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ポル・ポト「拷問」から考えるいじめの加害・被害者心理

閲覧注意記事です。

 

憲法19条「拷問の禁止」

 

これの起源、国家が「拷問」の禁止を保証しないことはどういった意味をするのか

日本に住んでいると「拷問」という発想自体が思いつかない事でしょう

 

今回は

拷問の実施、被害からどうなっていくのか。

 

また、

現代の拷問に近いものとして「虐待」「いじめ」がなんらか類似しているので、それについて少し触れる流れで書いていきます

 

 

 

 

カンボジア1975~79年

 

ポル・ポト政権からベトナムカンボジアに侵攻するまで

 

「S21」

 

という再教育施設というものが存在します

 

 

さぁ、権力を握ったポル・ポト

 

 

彼は次のような言葉を残しています

 

「全国民の1~2%の反省力因子が常に存在する。社会主義実現のためには、我々はそれを粛正しなければならならい。」

「一人の反政府の人間を逮捕するために、10人の誤逮捕は問題ない」

 

社会主義については前触れたことあります別記事で

 

ということで、

カンボジアでは、危険因子を粛正するために

記録上ではS21で、少なくとも1万4千人拷問の末、殺されています。

 

全国民の1~2%は余裕で超えております

 

記録上

解放された人は10人くらいです

 

何故かというと、解放したら反勢力に拷問の実態を報告する恐れなどがあるからですね

 

 

ちなみに

ポルポト政権中は、少なくとも150万人以上が栄養失調とかで死んでいると記録されています

 

国内にいても飢餓や病死が激しくて

国外に逃げて捕まると拷問の末、死亡という感じです

 

歴史をあげるならほか、

 毛沢東が2000万人くらい

スターリンが5000万人くらい国内でぶっ殺してますが

 

それはおいておいて

 

 

拷問の内容はこちら

 

・殴打 こん棒、むち、などなどが基本

・電気ショック

・糞を食べさせる

・犬の絵、壁、椅子、テーブルに敬礼

・爪を剥がす

・24時間手を下ろさせない

・吊るす

・むりくり物を食べさせる

 

などなどです

 

最終的には「キリング・フィールド」で有名な場所に連行され

こん棒で後頭部をぶたれまくって殺される

 

という流れです。

 

 

看守は止めないのか?

 

「あいつは、囚人の拷問の手を緩めた」などと横のつながりでちくられるものなら、自分も囚人の側になります。

同僚が囚人になって、それを殺すというのも供述書に報告されているらしいですね

互いが政権に対して無関心で、自分が殺されないために、殴る、殺すわけですね。

 

 仕方ないですよ

彼ら自身が生き残るために

 

でも、彼らは自殺はさすがにしません 

 

 

・拷問を受けて生き残ってもほとんど自殺する

 

ところがどっこい

拷問を受けた人間はほとんど壊れるらしいのですよ

  

ポルポトではないですが、

 

アウシュビッツを経験した作家のジャン・メアリー

最終的に自殺しております

アウシュビッツの記録

ジャン・アメリー(Jean Améry)(1912-1978) 1943-1945Awschwitz 1978suicide

 

 

 

まとめ:

 

近年でも

全く関係のない人間を拷問にかけるという

歴史的事実がある

 

1960年あたり

チベットも120万人死んでますね 

 

いやはや

「悪いことはいつか罰せられる」とか

「我慢していればきっといいことある」とか

 

心にもない戯言をワイは昔聞いた事あった気がしますが

全くうんこみたいな宗教観ですねぇ

 

いいこと=これ以上生きなくて済む

みたいな

 

追記:

 

これを調べて思ったのが

 

「拷問」が

「いじめ」の加害者側の視点と被害者側の視点と

類似しているのではないか

 

違う部分は勿論ありますし

話が飛躍しているところも否めないのですが

 

んで

改めて思うのは、

 

加害者側なんて「罪の意識」とかないんですよ

 

 でも

被害者側は、拷問がひどければひどいほど例外なく壊れていくと

 

 

いじめによる自殺とか

被害者にしか、わかりませんしなんともいえませんが

 

いじめの加害者というのは

「被害者心理」を考えることのできない

脳の発育にも問題があると指摘する人もいます

 

 

ただ、

 

いづれにせよ

「拷問」も「いじめ」も

どちらも「環境」によって事態が発生しているとワイは感じておりますし、

 

いじめが何十年もなくならないのは

 

1クラス40人を缶詰にする

学校の教育システムに問題があると考えています

 

「いじめ」問題を取り上げて

加害者にならないように呼びかけて解決したのでしょうか

 

ひどい教師だともみ消し、そりゃいじめられたら誰も信じられなくなりますわ

 

「いじめ」の被害者にも、自分たちが知らない間に加害者にもならないためにも

学校は行かなくていい場所ですね

 

  

あるいは、

システム自体に解決策を見いだせない国ですし

 

どうせ被害者はもう壊れかけですから

加害者を

同じ目に合わせる

報復してやるか、ですね。

 

 

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