社会不適合者が、次のような疑問をよく思うことがあります。
俺の同級生で
地方国立卒業の地元エリートいるんだけど、
俺と比べると
奥さんいて、子供できて
はたからみれば俺より順風満帆です。幸せです。
ただ最近連絡したら
「朝7時出社~夜9時半で仕事終わった。辛いわ」
「なんか人生あっという間だわ」
って連絡入って。
対して、
俺は、途中で挫折して
就活もろくにせず今ひきこもりたまにアルバイト
金もなければ女もいないわけですが、
毎日「死にたい」と思っても
ストレスで押しつぶされるような不健康な生活はしてきてないわけですよ
お金が無くなればバイトすればいいし、欲しい物はないから何も買わないでもストレスはたまらない。
親がうるさいが
そこで疑問:
上を目指すことが『幸せ』なのか!?
上の世界というのは
10代ずっと勉強して、いいところ就職して家庭を持って
でも、やっと世間から認められたポジション?までたどり着いた代償に定年までこき使われる世界なのか!?
オリンピックで2位の選手が悔しくて泣いてる
「銀メダルよくね!?」
またオリンピックでメダルがとれない。冷たい目
「オリンピック出れるだけでもすごくね!?」
憧れのプロ野球選手になった!
大谷の才能に絶望。ずっと2軍
クビになるかびくびくしながら
楽しかった野球がいつの間にか苦しいものになっていた
医者になった!
地獄のような勉強の末に
週6激務。閉鎖的な医師会、ストレスぱんぱん
はたから見れば、妻子持ち金持ち、一流
ストレス激務で空洞家庭→裏で不倫。
世間から嫉妬
トップ芸能人になった!
金があると思われ、世間から嫉妬
キャバクラ、風俗→文春砲
枕営業の果てにAV
正社員になれた!
ブラックサービス社蓄→過労死一直線
あるいは、仕事人間でいつの間にか老後
出世した
家庭を持った→仕事人間
子供は妻に任せてたら知らぬ間に大人になってた。
俺は仕事のことでいっぱい
なんで、月8~10万ぐらいで生活すること、その現状に満足しないのか
いや、満足という表現は違うかな
でも、現状維持でのんびり暮らせるという選択肢を
この国では、労働可能な年齢になったら強制または労働せよと圧力をかけられるのは不幸すぎる。
必ずしも
上を目指すことが幸福ではない。
否、幸福のために上を目指してるわけじゃなくて
世俗的な意味が強いかな
じゃあ、何が大事なのか?何を人生の命題として追い求めるのか
何のために生きているのか。
ニートや引きこもりは親に養ってもらえる。生活のために働く使命はない。何も生きるあれがない
もうこの僕の領域までいきついてしまったら
「好きなことを貫くこと」
ですね。
好きなことをするには、
本当に「やりたいこと」
本当に「やりたくないこと」
を考えて明確に好きなことを貫いていきます
ちなみに僕の場合は、現段階で
図書館で本を読み漁ること、アニメをみること、ブログを書くこと、資格勉強すること、ですね。
麻雀は底が見えたのでしばらくやりません。
実は「知的好奇心」が満たせればなんでもいいんだなと最近感じてきました。
それなら、資格勉強やブログを投稿することにあてれば何か変化が起きるかもしれないといった感じです。
「やりたいこと」は本当になんでもOK
これで成功できるわけでもない。誰からも賞讃されるわけでもない
その覚悟を見据えて「やりたいこと」をやる。
これが、
ニート、社会不適合者が取れる生存表現の手段ですね。
※「このまま引きこもっていたい」というのも「やりたいこと」に入れて勿論OKです。