今回の記事は、
自己責任文化の強い日本ではあまり納得してもらえない記事になりそうですが
民主主義国家なのに「平等」を感じられないのはなぜか、です。
それは
生まれた瞬間のスタートが違うこと
親の「相続権」の有無です。
だから、本来は「相続税100%」が理想の「平等」といえるのですが
嫌でしょw?相続税ほしいでしょw?
民主主義国家を形成する時に、相続権はごまかしたんですよ
ルール作る人間が相続権放棄したいわけがないじゃないですか。
相続権のせいでスタートが違うのですね
経済的不平等は公認です。
そこで資本家の子に産まれれば勝ち組確定です。
たとえ、表面上政治的平等があったとしても
資本家が政治家を裏でこねくり回すのは意外と簡単ですから。
資本家「うちは仕事で忙しいですよ。政治に手を出すなんてとてもとても」
という経営者、TVの前でまぁ、こう語りはしますが
政治家「君達優遇するから選挙の時よろしくね」
資本家「うちは君を全面バックアップするよ~」
民間会社、特に大企業なら「この人に投票しましょう」みたいな運動ありません?
そういうことです。
経済的不平等は政治的不平等を生みます。
政治的不平等なら世の中は「不平等」に決まっています。
だからね。世の中には「平等」なんて言葉はないんです。
親の資産というのは、老後必要になって行きます。
高度経済成長期に稼いで小作りしたんだから、間違いなく僕達世代よりは稼いで貯蓄も蓄えているはずなんです。
それは「圧倒的不平等」
現代社会とこれからの社会が
超弱肉強食社会の説明は何回もしていますので割愛
それを生き抜く究極の最終手段が「相続」です。
自立できない息子の話ではなく
世の中が経済的不平等な制度で出来ているため
各個人が親の相続権がどれだけ持っているかは把握すべきなのです。