ポルノにこんな歌あったような気がしますが忘れました。
究極的な話
あなたは「お金を稼ぐ」ために生まれたのだろうか?
否
人は、幸せになるためにお金を稼いで期待し
人は、幸せになるためにいいパートナーを捕まえようとやっきになり×がつき
人は、幸せになるために長時間低賃金労働でも我慢して働き
人は、幸せになるために社蓄から逃れ引きこもり
人は、幸せになるために領土を拡大し、他国の民を虐殺し
人は、幸せになるために生活保護を手に入れる
「幸せ」ってなんでしょう。
今回は「幸せ」について語っていきます。
このブログがなんのためにあるのか
それは、歴史、経済、財政、現代史、外交、宗教
難しい内容も並べたりしましたが
全てはニート、ひきこもりが「幸せ」になるためでしょう。
ワイは、幸せになるために幸せについて考え、ブログでアウトプットし、現状における最適解の行動をしているといっても過言ではありません。
「幸せ」については過去2回ほど記事にしたことがあります。
一つは、完全に俺の主観的考え方
もう一つは、4つの要件を満たして初めて人は幸せになれるが、その4つの要件を同時に満たすことは事実上不可能であること「不幸論」についての記事です。
今回はなるべく客観的にすべく
人類の歴史が一番頼りにしていた考え方を引用して
あなた方、ニートひきこもりにとって最適解の「幸せ」について考えていきたいと思います
物質的に豊かになることで幸せにはなれない
135カ国の調査でわかった「収入と幸福の関係」|WIRED.jp
年収別で幸福度指数を調べました。あなたの幸せ度はどのくらいですか?
現状では「幸せ」は客観的なデータで表すことはできない
「幸せ」を調査するにはひとの主観=質問による回答で「満足している」「満足していない」などの10段階ほどの回答、評価で集めることによって調べられた。
年収ごとに「幸せ」かどうかの研究結果があります
一つの応え
確かに貧乏の人は、「不幸」の水準が高いですが
ある程度の一定の収入から上になると「幸せ」の水準がばらつきがある、変化しないことがわかりました。
つまり、年収1000万もらってる人が全員幸せとは言えないことが判明したのです。
上記のデータの信憑性もあいまいですが、
まず必ずしも、お金=幸せ
というわけではないという一つの結論に導きます。
僕は、お金にこだわりません。綺麗ごとではなく、社蓄でお金を稼いだ時代と今を比較して、断然今のニートひきこもり生活の方が良いからです。今は貧乏で、親のすねをかじっていますが、今の方が幸せです。お金は共通の価値を示したもので、人生を豊かにする便利なツールではあります。しかし、お金は交換して効果が現れるもので持っているだけでは効果が現れません。お金の力には限界があるのです。
では、次にどうすれば幸せになれるのか?
幸せは科学で解決できません。
その人が「幸せ」だと感じる考え方、思想を持つ習慣を作っていくというのが現状一番ではないかと考えています。
世の中には様々な「自己啓発」本があります。10代の時俺もたくさん読みましたが、結局、解決されるものと言うのはよくわかりません
ここで、人類はどのように「幸せ」についての問題に解決していったのか考えると
「宗教」が浮かび上がってくるわけです。
宗教とは、「宗」に「教」わることで自分が成長していこうというものです。
自己啓発も宗教ですし、資本主義、社会主義、共産主義といったイデオロギー、
更には学校の道徳教育、世間も宗教です。
世の中は私たちが想像している以上に宗教で満ち溢れているのです。
その中でも、人類の歴史上めちゃくちゃ支持された「宗教」の考え方を紹介していきましょう。
キリスト教、イスラム教
一神教。人は神の下、神が絶対で、あらゆることを神に委ねるべき。
そのため、自己の成長などはなく、文明の停滞を招く。しかし、人類が文明を築き上げた自由主義では多くの命が犠牲に放っているし、先ほども述べたように物質的な豊かさは人間の幸せに比例しているわけではない。
全く非科学的ではあるが、幸せを追求する点では必ずしも間違いとは言えない。
キリスト、ムハンマドは神の言葉を預かる「預言者」であって「神」ではないが信仰するのは神
一神教は、非常にシンプルで排他的なため布教しやすかった。物事の「正しさ」の基準ではなく、この不況のしやすさが今日のキリスト教、イスラム教の信者の数が多いことに繋がっている
仏教
ブッタの教えの元。ブッタは神ではない。 仏教が信仰するのは神でもない、ブッタでもない、厳密にいえば「ブッタの教え」になる。
つまり、仏教を宗教としている時点で、さまざまな考え方を宗教として捉えないと矛盾が生じる。
俺の教えだったら「さっちゃん教」になる。
ブッタの教えからなっているから、ブッタがどういう人物かを知らなければならない。
ブッタは人間の「幸せ」について真剣に考えた人物で、そのために6年も真剣に修業をした人である。
世の中、貧乏な人は物質的な豊かさをもとめるが、王様もまた愛に枯渇していた。
物質的な幸せが幸せでなければ、何が「幸せ」であるかを探究した人
ブッタの結論としては、
幸せを外にも求めず、内にも求めず。
人の感情は海のように波があり、それに対し「苦痛をなくしつつ、快感を得よう」とするなら、一生この波に支配されて生きることになる。
その波は一生終わることはない。
求め続ければ、常に求め続け、一生満たされることはなく、枯渇し続ける。
今のありのままを受け入れ、「欲」を求めようとしないこと
これが幸せになるための最善手だと結論付けています。
その手段として「座禅」を考案した。
仏教については長文になったのは、ワイが現時点で一番幸せになれる考え方はこの「仏教」ではないかと思っているからです。
自由主義
これも宗教。
我の悩みを解決するには、我を知ることだ。という、そのため「自分探しの旅」という就活前のよくわからない個人イベントが発生したりする。
現代社会はまさしくこの「自由主義」であり、それが多くの人を不幸に、更には漠然とした不安を襲っているのではないかと思っている。
お金がないことの「自己責任」
お金がないことの「将来への不安」
今、あなたが自由主義者(現代のイデオロギーのどれかの主義を持っている人)拝金主義、資本主義、社会主義など
自らを「成長」という立派な言葉には見えるが実は曖昧でしかも、「理想の自分」を追い求めすぎて今あるありのままの自分に対しての自己受容を失ってしまったのではないかと感じます。
自分を追い求め、自分を受け入れられない→他人も受け入れられない
これがある意味、結婚率低下の本当の理由でしょう。経済的不安から生ずる
世の中の人はだいたい「自由主義者」なので、俺と「合わない」と思っています。
この主義を辞めろというわけではありませんが、
自由主義、資本主義のもたらした恩恵は確かにありますが、自由主義によって失われたものもあることを今一度確認してみてはいかがでしょう。
アドラー心理学
最近よく出ているアドラー心理学の教え。
「どうすれば人は幸せに生きることができるか」という純粋な命題にいどんだ心理学、宗教です。
やはり現代の自由主義に悩まされ
私達がどうあるべきかと考える中にこのアドラー心理学が需要を満たしているのではないかと思います。
内容は概ね参考になります。
アドラー心理学の本「嫌われる勇気」は俺も読み込んだ経験があります。
100%理解していないという解釈もまた間違えではありませんが
ちょっと間違えると鬱を促進させる考え方じゃないかと思いました。
全ての理がこれに詰まっているとは言い難く、
科学的根拠や歴史的根拠もなく、やはり、宗教なのです。
まとめ:
「幸せ」という観点で考えると
自由主義が一番幸せではないというのは感じます。
世界三大宗教の教えは科学的合理的な考えを除くに下って自由主義よりは幸せではないでしょうか。
中世の人は「死後の世界に希望がある」と本気で信じていたので、現代のように「将来なんの希望もなく」生きているよりは結果的に幸せなのですね。
必ずしも、「論理」で納得することが重要ということではない。
現代人からすると「矛盾」に思える「論理」や「損得」「お金」これこそが、実は「幸せ」を遠ざけるのかもしれません。