「女って面倒だよな」「マジで女ってゴミだよな、糞」
という本質をついた記事かと思います。
俺含めて、恋愛が面倒くさい人間って多いと思うんですよ。
でも、こんな状態が昔からずっと続いたわけではないですし、
どうして、こんなに恋愛自体がしんどくなってしまった。
恋愛の自由化がもたらした悲劇を書いた記事です。
過去の
お見合い制度というのは、
男性が一方的に恋をして
女性は「選ばれた男性の中で一番愛せそうだな」というのを選んで、成立。
農家も相続されると
それじゃ、女性の人権がないではないか!
ってことで男女平等の恋愛もまさしく西洋文化導入の「自由化」へとなっていきます。
俺は逆に
GHQが「日本の組織社会、村社会は脅威」ということで、農地改革がてらこのお見合い制度を女の人権をエサに解体させたと思っております。
そうして、女性が「恋」をする生き物というメディアの情報媒体によって成立させるわけですが
これがメンヘラを多く生んだのではないのか
ここでいう、メンヘラの定義をはっきりしておきます
メンヘラとは、心の中で
「自分のことを受け入れられない」「自分のことが嫌い」
という人種で。
「いや俺は俺だし!」とか一見開き直っているやつも実はメンヘラの可能性があります
「私は、私が嫌い......」
これ、いままで「なにそれw?」って殺ジン炒飯おもっていて
冗談かと思っていたのですが
マジで自分のことが嫌いなんだなと、最近、感じました。
それで、お見合い制度の話に戻るのですが
この制度は女性は恋愛するまもなく、「母親」としての地位を確立している。
つまり、
社会、制度が「女性」の役割を明確に与えていたわけですね。
しかし、「自由恋愛」によって
女性も「恋」をしなければいけなくなった。
「女性は自由に恋愛してもいいよ」は逆に
「女性としての立場、地位は自分でなんとかしてね」ということなんですね。
でも社会って断然「男」の制度で出来ているわけですから
※これに稀に適応できるすごい女(DNAの女社長とか、ニューヨーク州弁護士とか、一応小池百合子とか)もいるのですが、そんな超人なんてほとんどいるわけじゃなく、ほとんどの女性が苦しむ羽目になる。
「寿退社」してくても、そんな甘やかしてくれる男性は経済的にも精神的にも少なくなってしまっておりますし、日本社会での生きずらさというのは、強いのではないかと思います。
治安はめっちゃいいのですが
高度経済成長期の男だったら
当時は「金のなる木」だったので、女性側にも大きくメリットがあり
年齢の家に結婚しました。
そして、その子供「ゆとり世代」なんですが。
僕達の親の収入より明らかに低い状態で
女性が金のなる木を見つけるのが難しくなってしまった。
にもかかわらず、親は当たり前のように「結婚」「女性」「仕事」と圧力をかけられる。
特に女性たちは、「顔で判断される」というのを認識されていくため
「恋愛の自由化」は過激な女の競争社会を生む
「自由」って「競争」含まれるので
そして、その競争は「出る釘を潰す」ということでモテる女に対する八つ当たりとなる。
女性が制度上だけでなく、グループ組織でも陰湿な社会のデフレスパイラルであるため、個人が認められる、受け止められる状態じゃなくなってしまった。
これは、学校における集団生活ですね。
女性の社会進出と同時に、女性らしい役割の保障が失われてしまったあげく、
「もっと私はがんばらなきゃ...」という本当は真面目で良い子でも、
がんばらなきゃ幸せになれないという刷り込みで
自分自身を壊してしまったのではないかと論じます。
また、自分には何ができるというとりえ。
男性社会だったら「女いなくてもガンダムあるしなぁ」とか
「ま、結婚できなくてもモテないんだからしょうがねぇ!」と
割り切れたりするのですが
女性には「彼氏がいなくても私には〇〇がある」という自分のパーソナルを作る埋め合わせを作るのが比較的難しい
それこそ、ママたちババたちは結婚しているわけだから「良い人と結婚するのよ!」という圧力は男性と比較にならないでしょう。
「あ~、いい男いない」「なんかダメ男にばっかりひっかかる」「付き合っても続かない」
→こいつらみんな、自分自身を受け入れたり、自己嫌悪が激しい連中。
ますます多いでしょうねぇ
「女性活躍!」とかいっている結婚できない独身フェミとそれに都合が良かった政治家が、ほかの大多数の女性を苦しめる社会を作り上げてしまったのではないかと感じました。