こんにちは、すっかり冷え込んで引きこもり日和になってきました。さっちゃ~んです。さぁ、今回はあなたは「生活保護」向いているか診断を行います!
なんですかそれww人生4タイプ判別??
最近、ワイがはまっている性格診断っぽいもので、これのおかげで、ワイには到底理解できない人間を理解するようになった昨今です。
なんかよくわかりませんが、4タイプ別に分かれるわけですね
※長文注意:なるべくサクッと読みたい場合は、診断して結果が出たら、「何故人間には4タイプが存在するのか」まで飛ばして読んでください
- 「生活保護ライフ向き」か診断するテスト
- 「欲求の偏り」で4つに分類する
- 司令型:
- 理想型:
- 注目型:
- 法則型:
- 4タイプが揃うとうまくいく理由
- 対角線の法則
- 優位劣位の法則
- 右回りの法則
- 同じタイプは長期的にはうまくいかない
- 4タイプが揃うと組織やプロジェクトはうまくいく
- 「性格」と「4タイプ」は別
- なぜ人間には「4タイプ」が存在するのか
- 「文化」形成に必要な4つのミーム
- 私たちの生きる意味=人生の目的
- 生きる意味がわかったところで、改めて生活保護を受けよう
- まとめ
「生活保護ライフ向き」か診断するテスト
この記事は岡田斗司夫著の「人生の法則」を丸々引用しています。
まずは、あなたがどのタイプが知ってください。
できれば、「わからない」という選択肢はなしでやった方が色濃くでます。
「法則型」と判定された場合だけ「司令型」の疑いがあります
仮に「法則型」になった場合は、本当に「法則型」か「司令型」か検討してみてください。
「欲求の偏り」で4つに分類する
外向的価値観:「他人と比べて」自分はどうか
内向的価値観:「他人と比べて」よりも、自分の中での納得感など
外向的・内向的とは、価値観の基準や思考の方向性のことで、外向的だから性格が派手社交的だとか、内向的だから内気で引っ込み思案とかは基本関係ありません。
例えば、恋愛でも誰かを好きになったりするときに他者を気にすると「外向」、他人の目が気にならない、他人のことを気にしてはダメだと考えると「内向」となります。
生活保護に向いているか向いていないかは、この外向・内向の欲求の偏りは、かなり重要です。
つまり、世間体を気にする外向は、不向き。マイウェイをつらぬく内向きは、向いている。この指標はチェックしておきましょう
具体的(数値的):数値化できたり、明らかにはっきりとした答えがあったりすること
抽象的(感覚的):「社長の喜びは何ですか?」「社員の笑顔です」と答えるようなこと。
笑顔は数値化できない 「そんなのあたり前だ」「俺はそうだよ」「そんな人間いるか」と思うかもしれませんが、実は見事に人間はこの4種類に分かれています
- 司令型:外向的・具体的
- 注目型:外向的・抽象的
- 法則型:内向的・具体的
- 理想型:内向的・抽象的
司令型:
司令型の欲求の本質は「勝利」であり、とにかく、自分が「優位の確認」ができれば満足。ただし、喧嘩好きというわけではありません。
明らかに、自分より劣っている人とは喧嘩をしないし、逆に勝てない相手とも喧嘩をししません。
自分が他人より優れていると思えば嬉しいし、他人より劣っていると思えばがっかりします。
だから、司令型は、誰もが自分と同様に「優位の確認」を心の底から欲していると考えていると思ってしまうんです。
その欲求の強さは、10倍、100倍の開きがあると思っていない。
司令型は子供の頃、常にトラブルを起こしていただろうと容易に想像できるわけです。
自慢したり、勝ちたがり、常に優位に立とうとする司令型は、親や先生の目に止まりやすく、常に否定されるはずです。
アメリカだったら「ガッツがある!」と褒められる行動だが、日本では認められない、
司令型にとって、ダメな子というレッテルを貼られるのは「劣位の確認」になってしまうので、欲求を必死に抑え込もうとします。
その結果、そういう欲求を自分で観ないようになっている、認めたがらないはずなので、司令型は判定テストの解答にズレが出やすくなります。
他のタイプも勝ち負けには敏感なんですけど、その勝ち負け判定が司令型のように具体的ではありません。
注目型はそれが抽象的だから、どれくらい人に好かれているか、自分はどれくらい嫌われていないかが勝ち負けの判定になります。
また、司令型は、かなり明確に数値に置き換えて考えます。
客観的とか社会的にみて、自分自身がどれくらいのレベルにいるのかというのをちゃんと把握して認めて、正々堂々としている、
その代わり秩序を守ろうとし、
だいたいのルールを破ったりしません。
- ・判断が素早い
- ・言葉だけでは動かない
- ・人間関係に気を使う
- ・恋愛も真剣勝負
- ・どうしても間違いを見逃せない
- ・飲み会や遊びには積極的
- ・ランクが気になる
その意味で、理想型は全く違う、自分の決めたルールは守れるが社会のルールはあまり守りません。なんせ理想型は「自由人」ですから。
生活保護おすすめ度 ☆☆
欲求が「外向」ということは、欲求を自分に捉えません。
他人に打ち負かすことが最優先で、ステータス・数値に喜びを感じる、
それは、行き過ぎると「人でなし」ともなるし、最も「出世」するのも間違いありません。
世の中で目立っている人間は、大半「司令型」といっていいでしょう。
生活保護を見下している司令型は「負け組」になるのが苦痛であり、まず、このブログを読んでもいないし、そんな地位に落ちるくらいなら過労死した方がマシだと考えます。
「司令型」が、ニートや生活保護受給にしがみつくイメージが個人的にありませんが、なんだかんだ、労働環境が酷すぎて追い込まれた「司令型」が生活保護でしか生きる術がなくなってしまったらどうでしょうか。
最初、この立場を受け入れるのが苦痛であり再就職先を探す、
そのまま就職するかもしれないし就職ができなくて地獄を味わうかもしれません。
生活保護ライフはヒマでしょうがないでしょう。
人に勝つことが「好き」なのであって、自分にとって「好き」と思えるものは特にないのだから。
ところが、勉強熱心でもある司令型は、考え方次第で意外と生活保護ライフを満喫できます。
おすすめの生活保護ライフは
1つ目:昨今の日本の社会に対する疑問と生活保護を受けることは間違っていないことを調べ上げること(自分の中の優位性を保つ)
2つ目:自分の正当性をネットで発信することに自身のアクセス数などで生きるモチベーションを保つこと(数値で喜びを感じる)
です。
Twitterのフォロワー、YouTubeの登録者数、再生回数、なんでもいいです。
SNSの競争社会に参加するわけです
やっていることは「仕事」っぽいが、司令型は、その方が向いています。
数値が明確にあり、自分の成長を感じられるのがおすすめ
応用するなら自分の趣味で優位に立てるものを戦略立てて発信するのも良し、
「こんだけアニメみてるワイは一番だ。アニメの知識を披露できてるワイは最強だ」といったように優位性を感じるために趣味のアニメをみる動機がカギとなります。
まぁ、他者ありきになるので、SNSでつながりながらやるのがいいでしょう。
生活保護制度を使っている俺が最も素晴らしい生き方に立っている、
明らかに今の日本は競争したって無駄で不幸になるだけ、という風に捉えられるかどうかです。
理想型:
理想型は自分の中に確固とした価値観・こだわりがあります。
同じ本棚に好きなものと嫌いなものを一緒に並べておきたくないというほど、美意識も強く、他人の言動が許せず「吐き気がする」などというセリフを言うこともあります。
理想型は目的よりも手段にひたすらこだわります。
かっこよくなる時は徹底的にかっこよくなり、人から外れても気にしない、
理想型は、反骨精神が旺盛で、権威に対して反発する傾向があります。
上司に対しては部下を守り、部下に対しては自分のやり方を強く教えて責任感を持つから、中間管理職向き。
自分が師匠になって誰かに教える時には、自分のやり方を徹底的に教えます。
「my way」を「his way」にします。
理想型には「師匠」「弟子」「敵」しか存在しません。
- ・正義感が強くこだわりタイプ
- ・他人にこだわりを認めてもらうのが至上の喜び
- ・自分のこだわりを、弟子に伝達しようとする
- ・権力に屈しないことを、信条にする
- ・他人の迷惑より「人間として当然」を優先する
- ・こだわりのセンス
生活保護おすすめ度 ☆☆☆
理想型は、頑固だが人格者、
自分の正義・信念をしっかり持っているので色々な理想型がいます。
その主義主張は様々であるため「生活保護」に対しての理解・考え方もそれぞれであります。
そんな理想型だが、生活保護を受けることを毛嫌いしなければ向いています。
理想型の場合は生活保護を受給する決断を取るか取らないかが問題であり、生活保護ライフは苦痛ではないでしょう。
というのも理想型は、他人の欲求よりも自分の欲求、つまり、承認欲求よりも自分の「好き」を大事にしています。
司令型は社会の中で他の人間より優位になることにこだわるが、理想型は、社会そのものに疑問を抱き、真の自分の在り方・好きにこだわる。
たまに、自分の考えや信条、あるいは、創作を提示して、理解できる人には理解してもらう、と。
そのあり方や好きにこだわれば、修行僧のように、あるいは、作家として、お金をかけなくても楽しく生活することができるでしょう。
文化的最低限度の生活を苦にならない理想型
生活保護ライフで、創作活動が好きなあなたであれば、ほぼハッピーです。
注目型:
話していても最後は自分がどう思うか、自分がどうか(抽象的)という話にいく。
外向的だからそれを他人に言わないと気が済まないけです。
行動が派手で、表現がオーバー、
世話好きで友達が遊びに来ると大歓迎します。
ただ、それは人が好きというよりはそうするものだと思い込んでいるから、その後本当に心の底から疲れてしまいます。
勝負で負けた時も、注目型は勝ち負けよりも「惜しいね」というふうに慰められたりすると、負けたことがチャラになったりします。
勝ってしまって友情にヒビが入るとかの方が嫌で、勝っても目線や顔色を見てしまいます。
周りの人が喜んでくれなかったり、祝福してくれなかったらどうしても素直に喜べない、
だから、「人に抜きんでるための練習」には身が入らず、ママに怒られる羽目になる。
好きか嫌いかの世界で生きているので、一番の仕返しは「お母さんを心配させる」です。
- ・熱しやすく、冷めやすい
- ・表現がオーバー
- ・世話好き
- ・サービス過剰
- ・みんなと仲良く
- ・感動屋
- ・ヒロイン志向
生活保護おすすめ度 ☆
注目型のあなたは、「人に好かれること」「みんなと仲良くなること」が人生において最も大事なことなので、はっきりいって生活保護には向いていません。
むしろ世間から疎まれた目でみられている生活保護の生活、孤独になっていくことを想像するとそれよりかは企業で過労死した方がマシだと考えるでしょう。
ワイが最も理解できない人種ではあるが、嫌いではありません。
生活保護ライフを行うなら、ネットは必須、
生活保護受給者であることが恥ずかしいなら隠す、
なんでもいいから、たらたら「ふわっち」とかで配信したり、仕事以外での複数の地域のコミュニティに参加したりして、とにかく「人とのつながり」を作っていかなければなりません。
熱しやすく冷めやすい分、常に全力で短期集中型。
いろんなことをかじっていろんなところに顔を出して、そのコミュニティに馴染むために、短期的に一生懸命取り組んでみましょう。
田舎よりも、生活保護のコミュニティーが強い都会で申請をする方が賢明です。
そうすることでコツコツと色んな事ができるようになっていって見識も広まっていきます。
法則型:
法則型は感情的になりにくく、話をしていても興味がある部分にだけ反応する。
興味がない話は徹底的に「どうでもいい」という表情をして、自分の好きな話になった瞬間に熱く語る。
その意味ではオタク的だと思われるかもしれませんが、肝心な熱さというか熱量がない。
法則型の人生とは「6割とか5割の力で生きる」ということ。
そういう意味では、注目型の120%で活きるのが人生というのとも違うし、司令型の80%~120%に出力調整もできません。
法則型は常に低温です。
低温でも生きていれば充分、それが法則型の世界観。
そんな法則型だからハングリー精神もない。
本人が一番気にしているのは、「自分が熱くなれることがないんだろうか。自分は燃えるような恋ができないんだろうか」です。
しかし、一生熱くなれることはないので、安心して諦めましょう
生活保護おすすめ度 ☆☆☆☆☆
ようこそ、「働いたら負け」へ
常に脱力系・やる気ゼロのあなた
ワイとほぼ同類(ワイは司令寄りの法則型)
いつもブログを読んでいただいてありがとうございます。
たまぁ~に人としゃべれるような緩いコミュニティがあれば友達は必要なし
生活保護を取得したら、図書館、アニメ、ゲーム、なんでも精進しましょう。
ただし、ただ、なんとなくプレイしてはダメ。
人生は長いですから。
プレイした後は「エクセルやメモ帳」などに感想を記入して、自分が「好き」になる法則性を探求していきましょう
どんどん理屈っぽくなっていく自分を愛するようになるでしょう
自分の中にあるわずかな疑問を解決すべく図書館で本を借りたり、はたまた、アマゾンで中古本を購入して自分の生活をよりよくしていきます。
ちなみに、診断結果では、法則型になったけど、この文章に共感を得られない場合は、おそらく「司令型」です。
ダルビッシュやホリエモンも、一見法則型にみえたりしますが、法則型寄りの司令型なのでその辺も注意してください。
「俺は法則型か!やっぱり理論的だな!」ってなっていると多分「司令型」で、
「俺、法則型?司令型の可能性もあるか?この診断って、何をもって信憑性があるんだ?そもそも当てはまるのか?」って考えたら多分「法則型」です
日本では「自己主張」が嫌われる傾向がありますので、「司令型」は自分の欲求を抑制されて生きています。そのため診断結果が「法則型」であっても半分くらいしか当てはまらなかったりしたら「司令型」を疑ってください。
- ・約束を守る
- ・興味のない話に冷たい
- ・いつも同じパターンが好き
- ・ムダが嫌い、工夫が好き
- ・相談に乗るのが好き
- ・感情的になることを恥じる
- ・衝動買いをしない
4タイプが揃うとうまくいく理由
注目型と司令型は「他人を動かそうとする」
理想型と法則型は「他人に動かされまいとする」
抽象的な注目型は「情熱」によって人を動かそうとします。
具体的な司令型は「計算」によってです。
理想型は計算では動かされまいとし、法則型は情熱では動かされまいと反応するのです。
このような性質があるため1つでも欠けると、チームに偏りが発生して、組織がうまく機能しなくなります
対角線の法則
司令型は、理想型が持っている、物事のこだわりというものをほとんど持っておらず、理想型の美意識が全く理解できず、単純に頑固、わがまま、怠け者というふうにみえてしまいます。
逆に理想型は、司令型が持っている勝ちたいという欲求、社会的ポジションを気にするというような向上心をほとんど持っていません。
だから、司令型の「秩序を維持し、なおかつ上を目指して努力する」という態度がまったく理解できず、自分の美意識がなく、上にへつらい、下に厳しい人間のようにみえてしまいます。
自分の診断で法則型が出た場合でも、理想型の気持ち、または、司令型の気持ちが理解できない場合は、それぞれ司令型、理想型が濃厚です。
理想型の中には、学校でテストがある意味がよく分からないという人もいます。
絶対評価ならわかるけど、他人と比較して評点が決められる相対評価というものが何故存在するのか分からない。
そのような理想型から見れば、他人との比較こそが重要な司令型は理解できないのは当たり前となります。
しかし、長く付き合っていくと、司令型にとって理想型はそんな信念をとことん通している理想型の不器用な生き方をほおっておけなくなります。
「まぁ、コイツの面倒をみてやるか」と司令型が思ったら、長く付き合えるようになります
理想型にとって司令型は、圧倒的な社会適応能力、生活力を持つ司令型がまぶしくみえてきます。
そういう人が、自分を理解して、自分のこだわりを実現化できるようにがんばって戦ってくれるのを見ると、うれしくなってしまいます。
「思い切って頼ってみよう」と孤独な理想型がそこまで心を開けば、長く付き合えるようになることでしょう。
注目型と法則型も同様にお互いが理解できません。
注目型には、法則型の物事を理解しようとする欲求がほとんどありません。
法則型が、より正確に理解しようとする態度をみても、文句ばかり多い、屁理屈をこねているだけの人間に感じてしまいます。
逆に法則型は、注目型のような「他人に注目されて好かれたり、頼られたりしたい」という欲求をほとんど持っていません。
そのため、注目型が他人に気を使って面倒をみたり、みんなが楽しめる様に気を配ったりする態度をみても単純におせっかいの目立ちたがり屋にみえてしまいます。
しかし、長く付き合ってみると
注目型からして法則型は、機嫌を取らなくてもいい気楽さ、頼んだことを素直にしてくれる便利さ、気分のムラにすんなり合わせてくれるさりげなさに、どんどんハマってしまいます。
一緒にいるだけで癒されるような関係になれば、長期的に付き合えることでしょう。
法則型からして注目型は、どんな時に何をして欲しいのか、どんな時なぜ怒るのか、どういう言い方をしたらやる気を出してくれるのか、少しずつ分かってきます。
コツさえわかると、人生に積極的で、常に新しい情報を提供してくれる注目型は、付き合うのに良い相手となり、いつしか注目がいない人生などつまらなく感じてしまうかもしれません。
お互い一生分からなくても、実は、長期的な人間関係を築きやすいのは、中途半端にわかる隣同士のタイプよりも、対角線のまったく分からない同氏の関係だったりします。
たとえば、事業を起こすとき、理想型は会社の売り上げが上がるよりも、ちゃんと自分らしい会社ができたか、もしくは自分らしい商品や作品ができたかの方に大きな喜びを感じてしまいます。
なので、売り上げや数字ばかりを気にする司令型をパートナーにした方が安全です。
理想型は、こだわりがいっぱいありすぎて、大局がみえず、スケジュールも仕事量も時間も、うまく管理できません。
司令型は全く逆で、内容に何もこだわりがなく、まずスケジュールがあり仕事量がある。
だから大量にある内容をきれいに整理するのが得意です。
そこに新しく自分の考えを入れたい、といったものが一切ありません。
このように対角線にある「型」を相方にすると、ベストパートナーになる場合も多いわけです
優位劣位の法則
別に優位の方が優秀であったり優れているという意味ではありません。
職場の同僚でも友達でも、なぜかあこがれを感じたり、その人の言うことにはつい従ってしまったりすることがありますよね?そういう人はあなたにとって優位タイプです。
逆についつい軽く見てしまったり、イラっとしたり、かわいく感じたりする相手もいると思いますそういう人はあなたにとって劣位のタイプです。
理想型は、自分の信念にこだわるあまりに理解者が少ない。
そんな理想型にとって、成功している注目型は憧れの存在です。
理想像に近づけない自分の無力感と向き合いながら、こつこつ努力するしか世に出る方法を思いつかない理想型からすると、大勢の人から慕われ頼られている注目型の存在が眩しい。
自分の好きなことをやりながらも、みんなに認めてもらっているように見えるからですね。
逆に理想型にとって法則型は、自分の心で感じずに、屁理屈ばかりこねて余計なツッコミを入れてるだけのしょうがないやつにみえます。
法則型はどうしてもできることとできないことを理屈で判断し、すぐに諦めてしまうことがあります。
現実的な成果が望めないときは意味がないと判断してしまいがちです。
あるべき理想の姿を目指して頑張る理想型にとってはそういう法則型がダメな奴にみえるんです。
注目型にとっては司令型優位のタイプです。
今できることと、できないことを即断即決し、確実な成果を挙げていく司令型。
交渉においても、正面から堂々と自信をもって他人に接する姿に、自分にはない者を感じてしまいます。
それに対して注目型は、相手の不快な顔をみたくないばっかりに不利な契約をしてしまったり、できない約束をしてしまって後で困りがち。
そのような自分と司令型の人間を比較して落ち込んでしまったり憧れを持ってしまったりします。
注目型の人間にとって理想型は劣位に当たります。
せっかく世に出るチャンスや、みんなに認められる機会があっても、個人的なこだわりでみすみす見逃してしまう。
しょうがないやつに見えます。
それは注目型が人とのつながりや交わりを大切にし、人からどれくらい信頼されているかを重視するからです。
ひとつひとつのこだわりをいちいち押し通そうとする態度や、そのこだわりを他人にも要求し「あいつは許せない」と頑なになっている姿をみると、ついつい説教したくなってしまうんです。
司令型にとって、法則型優位のタイプです。
常に冷静で合理的な判断をしている法則型のようになりたいと思ってしまいます。
成功している法則型が築いた地位や権力は社会観察の結果、世の中の仕組みを見抜いて獲得したものであるように考えてしまうからです。
それに比べて自分のことを目の前の勝ち負けばかりが気になって大局を見失うこともあるし、所詮は社会システムのコマなのかと自己批判しがちです。
司令型にとって、劣位は注目型です。
お世辞に弱く、頼られるとつい安請け合いばかりするダメな奴にみえてしまいます。
自分の能力も見極められず、スケジュール管理も甘い。
自分を慕ってくれるところはかわいいけど、ちゃんと努力もせずに、仕方がない感じでした。
序列を尊重する司令型にとって上司が注目型の場合は、やりにくくイライラすることも多いはずです。
法則型にとって、信念を持ち情熱と共に行動していく理想型は優位のタイプになります。何かに熱中して成功している理想型に憧れてしまいます。
理想型の完成による成功が、より深い洞察力や広い視野、人生観によるものだと思えるからです。
自分のやりたいことや、こだわりについて熱く語っている理想型をみると、話に聞き入ってしまいます。
それと同時に自分にも何か夢中になれるものが見つかるだろうかと憧れてしまいます。
理屈っぽいとか人間的な感情に乏しいというコンプレックスを持っているために、激しい情念を持つ理想型が眩しくみえます。
逆に、法則型にとって、司令型は、目先の損得、勝ち負けに惑わされて、真実を見失うしょうがない奴にみえます。
勝ち負けや社会的権威などは相対的なものとして重要視していない法則型にしてみると、それにふりまわされている司令型がダメな奴に思えます。
たとえば、司令型が上から目線で説教をされたとしてもなんだか軽く流してしまいます。
右回りの法則
右回りに憧れが発生すると書きましたが、優位劣位の法則から派生して右回りの法則というものがあります。
これは、調子が良い時は自分が憧れる右回りの欲求を満たそうと頑張り、調子が悪くなると左回りの欲求で我慢しようとする法則です。
優位劣位の法則は対人関係が中心の法則ですが、水際まりの法則は個人の欲求のブレに関する法則だと思ってください。
あるタイプが100%その位置から動かないという人間はほとんどいません。
その人間が調子がいい時は右回りになってしまう。
つまり、理想型は自分のやり方にこだわる人のはずなのに、なぜか調子がいい時には考え方や価値観がどんどん注目型になり、目立とうとしてしまいます。
心の温度が上がりすぎて「俺が、俺が、俺が、俺が、俺が」という注目型になってしまう。
調子が悪い時は劣位の関係、左回りになって、心の温度が冷え込む。
まるで、法則型っぽくものを考えてしまう。
理想型は、自分がダメで落ち込むときも「やっぱり世の中に自分の理解者なんて一人もいないんだ」というのがいつものパターンなはずです。
でも、さらに落ち込んで左回りになると、ついに「人間は元々分かり合ったりできない」とまるで法則型のような温度が低いポジションで心の安定を求めてしまうのです。
同じタイプは長期的にはうまくいかない
注目型同士:常に注目されたい、褒められたいという欲求が強い者同士。初対面では、当然、お互いをほめたたえる会話を好感して、あっという間に仲良くなれる。
しかし、そういう2人が同じグループに長くいると、注目の取り合いになる。
2人だけでいても、相手が自分に注目することを要求しあって、なまじその気持ちが理解できるだけに、期待に応えようとして疲れ切ってしまいます。
司令型同士:初対面ではどちらが格上か格下かを、お互いに確認し合って安定します。
下の人は上の顔を立て、上の人は下の面倒を見ます。
しかし、そいう2人が同じグループに長くいると、安定した上限関係も崩れます。
AさんよりBさんが上。BさんよりCさんが上。CさんよりAさんが上というじゃんけん現象がよく起きる。
2人でいるとお互いの役割が固定され過ぎてうまくうごけなくなります
法則型同士:初対面で誰かと親しくなることは少ないが、
どうしても一緒に行動する必要がある場合は、法則型同士が、一番、気を遣わずに自然に一緒に行動することができます。
しかし、同じグループに長く一緒にいても、お互い積極的ではないので、それ以上親しくなることがありません。
むしろ、もっと積極的な人とゆっくり親しくなっていきます。
法則型同士はお互いの距離を縮めようとしないため、ある程度以上近づかない場合が多い
理想型同士:初対面では決して本心をみせず、礼儀正しく相手を傷つけないようにふるまいます。
そのため互いに不快にならず、気持ちよい付き合いができます。
しかし、同じグループに長く一緒にいると、理想型は自分の信念を主張するようになります。
お互いに、自分なりの信念を主張し合って譲る気はないわけですから、どうしても対立します。
喧嘩するほどの対立でなければ、必ず部下・後輩などの「弟子」の奪い合いになります。
同じ信念を持った人間などいないので理想型同士は相いれない関係なのかもしれません。
4タイプが揃うと組織やプロジェクトはうまくいく
司令型が少ない群れでは、注目型か法則型が無理やり司令型っぽく振る舞いますけど、それにも限界があります。
よくあるのが、アニメーターや漫画家のスタジオでタイプが偏ってしまう場合。
理想型と法則型ばかり集まっているアニメスタジオは、締め切りを守らないことが多いんです。
その中にひとりでも注目型がいたら「進行さんが怒る 」「編集者が怒る」というご機嫌を取る要素が出てくるんですけど、理想型は他人のご機嫌を取るイコール妥協だと考えてしまいます。
法則型は逃げられる限り締め切りから逃げようとしたりします。
そもそも約束してくれません。
このような会社でも社長はいます。
でも、小さいアニメスタジオやゲーム会社で理想型の人が社長なんかしちゃったら偉いことになってしまいます。
結局、予算を守れない、スケジュールを守れない。
たった一人、司令型入るとうまく回りだしたりするものですが。
なぜ4タイプが揃うとうまくいくのかには、いくつか理由があります。
まずは各タイプの欲求に違いがあるため、おのおのが組織の中で違う役割を果たすことができるから。
もう一つは対角線と優位劣位の関係が安定するから。
注目型と司令型は「他人を動かそうとする」
理想型と法則型は「他人に動かされまいとする」
抽象的な注目型は「情熱」によって人を動かそうとします。
具体的な司令型は「計算」によって動かそうとします。
理想型は計算で動かされまいとするし、法則型は情熱では動かされまいと反応するのです。
「性格」と「4タイプ」は別
タイプは同じでも性格が違うのは当然です。
人間の内面を構成する要素は4タイプだけではなく「性格」「行動・習慣」「生い立ち」「教育」などいろんな要素が混在しています。
「行動・習慣」とは、浪費癖とか、怠け癖など。
「生い立ち」は自分で選べずに身についてしまった価値観や行動様式。
「教育」は自分で選んだ価値観や行動様式です。
「性格」とは、引っ込み思案とか、派手好きとか、目立ちたがり屋とかです。
4タイプよりもはるかに種類が豊富で数十種類あります。
これらは多くの種類があり組み合わせると何通りもできてしまいますので、きりがありません。
しかし、この奥にある「4タイプ」すなわち「欲求の偏り」は性別や性格よりはるかに奥深くで我々の行動や考え方に影響を与えています。
しかし、生物の「本能」というほど原始的なものではありません。
本能が個体維持のためとするなら、4タイプは人間同士の関係、すなわち「社会維持」のための機能です。
まず、人間には「本能」という全人類共通の動物的なベースがあります。
そのうえに「欲求の偏り」があり、これはわずか4種類です。
その上の階層に初めて個別の「性格」が乗ってきて、そのさらに上に属性「国・国民性・県民性・性別」がのっかってくる。
その属性の更に上に、「行動・習慣・生い立ち」がありその上に「見た目」がある。
人の人格は非常に複雑な構造で出来上がってはいるんだけれども、一番奥深くの「本能」は1種類、二番目に深い「欲求の偏り」は4種類しかありません。
だから、理想型の人が50人いたとしたら、この50人の理想型の人は実はひとりひとり話していくと、何かの部分はかなり共通している。
でも、ひとりひとりがやっぱりまったく違う人間です。
なぜかというと、一人一人の性格が違って属性が違って行動・習慣が違って生い立ち・教育が違うからですね。
同じ派手好きでもなんでこんなに違うんだろうねというのが4タイプになります。
ここまでなら、ただの「性格診断」なのですが、ワイがこの4タイプに納得した説明をこれからします。難しいのですが、理解すれば多分、腑に落ちると思います
なぜ人間には「4タイプ」が存在するのか
さて、性格診断のような当てにならないものを何故ワイが採用して記事にしたのか。
ここの部分が重要になります。
それと同時に、内容も結構抽象的で難しいので心得てください
「文化」という生き物を想像してみてください。
「文化」は、生き物です、いいですか?
「文化」という生き物は、人間が集まって形成します。
つまり、人間が構成要素となっている。
ということは、「文化」は人間の上に立つ上位の存在と考えることができます。
この「文化」を仮に生物として考えると、いろいろなことがわかりスッキリ理解できます。
人間には通用しない「本能」が、ちゃんと「文化」には存在している。
人間は、「個体維持本能」が他の生物に比べて壊れているという話をします。
ほとんどの野生動物は、自分が生き延びてもう一度、一人でも多く子供を作った方が絶対にいいはずであり、そういう行動を「本能」として選びます。
私たちは「人間」ですから「本能」は持って当たり前ですよね
でも、「人間」は「本能」と矛盾する行動をとっているんです
個体維持本能を持っている動物である人間が、
何故、国家とか家族とか自分の子供のために死ねるのか?
自分が生き延びるためなら当然、会社の上司を殺してでも自分は退職して過労死を防ぎます。
自分が生き延びるためなら当然、神風特攻隊なんかに参加しません。
そのまま、家族も国も捨てて日本を脱出します。
繁殖していくなら当然、子供よりも奥さんを優先して子作りを繰り返します。
でも、やらない、もしくは、やらなかった。
これらの例は他にもたくさん当てはまります。
我々人間は、国家のルールという文化も守るし、ありとあらゆる文化に属していて、
「文化」を生物として考えるとすごくわかりやすくなります。
日本文化、オタク文化、アメリカの文化、サザン文化、なんでもいいです、人間が作り上げた多種多様な「文化」という目に見えない生物が私たちの上にいると想像してみてください。
そいつらが生存競争を繰り広げている。
そいつらが生き残ろうとしていて、生き残る手段として、そいつら(文化)が私たちを使い捨てしようとしています。
だから、ある価値観のために人間が死ねる。
家族のために死ねるというのは決して本能ではありません、文化のためです。
母性本能の存在は科学的にも否定されています。
私たち人間の個体維持から考えると、家族のために死んでもしょうがない。
自分が生き延びてもう一度一人でも多く子供を作った方が絶対にいいはずであり、ほとんどの野生動物はそういう行動を「本能」として選びます。
でも、人間には「本能」をとりません、自分の子供を守ります。
フロイトなどの心理学者の一部はこれを「人間は本能が壊れた」と表現しています。
「人間は本能が壊れた生物だ。その代わりに文化・文明を発達させた」 これが現在の定説なのです。
人類は生き残り戦略として「大脳」を作りました。
大脳はコトバを産み、私たちは自然とありのまま見るのではなく「抽象化」してみるようになった。
同時に、成長期にズレが生じた。
脳の古い部分、本能部分が生殖を命じる2~4歳の時期には生殖が不可能で、繁殖の衝動は「本能」の手から離れてしまった。
猿なら2~4歳でパコパコしまくっています、でも、人間はしなくなってしまった。
さて、人間の「本能」は壊れてしまいました。
このままでは生殖もできず、人類は滅びます。
じゃあ、どうするか?
これら「壊れてしまった本能」の代わりに「文化」が生み出されました。
文化は、コトバから言語を作り、野生動物なら意識しない「本能」や「衝動」を次々と意識化した。
怒り、悲しみ、笑い、感動、これらはすべて名もなき衝動を抽象化し、カテゴライズし、そして意識化された「本能」の断片です。
「文化」は「本能」に代わって「恋愛」「嫉妬」「愛情」などを作り出しました。
いろんな民族で色んな恋愛や結婚・家族形態があります。
それらはそれぞれの「文化」が攻勢要因であるその民族の生き残りのため、生殖や社会生活維持のために作り上げた思想体系です。
だから、人は文化なしには生きられません。
野生一人で生まれ過ごした人間は、もし異性に出会っても生殖や繁殖行動はできません。
「本能」という基本OSは、個体維持の最低ラインまで縮小しました。
野生状態で放置されれば、大部分の幼児は生き延びられないでしょう。
その程度のOSしか人間には残っていないのです。
残りの大部分の「生き残り」「種族維持」の本能は、基本OSではなくアプリケーション化され、外部のクラウドに移されました。
そのクラウドこそが「文化」です。
なので、私たち人間にとっては個々の個体維持、すなわち、自分個人の生き残りよりも、クラウド内アプリの維持、すなわち「文化」の方が大事になってしまったのです。
結果、それら「文化」はまるで「個体維持本能」「種族維持本能」を持つ生命として振る舞うようになった。
共生なのか寄生なのか、支配なのか従属なのかはわかりません。
人間が蜂やアリのような社会生物と振る舞いが似ている原因も、このあたりにあるのではないかと考えられています。
人間が言葉を使いだした瞬間に「文化」という生命が発生して、その「文化」に個体維持とか繁殖とか生き抜こうという本能が移ってしまった。
「文化」形成に必要な4つのミーム
私たちの人間の本能はその部分が壊れてしまって、外部クラウド内に「文化」という形で維持されるようになった。
その文化の一つ一つのかけら、遺伝子のような因子を模倣子(ミーム)という。
分かりにくいので例をあげます。
「おばあちゃんが家の前を掃く」 これは、日本文化最小単位のミームとないrます。
おばあちゃんが家の前を掃除する。
なぜか?人様の迷惑にならないように。
なぜか?下町の知恵
なぜか?日本人の心
このように、大きい文化の中に小さい文化が入れ子構造になっていって、最後は毎朝家の前を掃除するとっころが落ち着くというミーム定着の段階になります。。
すると、それを見た私たちも「日本らしくていいなぁ」と思います。
「古い良き日本を失ってはいけない」という、日本文化の生存本能に駆り立てられて、自分の心の中のどこかの因子に火が点き、いずれそれを真似するかもしれない。
きっとおばあちゃんは満足します。
自分が家の前を毎日掃いていたら、それを見ていいなぁと思って若い人がやってくれたんだとおばあちゃんはすごく満足する。
これは、野生動物ではありえない満足です。
野生生物は自分子供なり遺伝子なり地というものが継承されないと喜びにならないけれども、私たちはたとえばブログを書いたりツイッターを書いたりして、フォローされたり自分の発言がリツイートされたり、自分のブログがどこかで引用されると、同じような喜びを感じることができます。
もちろん子供を作る時の喜びの1000分の1かもしれません。
でも、子供を作るより1000倍以上簡単です。
だから、私たちは情報メディアが発達すればするほど、子供作りにあまり熱心にならない。当たり前のことなんです。
ジーン、つまり遺伝子の継承が難しくなれば、ミームに比重が移る。私たちは子供を作るだけでなく、「文化」というものを受け取ってそれを人に伝えるという繁殖法をみつけてしまった。
それは数万年前か数十万年前かわかりません。
だから、私たちは国家や種族という巨大な文化を、あるいは、サークル内やクラス内という小さな文化を、何万種類も何億種類も作り上げてきました。
そして、それらの文化一つ一つが生き残ろうとしています。
かつて、日本とアメリカが戦争をした時というのは、日本文化とアメリカ文化が戦争をしていました。
その構成員である一人一人の人間の数を増やしたり減らしたりする戦いです。
個人内のシェアとして、昔の日本人は大和魂100%、アメリカ人はアメリカンスピリッツ100%のやつら同士が戦争をしていた。
だから、相手を殺さないと文化の戦いとしては勝ちにならなかった。
でも、メディアというものが複雑になってくればくるほど、単発文化キャリア、つまり、個体としての人間を消しあうのではなく、その人間の中のシェア争いに移行していきました。
「YOUTUBE」で動画を交換したり、意見を交換したり、翻訳が出たり、本を読んだりすることで、その人個人の中で日本文化が10%ぐらい占めていて、アメリカ文化が3%ぐらい占めていて、アニメ文化が何パーセントか占めていてという、すごく複雑なモザイク構造。
それが各人の心の中にある「文化の勢力図」です。
この、個々人の中にある「文化の勢力マップ」を、私たちは「個性」と呼んでいます。
さて、「文化」を伝えやすくするために、4タイプあります。
4タイプに分かれる理由、それは4つの因子が個々人の心の中に発言する時の偏りのためです。
4つの因子には「魅惑」「指導」「理念」「法則」と名付けます。
魅惑:何かをやる時に人を集めようとする
指導:司令したり、指示をする
理念:本質や中心を常に求め、そこからブレないようにする
法則:常に観察し、法則を見つける
赤ちゃんを具体例にあげてより深く理解します。
赤ちゃんが泣いて、お母さんにあやされる。
お母さんにあやされたら、赤ちゃんは泣きやみます。
この泣き止む時に、すでにどの因子が発現したのか偏りが生まれています。
魅惑:かまってもらってうれしいから泣き止む
指導:「泣くことでお母さんがあやしてくれた」という自分の行動によって相手の行動が制御できた喜びが発生したから
理念:自分が泣いて母親があやしてくれと「これでよし」と思う。それが正しいと思える。
法則:パターンが分かって安心する。泣いたら誰かが来てあやしてくれるんだという法則が分かれば安心して泣き止む。
不安で泣いているわけです。
赤ちゃんが泣いて母親があやしているときに赤ちゃんの中では全部同じかというとそうではない。
4つの因子がそれぞれ違うトリガーで発言し、それぞれが増えたり減ったりして、赤ちゃんはどのタイプか決定されます。
岡田斗司夫自身が保育園でみてきたのは、1歳、2歳、特に言葉を使いだしたら急激に子供はタイプに分かれ始めます。
判定テストの結果にばらつきがあったり、中間的になったりする人がいるというのは因子の発現の仕方が違うからです。
ミーム反応因子の発言の偏りにより、私たちは4タイプに分かれる。
だから、私たちの欲求は時々右回りになったり左回りになります
それぞれの人間には「ホームポジション」みたいな自分の本来のタイプがある。
だけど、もし自分が所属している文化、サークルに4タイプが揃っていない場合には、誰も指揮をとらない。
たとえば、司令型がいないサークルだった場合には、誰も指揮をとらない。
そうなるとどうなるのかというと、指導因子を持っているものが司令型っぽく振る舞ってしまう。
その結果、あるサークルに行くと自分は仕切り屋なのだけれども、別のサークルに行くと自分は人の指示を聞いているだけ、ということが起こる。
これは、自分の心の中にある因子の発言の仕方が違うからです。
ただし、ホームポジションではないから、よそサークルにいって不本意な行動をしても、本質的には喜びはない。
ただ、非常事態として人間がこういうふううに隣り合ったタイプになれる可能性があるのは、この因子の発言の仕方に原因があるからでしょう。
・文化を広めるときの4タイプの役割 では、文化を広めるときに4タイプがどのような役割を果たすのか。
オタク的なことで例えてみます。
好きなアニメができたとします。
注目型の人は「みんなこのアニメをみようよ」ということになる。
理想型の人は「このアニメはみんながみるべきだ」「このアニメは正しい」「このアニメをみんな支持しよう」
司令型はこのアニメに関して、組織したり発言をまとめたりして、全体の指示をはじめる。
法則型は、このアニメのすばらしさ、もしくは正しさみたいなものを分析したり分類したりする。
注目型の人間ばかりが集まってアニメが好きだと言ったら「いいよね~」だけで盛り上がって終わりです。
そこに理想型がいないとこの「好き」という感情をみんなに伝えるべきであるというきっかけになかなかならない。
司令型がいないと「じゃあ実際にブログを立ち上げて」「何月何日までに原稿を上げて」「ちゃんと解説しようよ」「お金は全員割り勘でね」 と具体的に話が進まない。
法則型がいないと、そういうことをやって効果があるのかどうか、それがよそのサイトに比べてどうか、他のアニメに比べてどうかという評価をすることがなかなかできません。
文化同士のシェア争いという観点から解釈すると、注目型と司令型は攻撃担当、法則型と理想型は防御担当ともいえます。
あるいは、外務と内務ということもできるかもしれません。
理想型は文化を鈍化しようとするので、いらないものを外していって正しいものを残そうというフィルター機能を果たします。
その意味では、法則型はフィルターに通す前に、自分たちの持っている文化というものを種別によって分類する役割です。
ただ、分けることまでしか法則型はやってくれないので、理想型はその後で大事なものを残して、大事じゃないものを捨ててくれる。
注目型は大きい声でそれを外にアナウンスしてくれるし、司令型はそれで勝ちに出る。このように4タイプはダイナミックに関係します。
ミーム型の生存本能は私たちの上位存在である「文化」にあります。
だから、ミーム型の世界では、私たち個人個人の生存は問題ではないんですね。
私たちが音楽を聴くとき、CDで聴こうが音楽で聴くことができればそれでいいのと同じです。
文化にとって私たち人間の存在はこれと同じで、単なるメディアであって、古くなったり壊れたりすれば、取り換えればいいだけ。
使い捨てです。
だから「文化や民族の誇りを守るための自爆テロ」という恐怖もそれが原因で存在します。
でも、それは美しい行動も生みます。
「命を捨てての救急活動」「自分の健康を犠牲にしての看護師や医者の奉仕」「朝、早く起きて子供の弁当を作る母親」などです。
私たちの生きる意味=人生の目的
私たちは生物としての本能と、文化を伝えるメディア生物としてのミーム型本能のギャップに困る時もあります。
少子化問題もそのうちの一つでしょう。
育児とか子供とか作りにくい環境であれば、代わりにミームを増やす、すなわち「子ども」ではなくて「自分の思い」が残ればそれで満足を覚えます。
情報メディアがどんどん発達し、文化の伝わりやすさは10年前とは比べ物になりません。
半世紀前と比べると、まるで別世界でしょう。
世の中はますますミーム型の世界になっています。
ミーム型世界では生存本能は「文化」にあります。
では、ヒト意識と呼ぶべき、メディア生物としてのわれわれの「幸せ」はどこにあるのでしょうか?
私たちはなんのために生まれて、何をしていきるのでしょうか?
それは、文化を、情報を、ヒトから「受け取って」「考えて」「真似して」「伝える」ためです。
だから、私たちはお互い関わり合って生きていくしかない。
孤立していた理想型が、実は理解者を求めていたように。
クールでヒトと過剰にかかわらないように生きてきた法則型が、実は安心できる場所を探していたように。
注目型や司令型が他人と頻繁にかかわりながらも、何か「自分だけのもの」を探して伝えようとしていたように。
そして、かつての自分の過ちを次の世代が乗り越え、そして「文化」が受け継がれるとき、私たちは大いなる喜びを感じます。
それは、私たちが「そういう生き物」だからです。
「受け取って」「考えて」「真似して」「伝える」ために生まれて、そのために生きている。
子供を作って、その子たちを幸せにして自分たちの想いを伝える、という喜びも勿論あります。
それはむかしの、本能が壊れる前の祖先から受け継いだ「古い喜び」「かつての生きる意味」ですが、今も強く私たちの心に生きています。
同時にミーム的な喜びが存在し、これらの比重がこれからますます増えていくでしょう。
ネットやリアルの世界で、人とかかわって交流して、話し合ったり教え合ったり盛り上がったり「いいね!」と評価を与え合ったり。
そうやっていろんな文化に所属し、渡り歩き、人と交換して生きています。
私たちは「文化」のメディア、単なるパーツかもしれない。
でも、「文化」に支配されたり、生き方を決められているわけではない。
貨幣を流通させる社会、経済社会に生きているからといって、私たちは単なる「経済社会のメディア」ではないのと同じです。
私たちはそれぞれ、お互いが代え難いたったひとりの「人間」なのです。
自分の好きなもの、生きやすい場所、おもしろくなりそうな場所を探しましょう。
「受け取って」「考えて」「真似して」「伝える」ために生まれて、そのために生きている。
これが私たちの生きる意味、すなわち「人生の目的」です。
生きる意味がわかったところで、改めて生活保護を受けよう
ということで、私たちは、「孤独」に生きることは出来ず、何らかの「文化」に所属して、その「文化」の中で人との関わりはどうしても必要となる。
そうしないと、生活保護というナマポーハッピーライフなはずなのに「うつ病」になってしまう恐れがあるのだ。
「文化」は、なんでもいい。
共通の趣味の団体、それも「文化」
自分たち4タイプごとに「文化」の所属する中での欲求(役割)があるのだから、それをこなしていけばいい。
お金やステータスにこだわると昨今「不幸」になるだろう。
生活保護を受けたとしても大半はパチンコに行く、アルコールを摂取して脳をぼやかす。それは自分の欲求を理解していないから、あるいは、自分の欲求を発散する方法がわからないから「依存」に走るのである。
お金、ステータス、パチンコ、アルコールなどにこだわらずとも自分の「欲求」を解消する術をみつけられれば、生き方がみつかるはずだ
そこで、もう一度自分の欲求をチェックしてみよう
「司令型」は、勝ち組にこだわり、自分の好きなことを犠牲にしてでも家庭をつくったり出生したりすることを望む。生活保護なんて嫌だ。しかし、生活保護の生き方は最も楽で合理的。そこからYouTuberを目指したり、事業を起こすことをしてもいいだろう。機が熟すのを待つ、いつか自分が出世するために図書館で本を読み漁ろう。
「注目型」は、人に好かれること・認知されていることを好むが飽きっぽい。
生活保護という立場になっても素性を明かすことなく、パートのような「お手伝い」のような仕事でいろんな人とコミュニティを作っていくのが良いだろう。
人としゃべるのに疲れれば、生活保護で一人ゆっくりするのもよし
「理想型」は、自分の「好き」や「信念」を大事にする。
一部に認められれば良いのであり、創作活動やアイディアを作成するのが良い。
たまに、創作物の完成をSNSで披露して一部のマニアがファンになってくれれば、これは幸せな生き方になるでしょう
物語を読むのも好きなはずなので、図書館にいって小説を借りまくって読むのも手だ。
ワイ(法則型)の場合の話もしよう。
ワイは法則型であるので、ツイッターやブログの中で自分の知的好奇心を満たして記事にする。アニメをみる、面白いアニメを位置付ける。たまに人と繋がる。
基本的には、手を抜いてだらだらすごす、そのために効率性を求める。
そうやって、自分の欲求を満たせれば「幸福」になれる。
それがワイの人生の一生の価値観であり、ベースとなる。
生活保護でも、ニートでも、このベースとなる価値観を崩さなければ「幸福」でいられることになる。
この価値観を知っていれば「お金」を使わずに自分が満たされることを知ることになるはずだ。それは他の型も同じ
ワイは、外向的ではないが具体的な思考でもあるので、お隣の司令型の要素もある。たまにアクセス数を増やす方法や、ブログが見やすい方法、フォロワーを増やしたりして周囲の認知度をあげる。
ただ、優位には立ちたいとは思うものの、揉めてまで立ちたいとは思っていないので、揉め事は基本的にブロックで逃げる。
また、ワイは、抽象的ではないが、内向的なので、右隣の理想型の要素もある
自分では到底できないような世界観・芸
例えば、江頭2:50の「ドーーん!」といったわけのわからない芸をリスペクトしている。
アニメでいえば、誰も評価していない「ジビエート」というクソアニメを唯一無二の芸術作品として崇めている。
どうやって、自分の中からそんなものが出てくるのかと、抽象的な芸術作品は感心する。それは自分の「好奇心」につながるからだろうか。
外向的・抽象的でもないので、注目型の要素はない。
正直に「ニート・生活保護最高」と唱えるし、あんまり人に好かれようと思っていないからぶっちゃけてしまう。
しかし、注目型のような爆発的な集中力、または、積極的に集客・宣伝のことを考えないのがワイの足りていなかったり、ところでもあったりする。いや、足りていないというよりかは、あんまり興味がない
ただ、対角線の法則として「注目型」のパートナーがいるとありがたいのかもしれない
まとめ
というわけで、いかがでしたでしょうか。この記事は、本当に自分の価値観が180℃変わりましたね。別の人種の人間のことを根本は理解できないのですが、把握はしました
さっちゃ~んは、人からどうみられようとどうでも良いのはガチですもんね
まぁ、そういうですよね。自分が当たり前に持っている価値観と他者の価値観が、実は、全く違うということがわかったと思います。うん
このブログ、岡田斗司夫寄りの思想になってきてますね
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