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【オタク道】そもそもオタクとは、なんなのか????  オタク歴史ガイド

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「オタク」ってなんだろうと考えた時、「オタク」の歴史を一回学んでおこうと思ったんですよね

オタク...アニメをみる人、あとガンダムのプラモデルを買う人というイメージですね

この記事では、一回オタクを学びなおして、「オタク道」を突き進んでいくために作成しました。といっても岡田斗司夫の「オタク学入門」から、分かりやすい部分をそのまんま引用しております

オタクの語源

一説によると、1982年。慶応大学幼稚舎出身のおぼっちゃまたちの何人かが、「スタジオぬえ」というオタク系アニメ企画会社に就職し、オタク受けナンバーワンアニメ「超時空要塞マクロス」を作って大ヒットを飛ばし、当時、彼らは全オタクの憧れの存在だった。

そんな彼らが、SF大会などのファンの前で「オタク」と呼び合っているのだから、他のオタクたちが真似ないはずがない。

しかも、情報交換の必要性から初対面の人と話す機会の多いお宅にとって、相手への軽い警鐘でもある「お宅」ということばは便利だった。

おたく=初対面の人間にも失礼にならないための呼びかけという社会的要素である。 「超時空要塞マクロス」ではヒロイン・ミンメイが「おたく、そういう人?」などと主人公を誘う言葉がある。

こうして、「超時空要塞マクロス」きっかけでコミケなどで、「オタク」「オタク」と呼び合うようになっていった。

しかし、1983年マスコミが幼児連続殺人事件の際にM君の部屋を映し出し、オタクの犯罪として一方的に断罪したこともあって、オタクとは「家にずっとこもって外に出ない人たち」という広まり方をした。

結果「アニメやまんが、ゲーム好きな奴」=「ずっと家にいて暗くて人付き合いの悪い奴」という誤解を生むようになった。

・原オタク人

ビデオデッキ発売前にすでにオタクだった人は、同じように見えるアニメの中に明らかに違うものを感じ、その差がどうやらスタッフと関連があるらしいことに気が付く「原オタク人」たちがいた。

アニメは作画監督によって変わるということは、発見であった。

アニメ雑誌・ビデオデッキのない時代に、作画監督・原画・動画がどう違うのか、解読するのは至難の業なのはいうまでもないが、彼らにとってテレビアニメの30分がいかに必死でみるのかがわかる ・近代オタク人 ビデオデッキ・アニメ雑誌の創刊により、原オタクは近代オタクとしてのモノの見方を手に入れた。

ビデオデッキのある家は毎週上映会状態で、現代の50代のオタクたちがいくつものサークルを作っていて、その中での結びつきが強烈になっている。

オタクは「ジャンルに囚われない」 アニメ好きだからオタクという世間一般の評価は実は完全に的を外している。

アニメだけなら単なるファン又はマニアでしかない。

単独のジャンルだけに興味を持つ、というのはオタク的な価値観から大きく外れていて、特定のジャンルにしか興味がない人間はオタクにとって「努力・精進」が足りない奴となる。

アニメしか見ないオタクはただのアニメファンであり、アニメを考え、それを深く追求すればするほど、他のオタクジャンルに無関心でいられるはずがない。

アニメはオタクのホームグラウンドであることはたしかであるが、ゲーム特撮洋画漫画にもオタク度の高い作品が多くあり、そういった作品はお体に物凄く影響を与え合っている。

それをジャンルクロスして見抜き、楽しむのが「オタク的な見方」だといえる。

「好き」というだけでアニメをみないもっと深いところをみるために日々精進するのが「オタク道」となる

・現代オタク

一般人はどの情報を選んだらよいのか、誰のい言うことを信じたらいいのかわからないものであるが「僕はこの辺が面白かった」「君にはこれがいいと思う」等膨大な情報の中から自分の性に合う価値観、過ごし方、遊び方、ジャンルを教えてくれる人を求めている。

アニメで例えるなら、アニメ業界でも毎クール放送されるアニメの本数が膨大であり、現代オタクというのはお勧めのアニメを紹介する「流通型」となっている。

最近のYouTuberなんかは、〇〇を紹介するために自分が詳しくならなければならなくなり「オタク」のプラットフォームが拡大している

オタクまとめ

  • ・原オタク:アニメの微妙な違いが制作の変化によって現れることに気が付いたのが1970年代
  • ・近代オタク:アニメ雑誌創刊、ビデオデッキによりモノの見方を手に入れたオタク
  • ・他のオタクジャンルとクロスしていかないと作品を深く理解できず、単なるアニメに詳しい人は「マニア」でありオタクではない
  • ・現代オタクはおすすめを紹介する「流通型」

 

サブカルチャーの語源からみえるオタク道

メインカルチャーとは??

階級社会の色合いが強いヨーロッパでは「教養をみにつけず、自らの階級を下げる」という行為が半分自殺行為のものであり、アカデミックな教養があって、社会的信用も高い立派な大人。

子供はみんなこういう立派な大人・市民になるべきだ、というのがメインカルチャーの考え方であり、そのための教育を目的として与えられるのが子供文化であると。

一見、当たり前のように聞こえるけれども、この考え方は、日本と違って子供に安全で教育的なもの「しか」与えない。

「大人が与えるべき文化」でしかありえず、そういった価値観から捉えると、日本のアニメはもちろん子供の教育のための文化に入るわけはない。

こういった人たちにとって、日本のアニメは「サブ」カルチャーにみえ、大人に反抗する「カウンターカルチャー」となる。

子供たちにをちゃんとしたメインカルチャーに導いてあげるのが、大人の義務と責任なのだから、ちゃんとした大人と自分を捉えている人たちは日本のアニメを相手にしない。

メインカルチャーの起源を辿ってみるとその理由がなんとなくわかる。

ギリシャ哲学の伝統的な考え方として「世の中のすべてには理由がある。物事は全て論理的に存在していて、人間が努力して賢くなればあらゆることは解明できる」という思想がある。

その考え方をキリスト教徒が少しアレンジし、世の中には、はっきりとした秩序(コスモス)の部分とはっきりしない無秩序(カオス)の部分がある。

コスモスが神の世界、カオスが悪魔の世界である。

この世界観をよく現すエピソードとして「教会の鐘の音」があり、中世の城塞都市に町の真ん中に教会がある。

これは、教会の鐘の音に聞こえる範囲が教会の安全保障ラインという考え方からきている。

つまり、鐘の聞こえる範囲はコスモス、そうでない森の中のことに関しては神様は責任を持ってくれないカオス。ドラクエはFFもそうである。

こういう中世の世界で、科学は生まれた。

もともと科学は森とか海とか植物とか、そういった魔の世界を研究してその中に秩序を見つけだしてコスモスにする、という行為だったのだ。

科学は「魔の世界」に光を当てて、「神の世界」を取り戻すという宗教的闘いだった、といえる。宗教なくして科学はありえなかったということですね。

それに対し、自分の感情のまま振る舞う子供は、存在自体がカオスであって、良くない状態、はやくコスモスな大人に成長するべき存在だと考える。

イギリス人が子供を他人である乳母に預け、しつけさせるのも子供の無秩序な行動は「悪」と考えるメインカルチャー的価値観からくるもの。

つまり、メインカルチャーを理解しているということが「階級」の証だった。

しかし、産業革命あたりからヨーロッパは「富の獲得」に邁進し、ヨーロッパの人全部が「階級」みたいなものを手に入れちゃった。これを「貴族文化の大衆化」とか「市民文化の確立」と呼ぶ。

当然、子供たちは全て「立派な市民になるための、大人が作った子供文化」を押し付けらえることになった。

サブカルチャーとは?

サブカルチャーとは、カウンターカルチャーからの変貌である 「そんな階級社会文化・メインカルチャーなんか嫌だ!」という犯行のパワーの源は抑圧の力であり、この力が大きければ大きいほど、反抗という反作用も大きくなる。

「立派な市民」なんていっても、戦争ばっかりしてるじゃないか。

おれたち、そんな立派な市民になんかなんねぇよ!階級社会?くそくらえ!が基本理念であり、ロックスターやひろゆきが打ち合わせの時間に遅刻するのはスタイル上の問題ではなく、思想上の問題である。

で、これが階級社会じゃないアメリカにわたってしまい、反抗するものがなくなってしまったので「大人になること」そのものに反抗することにしたと。

アメリカは消費者文化であるという側面もあり、エスタブリッシュメントたちのピューリタニズム(清貧思想)に対するアンチテーゼとして、サブカルチャーは大量消費を翼賛する文化となった。

サブカルチャーは、その時代の消費者である若者・「子供」の顔色を窺い、メインカルチャーはカオスの代表である「子供」が前面に押し出されている。

日本はサブカルチャー方面で全く評価されていない 太平洋戦争の敗北後、日本は西洋的思想・文化を躍起になって輸入した。

これまでの日本的思想・文化はすべて間違いで、だから太平洋戦争なんて間違ったことをしでかして、おまけにぼろ負けしてしまった。

これが当時の日本人の考えだった。

実は、明治維新の時に何も考えずとにかく西洋思想・文化を輸入し、富国強兵政策を採ったのが軍国主義への道であった、という単純な事実はあまり思い出されなかった。

アメリカ的かっこいい!日本的かっこわるい!」という文化的ヒステリー運動は、この国を「文化的植民地」に仕立てあげた。

それから50年余り。

日本のファッションやサブカルチャーはモノマネの域を出ない。モノマネなのも当然で、日本では大人に対する反抗なんて言う思想は本来備わっていない。

だから、表面を真似るしかない。

日本製サブカルチャーのかっこわるさは「思想なきファッションのかっこわるさ」である。

ご機嫌でマルコムXの帽子を被ってて、黒人のあんちゃんに「お前、わかってんのか!」と問われるかっこ悪さである。

日本は文化的な意味において世界で全く評価されていないのだが、その例外が「オタク文化」である。

アニメ、コンピューターゲーム、マンガといったオタク文化は世界中の人々にもとめられる。

オタクは「サブカルチャー」ではなく「日本型文化の源流」

日本文化では、「子供」とは決していけない存在ではない。

むしろ、子供のままでいることは純真な心を失わないすばらしいことと考えられる。

子供と遊ぶ良寛さんが聖人とされてたりする(最近はないが) 日本文化において、子供は未完成の大人ではなく根源的な人間像としてとらえられる。また伝統文化も子供に寛容だ。

歌舞伎や能の世界でも、3歳の子供が舞台に立つことは往々にある。

もちろん芸としてはまだまだ未完成で無秩序な状態だ。しかし歌舞伎や狂言の観客はそれを許し、楽しんでしまう。

西洋文化の頂点であるバレエなどでは子供が舞台に立つなど考えられない事態だ。

そのかわり歌舞伎の世界での師匠と弟子という差はあっても、子供と大人という差は存在しない。子供から大人へ、もっとナチュラルに捉えられている。

子供はコスモスの世界を揺るがすカオスではない。

同じく町はずれの森も、決して「悪魔の地」ではない。子供も、それらすべては「あるがままの自然に近い状態」として肯定的に捉えられる。

こんな社会では「大人社会に対する反抗」という文化は生まれない。

日本にも「貴族文化」はあったけれども、応仁の乱あたりから京都という「実質上の遷都された後の僻地」に放置され、人々はそんなものとは無関係に高度消費文化を花開かせたのだ。

京都人とイギリス人の性格が似ているのはメインカルチャーの考え方である。

だから、オタク文化は日本型源流で子供向けアニメの中に、人間の心の闇や葛藤を描いたりする。

難しいことがわからない幼い子供たちにも楽しいように形を整え、そのうえで本質的なテーマを入れている。

みている子供たちは今、わからなくてもいいようになっている。 オタク文化は、そういった世界でも類をみない特殊な「子供文化」から派生・進化して出てきたものだ。そんな世界観で作られるオタク作品は、子供文化の形を借りた総合芸術である。

日本のオタク文化は、子供向けで誰もが楽しいという窓口の広さと、そこに深いテーマやドラマを入れるという奥行きの深さで世界を席巻し始めている。

江戸時代に成立した「消費者文化」と「子供向け文化」が特徴だ。

これは多民族国家アメリカのあらゆる民族、階層の人々にわかるようにというハリウッド映画の枠の考え方に類似している。 

世間一般のイメージの「オタク」は単なる「マニア」

マスコミが、サブカルチャーを間違って捉えていることと同じように、1983年マスコミが幼児連続殺人事件の際にM君の部屋を映し出し、オタクの犯罪として一方的に断罪したこともあって、オタクとは「家にずっとこもって外に出ない人たち」という広まり方をした。

厳密にいうのならば、

萌え豚アニメをただ好きなのは、単なる「マニア」

もっと深く知りたくなって、萌え豚アニメの起源や、萌え豚のセクシーで可愛い原画・動画は何なのかとか、エロスやフェチズムとか調べだしたら「オタク」

ラブライブが唯一絶対で、自分の好きなラブライブのマイナス要素を少しでも言ったやつは許さん→これは、唯一絶対の「神」を信じてる「一神教信者」、神がラブライブに変わっただけです。

残念ながら日本では「一神教」の文化は栄えてことがないので、ちょっとワイも受け入れられないのですが。

世間一般では、これら全部一括りにして「オタク」として、それに対してマイナスなイメージをマスコミが与えているのが現状です

まとめ

ジャンルに囚われず日々、情報を詰め込んでいるあたりワイは、かなり「オタク」なんじゃないかなと思いました。働かないためにだらだらするためだったら、あらゆることを調べます。

草 ニートオタクですね

アニメ好きとオタクは厳密には違うということですね。オタクはご覧の通り、ジャンルを超えた並々ならぬ「オタク道」というものがあるわけです。日本に残された最後の日本文化継承者、それがオタクということです

現代のラストサムライ

fal-ken.hatenablog.com

 

引用:

 

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