宗教を学ぶと何が見えるかと言いますと。単に外国人の基本的な思想を知ることができるんですよ。
ほう
今回は「海外」全部くくられていますが「キリスト教」のベースの思想がわかれば、「海外」の考え方がわかると思います
「日本から出たら価値観が変わったー」とかFacebookでみたことあります
百聞は一見に如かずですけれども、わざわざ海外にいかなくても、宗教のベースをみればある程度、考え方が理解できるでしょう。
※あくまでもベースの思想です。個人間での話ではありません
キリスト教 日曜朝十時に礼拝(原則:プロテスタント)
主なプログラム
オルガン前奏
→祈り
→歌
→信仰告白
→聖書朗読
→説教
→献金
→祈り
キリスト教は宗派が色々あったりするので、例外あり
「天使にラブソングを」もこれですね
ちなみに、誰でも参加自由らしいです
信仰により罪を許されて、永遠の命を与えられる。 人は、悪いことをしたという自覚もあるし、無意識に罪を犯しているかもしれないので、こうした罪を司祭に告白して、悔い改め、許された身として「新生」するという流れです
ハリウッド映画で罪を告白しているのは「告解室」ということですね
キリスト教徒の思想・日本人との違い
ルカによる福音書「人々にしてほしいことあなたが望むことをその通り人々にしてあげなさい」
→どちらかというと先回りして相手が喜ぶことを考える
日本人「人は自分がしてほしくないことを他人に押しつけてはいけない」
→他人に迷惑をかけない干渉したり、人前で不平を言わない
初対面の外国人同士が助けや援助を必要な状況において素早く行動したり、公共の場で多くの外国人がお互いに親しく温かくあいさつを交わす感じです
信じられませんね
逆に、嫌なことは「NO!」と言われます。日本人は、不愉快な状況においても感情を抑えて愛想よく振る舞うという感じです
なるほど。でも、うちのクラスのたかし君は人に迷惑をかけたりしてきますよ
あくまでも、そういう傾向にあるということです。でも、ワイは極端に人に干渉しないので、実は「日本人」っぽいかもしれませんね
ふと考えますが、こういった思想がベースにあると「恋愛」しやすいかもしれませんね。先回りして相手が喜ぶことを考えるのが習慣にあると女性が惹かれやすい気がします
自由恋愛のシステムもキリスト教のルールがベースなので、日本人はおとなしくお見合い結婚が適していると思いますよ。宗教を学ぶというのは、外人の考え方のベースを学ぶことになりますよね
旧約聖書の道徳的な言葉をみる
・施すべき相手に善行を拒むな、あなたの手にその力があるなら。
・心ない者は友人を侮る。英知あるものは沈黙を守る。悪口を言い歩くものは秘密をもらす。誠実な人は事を秘めておく。
・若者を諭すのを控えなければならない。鞭を打っても死ぬことはない。鞭うてば、彼の魂を「よみ」から救うことになる
・罪を隠している者は栄えない。告白して罪を捨てるものは憐れみを受ける。いかに幸いなことか、常に恐れを抱いているもの。心のかたくなな者は苦難に陥る
・むなしいもの、偽りの言葉を、わたしから遠ざけてください。貧しくもせず、金持ちもせず、わたしのために定められたパンでわたしを養ってください
いかがでしょうか
時代にあっていないような印象を伺えます
あのー、最近、「嘘」をつく人が徳をする世の中になっていると知識人が述べていますが。日本や儒教、キリスト教は「嘘」に対して否定的なのですが、「嘘」がまかり通っている世の中というのは、まぁ、いわば、「中国思想」ですね
「だまされた方が悪い?」
宗教ベースの思想を学んでいると近年の日本人というのは、モラルがなくなった「中国人」思想に近づいていると考えもあります。根拠はありませんが、とりあえず、政治家や財務省が平気で嘘ついて消費税あげているのがそれです
キリスト教徒は切実な人が多いということですか?
あくまでも、そういう傾向ですよ?歴史的な虐殺、人種差別は、この記事では考えていません。ただ、そういったベースはあると思います。日本人もしかり。
「嘘をついてはならない」と書いてありますけど、殺人も罪を告白すれば許してくれるっぽいですから。聖書を読みこんだわけではないですけど、聖書に書いていないことは、逆言えば出来るわけですから
なるほど
まとめ
このように、他国の文化を知るには他国の「宗教」です。
インドを知るにはヒンドゥー教ですか?
インドって多神教で、思想バラバラらしいですからね
中国を知るには?
今の中国は、孫氏の兵法ですね。仏教ではないですよね