こんにちは、一生バリバリニートします、さっちゃ~んです。
新生活スタートですね!はい、すぐに、退職届を用意してください!
このブログにたどり着いたライト読者の皆様は、
親・会社・学校といった洗脳機関によって、幸せを代償に
「働かなければならない」「立派な社会人にならなければならない」「就職しなければならない」といった強迫観念に苛まれて生きていることでしょう。
しかし、このような強迫観念は、日本の歴史、世界の歴史をみると、ほんの一部の考え方です。
そこで、その洗脳をまず解いて、この記事で、新たな洗脳を植え付けていきたいと思います。
この記事は、「ワイが様々な書籍を読んで統合して作成された、学校では教えてくれないとってきおきの内容である」とまでいいませんが、今一度読んでいただいて「就職」以外の選択肢っていうのを考えるきっかけになるのではないかなと思います。
ワイはPCで投稿しているのですが、スマホ読みにくいかな?どうなんでしょうね~
それでは、いきます。
- キーワード1「資本論」:冷戦終了後、日本社会が変わった
- キーワード2「お金」:拝金主義を卒業しろ
- キーワード3「経済」:働かないと日本の経済が良くならないとは何なのか?
- キーワード4「景気」:1970~80年代まで何故日本は好景気で、90年代以降ずっと不景気なのか
- 働きたい奴だけ働け!働きたくないなら働くな!
- キーワード5「就職」:「就職」は、ほとんど人生の無駄。現代の会社は、忙しいのに人手不足な理由
- 結論:自由な思想は最悪のシュミレーションから
キーワード1「資本論」:冷戦終了後、日本社会が変わった
マルクスの考え方だと、資本主義が発展すればするほど労働者の労働条件はどんどん悪くなっていって、労働者が人間として扱われない。
そうなると、労働者の不満が高まって、労働者がこの社会を変えようという動きが高まり、やがて悪名が起きるという理論でした。
ソ連というのは、革命が起きた時にそれまでの資本家や大金持ち、地主が大勢処刑されているのもんですからね。
ところが、社会主義国は、うまくいきませんでした。
金持ちの経営者から財産をぶんどってみたものの、その運営方法がわからない上に、労働者は働いても給料がみんな一緒だからやる気が起きません。
みんな一生懸命働いているフリをして働かない、あるいは、無能が頑張るなど、労働生産性が皆無でした。まるで今の日本です。
ソ連解体冷戦終了で時代が変わる ソ連が潰れてアメリカの勝利となると「社会主義はクソ!資本主義最高!」という流れになりました。
「商品をどれだけ作っても自由。市場で売れなかったらその会社がつぶれるだけ、潰れるのは自己責任。潰れるのも自由。」すべて自由、採用するのも自由、失業するのも自由、自己責任。
資本主義が社会主義に勝ったのでこのやり方を徹底すれば、経済はさらに発展するだろうと考えました。
日本の指導層は意外にも、マルクスを学んでいて「労働者をこきつかってはいけない」という考え方が意外にも非常に多かった。
みんな一生懸命働いて、終身雇用、社会保障も手厚かった。
よく日本のことを世界で唯一成功した社会主義という言い方もありましたが、ソ連がぶっ潰れて社会が変わりました。
「あれ?マルクス経済学って間違っていたんじゃね?」 大学の経済学部にも変化がありました。
冷戦前は「マルクス経済学」「ケインズ経済学」の両方を専攻していました。
今は「ミクロ経済学・マクロ経済学」を専攻しますが、これはケインズ経済学を分類したものです。
2000年代に、小泉純一郎は見事な格差社会を作り上げました。
2010年代は「マルクス経済学」が再評価され始め、さらに2015年にはトマ・ピケティの格差理論が提唱され海外では騒がれたのですが、安倍政権だったのかなんだか知りませんが、何故かTVや新聞では取り上げられませんでした。
そして、日本はずっと不景気のまま、景気がよくなることはなく今日まできました。
ところで、犠牲者は誰でしょうか。
キーワード2「お金」:拝金主義を卒業しろ
大昔、「お金」などというものは存在しませんでした。
元々みんな物々交換で欲しいものを手に入れていました。
しかし、この「物々交換」とは仕組みとしてはわかりやすいのですが、商談すると中々成立しないんです。
魚を持っている人が肉が食べたいと思った時に、肉を持っている魚が欲しい人を捜さなければなりません。
条件として出会う確率が非常に引くわけです。
そこで、人々は「市場」というものを作りました。
これによって「何か欲しいものがある人はどこかに集まろう。たくさんの人数が集まれば条件に合う人がいるよね」と考えたわけです。
婚活の結婚相談所みたいですね
そこいっても成立しないんですけどね
それでも、中々交換条件のぴったり合う人を探すのは大変です。
もう一つ工夫が欲しいなぁ。 そこで、人々は「みんなが欲しがる共通の物」を作ることにしました。
古来、「みんなが欲しがる共通の物」は「稲」でした。
「稲」の「ネ」は「値」に由来しているといわれております。
お金、それは 欲しい物を得るための「交換の手段」 そして、長期間保存していても腐らない便利なもの。
稲→布→貝→塩....時代によって思考錯誤して使い勝手がいいものとしされたのは金・銀・胴でした。
金・銀・胴は道端に転がっているわkでもなく、簡単に溶かして鋳型に流し込める。金貨・銀貨・銅貨は持ち運びがしやすい。
更に近代になると大規模な商取引も行われるようになるとジャラジャラお金を持っていることも強盗に襲われたら危険ということで、自分の持っている金貨・銀貨を預ける場所が生まれました。「預かり証」さえ持っていればいつでも金貨をおろせる。
貯金できない人はお金を持っていることに対する罪悪感・恐怖感を持っていると聞きますね
お金は貴重ですから持っているだけで不安な面というのもあるのかもしれませんね。使われる前に使っちまえみたいな
結局、お金というのは、欲しい物を得るための「交換手段」となります。
使ってから初めて価値が発生するものであり、ある意味「持っていても」本質的には意味がないわけです。
今、現代人は「拝金主義」ですけど、お金で交換するものに対しての価値というものを考えたことがあるか。
日々、自分が購入しているものの原価や材料費やらを考えて生きているか。
毎月使っているお金の流れを把握しているのか。
それを把握していないと、お金を無作為にバンバン使う人間になるとは思うんですが、令和時代はビジネスをやること自体が「不景気」で、時代遅れなので、
一回欲求の偏りについて診断して、「お金」以外の方法で欲求を満たす方法を考えた方がよろしいでしょう
キーワード3「経済」:働かないと日本の経済が良くならないとは何なのか?
キーワード4「景気」:1970~80年代まで何故日本は好景気で、90年代以降ずっと不景気なのか
例えば、「洗濯機」を使って解説です。
洗濯機を1万台売るとします。
洗濯機を売りました→利益が出る
毎年1万台の洗濯機が、世に出回る
すると、洗濯機のある世帯が増えて、新しい洗濯機が必要なくなる
→洗濯機を買う必要性が薄くなり、そして、誰も買わなくなり、利益が出にくくなります。
この洗濯機は「資本」とします。資本は増えすぎると利益が出なくなる
日本も同様
1970~90年まで爆発的に経済成長(利益がめっちゃ出た)したけど、
90年代で資本が増えすぎて利益が出なくなって不況になりました。
しかも、90年代にソ連が解体して冷戦終了。
より資本主義が加速していき、
労働組合率も下がり、「春闘」もなくなり、労働者の立場が悪くなっていきました。
僕達が利益を貰える時代というのはとっくに終わっているのです
にもかかわらず、「もっと質のいい洗濯機を開発して!」「もっとお客様が欲しくなるように広告をして」「もっとプレゼン能力を向上して」「今の社員は気合が足りてないから洗濯機が売れないんだ」といって会社の洗脳研修が2000~10年代は盛んになりましたよねw
10万の最新洗濯機を買うなら中古買います
ドラム式の乾燥付きの洗濯機は欲しいですね
日本はインフラが整って、生活必需品も誰もが持っています。
全員が働く必要が、ないんです。
ところで、不景気になると、会社の中の経費をどこ削るかって取締役の人が考えるのですが、削減できるのって人件費だけなんですよね
昔の感覚で、売れば売るほど(働けば働くほど)収入が増える時代ではないので、
薄給、サービス残業で人件費を削減して資本家がお金を減らさないようにして、ブラック企業が誕生するわけです。
この流れで一番被害を食らったのが就職氷河期以降の世代でしょう。
そして、日本では売れなくなったので
資本家が考え出すのは、まだ「資本」が少ない発展途上国に買わせることです。
利益出る
→経済発展
→資本が溢れかえる
→利益出なくなる
→貧乏な国探す
こうして、
利益だけを、かき集めた資本家にお金が集中していきます。
世界上位200人が世界のお金を半分を持っています。
奴らから、税金を取ろうとすると
税金の安い国に逃げます。シンガポールです。
「正社員」とは、
労働条件が曖昧で無限定で働く代わりに終身雇用とする人間であるが
現代は機械化・自動化により簡単な仕事が増え、
そんな正社員は企業の中枢だけで十分であり、
さらに人員を減らすことで従業員一人一人の負担量を増やすことで、
採用・人事育成コストを減らしたかった
「派遣」や「非正規」で法整備して(2000年代小泉政権、正社員雇用を減らす)
現在の日本と言うのは
資本は溢れているけどお金が一極集中している。
→知恵を絞れば安く資本が手に入るので、お金を使わないでも生きやすくなっている
働きたい奴だけ働け!働きたくないなら働くな!
パパたちは、神を捨てて、ストレスと精神病を手に入れた
中世ヨーロッパでは「自分」は神の思し召しで生まれてきて、神様の思し召しで天に召される存在氏でした。
神様によって農民の子として生まれてきたのだから「なぜ農民じゃなきゃいけない?」と考えたりしません。
それよりは、農民としてちゃんと生きること、その中でいかに一生懸命祈ったり、施しを与えたりするか、が頑張り所、プライドの置き所だったのです。
しかし、自分がどんな自分であるか、自分自身で考えて決める、他人任せにしないというのが、現在のあたりまえの考え方です。
自分で決めると言っても、その時で好き勝手やるというのではありません。
自分はどうあるべきか、自分にとってなれそうな立派な自分とはどんな自分かを考え、それを目標に頑張るということです。
こういう「あるべき自分をちゃんと思い描いて頑張っている人」のことを「自我が確立している人」と呼びます。
「人間は社会に貢献しなければいけない」という自分の考えと自分の能力を考えて、サラリーマンを選んだり医者になったり警察官になったりするべきだ、という考え方です。
これはもちろん職業だけでなく、あるべき夫や妻の姿であったり、あるべき父親母親像であったり、あるべき国民の姿であったりします。
特にこういう、「神様が決めた通りに生きる」という枷がなくなったぶん、一人一人が自発的に立派であってもらう以外に社会秩序を保つ方法は一つもないので、「自我の確立」が何よりも大切となります。
しかし、それはまた、とんでもなく、難しく、面倒くさいことだったのです。
その結果、現代のわれわれは社会ストレスや、精神病、神経衰弱と言った「近代人の勲章」を手に入れることとなりました。
だって、自分が貧乏な理由、物事がうまくいかない理由、人から尊敬されない理由は、全部自分のせいなのですから。
みんなが豊かさを目指せる社会、とはもう一つの意味を含んでいます。豊かでない自分は負け犬である、ということです
日本の経済の成長に限界を迎え「資源・土地・環境に対する有限性」を感じ始める昨今、Z世代はバブルを全く知りませんし、日本が好景気だったころの時代も全く知りません。
親の給料はあがらず、いかにモノを使わないか、いかにモノを作らないか、が重要な社会となりつつあります。 土日も働くお父さんは、みっともなくみえてしまいます。
ただお金を儲けるために働くのは、自分を大切にしない、恥ずかしいことです。
自分たちがお父さんたちと同じ会社に入って、企業戦士として働かされるなんて、とんでもないことです。
だから、若者たちはアーティストやプログラマーや研究者といった、資源をほとんど浪費しない職業に就きたがる。
しかし、残念ながらそういった専門職の知識は高校でも大学でも教えてくれません。
仕方なく専門学校に入り治したり、フリーターをしながら独学したりします。
そんな彼らをお父さんは「いつまでも大人になれないモラトリアム族」と怒ります。
あぁ~、よくわかりますこれ
戦国時代は就職楽勝
こう言われても、まだ実感がわかないかもしれませんので日本の「就職」の歴史をみてみましょう。
戦国時代は日本の高度経済成長期とすごく似て「就職楽勝時代」です 高度経済成長期はあらゆる産業、工場で人手不足で、中学を卒業して働く人は「金の卵」と言われました。
今の60代付近の老害です 戦国時代の就職とは主君に仕えること。
どこかの家に家臣として召し抱えられること、つまり「侍になること」であって、それ以外はすべて、農民をはじめその他の「働く人」でした。
戦乱で荒れていましたが、おかげで、針売りだった男は一兵卒として雇われ、のちに豊臣秀吉になって天下統一できるくらいに就職が楽ちんの社会でした。
え?戦乱嫌だ?でも、皆さんが求めている就職口ですよ。ワイは求めてないけど。
江戸時代 就職氷河期
戦争が一段落突くと、就職口が減ります。
宮本武蔵なんて、あんなに強くて、パッパが剣術の先生。
貧乏とはいえ、武士階級。関ケ原の戦いで名をはせたのにもかかわらず就職し損ねてしまいます。
つまり、武士の新規採用に落ちてしまいました。
その結果、就職のチャンスを逃して浪人します。
徳川江戸時代は、現代そっくりで、「どこかの藩に仕える(公務員)」「どこかの主君に召し抱えられる(民間企業)」です。
武士は主君を得てこそ武士であり、そうでない武士は「浪人(ニート)」です。
この時代の武士は戦争がないからめちゃくちゃきつい。
武士を辞めて、別の生き方を考えられた人間はある程度、幸せになれたんだけど、「男に生まれたからには」とか「武家に生まれたからには」と、武士として就職しなきゃいけないと強く思い込んでいた彼らの多くは、傘張りなどをしながら腕を磨くのを忘れず、勉強するのを忘れず、一所懸命に「就活」しました。
そこにきて「浪人狩り」なるものがときどきあって、「主君がいない浪人は江戸から所払いだ!」って追い出されたりして、大変な目にあいました。
では、武士としての「就職」にこだわらなかった一般の人はというと、実は働き口はいくらでもありました。
江戸時代の人はその日に思いついて、その日に仕事を始めるのが盛んな時代でした。
そんな気楽な「その日暮らし産業」によって社会が成り立っていました。
あくまでも「就職」にこだわった武士たちが貧乏生活をおくっていたわけです。
まぁ、現代は、コロナ氷河期で本格的に貧乏ですが
若者武士は、我々のように就職のプレッシャーをかけられていたんでしょうかね。その日暮らしの方がラクなのに
その日暮らしは、現代の日雇いアルバイト、年金、ナマポ、ニートですか
幕末 新選組という大企業
黒船がやってきて日本は動乱期に入り、就職しなかった武士の生き方は、はっきりと2つにわかれました。
1つは就職を目指す、もう一つはベンチャー。
大企業=幕府やら藩といった旧来の精度が物凄い勢いで崩れて生きているのを横目で見ながらも本物のサムライになれた、殿様に会うこともできた、ひょっとしたら天皇をお目通りが叶うかもしれない
こんな悲しいまでの大企業神話に憑りつかれた「新選組」は、最後に函館の五稜郭で全滅するに至るまで、えらい目にあいました。
逆に、幕府や藩は成立しないから民間のベンチャーしかないと気が付いたのが坂本龍馬や岩崎弥太郎です。
彼らは「武士」という身分を捨てて脱藩に踏み切ってビジネスを始めたり、日本初の「株式会社」を作ったり、結果として、日本の歴史を動かしました。
現代の「大企業」の就職思考は、明治維新の最中に「まだ幕府の中で出世を目指そうとする」のと同じです
中々わかりやすいですね。
そして、時代は明治 幕府も藩も御家もなくなりました。つまり「就職」というものががなくなりました。家業の農家を継ぐか、国家公務員になるか、起業してベンチャーの社長になるかの三択しかありませんでした。
キーワード5「就職」:「就職」は、ほとんど人生の無駄。現代の会社は、忙しいのに人手不足な理由
コロナというか消費税10パーセントになって異常に冷え込んでいる日本は現代こんな感じです
- ・仕事の絶対量が減っている
- ・企業の平均寿命は「5年」
- ・公務員も無事「レッドオーシャン」
- ・忙しいのに人手を増やせないし新人はいらない
- ・分業とコストダウン
企業の平均寿命が5年を斬り、これからずっと安泰な会社はない。
企業の命はもっと長いと思い込んでいますが、2009年の時点ですでに日本の企業の平均寿命は7年でした。アメリカは5年です。まぁ、ここは置いておいて本題です。
・新人を雇って仕事を教える余裕がない。面倒な仕事しかもう残っていない。
昔の会社っていうのは一つのものを全部で作っていた。
そのため、会社の中で色んな仕事が身に尽くし、「仕事が楽しい」とかほざき出す老害もこれですね。
ところが、コストダウンや効率・スピードを考えたら単純作業は外注した方がいいわけです。
現在の会社は、一社だけで製品の全工程を賄っているところはほとんどありません。
というわけで仕事内容が「単一化」して詰まらない。
そして、残る仕事はというと分解しにくくて人に説明することが難しい仕事。
つまり、その会社内でのしがらみが多くて、何故こうなるのかルールを人に説明できない宗教的な仕事ですね。
そんな面倒事を「正社員」になったら背負うことになります。
日本は海外と違って「契約(この範囲でしか労働は行いませんといったことを明確に書類に全て記載する)」社会じゃありませんので、マイルール・古参ルールなどの曖昧な労働裁量を正社員は背負うことになり、それに対応できない人々のために「発達障害」という言葉が発明されてたりしました。
うまみがあって儲かった仕事はバンバン外注、または、うまみがあるから競合する海外メーカーが参入してくる。
そして、あまり儲からないけど海外は参入してこないからやめられない、面倒くさい仕事が山のように残る。
新人は「なんでこんな非合理的なことしてやらんといけないのだろうか?」と不満を持たれたら困る。会社に忠実な奴が欲しいわとなる。そして、誰も入ってこない、あるいは、すぐ辞める。
さらに、人工知能による翻訳システムが発達すれば、さらに製造業ですでに請け負っているような時給100円や200円の超低賃金で翻訳を始めてしまったら、日本人の仕事のほとんどは外国に奪われます。
うわぁ、なんと、まぁ、労働意欲がなくなることでしょうか
不景気な上にこんな時代です。
新入社員の皆様、老害たちがバブルで潤った後の残りかすを吸っているだけですね
やりたいことを軸に仕事を選ぶとかアホすぎるわけです(成長産業は別ですよ)
さぁ、ハローワークに行ってみましょう
「やりたいことないの?」と窓口で非正規のハローワークのババァやケースワーカーのババァに言われてみましょう。「〇すぞ、ばかやろう」となるでしょう
親とは、さらばだ!Z世代!
今の学生は、自分を豊かにすることに時間を使いたいと言います。
自分を見つめ、自分を清めるために祈った中世の人々と大変似ている発想です。
中世と現代とでは「モノ不足・時間あまり」という点では共通していますが「情報あまり・自分の捉え方・教育」の面で異なっています。
「近代的自我の呪い」というプレッシャーを背負ってみんな生きている「近代人はつらいよ」ってなる。
この自分に対する考え方が「モノ不足」にきて、成立しなくなり、精神世界へと移行され、そのプレッシャーから解放される方向へ向かうわけです。
つまり、逃げたとも言えます。
決して「あきらめた」「逃げた」を否定的な側面のみで捉えないように。
別に否定的に捉えても構わないのですが、
だいたい、もともと「近代的自我」に無理があったんですから
さぁ、4タイプ診断を行って自分の本当の欲求を確認しましょう