れた手で人の顔を触ることで感染すると言われている

このようにインフルエンザ・ウイルスと類似している点がいくつもあります。

今回は規模がかなり大きいです。

これも人為的なものなのか?問われると結論、そうなります。

中国ウイルスに関する最初の記録映画「武漢コロナ・ウイルス発生を追って」をみていきましょう。

第一部 武漢市華南海鮮市場

中国当局発表による海鮮市場発生説を医学者が非知恵する根拠になった事実が、初期の感染者の治療にあたってそのデータを科学雑誌ランセット』に寄稿した、武漢の金銀譚医院の医師の証言を基に紹介されます。

「コロナ・ウイルスの宿主とされたコウモリですが、当時華南海鮮市場で販売している者はおらず、武漢疾病対策センターによる市場内部調査でも1匹もコウモリも発見されなかった」と述べています。つまりは、「中国政府当局は真実を隠蔽している」ということです。

第2部

1月11日:中国が新型コロナ・ウイルスの4つの型の遺伝子配列を世界中に公開

2月3日:疾病対策センターの医師が、武漢コロナ・ウイルスは中国人民解放軍浙江省舟山地域のこうもりからさいしゅした2つの型CoV2C45とCoVZXC21に酷似していると発表

2018年に人民解放軍南京軍区の軍事医学研究所所属の科学者たちは、舟山のコウモリはサーズ・ウイルスに似たコロナ・ウイルスを持っていると発表した

軍の科学者が発見した舟山ウイルスと武漢ウイルスの、NSP7とEプロテインの2つのアミノ酸の類似性は、100%である。

アミノ酸が100%同じというのは自然発生の変異ではなく、逆行分析で作り出された可能性がある。

Sプロテインというのは、スパイクプロテインとも呼ばれているが、コロナ・ウイルスがヒトの細胞に侵入するための最も重要な道具である。スパイクプロテインはヒト細胞表面にあるACE2に統合し、そこから細胞に侵入して細胞を破壊する。

中国科学院上海パスツール研究所が、武漢ウイルスのSプロテインの受容体結合ドメインはサーズ・ウイルスのSプロテインのそれと似ていて、この2種の相同関係は高い、と発表した

2月28日、中国政府当局が、新型コロナの遺伝子情報を世界で最初にネット上に公開した上海市公共衛星臨床センターを閉鎖したことが判明しました。

所有するウイルスサンプルの廃棄と、ウイルスに関する情報や関連する書類、関連するデータの公開を禁じる命令を出したのです。

これから世界中の医学研究者や医学研究機関が治療方法を見つけるためのレースが始まろうという矢先に、なぜ上海臨床センターを潰したのでしょうか。

第3部

中国にコウモリとコロナ・ウイルスを研究している女性生物学者シ・ジエンリは、コウモリのコロナ・ウイルスが異種間障壁を乗り越えて人間に直接感染する重要なカギを最初に発見しただけでなく、サーズ・ウイルスは複数のコウモリのコロナウイルスの再構成の結果であることを発見した聖書の生物学者です。

彼女の名前は武漢コロナ発生直後からウイルスの起源に関する論争に必ず出ました。

彼女がコロナ・ウイルスの研究に入ったのは、2003年サーズ発生が契機です。

2010年になると彼女のチームは、種を超えて感染するコロナ・ウイルスの能力の確認に入りました。特に力を入れたのはコロナのスパイクプロテインです。言い換えれば、彼女たちはコロナ・ウイルスが人間に感染する要素を調べ始めたのです。

2013年10月、権威ある科学雑誌「ネイチャー」に、キクガシラコウモリから人間のサーズ・コロナ・ウイルスと同じウイルスを分離したと発表し、サーズが人間に感染するのに中間宿主が必要ないことを彼女は論証したのです。

2015年6月、彼女は、異なる種類のコウモリのACE2プロテインは、サーズ・コロナ・ウイルスの侵入に対してむらのある感受性を示す、という論文を発表しました。

この論文は、彼女はコロナ・ウイルスが人体に入り込む通路を掘り出したことを表明したのです。

2015年11月、再び「ネイチャー」に論文を発表し、ウイルスを合成して作ったことに言及しました。自己再生能力を持つそのウイルスは、サーズ・ウイルスを骨組みにして、そのスパイクプロテインは彼女が2013年に発表したキクガシラコウモリと同じプロテインなのです。

このウイルスを感染させた鼠の肺は治療不可能な損傷を被りました。

彼女は之を霊長類に試すことを匂わせましたが、その結果は公表されていません。

11月12日の「ネイチャー」にフランスのパスツール研究所の反論が載りました

「サーズに関係するコウモリ・コロナ・ウイルスのハイブリッドバージョンを作った実験は果たして世界的な感染流行を引き起こすことより価値があることなのか」という素朴な疑問です。

彼女がハイブリッド・コロナ・ウイルス作製に成功したことは明白です。

同研究所のウイルス学者サイモン・ウエイン・ホブソンは「研究者が新しいウイルスは、人間の細胞内で著しく効果的に増える。もしこれが逃げだしたら、誰もその道筋を予測できない」と語っています。現在起きている感染の広がり方はまさしくウエイン・ホブソン博士の予想どうりですから、ウイルスは彼女の手から逃げ出してしまったようです。

またインド人研究者が、新型コロナとサーズのスパイクプロテインの配列を比較して発見したことがあります。

それは新型コロナが持つスパイクプロテインの新しい4か所の配列は、H1V1(ヒト免疫不全ウイルス)のスパイクプロテインの配列と不可解なほど同じだったことです。

この同じ配列がみられるのは、H1V1とシ・ジエンリ博士が発見したコウモリと新型コロナの3種類のウイルスだけの用です。

第4部

リ・シエンリ博士はおそらく自分が作ったコロナウイルスではないと主張したかった思いますが、2020年1月20日『ネイチャー』誌に投稿します。

2月3日、リ・シエンリ博士の「コウモリ起源にまず間違いない新コロナ・ウイルスに関連する肺炎発生」と題する論文が『ネイチャー』に掲載された。そこには、武漢ウイルスはサーズと同じ鍵を使って人体に侵入すること、そそて武漢ウイルスのゲノム配列の96.2%が、以前に雲南地区で見つかっていたコウモリのコロナ・ウイルスのそれと同じだと書かれている。

1月2日、武漢ウイルス研究所長が職員にEメールを送った

通知:武漢のまだ知られていない肺炎に関するすべての情報を公開を、厳に禁ずる

国家衛星健康委員会は、この発生に関連するすべての発見、実験のデータと結果と結論を、Twitterやブログやユーチューブを通じての発信も公共報道機関を通じた発表も、省の報道機関を含めたいかなる報道機関も協力的な組織を通じた発表を行ってはならない、と明瞭に義務付けている。

1月21日、武漢ウイルス研究所は、新型コロナ治療薬に関する特許を出願。

アメリカから中国に無料で支給された米国ギリアド・サイエンシズ社製造の抗ウイルス薬レムデシビルは、武漢ウイルス研究所の特許を使って作られた。

2月3日、ドクター・WUXiauhuaが実名を使って、リ・シエンリ博士の研究所が武漢ウイルスを外部に持ち出した恐れがある、と告発した。

2月4日、広東省広州にほんしゃをおくビデオゲーム会社Duoyiの創業者で議長のXoBo氏が実名で、武漢ウイルス研究所が武漢ウイルスを作って外部に流した疑いがある、と告発した。

2月7日、人民解放軍の生化学兵器専門家のトップ、Chen Weiが武漢ウイルス研究所のP4研究所の権利を公式に受け入れた

2月14日、習近平が、中国の国家安全体制にバイオセキュリティーの組み込みと、早急なバイオセキュリティー関連法案の設定を命じた。

2月15日、中国の報道機関が広く報道した、武漢ウイルス研究所職員で新型コロナの最初の患者と言われたHuang Yanlingが亡くなったという噂を、武漢ウイルス研究所は否定した。しかし、研究所ホームページに2012年に存在していたかのjの写真も論文も削除されて、今は名前だけが残っている。

2月17日、研究所の研究者Chen Quanjiaoが、2018年にウイルス研究所長になったWang Yanyiがウイルスを外部に持ち出した疑いがあると実名で告発した。

中国の国内から名指しで非難されているというのに1月23日の武漢市のロックダウン後、中国科学院武漢ウイルス研究所に大きな動きはありません。世界中が新型コロナ治療方法とワクチン開発に発揮になっている時、新型コロナ・ウイルスを生み出したこの研究所もリ・シエンリ博士も沈黙を保ったままです。

2月7日にP4ラボの管理を正式に受け入れたChen Wei、女性の疫学者ですが、人民解放軍少将です。彼女のチームとカンシノバイオロジックの連名で、新型コロナワクチンの特許申請を出しています。

P4レベル研究所の運営と管理は軍ですが、本当のボスは誰なのか追及が始まります。

鄧小平引退後の中国最高指導者江沢民の長男で元科学院福音長江綿恒とその一人息子、英名アルヴィンの追及に終始します。

この動画を見ると、新型コロナを作り出して巷に放ったのは中国軍部なのは間違いありません。

これだけ状況証拠が揃うと、米国、オーストラリア、イギリス、ドイツ、フランスで損害賠償を求める動きが高まっているのも理解できます。

しかし中国そんな危険を冒してまで実行する理由はなんでしょうか。

今回の動画の中では中国軍高官は「生物兵器アメリカと戦うための重要な道具」と言っていました。

ではなぜアメリカでばら撒かないで自国領内で最初にばら撒いたのでしょうか。

中国とアメリカは裏で繋がっている

中国は元々ロックフェラー財閥が建国して育てた国なので、繋がっているのは当然なのですが、今回の流れをみていきます。

・息子ブッシュ政権時代からアメリカは高致死性病原菌出現を予定して、様々な準備を行っていましたがその期待を担って登場したのが2009年新型インフルです。

しかし、結果は期待外れでしたので次の病原菌作製のために予算を組みましたが、オバマはその予算を2014年に停止しました。

中国が大型新人リ・シエンリ博士を作り出したことが分かったからでしょう。

リ・シエンリ博士がキクガシラコウモリから人間のサーズ・コロナ・ウイルスと同じウイルスを分離したと発表したのは2013年10月でした。

サーズの65歳以上の致死率は50%という高さでした。それと同じウイルスを分離したのですから、それを使えばよいのです。

アメリカの国策として、フォードが1975年に採用したキッシンジャー提言の人口削減を要する13か国に、世界最大の人口を擁した中国は入っていませんでした。ところが中国は1979年に一人っ子政策を開始したのです。

中国指導部がアメリカ政府を忖度して踏み切るはずがないのです。この事実は、単に裏で繋がっているだけでなく、アメリカは中国の上位にいたと判断できます。

建国の経緯を知る世代がまだ現役の頃ですから当然と言えば当然ですが。

米国債保有国別ランキング1位は日本で、2020年1月時点の保有額は1兆2117億ドル、2位が中国で1兆786億ドルです。買い続ける日本と違って中国は時々売却しますが、1月には87億ドル買増しています。3位の英国3727億ドルと比べて日中両国の金額が突出するのは、日米並の堅固な米中の結びつきが経済面に表れたからです。近年の米中の喧嘩は、外交問題評議会(CFR)の外にいるトランプが大統領になったからです。CFRは対中国ビジネスを推進するデービッド・ロックフェラーの牙城です。対中国強硬策は国防費増強につながるので、軍産複合体は喜んでいるはずです。

・感染発生が、中国軍部が敵と公言するアメリカで始まらないで中国領内から始まったのは、アメリカ人に敵視されたくなかったのと、自分達も被害者として世界中の国の同情を得ようとしたからです。アメリカ人が怒って中国製品不買運動でも始まったら、中国経済は大変な打撃を受けることは、頭の固い軍人にもわかっていたでしょう。ともかく最大被害はアメリカになるというので、彼らは国内バラマキを承諾したと思います。

何故こんな馬鹿なことを世界の二大国アメリカと中国が共謀したのかといえば、

アメリカ政府には新世界秩序の人口削減があり、ワクチンや治療薬を扱う製薬会社がもうかるのはわかるでしょう。

もう一つは、アメリ憲法の改変です。

個人の自由を前面に押し出す米国憲法は世界統一を夢見る新世界秩序ギャングにとって邪魔もの以外の他でもありません。

日本の安倍派も彼らの一味なので同様で改憲を考えていました。

一方中国は、2012年にスタートした第5世代習近平体制がアメリカの申し出を受け入れたのは両国は深い所で未だに繋がっているからでしょう。

新型コロナ発生当初からトランプ政権はコロナを無視するような姿勢を取り続けていました。

CFR(外交問題評議会)会員ではないトランプにとって人口削減や温暖化対策に興味がないのはわかりますが、ブッシュの作った法律のことは、制定目的は別として存在は知らされているはずです。

終わりに

この記事は人為的にコロナをばら撒いた決定的な証拠は現在なので、状況証拠をいくつも並べる構成となっていています。

元々ウイルスが「人為的である」ということ自体信じられないと思いますので、その概念をひっくり返すために、かなりのボリュームにせざる負えませんでした。

ウイルスが人為的であることは、99%確定なのですが、ばら撒き方というのは依然に不明であります。

とにもかくにも、この前提事実を知ることによって、個人のウイルス対策、それはもちろんこの世界を支配するエンペラーの「人口削減計画」「第三世界」に抗うことということですね。

多数派常識に右ならえでワクチン打ちまくって免疫機能を壊して何も知らずに病死していくか、そうではないのか。

読者の皆様はどうするのか、「ウイルス」は令和時代もっとも重要な議題ではないでしょうか。はい。

引用:ウイルスは「ばら撒き」の歴史

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