働いたら負け

働いたら負け

「何もしたくない」ので、大手企業・学歴・人などを全て捨てたブログ のんびりニートライフ情報満載

follow us in feedly

働いたら負け
ーおすすめ記事ー
カテゴリー

【無職転生前】5年前に友人を亡くした立場から「死」について、淡々と語る。

f:id:tegoshiina:20201203225134j:plain

今回は「死」について、語ります。

内容としては「死」とどう向き合うかというテーマにはなりますが、「死」についてはね、考えた方が、生きるのは「楽」になるんじゃないかなと思ったので作成しました。

www.youtube.com

↑BGMを再生しながらお読みください↑

25歳で「がん」になった友人

いままで伏せていたんですけど、ちょうど投稿日と命日が重なったので話しましょう。

5~6年前に「がんになって、多分、長くは生きられない」と友人がワイに報告をくれました。何の「がん」だったか伏せます

ちなみに、この友人は病気になる前はニートじゃなかったです

何回か、お見舞いにいきましたが、あんまり長居はせず、本当にワイは特に感情を表に出しませんでした。

悲しそうな顔して、哀れに思われたくないだろうし、間違った言葉をいって傷つけてしまったらとは思いましたし、感情を出さずに淡々と「状況報告」とたわいもない会話をしましたね。

最後は、一時的に退院して、家族と余生を過ごしたようです。

最期は、みておりません。

葬式は、本人の希望でこじんまりと行いましたが、参加させてもらえるということで参加しました。

おじいちゃんがおばあちゃんが死ぬ時と全然話が違います。

おじいちゃん、おばあちゃんが死んだとしても一般的にも自然な流れなんで、そこはちゃんと送り出しましょうと割り切れると思うんですけど、若い人が死ぬというのは全然雰囲気が違います。

家族には何にも声がかけられない

ワイは、「死」については「しょうがない」と思っているので「お前がいなくなって悲しい」という気持ちよりも、残された親とかですよね、その方々を心情を考えると、なんとも言えませんでしたよね。

自分が、泣いたり、悲しくしてるのすら、なんかもう失礼なんじゃないかなと思って、ひたすら淡々としました。

「死ぬんだったらそれはそれで受け入れようかな」ってワイならそう考えなくもないのですが、それは実際になってみないとわからないですし、当人に「そうやって考えてみたら?」とか伝えるのは、勿論違うと思いましたしね

でも、自分と同じ世代の人間がいなくなることの虚無感?これは一人でいる時に急に襲われます。当人は、どうなのかと想像したら半端ありません。

「いつ誰が、自分が、明日死んでも、おかしなことじゃないんだな」と、ただそう思いました

「死」について考えないようにしようとするから不安になる

「痛いのは嫌だけど、別に死ぬんだったら、それを受け入れるかな。だから、死んだら死んだでそれでいいじゃん。」というと 「死ぬなんてそんな縁起でもないこと言っちゃダメ!」 とかいう輩がいるじゃないですか。

ワイはこういう人とは「合わない」んですけど

「死」については考えないようにしよう、という風潮がありますよね。

それよりかは「長寿」とか「健康」とか度がすぎて「不老不死」を目指すような風潮になっています。

そのせいか「がん」と宣告された人は1年以内に自殺する確率が一般人口の24倍に膨れ上がります。

がんになった時にはじめて、「これからどうなるんだろう」という恐怖が一気に押し寄せてきます。

家族だって第二の患者になります ある小児がんの子供を持つ母親は「なんであの子なんだ!できれば私が変わってあげたい」「一番大変なのは本人なのだから、私は弱音を吐くわけにはいかない」という具合に、家族はつらい気持ちを抱えていてもそれを押し込め、自分のケアを後回しにします。

でも、人はいずれ死ぬんです。

明日、死ぬかもしれない。

ワイも、がんが発覚するかもしれない、わからない。

でも、確実に言えるのは、「いずれ」死ぬんです。

この避けられない事実について「考えない」ってどうなんでしょう。

これは、医者が原因です 医療では「患者がなくなることが医療の敗北だ!」っていう風に個人でも思っていて「患者をどう看取るか」「患者の死とどう向き合うか」っていう考え方に至らないんです。

本当は医者が患者に伝えなきゃいけないんですが、医者も患者も「延命」が大事なのが現代の日本です。

といっても、「安楽死」については思いの外、最近の世論では「賛成派」が多いので、医師会の利権確保が絡んではいるでしょう。

◆ここにがポイント!◆
「延命」よりも「死」とどう向き合うか

現代人は「死」に乏しい

宗教を信仰している人は「死んだあとは来世がある」「良い行いをすれば極楽浄土に行くことができる」と考えています。

一方、現代人はほぼ宗教を信仰しておりません。

科学をベースに考えます(科学的にも魂や神は存在するのですがこの話は別)から、「死んだら終わり」としか考えません。

しかし、一般的には「死」後の世界なんて科学では説明されていないという見解になっています。

その結果「死について考えないようにする」というのが現代人です。

ただ、そんなことしてたら「死」が怖いままなんですよね

一回「死」について向き合うという考え方をするのが、人生にとっていいのかなと考えます

まとめ

自分の欲求どおりに生きていない人生というのは、老後になっても後悔と虚しさに襲われるだけなのではないだろうかと

友人の「死」を思い出しても、尚、そう考えます。

「死」と向き合うというのは「自分」と向き合うということではないでしょうか

嫌な仕事なんてさっさと辞めて、

晩飯を食す度に「あぁ、今日も生きてるわ、ワイ」と思えれば、

それだけでいいんじゃないかなと思いますよ

follow us in feedly