今回は、いじめ問題・スクールカーストについて取り扱ってみたいと思います
前にもやりましたね
前回は、スクールカーストの仕組みを書きましたが、今回は何故スクールカーストが起きるのかという仕組みを紹介します。といっても、証拠というよりは過去の歴史と実験を例にあげていきます
- 1913年:ノルウェーのT・シェルデラップ=エッペ
- シカゴ大学N・E・コリアスのニワトリ実験
- 「アラブの春」からみる民主主義獲得
- いじめ問題は、なくなるはずがない
- 自分が加害者にも加害者にもならないためには
- まとめ
1913年:ノルウェーのT・シェルデラップ=エッペ
動物の順位について本格的に研究。
放し飼いにしてあるニワトリを観察していると彼らに「順位」があることがわかった。
二羽のめんどりは、一瞬争うような気配を見せるものの、すぐさまどちらかがくちばしで相手をつつく。
つつかれたほうは、あっさりその場を譲るといった光景があちこちでみられた。 ニワトリは順位の高いものには必ずつつかれ、順位の低いものに対してはつつくということである。
しかし、順位を決める際は一回喧嘩を行って、負けを悟った方はそそくさとその場を離れる。
一度決まったニワトリの順位は群れのメンバーが買わない限り変化はしません。
時々、新たなメンバーが加わるなどをして、三国志のような三すくみ状態になる時があり、ある種の「平等」という形が生まれるわけだが、お互いに自己を主張し譲らないので時間ばかりかかる。
結局、餌にありつく上での効率が悪く、直線的な順位を作っている者たちの方がはるかに効率よくエサが食べられる。
やがて三すくみ状態に順位が付くと三者の上下関係がはっきりしたものとなり落ち着いた。
シカゴ大学N・E・コリアスのニワトリ実験
1大きなゲージにニワトリを七羽入れる。
→直接対決により順位が決まる その一方で、小さなケージを12個用意し、こちらは個室。それぞれに一羽、ニワトリをいれる。
2大部屋の1羽と小部屋の1羽を入れ替える →大部屋では新入りがつつかれまくって、順位をめぐって大騒ぎとなる
3また翌々日に大部屋の1羽と小部屋の1羽を入れ替える。これを繰り返す →また大騒ぎとなる。
これを休憩日を挟みながら8回行った 比較対象のためにメンバーチェンジのない七羽も用意しておく。
その結果、メンバーチェンジしまくった大部屋のニワトリは食べるえさの量、体重、産む卵の数、すべてにおいてダメージを被ることが発覚した。
序列社会に甘んじる理由とは??
順位のある方が、皆それぞれに得をするパラドックス 最下位の者でも、自然界で群れることで、野良ネコやキツネなどの捕食者に襲われにくいので一人でいるよりはずっとマシとなる。群れにいるからこその恩恵を受けることができる。
上位の義務を果たすトリ アラビアヤブチリドリ。
このトリの優位のオスは劣位のオスにエサを与える。これは単にエサを与えるだけにとどまらず、順位、序列を確認するという大切な意味も持っている。劣位のオスが優位のオスにエサを与えると逆にブチ切れます。更に、最優位のオスは義務としてタカやハヤブサなどの点滴に対する見張り役を買って出る。
「アラブの春」からみる民主主義獲得
2010年、北アフリカや中東の国々で、若者の呼びかけで民衆が大規模なデモを起こし、独裁政権を次々と倒していった。やっと、独裁の時代が終わって民主化がすすむ、言論の自由が保障されるとみんなそう思うわけですが。
エジプトでは、30年にわたって独裁政権を握っていた、ホスニー・ムバラク大統領が、国家権力を軍へ譲ることで退陣。終身刑を科され、今も収監中。
2012年には大統領選挙が行われ、ムハンマド・モシル大統領が誕生したけれども、たった1年で軍がクーデターを起こし解任される。
リビアでは、42年も続いたカダフィ大佐による独裁政権を崩壊させるために、まず内戦が勃発。他の国々も軍事介入しカダフィ大佐を拘束しようとしたものの、銃撃戦の混乱の中でカダフィ大佐死亡。リビアは今でも軍や警察組織が機能していない、非常に治安の悪い状態にあります
シリアでは、アーフィズ・アル=アサド大統領による独裁政権、そして、その息子、バッシャール・アル=アサド大統領がその政権を受け継ぎ、親子40年以上にもわたってシリアに君臨していますが「アラブの春」以降、内戦が続き、死者の数は推定することすら難しい無法地帯へ といったように、独裁政権が終わると国家が大混乱に陥って独裁政権以上にひどい目に合わねばならなくなります。
これは、昔「平和とは暴力の独裁」という記事も書いたことがあるのですが、それと一緒で戦力が均衡状態にあるとどちらが優先であるか明確にするために戦闘が起きる様になっているんですね。結局「独裁」という状態の方が「平和」なんですよね。
国が一番豊かに反映する場合というのは「優秀な独裁者の国」の場合です
いじめ問題は、なくなるはずがない
学校の「いじめ問題」もガキンチョを一つの教室に詰め込んで管理するわけですがから、管理する側にとって都合がいいわけですね。
動物的な本能から、必ず学力・運動能力・人付き合い等によって暗黙の優劣がつくわけす。
お互いが譲らない状態になると喧嘩になります。
スクールカーストがない状態というのはある種、戦闘状態となっているといってもいいわけです。
クラスに詰め込まれた状態で、何かしら優劣をつけ合う闘いが行われます。
劣等性は「いじめられるけれども、黙っていれば誰にも迷惑が掛からない」という心理になるか、 あるいは、むかついて優等生に対して暴力を起こす。
こうなると、優劣に対して戦争状態となり問題が顕在化します。
自分が加害者にも加害者にもならないためには
基本「にげる・かくれる・たたかう」
アメリカのテロ対策と同じで基本的には衝突を避けてかくれる。
しかし、どうしても逃げられない隠れられない状態になったら「闘う」
「闘う」ことにおいて、大事なのはお互い滅びる覚悟で行うことです。
不登校でも楽しく過ごせる準備をする
学校は管理者側に都合のいいシステムなだけなので、自分にとって都合がいいわけではない。
学校に行った方がコスパが良いとか、学校行かない分の教育をどうするのかという話がありますが、人類みな「生活保護」なので、自分が無能だとさっさと自覚して新作のゲームを引きこもって行いあわよくばプロゲーマーを目指しましょう
友達も長い目で見たら別に必要ない
人類みな「生活保護」なので、日本の恥の文化により「生活保護が恥ずかしい」と感じるなら恥ずかしいと感じる前に他人がいなければ問題ない
友達がいると自分と比較してしまうので、自分が幸せになるために自分が好きなことをやっていきましょう。
「人に依存する」傾向にある人は、多分無理だと思いますが、それはそれでよろしいかと思います。
まとめ
いじめ解決は、いじめられている当事者が殴り合いの喧嘩をして相手が「あいつやべぇから関わるのよそう」となればいいわけです。ある種、優劣が逆転します。暴力騒動や喧嘩が起きるということはある意味「いじめが起きてはいない」ということともいえます。
いじめられるか、戦うか
教師と生徒により体罰も同じような構造ですけどね。自分が正義を持ってやっているなら暴力は許されるわけで、自分が悪いと思っていない分、教師の方が「クズ」なんですけどね
ひろゆきの主張