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読むだけでラーメンが100倍上手くなる!?極上の一杯を追求するために旅に出るのだ【全国ご当地ラーメン】

ラーメン語れずして人生語れず

どうも、さっちゃ~んです。

皆さん、旅に出る一番の理由ってラーメンだと思うんですが(?)

ご当地ラーメンを食べないで、人生終われませんよね

というわけで、今回は、「ご当地ラーメン」を各都道府県毎に紹介します。

無職の皆さんは、生活保護を取得してから、

生活保護の皆さんは、ケースワーカーにみつからないように、

全国のラーメン旅に出ましょう

ラーメンの伝来・歴史

1858年(安政5年)に結ばれた「日米修好通商条約」によって横浜の中華街は、貿易港として開港されたことに始まります。

最初、中国人は欧米人の買弁や、貿易商や外交官の雇い人として来日しましたが、欧米人が香港や広東から来たこともあり、広東省出身者が圧倒的でした。

1872年(明治5年)には、すでに千人程度の中国人が居留地の一角に固まって住むようになっていました。1894年に日清戦争により、一時中国人の居住は激減しましたが、終結した5年後には元の水準にまで戻りました。

横浜の外国人居留地に現れた屋台の「柳麺」、「手で延ばす拉麺ではなく、庖丁で切る柳麺、トンコツの澄んだ塩味のスープ、トッピングなしのシンプルさ。これが広東料理を思い出させる」と記述されとり、広東語の発音では「ラオメン」ということも書かれています。

広東料理は中国四大料理の一つで「ナンティ」にあたり、「ティ」は一般的に甘い意味ですが薄味で旨いという意味にも使われていて、日本人には広東料理が一番好まれていました。

1910年(明治10年)、横浜・南京町から来たコックが調理する「来来軒」が浅草に誕生しました。岡田哲氏はこの中国人を広東省人であるとし「この麺は、手延べの拉麺で、トンコツにトリガラを加えてコクはあるが、あっさりしたスープを考案し、塩味から関東の濃い口しょうゆの味にして、従来の刻みネギだけに、シナチク、チャーシュー、ネギを加える。一杯十銭のシナソバの種物のように日本人好みの上置が添えられる」と記述されています。そして、ここでもこの麺のことを「ラウメン」と呼んでいたようです。

来来軒で醤油ラーメンが誕生したのは、ほぼ濃厚な説でありますが、南京町から来た中国人が広東人であるということは諸説あります。

1922年(大正11年)、札幌の北海道大学の正門前に、王文彩という中国人が「竹屋食堂」を開店しました。

竹屋食堂で一番売れたのはスープ麺の「スーミェン」

麺は手で引いて作るチェンミェンで、この粉を練る時に、かん水ではなく、炭酸ソーダを使用。スープは鶏、豚のミンチ、貝類などを似た汁に塩で味を調え、うっすらと醤油で色付けした程度のもの、と記入されていました。

日本がかつお節やあごやいわし、こんぶなどという海で取れるものをスープの出汁に使っているのが多いのに比べ、中国では、鶏、豚、牛、羊、など陸の動物などを使ってイノシン酸の旨味を取っています。イノシン酸グルタミン酸を加えると旨味が八倍になるというのが料理界の常識なのですが、そういう事実があるから中国料理のレシピには今でも化学調味料が欠かせなくなっています。

この貝類のような海産物をスープに使って出汁をとるのは山東省です。

竹屋食堂で札幌ラーメンの基を作った王文彩は山東省の海の近い地方で育っているので、もしそうだとしたら、札幌ラーメンのルーツは中国山東省ということになります。

1945年昭和20年、引揚者の帰国。戦後、大陸、特に旧満州からの引揚者によって、中国で人気のあったラーメンの屋台があらわれました。

「戦争が終わると、日本人は何もかも失った。食べるものもなく誰もが少々遠い所へでも争って買い出しにいった。(中略)そうこうしているうちに、引揚げ者が帰ってきた。彼らは仕事がなく、闇市で物を売ったり、大陸で覚えたラーメン屋台が数多くできて大衆に迎えられるようになるのはそれから後のことだが、(後略)」『食欲礼賛』

太平洋戦争研究会著『満州帝国』によると、昭和15年に中国には約40万人の日本人が住んでいたといいます。拉麺、大肉麺は、日本の屋台ラーメンのルーツの名残とも考えられています。

ラーメンの構成要素

まず、ラーメンについての地域の差を理解するために、ラーメンの構成要素を理解しましょう。これを読めば、地元のご当地ラーメンのスタンダードと全国のご当地ラーメンとの違いが理解できます。

ラーメンのスープは「ダシ」と「タレ」の二つの要素で切ります。

主なダシ:とんこつ、鶏がら、魚介、各ブレンド

主なタレ:醤油、塩、味噌

一般にはタレもダシもひとくくりにされていますが、特に「とんこつラーメン」も味として浸透しています。

また、「とんこつ」もひとくくりにできず、使われる部位が様々あります

ゲンコツ:豚の膝関節部位。人の拳の形に似ているのでこの名前が付きました。スープが白濁しているラーメンはこの部位を中心に出汁を採ることが多いです。かなりの長時間にわたってダシが採れて、スープはこってりとしています。

あばら骨、背骨:げんこつに比べて値段が安く、短時間で出汁が取れますが、長続きしないので取り換えが必要です。家系ではゲンコツと背骨を組み合わせて使っています。

豚足:他の部位と一緒に使い、味の深みを出すときに使うことが多いです。充分な下処理が必要

豚頭:骨髄がよくでます。ただし、長時間炊くと臭みがでるので注意。

とんこつから出るコラーゲンは鶏がらに比べて多く、長時間煮込み続けることで脂肪分が乳化され、とろりとした白濁スープになります。

骨に含まれるイノシン酸と骨髄に含まれるグルタミン酸がよく混ざることで旨味の相乗効果を発揮します。そのため、ゲンコツや背骨などは大きいままよりも砕いて使用します。

一方、鶏がらはグルタミン酸が多く、豚骨に比べて、コラーゲンが少ないので白濁しにくく、済んだ「清湯スープ」に仕上がりやすいです

丸鶏を使えば濃厚スープになります。

鶏の足の部分である「もみじ」もコラーゲンが豊富で、十分な下処理さえすれば短時間で良いダシが採れるため、あっさり系の塩や醤油らーめんによく使われます。

スープに野菜を入れて煮込むのは、主に臭みを消し、甘みを出すといった効果のためです。

ネギや生姜は動物系や魚介系の出汁の臭みを消し、ニンジンや玉ねぎは甘みを出します。また、濃厚な豚骨主体の家系では、果物がよく使われます。

動物系の臭みを消しながら甘みを出す役割と共に、後を引く味に仕上げます。

ちなみに

清湯(ちんたん):主に鶏や豚など、動物系の食材を煮立たせないように炊いた濁りのないスープ。

白湯(ぱいたん):豚骨や鶏がらなどを強火で煮込み、白濁させて仕上げたスープ。熱によって脂肪とゼラチン質が乳化した状態のことをいいます。

煮干系は、マイワシや片口イワシの稚魚が一般的ですが、アジ、トビウオ、キビナゴなども使用します。鰹節や昆布などと共に出汁を採る材料として使われます。

トビウオは、「アゴ」とも言われ「アゴダシ」はトビウオダシのことを指します。

焼いて乾燥させた「焼きあご」は和食の出汁として使われる高級食材で、上品でコクがあるため、ラーメン店でもよく使われるようになりました。

醤油も製造方法の違いから主に5つに分けられます

濃口醤油:エキスが多く、コクもある。香りが強く、素材の生臭さを消す効果がある。オーソドックスな醤油ラーメンに合います。東日本寄り

淡口醤油:出汁の持ち味を生かすときに使用。塩分は強く、だし汁やみりんと相性がよいです。西日本寄り

溜まり醤油:味噌や味噌もろみから採った醤油で、濃い口醤油より濃厚で大豆特有の甘みと香りがあります。塩分はやや控えめです

再仕込み醤油:塩の代わりにマナ醤油を使って仕込んだ醤油。味は非常に濃厚で香りが重い

白醤油:小麦と少量の大豆が原料。材料の風味や色を活かす料理に向いています。

醤油や味噌のような強烈な調味料は、いいタレさえ完成すれば、極端にいうとお湯で割っても美味しいラーメンが出来ますが、塩ラーメンでは、出汁のアジがダイレクトにスープに反映されてしまいます。

自然塩:伯方の塩、赤穂の天塩、ミネラル分やにがり分を加えて再加工したもの

自然海塩:海の精、伝統的な塩田で作られた自然海塩

輸入塩:海外から輸入

ミネラルが豊富なものは、塩辛い角が立った味ではなくまろやかな甘みがあり、ダシと合わせることで奥深い味わいを生み出します。

麺の加水率は「西低東高」

一般的な麺:30~35%。東京ラーメンは35%前後、家系は30%強が多いです

低加水麺:30%以下で西日本に多いです。尾道、博多、熊本、久留米、鹿児島等、北海道の旭川、釧路などの道東は例外で26~30%と低めになります

多加水麺:40%で東日本に多いです。太麺で手打ちの自家製麺も多くあります。

米沢、白川、佐野、札幌、函館等

旭川ラーメンばっかり食べていたので、旭川ラーメンがスタンダードだと思っていましたが、全国的にみると麺は低加水で、縮れ麺も珍しいみたいで驚きました

北海道

札幌市「味噌ラーメン」

アメリカの大手スープメーカー・マギー社の社長が「日本人は味噌という素晴らしいソースを持ちながら、それを活用していない」という日本の食文化についての記事を読んだことがヒントになったこともあったのか、1954年「味の三平」で客から「豚汁に麺を入れて欲しい」と頼まれたことが起源とされています。

麺に関しては、終戦直後の1946年ごろ、「だるま軒」から独立した西山孝之氏が「西山製麺」を興し、カンスイの効いた黄色くてコシのある太い縮れ麺を開発しました。

また、バターやコーンが入った味噌ラーメンこそ本場札幌のものと思われがちですが、実のところ札幌の味噌ラーメンにはトッピングをしない限りはバターやコーンは入っておりません。

旭川市「醤油ラーメン」

旭川市内には200~300軒ほどラーメン店があり、郊外の道路を走っていてもほぼ必ずラーメン店の暖簾を目にするほど激戦区となっています。

旭川ラーメンの特徴は、豚骨をベースに魚介物を加えた出汁と、加水率の低い縮れ麺、スープが冷めにくいように表面をラードで覆っていることです。

基本はしょうゆ味で、縮れた麺にスープがしっかりと絡み、麺とスープの一体感が味わえます。

旭川は当時、養豚業が盛んだったため、近隣の農家から廃棄していた豚骨を分けてもらえました。

しかし、豚骨を煮汁が白く濁ってくるまで時間をかけて煮込んでいきますが、豚骨だけのスープでは匂いが強すぎてお客さんには提供できません。

そこで、このにおいを抑えつつ、さらに旨味を引き出すものはないかと考え使われたのが魚介類でした。

この発想が生まれたのは、旭川市が物流の拠点であったため、日本海オホーツク海でとれた海産物が容易に手に入れることができたことが考えられます。

旭川ラーメンの原型は、1947年に誕生した「蜂屋」と「青葉」であり、蜂屋の加藤枝直氏は、強火で豚骨を炊いて白濁させた濃厚なスープと、豚骨の臭みを消しながら旨味を増すアジ節のスープを合わせるダブルスープを考案、さらに、香ばしさを加え、保温性を高めるために焦がしラードでスープの表面を蓋いました。

これが日本初の縮れ麺の誕生となり、同時に長男の加藤熊彦は製麺工場「加藤ラーメン」を立ち上げました。

同年、老舗の青葉がオープン。当初、メニューにラーメンはありませんでしたが、先代の村山吉弥氏が29年間中国に住んでいた経験を活かし、ジャージャーメンを参考に旭川に会う味を編み出しました。スープは、豚骨と鶏ガラを弱火で煮込んだものに魚介類を加えたあっさり味の出汁に、日本人が好む醤油を加えたものでした。

麺は加藤ラーメンから分けてもらい、蜂屋と同様に保温性を高めるため、スープの表面には油の膜を張りました。

この2店で作られた味が旭川ラーメンの原型となっています。

函館市「塩ラーメン」

とんこつをベースにした透明感のあるやさしい味のスープに、やや加水率の高いゆるやかな縮れ麺。

函館も旭川と同じように、新しい物を受け入れる体質ではないが、昔ながらの塩ラーメンの店が未だに人気がある。

代表的な「あじさい」は東京にも進出して有名ですが、出店自体は千歳、札幌のみにとどまっています。

東北

青森県青森・弘前市津軽ラーメン」

70~80年前から「津軽そば」というものが存在し、歴史としては実はかなり長いです。

津軽そばは、煮干が軽めに聞いた醤油味と、煮干がガツンと効いたパワフル系の煮干しの2つの味があり、無カンスイの自家製麺が多いです。

ダシの煮干も、昔は「焼き干し」を使われていましたが、高価なために現在では「くどうラーメン」ほか数軒でしか使われていません。

パワフル系の店では、「たかはし」が筆頭に挙がり、煮干がたっぷり聞いた濃厚とんこつ並みにインパクトのあるラーメンです。

他にも「ひらこ屋」「田むら」など、インスパイア系が何軒も出店しています。

秋田県横手市「十文字らーめん」

秋田県の南部に位置し、現在は合併されて横手氏となった十文字町に歴史の古い十文字ラーメンがあります。

代表的なのは「マルタマ」「三角そばや」「丸竹食堂」などが挙げられます。

特徴は、シンプルなあっさり煮干だしの醤油スープに、カンスイを抑えた細めの手もみ麺。

基本のラーメンとは別に、スープ入りの冷やし中華そばもあります。

冷やしラーメンの元祖は山形と言われていますが、創業年度から考えると同時帰化十文字の方が古いかもしれません。

歴史はありますが、新店が増えていないのと、東京出店もないので知名度は低めです。

山形県「山形ラーメン」

実はラーメン消費ナンバーワン都道府県で、ご当地ラーメンも群雄割拠しています。

山形は蕎麦屋が多く、蕎麦屋でラーメンを食べるという食文化がある珍しい地域です。

酒田ラーメン

8割の店が自家製麺を使っています。特徴のある自家製の手打ち麺は多加水の成熟させた細麺です。「三日月軒」では、鉄棒に体重を乗せて麺を打つという、全国的にも珍しい麺打ちをしています。

赤湯ラーメン

赤湯は平安時代に開湯された歴史ある温泉地で、観光客でにぎわうこの地で代表的な店は「龍上海」です。親戚筋にしかのれん分けを認めないため、小数店舗しか存在しません。やや太めの縮れ麺で、もちもちとした食感。辛みそを溶かした煮干の効いたスープとなっております。

寒河江市河北町「肉そば」

鶏だしの甘い醤油系スープで、具は鶏肉が多いです。暖かい肉そばと冷たい肉そばがあり、麺もそばと中華麺があります。

新庄市「とりもつらーめん」

「一茶庵」の「とりもつらーめん」は名物で、スープは鶏がらベースの醤油味、鶏のモツ煮を加えたものです。縮れ麺が多いなか、同店では細めのストレート麺を使用しいます。

米沢ラーメン

鶏がらと煮干中心のさっぱりしたスープに、幅が広めの縮れ麺が主流です。代表的な店は「ひらま」「熊文」

福島県「喜多方・会津・白河」

実は、福島県も山形・新潟に次いでラーメン消費量ベスト3のラーメン県です。

喜多方ラーメン

札幌、博多とならんで喜多方ラーメンは日本三大ご当地ラーメンと呼ばれることがあります。

加水率の高いもちもちとした極太の幅広い平打ち麺に、とんこつの清湯と煮干をブレンドした透明感のあるスープが特徴で、特に、飯豊山から流れる名水を使っているからこその旨さがあります。バラ肉の二豚がたっぷりのって食べ応えもあります。

元祖は1925年創業の「源来軒」と言われています。他にも塩ラーメンの「坂内食堂」、「まこと食堂」などがあります。

喜多方では、朝食でラーメンを食べる習慣があり、早朝から営業している店が多いです。

とんこつや味噌も参入していますがあんまり人気にならず、既存の喜多方ラーメンが主流です。

会津若松市会津ラーメン

喜多方ラーメンに似た感じの醤油ラーメンですが、魚だしの印象が強く感じ、自家製麺が多いです。「三角屋」は大正時代初期から創業している老舗です。

白河ラーメン

白河は松尾芭蕉の『奥の細道』で奥州の入り口「白河の関」として多くの歌に読まれている有名な土地で、竹刀には100軒ほどのラーメン店が点在しています。

元祖は、1970年創業の「とら食堂」、多加水で幅広い縮れ麺を木の棒で手打ちにするのが特徴。とんこつや鶏がらを使った澄んだ醤油スープは、同じ福島県の喜多方より濃いめです。手打ち麺は量産ができないため、経営的にはあまり儲からないと言われています。

とら食堂」で修業した店は「とら系」と呼ばれ、20~30軒ほどあります。

関東

栃木県佐野市「佐野ラーメン」

佐野ラーメンは、青竹で打つ幅広の麺で加水率が50%近いものであるほどで、柔らかい食感が特徴です。鶏がらベースの透明感のある醤油スープ、具は至ってシンプル。佐野の麺とスープは日本の名水百選に数えられる湧水が使われます。

歴史も古く1916年ごろからラーメンを出し始めた洋食店「エビス食堂」があり、この流れを汲んで30年から「宝来軒」34年から「精養軒」が営業しています。

他にも「とかの」「森田屋総本店」「岡崎麺」など老舗もあり、市内には200軒近くのラーメン店がありますが、新店で目立つところはなく、伝統を守り続けているご当地です。

群馬県藤岡市「上州藤岡ラーメン」

群馬県には小麦粉を使用した食文化があり、醤油や豚肉など地元産の食材を活用した地域ブランド化の余地が大きくあります。

藤岡市は歴史も古く、1903年創業の「むらちゃんラーメン」依頼100年以上の歴史を重ねます。

藤岡市内には約60店舗ほどラーメン店があるとされ、佐野ラーメンの流れを汲む青竹打ちが特徴とされます。

基本的に手打ちで佐野ラーメンに近いですが、群馬県ソウルフードであるうどんの影響も強く、あっさり味でも醤油味がより強いです。

宮口軒:手打ちうどん風ラーメン。宮口氏は前橋市内のうどん店で働き、うどん作りの技術を学び、1976年に藤岡市内で屋台ラーメン店を始めたことがルーツとなっています。

無かんすいで小麦粉100%の手打ち麺、足で踏み込んでこしを出すという、うどん作りの技法です。

ただし、うどん作りには通常用いられない強力粉と薄力粉を混ぜて使用することで、ラーメン独特の食感を出しています。

粉だけではなく、水にもこだわりがあり、アカギ山鳥居峠の「弘法の井戸」と呼ばれる湧水を一時間かけて毎日組んでいます。

こうして打った麺は手切りにして半日間寝かせます。

そんな手作り業であるため一日130玉限定となります。

柿乃木:醤油味のスープで、麺は手打ち麺ですが、宮口軒と比べるとかなり細く、東京ラーメンに近い中細麺で、スープは若干鳥見があるのが特徴。

みやご食堂:調理場の右奥がメンを打つスペースとなっていて、直径12~13センチはあろうかという太い青竹は、長さも170センチと人の背丈ほどです。

50玉のメンを打つのに一時間かかり、朝からメンの仕込みをしても一日に提供できるラーメン数は限られています。

茨木県水戸市「スタミナラーメン」

1970年代に「松五郎」の先代が考案したメニューで、レバーとカボチャ、ニンジン、キャベツ、ニラなど、多くの野菜を甘辛く炒めたものをラーメンにかけるのが特徴です。

ラーメンに餡をかけるので「五目そば」に近いです。

茨木県内には水戸を中心に60軒ほど展開しており、ご当地ラーメンとして広く定着しています。

東京都八王子市「八王子ラーメン

八王子ラーメンとは、醤油味ベースに表面が油で覆っていて、ストレートの細麺、刻み玉ねぎ、チャーシュー、メンマ、海苔が添えられているのが基本的なスタイルです。

八王子ラーメンを提供する店舗を取材すると、多くの店主が「ワンコイン」に対するこだわり持っていて、都心部の1000円近いラーメンと違って気軽に食べられる価格設定をしています。

八王子ラーメンの原点は「初富士」が有力です。

ラーメンはかつて中華料理店のメニューの一つという位置づけで出前が中心でした。

そんななか、ラーメン専門店として、しかも、出前は一切おこなわないというスタイルは周囲からは成功するはずがないと冷ややかな目で見られていました。

初富士創業者の大川氏は、魅力的なラーメンを提供するために試行錯誤を重ねました。

北海道旅行に出かけた際に偶然、刻み玉ねぎをトッピングにしたラーメンと出会いました。

ところが、玉ねぎの辛みが抑えられず美味しいと言えるものではありませんでした。

しかし、玉ねぎの食感が強烈な印象として残っていた大川氏は、玉ねぎの食感を活かしつつ、辛みを抑えるためい日夜研究にはげみ、ついに、刻み玉ねぎを具として添えた八王子ラーメンの原型を完成させました。

スープの醤油誰も様々な工夫が凝らされていて、スープの色は濃いのだが、まろやかな味に仕上がっています。

自宅に深さ100メートルの井戸を掘り、防腐剤などを一切使わない麺は現在でも当時の製法を守り続けています。

こうした八王子ラーメンの特徴を守りつつも周辺の武蔵野市相模原市、北は青梅市八王子ラーメン店が見受けられるようにもなりました。

神奈川県横浜市サンマーメン

横浜といえば『吉村家』が元祖である「家系」が有名です。

こってりした豚骨醤油に太麺。チャーシュー、ほうれんそう、海苔3枚がトッピングの定番です。

スープは脂が多いので、海苔をスープでひたひたにさせてご飯を巻いて食べるのも特徴です。

もう一つ、ご当地ラーメンとしてあるのが「サンマーメン」です。

中華料理用の清湯スープにストレート麺を合わせたものが横浜ラーメンのルーツですが、1918年創業の「玉泉亭」は、元祖横浜ラーメンを守り続ける一方で、2代めになってからサンマーメンを生み出したと言われています。

サンマが入っているのではなく、サンマーメンは、中国語で馬のように活気がつくラーメンとして名付けられたとか。

千葉県富津市「竹岡ラーメン

竹岡という漁港にある「梅乃家」が発祥です。

竹岡ラーメンは、ダシがなく、麺の茹で湯で醤油誰を割る、という茹で湯ごと丼にいれるという型破りラーメンです。しかも、麺は乾麺を使用です。

「竹岡式」とは、ラーメン好きの間で呼ばれるようになった名称で、乾麺とお湯を使う作り方をいいます。そのため、インスタントラーメンはある意味「竹岡式」となります。

薬味にタマネギをのせるところは、竹岡と八王子、新潟以外ではあまりみられない珍しい特徴です。

また「勝浦タンタンメン」も千葉の有名なご当地ラーメンとして台頭してきました。

北陸・中部

新潟県「四大ご当地ラーメン」

新潟はラーメン県で、細かい地域単位でラーメン店が群雄割拠していますが、大きく分けて四大ご当地ラーメンが存在します。

煮干系

新潟市にラーメンが伝わったのは、1972年「保盛軒」の創業とともに始まりました。鶏がらベースに煮干を効かせたスープが市内の店に拡がっていき、煮干系が確立しました。「保盛軒」は現在中華料理店として営業している。

他の煮干系は「三吉屋」「信吉屋」「中華のカトウ」「来味」などあります。

背油系

東京の「二郎」並みに極太な自家製麺に、しっかりと煮干が効いた醤油味のスープ。

背油だけでなく油もかなり多いこってり系です。

八王子や竹岡と同じく薬味に刻み玉ねぎがのっています

昭和初期に燕市で創業した「福来亭」ですが残念ながら閉店しています。

ここからでた燕市の「こう州飯店」「まつや食堂」、三条市の「中華亭」長岡市の「安福亭」「潤」な。

長岡市「生姜ラーメン」

創業50年ほどの「青島食堂」を中心に人気があります。

味噌ラーメン

札幌、赤湯と並んで、新潟の巻町にも古くから味噌ラーメンの歴史があります。

元祖は「こまどり」で、メニューは味噌ラーメンだけで10種類ほどあります。

富山県富山ブラック

1931年創業「末広店」

コシのある手打ち麺に、シ

ンプルな醤油味のスープ、鶏がらとウルメイワシの煮干で出汁を採っています。

「まるたかや」は、豚骨ベースのすっきり醤油味。卓上の脂カスとおろしニンニクを入れてラーメンが完成します。この2件が富山ラーメンの代表店です。

そんな中、「富山ブラック」は「大喜」が若者や肉体労働者の塩分補給のために真っ黒な醤油スープのラーメンを誕生させたのですが、段々とメディアに露出して話題となっていきました。

愛知県名古屋市台湾ラーメン

台湾ラーメンは台湾が伝来したものではなく、名古屋の店が考えたラーメンです。

元祖は台湾料理店「味仙」、70年代に店主が台湾の「タンツーメン」を元に考えたメニューで、小ぶりの器に茹でた麺を入れ、ひき肉やニラ、ニンニク、鷹の爪などを味つけして麺の上からかけたものです。

80年代中ごろの激辛ブームで一気に人気となり、いまでは200軒以上の店が「台湾ラーメン」を主力メニューに掲げています。

もう一つ「好来」が元祖の「好来系」、とんこつや鶏がらに野菜を煮込んで白濁したやや甘みのあるスープに、やや太めのストレート麺。具はメンマが大きくて量も多い。卓上の朝鮮人参酢を加えてさっぱり頂きます。

「ベトコンラーメン」、元祖は「新京」、店主曰く「ベストコンディション」からきているらしいです。たっぷりのニンニクとニラ、長ネギ、もやしなどの野菜をピリ辛に痛めたものをラーメンにかけ、丸ごとのニンニクも載っています。

岐阜県高山市高山ラーメン

1938年創業の「まさご」が元祖。麺は加水率が低くやや縮れた細めの平打ちで、カンスイは使われていません。

鶏がらベースに煮干や鰹節などの和風ダシ、さらに野菜などで採った澄んだスープはやや濃いめの醤油味。

タレを寸動の出汁の中に直接入れてしまうのが大きな特徴です。

つまり、時間が経つとスープが煮詰まって味が濃くなっていきます。

すると、昼はあっさりで、夜は濃厚こってりとなります。

地元の人はそれを理解していて、自分の好みの時間に食べに行くそうです。

さらに、高山はどの店に行っても同じようなラーメンばかりだそうです。

高山ではラーメンのことを「そば」と呼んでいて、逆にそばは「日本そば」や「生そば」と呼ばれています。

静岡県藤枝市「藤枝系ラーメン」

温かいラーメンに加えて、一説には山型寄り古いともいわれる「冷やしラーメン」もあり、どちらも、鶏がらと煮干のダシで、そばつゆに近いあっさりしたスープが特徴です。

一杯の量が少ないために、温かいラーメンと冷たいラーメンを一度に一杯ずつ食べるスタイルが定着しています。

喜多方と同じように静岡でも早朝からラーメンを提供し、藤枝系の元祖といえる「マルナカ」は8時半~13時までの営業となっています。

近畿

京都府「京都ラーメン」

代表的なお店は「天下一品」のように、京都では濃厚でこってりしたラーメンが多いです。

京都で最古参のラーメン店でとんこつ鶏がらをなどをブレンドした真っ黒な醤油スープの「新福菜館」と、あっさりしたとんこつ醤油スープの「第一旭」は、京都駅近くの高架に2件並び、朝から営業しています。

他にも、鶏がらベースの醤油味に豚の背油をのせた「ますたに」をベースとしたラーメンも多いです。

奈良県天理市「天理ラーメン」

元祖の「彩華」、屋台から発症した店で、白菜をたっぷり入れたピリ辛ラーメンが特徴です。とんこつ、鶏がらベースで、ニンニク、豆板醤で辛みのあるスープとなっています。

大阪府高井田系」

もともとうどん文化だったため、ラーメンでは後れを取っていますが、昔から親しまれているのは「高井田系ラーメン」です。

元祖は「光洋軒」と「住吉」、特徴は、鶏がらベースで生醤油のような醤油の立ったスープ、うどんのような極太麺に大雑把に切ったネギに黒コショウが入ります。

和歌山県和歌山市「和歌山ラーメン」

和歌山ラーメンは地元では「中華そば」と呼ばれます。

味は、主に豚骨醤油味と呼ばれていて、もはや「郷土料理」の息になっているそうです。

1.醤油系。豚骨をベースにするものの、若干醤油が経っている。見た目は濃い茶色ですが、食べるとあっさりしているのが特徴。和歌山ラーメンの主流

2.豚骨醤油系。豚骨をゼラチン質が溶け込むぐらいまで煮込み、ドロドロに乳化したスープに醤油を合わせて味を調節していくというもの。

「井出商店」がこのスタイルであるので「井出系」とも呼ばれます。

どちらの系統も麺はストレートのやや細めんで、具はチャーシュー、メンマ、ネギと至ってシンプル。

和歌山では、ほとんど伝票が存在せず「自己申告」が一般化しています。

中国

広島県尾道市尾道ラーメン」

1928年ごろ、中国福建省出身の張さんが屋台で始めたのが、尾道ラーメンのルーツです。「朱華園」は、コシのある平面に、スープに浮いている背油のミンチが特徴です。

広島市にも「広島ラーメン」が存在し、「すずめ」や「陽気」はとんこつ醤油ラーメンで、麺はストレートです。一番の特徴はもやしで博多のとんこつが進出してきても、お客さんから「なんでもやしが入っていないの?」と言われるそうです。

「冷やしつけ麵」は、冷たい硬めの細麺を、冷たいたれにつけて食べるのが特徴です。

「汁なし担々麺」も専門店が急増しています

岡山県笠岡市「笠岡ラーメン」

岡山県廃鶏の出荷量が全国的にみても高い都道府県です。

古くから、笠岡周辺では養鶏が盛んで、鶏をベースにした食文化が発達し、笠岡にあるほとんどのラーメン店では鶏ガラをふんだんに使ったスープ、肉はチャーシューではなく煮鶏が使われています。

笠岡ラーメンの鶏ガラは、ブロイラーではなく廃鶏を使用、廃鶏とは採卵期間を終えて鶏舎から出される廃棄用の雌鳥のことです。

まだ産卵も出来て健康ですが、飼育コストの削減などの点で解体されます。1年以上採卵を続けた後の廃鶏の肉は、固くて生肉には適さないため、ミンチにされて加工肉になるか、鶏がらとして利用されます。

鶏がらベースのタレなのかわからないが、「おっつぁん」「お多津」では、毎日味が変化するそうです。

また、岡山市岡山駅から徒歩5分ほどのところで、「富士屋」(1950年創業)と「浅月」が、車が一台通れるかどうかの細い路地を挟んで営業しています。両店ともとんこつベースの醤油味となっています。

他にも「天神そば」「食堂やまと」という人気店があります

鳥取県倉吉市「牛骨ラーメン」

その名の通り、スープは牛骨がベースです。大量の牛骨を砕いて採ったスープに香味野菜を加えてじっくり煮込んだものです。臭みのない透明なスープはコクがあるのにさっぱりした味わいで、牛骨から出る独特の甘みがあります。

タレは地元鳥取の薄口醤油を使用しています。昔ながらの懐かしい味わいで、古くから地元で愛されています。

山口県下松氏「牛骨ラーメン」

こちらも20~30軒ほど牛骨ラーメンが存在します。

元祖は1952年創業の「紅蘭」。

鳥取の倉吉と山口の下松の違いは醤油の味が若干違うようでっす。

四国

徳島県「三系統」

徳島ラーメンには、茶濁スープの徳島系、黄色いスープの鳴門系、白濁スープの小松島系の3つの系統のスープがあります。

「いのたに」は徳島系の茶濁スープで、全国的に知られているのはこの系統が多いです。

とんこつベースで甘辛いスープ。麺はすすりやすいように短め。チャーシューの代わりに濃厚なタレで煮込んだバラ肉をのせ、トッピングには生卵。スープを含めてすき焼き風ラーメンと言われています。

鳴門系は鳴門の「三八」。とんこつ、鶏がらをベースに薄口醤油を加えることでやや黄色くみえます。少し甘めのスープです。

小松島系の代表は、「岡本」。特徴的な白濁とんこつスープ。徳島に豚骨ラーメンが拡がったのは、日本ハムの前身である「徳島ハム」の向上があったため、安いとんこつが大量に供給されたからと言われています。

愛媛県松山市「甘口ご当地」

松山のラーメンは日本一「甘い」です。豚骨ベースの甘い醤油スープは、慣れないと食べられないくらい独特な味です。

スープはインパクトがありすぎますが、麺は至って普通の中細ストレート麺です。

未だマスコミでは取り上げられない、隠れたご当地です。

高知県須崎市鍋焼きラーメン

戦後まもなく「谷口食堂」から発祥しましたが1980年代に閉店。後に「谷口食堂」の味を復活させるべく「鍋焼きラーメン」を継承する店として「橋本食堂」が頭角を現しています。

熱々の土鍋で提供され、鶏がらの醤油スープに、長く煮込んでも伸びない細麺を使用し、具は、鶏肉、ネギ、生卵、そして、ちくわが入るという個性的なラーメンです

九州

福岡県博多市「博多ラーメン」「北九州ラーメン」「久留米ラーメン

白濁とんこつスープに、低加水の細麺。

1941年ごろ屋台で創業した「三馬路」からはじまり、店舗では46年に「博多荘」と「赤のれん」が創業。

一方、長浜ラーメンは53年創業の「元祖長浜屋」。魚市場の長浜で生まれ、忙しい市場関係者のために早くゆであがる極細面となりました。さらに、大盛にすると伸びやすいため、替え玉というシステムが最初に導入されたのも同店です。

とんこつを強火で長時間炊いて白く濁らせたスープは独特のにおいがしますが、地元の人にとってはそれこそが博多ラーメンで、そのため、他から入ってきた新店は中々定着しにくい地域と言われています。

北九州ラーメン

博多ラーメンより濃いめで、久留米ラーメンに近い店が多いです。サイドメニューで塩おにぎりを置くのも特徴です。

魁龍 小倉本店」「東洋軒」「ぎょらん亭」「山小屋(田川郡香春町)」が主な代表です。

久留米ラーメン

白濁スープ発祥の地。「三九」が47年のある日、煮込みすぎて白く濁らせてしまったスープに味付けをしてみたら非常においしかったというのが元祖です。

大砲ラーメン」が主な代表

熊本県熊本市熊本ラーメン

熊本の食と言えば、馬刺し、からしレンコン、そして熊本ラーメンなどが知られている。

白濁した豚骨スープは熊本ラーメンだけではなく、博多ラーメンや久留米ラーメンと共通です。

資料として残っているわけではないのではっきりとは分からないですが、歴史的には久留米ラーメンが源流で、玉名ラーメンを経由して博多や熊本に伝わったと言われています。

熊本ラーメンは博多ラーメンと比べれば、やや太い麺、豚臭さを消すために紅生姜ではなくニンニクを使うという特徴があります。

熊本ラーメンとして名の高い「桂花」や「こむらさき」といった老舗は1950年代に誕生しました。

また、味千ラーメンが熊本の地名を広めた貢献は大きいとされています。

鹿児島県鹿児島市鹿児島ラーメン

1947年創業「のぼる屋」、横浜から来た人に教わったことから始まったと言われています。そのレシピに改良を加えて出来上がったのが、鹿児島ラーメンです。

とんこつがベースではありますが、鶏がらや野菜も加わったやさしい味わい、白濁しているがやや薄目のスープで、油もそれほどしつこくありません。無カンスイの色白の麺は博多よりやや太めです。

「こむらさき」では、台湾のビーフン由来の細麺を使っています。焦がしネギのトッピングに、たっぷりの茹でキャベツともやしが盛られているのが特徴です。

キャベツは札幌だと炒め野菜だが、茹でたものが大量にのってくるのは、「二郎」を除くと鹿児島だけじゃないかと思います。

またほとんどの店で大根の漬物が自由に食べることができ、小さな急須に入ったお茶が提供されます。

鹿児島ラーメンは、通常は丼にタレ、スープ、麺を順に入れて、最後にトッピングを乗せるが、鹿児島では、丼にタレ、麺、そして、具をのせて、最後にスープをかける。混ぜないと薄く感じるので、よくかき混ぜて食べるのが鹿児島流です。

また鹿児島は塩、味噌、醤油など様々なタイプが存在する地域です。

その他の麺の由来

ほうとう

奈良時代に中国から伝えられたという麺の中に「ハクタク」というものが含まれており、その流れを汲むといわれ、今でも山梨に残る「ほうとう」は起源の古い麺の一つとなります。

ほうとう」は「小麦粉をぬるま湯でこねて延ばし、うどんよりはやや広めの幅に切って作り」、こねるときに「塩を使わない」という特徴と「作った面を茹でずに、そのまま汁に入れて煮込む」という特徴があります。

推測ですが、後に、塩を使ったうどん、そうめん類の伝来によってほうとうが駆逐されてしまいました。

ほうとうを具と共に鍋で煮込み、うまく食べる方法を戦国時代の武田信玄の時代に考え出した山梨だけが残ったと考えられます。

名古屋で有名な「味噌煮込みうどん」に関しては、塩を使わない麺なのですが、武田家滅亡後、徳川家に召し抱えられた武田の遺臣によって伝えられたというもので、「ほうとう」の流れをくんでいます。

讃岐うどん

弘法大師が伝えたものだと香川県の人にとっての通説ですが、諸説あり。

また、奈良時代から平安時代にかけて行き来していた遣唐使。その寄港地であった五島列島にうどんの作り方が最初に伝えられたのはほぼ確かな事実となっています。

そうめん

奈良の「三輪そうめん」、小豆島の「小豆島そうめん」、島原の「島原そうめん」、兵庫龍野の「揖保乃糸」など、日本には全国に有名なそうめんがたくさんあります。

奈良時代大神神社宮司が神意にそって作ったのが始まりとされています。

きしめん

きしめんは江戸時代以降に出来た麺で、その頃は「いもかわ」と呼ばれていました。

愛知県三河の芋川で作られた平打ち麺で、きしめんの原型といわれています。

「いもかわ」から「きしめん」と呼ばれるようになった理由は不明です。

伊勢うどん

伊勢神宮は大変古い神宮にもかかわらず、皇室の氏神であったので、一般庶民とはかけ離れた存在でした。それが皇室だけでなく日本建国の神として一般庶民にも崇拝されるようになるのは、江戸時代に入ってからです。

1650年ごろ、ちょうど伊勢うどんができた時期、太くて軟らかいうどんに、この土地で作られていた味噌からできた「たまり」をタレとしてかけてものです。

神社仏閣のある門前町に発達した「安く、早く、腹いっぱいになる」という特色を持った、庶民に適合した食べ物でした

 

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