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【オタク道】ツイッターでアニメ感想を呟く上での持論:作品に媚びたら終わり

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ツイッター」「ブログ」「5ch」そして「YouTube」。世の中は、アニメ作品の感想を発信するSNSが充実していて、受け手の反応がモロ伝わる時代となっている。で、ワイもツイッターで専用のアニメアカウントを作成して自由に感想を呟くようにして自己承認欲求を満たし楽しんでいる。

んで、今回は、感想を述べる側、視聴者がどうあるべきかということについて記事にしようかと思いましたので一回述べておきます

持論ですね。

正解か不正解かというのは厳密には存在しないので、持論というか信仰しているものですね。普段はアニメの感想を述べているだけですが、今回は、感想の述べる上でワイが注意している点を紹介していきますが、岡田斗司夫の考え方一番しっくりきているので、「岡田斗司夫オタク学入門」から引用して自分の意見を軽く添えた記事になります。

前提知識:「オタク文化」と「サブカルチャー」の違いの理解から

メインカルチャー...ヨーロッパ階級社会において、当然として身につけるべき教養。子供は当然立派な大人になるためにアカデミックな教養を叩き込むべき

カウンターカルチャー...メインカルチャーによるアンチ

サブカルチャー...カウンターカルチャーが、アメリカにわたり、反抗するメインカルチャーの人がいなくなったので、「大人」に対するアンチの考え方

1980年代日本のサブカルチャーは、そこから政治色を表面的に無視して、趣味の領域への限定を装ったものである。これは実態とはかけ離れた「一億総中流」「単一民族国家」という言説が大きな抵抗も無く通用したことを考えると致し方のないことにも思われる。その後おたく文化=サブカルチャーという見方がされるようになり、日本ではサブカルチャーという言説が一人歩きしている

(引用:wikipedia)

クリエイターたちやマスコミの中には、オタク文化を西洋サブカルチャーの一部と勘違いして「クリエイターは文句などくそくらい」と考えている連中が多い。

「作品はクリエイター様の心の叫びだ!ありがたく拝見しろ。わからないのはお前が悪い。顔を洗って出直してこい!」多くのクリエイターはこういう風に勘違いしている。 西洋アート(メインカルチャー) クリエイターは神様であり、アーティストは、受け手の意見など聞かないし、聞く必要は全くない。逆に、受け手の意見なんか聞いたりしたら、大衆におもねった偽物とされてしまう。

要するに、アニメ作品に対して何でも「褒める」、全部お世辞であり、悪口を決して言わないタイプというのは、このメインカルチャーを学ぶヨーロッパ人(子供)なんですよね。文化でいうと西洋のメインカルチャーを学ぶ時の考え方なんです

それがどういうことになるのでしょうか?

西洋アートというのは「娯楽」のために作られておらず「教養」そのものなんですよ。だから、めっちゃ詰まらない。よって、若者・子供が文化を反乱を起こしたわけです。まぁ、その話は置いといて、作品を作る人が「偉い人」と捉えることはメインカルチャーの思想と考えてください。んで、私はこの考え方は持ち合わせておりません。

オタクカルチャーとは、

千利休」 オタク的な楽しみ方とは、職人の芸を鑑賞するスタンスの楽しみ方である。職人の技をめでたり、由来を確かめたり、粋を鑑賞したりする。これは、江戸時代の職人と非常に似ているんですよね。

「職人文化」の例として、どんなにいい「キセル」も、見方の分からない人にはただの「キセル」でしかない。

せいぜい変わった柄とか、売値が高い、というのがわかる程度であり、こういう人は野暮と呼ばれて嫌われる。

これに対して、わかる人はこの「キセル」からいくつもの発見をする。

キセルの材質が銀だ、これは色味はいいのだが細工しにくいため敬遠されがちな罪知るじゃないか」「この模様はよく見たら千鳥じゃないか。なるほどたばこの煙を州浜に見立てて、そのうえで千鳥か」など作者側の暗号を分かってくれる客を「粋」と呼ぶ。 作る側も粋な人ならわかってくれるだろう、と考えて作る、みる方もそれにこたえる。逆に作る側が手を抜けば観る側から厳しい批判が返ってくる。

日本文化というのは、「作品」を理解する客がいなければ成立しなかったんです。

現在、落語が滅びてしまったのも、落語の世界の約束事を理解する客が減ってしまったからですね。

どんな世界を守って趣向を凝らしても、そこのところを分かってもらえなければ仕方がない。

どう趣向を凝らせばおもしろいのかわからなくなってしまう。

仕方なく、趣向なしでいつもの演出になっていく。

そのため、ますますお客が減っていく、という悪循環が起きてしまったんですね。

この送り手と受け手の関係はオタク文化と全く共通で、アニメをみてわかる人にはわかるようになっている。

日本文化の場合、作り手と受け手の間で切磋琢磨して文化は進化する。

では、作り手と受け手は対等なのかというとそうではない。

実は「作品の良さを理解して言葉にできる」という「受け手」の方が日本文化ではえらい、とされている。

たとえば、茶道でも茶器の目利きという仕事があった。

「作品の良さを理解して言葉にできる」という「受け手」の方が日本文化では、えらいとされていた。 千利休だって茶碗一つ焼けないただの人だが、彼が「これは、、、」と認めればその茶碗は名器としてありがたがられた。

千利休が偉かったからみんなが鵜呑みにしたのではなく、彼の語る言葉によって、その茶碗から確かに美が引き出せたからだ。

つまり、彼が茶碗の由来を語り、巧みな技をほめ、縁の欠けたさまに感動するしぐさをみて、それまではただの」モノであった茶碗は芸術作品に昇格する。

はてな茶碗」という落語では、ただの薄汚い、おまけに水が漏れる茶碗を「はてな茶碗」と名付け、どこからともなく漏れる水がおもしろい、趣があると評した。

その茶碗は、いきなりもてはやされ、九条関白、時の帝にまでお墨付きを頂いて、とうとう千両の値がついてしまう。

茶碗が変わったのではなく、水が漏れることを勝ちとしてみるという新しい視点が示された。

「何がどう面白いのか、語ること」の重要性がここにあり、面白ささえ語れれば、その作品に価値が付加されるという構造なんですね。

これと類似するように、オタク文化の頂点に立つのは教養ある鑑賞者であり、厳しい批評家の存在となる。オタク文化はクリエイターとオタクが相互に切磋琢磨して成り立っている。

それは、作品に美を発見する「粋の眼」と、職人の技巧を評価できる「匠の眼」と、作品の社会的位置を把握する「通の眼」を持っている、究極の「粋人」でなくてはならない。つまり、立派なオタクということである。

立派なオタクは、オタク知識をきちんとおさえていて、きちんと作品を鑑賞する。逆に手を抜いた作品・職人に対しての評価は厳しい。

これらの行動は決して、自己顕示欲を満たすのためだけではない。

クリエイターを育てるため、ひいてはオタク文化全体に対して貢献するためでもある。

というか、お互いの自己顕示欲を満たしていった結果、そうやって発展していった。

オタク精神が失われるということ

作品を全て持ち上げる考え方というのは、前述しました西洋アートのメインカルチャーの考え方なんですね。で、このクリエイター第一主義の考え方は、元々の日本の文化ではないんです。

で、オタク文化は元来、江戸時代からあった職人文化の思想に近かったんです。だから、独特に発展していった。

逆にいうと、邦画とか、ファッション、スポーツ、音楽、こういうのは全部海外から輸入したサブカルチャーで、そのサブカルチャーから思想を失った二番煎じの文化なんですね。

対して、海外から輸入せずクリエイターとオタクが切磋琢磨して発展していったアニメ、漫画、ゲーム、アダルトは江戸時代の職人文化に類似している。

アニメで例えるなら、呪術開戦やら鬼滅の刃が何が何でも「面白い」という感想以外が弾圧されるような鬼滅キッズと呼ばれた奴、もしアレに対してクリエイター側が媚びを売りはじめてしまうと、思想なきサブカルチャー作品になってしまうわけです。

ある種、アニメオタク文化を壊そうとしている連中だと思います。

◆ここにがポイント!◆
クリエイターに媚びを売ると炎上はしないが、アニメ全体でみると作品が腐っていく

日本が、世界に求められているのは、日本独特に進化していった世界でも珍しい「オタク文化」だけなんです。

日本にいるリア充のファッションとかの方が、世界的にみると「サブカルチャー」の真似事をしているだけなんですよね。

他にも、やたら料理人を持ちあげたらその店はダメになってしまう。

ちゃんと自分の下で評価してこそ、よりおいしい料理が望めるというものだ。

オタク「学」ではなく、オタク「道」

何が何でも、つまらない作品も褒めるというのは作り手が偉い人と持ち上げる「メインカルチャー」的思想であり西洋アートに浸食された思想で日本文化ではないわけです。 日本文化としてアニメ作品を進化させるためには 職人の芸をきちんと評価する、という形が健全な文化の育成につながることになるということになります。

正当な評価をするためにはアニメだけでなく、他のオタクジャンルに対しても精進して学んでいかなければならない。 オタクとクリエイターはお互いに切磋琢磨している。

そのオタク文化が反映された日本のアニメ作品が海外で受けているというわけです。

もはやこれは、「オタク道」なんですね。

~学というのは発展性のある、研究対象が外部にある者のみに成り立つ。

茶道も剣道も、その完成を己の内面世界に置いている。作品に対して正しい評価を追求する、オタク「学」というより「道」なんです。

作品を正当に評価しなければアニメは終わる オタク「道」がなくなると、日本伝統色が強い「オタク文化」であったアニメが、思想なきサブカルチャーとなってしまい、海外だけでなく、誰にも受けなくなるという現象が発生するわけです。

だから、アニメを語る、オタク「道」という日本の文化的な思想を守りたいのであれば、正当に作品を評価する姿勢とそのための日々の勉強・努力・精進というのがクリエイターと同様に求められるわけですね。

例えば、私の主観ですけど、邦画ってつまらないじゃないですか。邦画は主演に演技が下手な有名人を投入すれば観客は一定数くるので、ストーリーに力を入れないただ単に「若者・子供」に媚びを売る思想なきサブカル的な要素が強いですよね。

オタク「道」は作品しかみない もうオタクは千利休であり、いえば日本伝統の正統継承者であります。正当に作品を評価しようとする人間がいなくなると面白いアニメが消えていきますし、日本の文化的思想を持っていたオタクも消えていくということです。

鬼滅の刃によるアニメ業界の衰退

このオタク文化的思想で「オタク道」を守っていこうと考えると、

これは、「鬼滅の刃」そのものではなくて、「鬼滅の刃」の大ヒットによってTVマスコミがオタク文化を大衆化し始めたことによる問題が浮上します。

鬼滅の刃は、面白いです。

ただ、歴代売り上げ1位=一番面白いという、そういった考え方ですね。

2019年にネットで鬼滅キッズが騒いでいたの、ワイよくわかってないんですけど、呪術開戦もそうですよね。

一般人が作品をみないで「流行」をただみるスタイルに対して制作側がそれに迎合すると、それはオタク文化的には、あんまり良くはないのかなとは思います。

クリエイターと大衆による相互関係が誕生して、

作品に対しての正当な評価をしない観客にクリエイターが媚びを売り始めてしまうと、アニメ独特のオリジナリティ、日本伝統的な作品の面白さで評価されてきたアニメが、大衆に媚びを売ることによりそのオリジナリティが失われてしまう恐れがある

その根底には、面白いアニメを作るというクリエイターの意思よりも売れるアニメを作ることに媚びることによって発生してしまう。

クリエイター側が、岡田斗司夫(この記事の引用元)やたぐちエンターテイメントなどのオタクに耳を傾けるか、どうか。

それは、オタク文化を守っていく上では、物凄く重要であると考えております。

作品の正しい評価を追求する

ワイも剣道と同じようにオタク「道」も追及していきたいなと考えております。

剣道よりは衰退しないとは思うんですけどね。

剣道は、スポーツに呑まれていくのと、身体操作の合理性を武道として合理的にしなければならないという別の2点の理由で衰退していきます。

しかし、そんな社会的な側面は置いておいて、個人的なことを述べると、ただでさえ外の世界ではお世辞いってるのにツイッターにまで、お世辞言いたくないというのが単純な本音ですけどね

まとめ

ワイは「オタク道」を極める「オタク文化主義者」です。

つまりは、岡田斗司夫さんの本を引用しているので岡田斗司夫信者です

正当にアニメを評価するためには、評価する側もクリエイターと同じくらい幅広い知識を学んでいかなければならない。

アニメをみるだけにとんでもない労力ではありませんか?

それが「オタク道」。

アニメという日本伝統の正統継承者を目指すためには、日々精進でございます。

勿論、アニメ以外でも「オタク道」は極めていけます。たぐちエンターテイメントとかも、多分「オタク道」を追求していると思いますよ。

思ったより濃かった

追記:SNSでの作品ディスについての違法性

人格攻撃の場合は、

SNS上で公然と誹謗中傷となると先ほどのを引用すると「侮辱罪・名誉毀損罪」となる。

ここでいう「人格」は「アニメ作品」には該当しない。

文芸作品にかぎらず各種論文もそうだけど、評価は、自由に行う事は可能

ただし、評価の範囲を超えて、人格攻撃に終始するような表現はアウトということです

「原作者は、不倫してる!」とかですかね

また、感想に対して「呪術開戦の面白くないと言ったさっちゃんはクソだ、生きてる価値のねぇニートだ!死ね!」とか呟いた場合はアウトです。IPアドレス→住所を特定して、まぁ、「侮辱罪」で訴訟を起こします。

感想に対しての感想には気を付けてた方がいいですね。

白黒で語るあれではないんですけど、どこまでOKでどこまでがアウトなのか詳しく知りたい場合は、過去の裁判の判例をネットで調べるのが一番よろしいかと思います。

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