働いたら負け

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目指せスケベマスター 風俗の歴史

 

風俗マスターになるには

基礎教養ぐらい抑えておきたい

そんな想いから

風俗の歴史記事を軽く作成した 

 

 

 

上海は移民の街

上海は人口密度も高く

独身の男が働きに集まる場所であるので

必然と風俗街が誕生していった

主な起源は上海と西洋で言ったらパリから輸入されたものになる

 

「娼婦の館」

元祖風俗

パリでは売春はしかたないけれども、性の乱れは寄生しなければと

売春施設を作って規制

 

ただ裸の女性が並んでいて男が指名する制度なのだが

19世紀後半で廃れる

→歴史的に観て男性側も疑似恋愛のようなことがしたいらしい

 

20世紀になると

パリでは自由恋愛風システムが導入

1階は普通のバーで、娼婦に接待してもらって

気に入ったら2階でセックス

 

いきなり全裸よりも「語り合ってるうちに彼女が脱いでいった」というプロセスが重要である

 

日本の「キャバクラ」は、

ファーストステージしかないので

外人が遊びに行くとブチ切れる

 

 

親鸞「悪人正規説」

強力な悪魔=女性が誘惑してくるのは、自分が神である証拠であり

性欲の強さを「正」とする

アウグスティヌスも同じような考え方

 

 

ソープランドは上海から

上海に「トルコ風呂」と呼ばれていたが、名前からトルコ大使館から苦情が入った話は割愛する。

上海では「トルコで用をたす」といえば、フェラチオの意味である

 

日本では1951年に

サービス「東京温泉」が、日本初の「トルコ風呂」開業

性的サービスはなく、下着姿でマッサージしてもらう形ではじまた

 

それが案の定進化していった

 

ラブホテル

円宿ホテル(1円で泊まれるホテル)から始まり

段々時間制の方が需要が高まり

現在のような形になっている

 

 

混浴風呂

ローマ時代から14~15世紀まで

廃れた原因:ペストの流行、16世紀の梅毒

 

混浴どころか入浴の習慣が廃れていった

 

ちなみに日本の公衆浴場は

江戸時代の寛政の改革までは混浴だった

 

 

メイドよりも娼婦の方が歴史がある

そもそもカフェはおっさんの情報交換のためのたまり場で女性は入ることすらなかった。

ちなみに日本の昭和時代

花電車接待という女性の性器を使ったパフォーマンス

も存在した

 

 

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