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【一生無職】ニートライフを最高にするためのブッダの教え 「就職」はするな、「正しい生業」を探せ

この記事は、「生活保護・無職生活」をどう過ごしていくか精神的な考え方を展開する記事です。

↓この記事は、以下の記事で生活保護制度を理解し、自分の中での最悪の状況を想定し終わってからご覧ください↓

【生活保護】あらゆる不安、最悪を万全にシュミレート!情報でメンタルを最強にする ~働きたくない!お金がない!将来不安!鬱!逃げたい!~ - 働いたら負け

【能力主義と生活保護】生活保護を叩いて得する奴らは誰か?? ~優秀な人間が日本をダメにする自分中心の能力主義~ - 働いたら負け

生活保護受給者・ニートになると、まるで自分が社会から孤立したかのような不安を覚えることがある?かもしれません。

何事もビギナーは大変であると同時に、ニートのビギナーも、生活保護制度を知らなかったり、一人暮らしの方法が分からなかったり、お金に関しても、困難が襲い掛かってくることでしょう。

そこで、今回は、仏教の開祖でもあり、精神世界の生き方のプロフェッショナルである宗教家「ブッダ」に教えを乞うことにしましょう。

就職はするな、「正しい生業」を探せ

ブッダとは、「神」ではなく、「人間」であり、「悟れる者」という意味です。

ブッダは生まれながらにして悟っていたわけではなく、今日の私たちと同じように人生を格闘し、人生の真理を発見したのです。

ブッタの教えの核は、自分を極端に甘やかすのも自分を極端に苦しめるのもいけないという「中道」の教えです。

ブッタの「四聖諦(ししょうたい)」の教え

  • ・人生は苦に満ちている。欲しくないものを得、欲しいものは得られず、たとえ欲しい物を得たとしても、それを失うことを恐れなければならないため、人は苦しむ
  • ・苦の原因は「欲望」と「執着」である
  • ・欲望と執着は断ち切ることができる(したがって、苦から自由になることもできる)
  • ・欲望と執着を断ち切るための具体的方法は「八正道」に従うことである(八正道とは、正しい見解、正しい決意、正しい言葉、正しい行為、正しい生業、正しい努力、正しい想念、正しい精神統一)

「仕事」は、精神性の一部。

 正しい生業とは、生きとし生けるものを傷つけないで、助ける仕事をしなさいという教え、仏性を発揮できる仕事をするということです。

ところで、コロナというか消費税10パーセントになって異常に冷え込んでいる日本は現代こんな感じです

・仕事の絶対量が減っている

・企業の平均寿命は「5年」

・公務員も無事「レッドオーシャン

・忙しいのに人手を増やせないし新人はいらない

・分業とコストダウン 企業の平均寿命が5年を斬り、これからずっと安泰な会社はない。

・新人を雇って仕事を教える余裕がない。面倒な仕事しかもう残っていない。 昔の会社っていうのは一つのものを全部で作っていた。 そのため、会社の中で色んな仕事が身に尽くし、「仕事が楽しい」とかほざき出す老害もこれですね。 ところが、コストダウンや効率

・スピードを考えたら単純作業は外注した方がいいわけです。

現在の会社は、一社だけで製品の全工程を賄っているところはほとんどありません。

というわけで仕事内容が「単一化」して詰まらない

そして、残る仕事はというと分解しにくくて人に説明することが難しい仕事。

つまり、その会社内でのしがらみが多くて、何故こうなるのかルールを人に説明できない宗教的な仕事ですね。

そんな面倒事を「正社員」になったら背負うことになります。

日本は海外と違って「契約(この範囲でしか労働は行いませんといったことを明確に書類に全て記載する)」社会じゃありませんので、マイルール・古参ルールなどの曖昧な労働裁量を正社員は背負うことになり、それに対応できない人々のために「発達障害」という言葉が発明されてたりしました。

うまみがあって儲かった仕事はバンバン外注、または、うまみがあるから競合する海外メーカーが参入してくる。

そして、あまり儲からないけど海外は参入してこないからやめられない、面倒くさい仕事が山のように残る。

新人は「なんでこんな非合理的なことしてやらんといけないのだろうか?」と不満を持たれたら困る。

会社に忠実な奴が欲しい

そして、誰も入ってこない、あるいは、すぐ辞める。

さらに、人工知能による翻訳システムが発達すれば、さらに製造業ですでに請け負っているような時給100円や200円の超低賃金で翻訳を始めてしまったら、日本人の仕事のほとんどは外国に奪われます。

うわぁ、なんと、まぁ、労働意欲がなくなることでしょうか

そこで、無理して「就職」に縛られる必要はありません。

おさらいしますが、

正しい生業とは、生きとし生けるものを傷つけないで、助ける仕事をしなさいという教えです。

生活保護を受けながら「ボランティア」でも、「サークル活動」でも、「ネット廃人」でも、「新興宗教入信」でも、あなたが誰かのためになっていると感じられるのならばそれは、正しい生業になります。

決して、あなたやあなたの仕事を他人がどう思うかに左右されてはなりません。

自分の心のままに正しい生業をしてみましょう。

別に就職する必要なんてありません、「行動」を起こすことによって不安が和らぎ、気分の落ち込みを軽減する助けにもなります。

ブッタの「お金」の考え

ブッタの考えではお金を愛することを含めて、本質的には悪ではありません。

悪いのは世の中が物質的世界がこの世の基本であるという思い込みです。

物質が私たちを満足させてくれるという思い込みに答え、この思い込みを成立させているもの、それが「お金」です。

お金は私たちを実態のない喜びに誘い込みます。

個人でも会社でも、私たちは何でもお金に換算します。

成功もお金で測るので、収入も経済活動も増大の一途をたどらざるをえません。

けれども、この際限のない欲求は決して満たされることがないのです。

この物質至上主義は、私たちの抑えがたい渇望から生じます。

この渇望は私たちが互いにつながりあっていない孤立した存在であるという誤った認識から生まれる者です。本当は、私たちもあらゆる物質も空なのです。

その意味するところは「それ自体は本質的に意味を持たない」というものです。

あらゆるものは他のものとつながりによって意味をもつのです。

そして、私たちもそのように存在しているわけです。

世の中が物質的世界ではなく、本当はあらゆるものがつながっているのならば、お金は私たちの本当の幸福から遠ざけるものです。

必要なのは欲望を手放すこと、かといってお金を毛嫌いする必要もありません。

お金持ちになっても堕落しない人は稀で、イエスキリストも「富める人が天国に行くのはラクダが針の穴を通るより難しい」と言っています。

宗教指導者たちは人々が道を踏み外さないよう心を砕きます。

彼らは人を堕落させるお金の毒を分かっていて、私たちはその害に染まらせたくないと思っています。

ブッダ自身は有り余るお金に囲まれて育ちましたが、最終的には全てを放棄しました。

必要以上にお金を持つことは人間に悪影響を及ぼすということをブッダは身をもって経験していました。

お金には魔力があり、私たちを惑わし、甘言で騙します。

お金は恐ろしく忍耐強く、手が付けられない程用意周到です。

私たちの心に潜んでいる無責任さや強欲さが顔をのぞかせるのを待ち構えていて、私たちの悪の道に引きずり込むのです。

お金は危険性を理解しながら、敬うべき訪問者のように扱わなければなりません。

誠意をもって迎えるけれど、誘惑されないよう距離を置いて付き合うことが必要なのです。

このような生き方をすれば、物質的な側面から世界を助けることもできます。

  • 人間の価値はお金で測れるものではないということ
  • 人間は失敗から最も多くを学ぶものだということ
  • 失敗はお金の問題にも当てはまるということ

どんなに経済的に困窮していても、今の日本にいる限り選択の余地はあります。

もうどうにもならないと諦めるか、ふたたび歩き出すかは決めるのもあなた次第になります。

ブッダの教えから、さっちゃ~んの「正しい生業」はブログ

ワイが、仕事を辞めてから精神的に非常に豊かになっております。

しかし、ネットの記事ではたまに、「仕事を辞めるとこうなる」といった不安や煽りがありますし、世の中には「仕事先」を必死で探す人がいます。

これはなんでなんだろうな?と考えておりましたが、「正しい生業」がみつかっていないことなのではないかというブッダの教えから一つ仮説を提唱します。

ワイが他のニートと大きく違うのは「ブログ」をやって、定期的に役に立ちそうな情報を引っ張ってそれを発信していることです。

これは、自分の知識欲を満たすための生業でやってもいるのですが、やはり、どこかでこの記事は誰かしらの役には立つだろうという心の内はあるのかもしれません。

アニメやゲームの娯楽をやる上でも、その感想は後に発信しています。

これは娯楽だけやるなら本当に必要はないことではありますが、発信することによって誰かの役に立つだろうという想いがあるかもしれません。

このように、ブッダの教えに従った視点でいうのならば、ワイの好きな娯楽を「正しい生業」に書き換えて生きています。

ニートは今すぐブログをはじめよ!とはいいませんが、やはり、SNS上で誰かの役に立つ「生業」がみつかれば精神的に豊かになるのではないでしょうか。

ブッダの「変化・不安」

私たちは自分を取り巻く世界を思い通りにしたいと強く願いますが、そう願えば願うほどそれができない現実を受け入れ兼ねて動揺します。

私たちは、安定した仕事、銀行の預金、決して自分をガッカリさせたり捨てたりすることのない愛する人などといった、確固としたよりどころを見つけようとします。

恐怖に駆り立てられて、自分に安心感を与えてくれるものや人を探すのです。

しかし、それは無駄な努力です。

安全と言うのは存在しないということに、遅かれ早かれ誰もが気づきます。

現代の仏教指導者スティーブン・バチェラーは場所に対する私たちの執着を強く今してみます。

私たちは実体のない者をよりどころにしているのだと。平和と安全が保障される場所など、どこにもありません。

仕事、銀行預金、家族、心もまたしかりです。

安らぎはこの一瞬一瞬に宿っていて、あなたが自分で見出すしかありません。

あなたの心の平安は自分がいずれは死すべき存在であるということも含め、自分とどう付き合っていくか次第です。

つまるところ、幸福や平安は「得られる」ものではないのです。

そのことを心から「受け入れる」とき、あなたの心はいつでもこの瞬間に見出すことのできる安らぎに向かって開かれることでしょう。

すべての事柄は、状況次第で生じ、状況の変化とともに消え去るだけですが、無常はあなたの味方でもあるのです。

思い込みを捨て自由になればいつでも動き出せます。

ブッダの「自己肯定感」

変化やストレス、混乱、喪失、苦痛等、自分を大切にすることを失ってしまった現代人はもれなく自殺や精神疾患のオンパレードです。

まずは、睡眠、食事、水分、運動などの健康管理を行います。

これは、自分を磨き上げるためにやるものではありません。

自分を愛するために、自分を大事に扱うために行います。

ストレスが丸とジャンクフードやアルコールなど悩みから目を背けると手っ取り早く頼り勝ちですが、自分に対する最高の親切は自分に対して癒すことです。

自分に対して優しくできることにより、他人にも優しくでき、他人にも感謝されると、また、自分も癒されるというサイクルを生みます。

補足:このブログでは、対人関係に関してブッダの教えを採用せず、基本は「逃げる」

このブログは全てブッダの教えだったのですね

ところが、対人関係に関してのブッダの教えに関してはこのブログでは不採用になっております

「自分が嫌な目にあわされたのは、自分がいつか人を嫌な目にあわせたから」

これを採用すると、例えば「いじめられた人にも悪い所がある」「被害者にも悪い所があった」という輩がいるわけです。日本人って、その辺が仏教的でブッダの教えの影響なんですよね。残念ながら、世の中には、自分より強い者にはヘコヘコするけれども、自分より弱そうな者に攻撃する人間というのは一定数います。全てを当てはめるのにはこの言葉は、現代にはふさわしくない。被害者側の損が大きすぎます。

嫌な目にあわす輩は、どうしますか?

ここでは、アメリカのテロ対策を採用します。1「逃げる」→2「隠れる」→3「戦う」。逃げて、隠れて、ダメだったら戦うです。そうなったら片方がつぶれるまでやりあいます。ニートの皆さんは、基本的に「逃げる」で大丈夫です。戦う可能性があるのは、ケースワーカーか隣人くらいです。でも、それですら、基本的には「逃げる」を選択します。

まとめ

宗教って怖いイメージがありますが、

「宗教の力なんていらない!俺は一人で強く生きる!」っていう人が、精神疾患か自殺を行う中で、それを防ぐ手段として、安楽死か宗教(仏教)の考えは大きくなっていきそうです。

今更、「神」は信じられないけど、この記事の内容のブッダの教えなら、参考になるんじゃないでしょうかね。

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